第47話 一年後

「ロザリンド様、私の作った羽根ペンどうですか?」


 ロザリンドはミューレの作業机の近くまで行き、彼女の作った羽根ペンの出来を確かめる。


「うん、軸がうまく固まっているし、先端の削ぎ具合もばっちり。切り込みも綺麗に入っているわね。上達しているわ」

「やった!」


 ミューレがにこにこしながら自分が作り上げた羽根ペンを見つめる。鮮やかな青い色の羽根は、サファイアミミズクのものだ。


「ロザリンド様、私のも見てくださいますか」

「僕のも」

「俺も」


 次々に言われ、ロザリンドは苦笑を漏らした。


「順番にね」


 ランカスター子爵領のロザリンドの羽根ペン工房には、十代の羽根ペン職人たちが集っている。正確にはまだ職人見習いだが、皆ロザリンドの言うことをよく聞き真面目に職務に励んでいるのですぐに一人前になるだろう。

 作業机の間を縫うように歩いて一人一人に作ったものを確かめたロザリンドは、ふと時間を確かめる。


「大変、もうお昼の時間。皆、ほどほどにしてキリのいいところで休憩とるのよ」


 はい、という声とともに動き出す者やまだ作業に没頭する者などさまざまだ。

 ロザリンドは一度領主館に帰ろうと工房の扉を開けた。

 ランカスター子爵領は今日も風が吹き抜けている。

 一年の間で肩まで伸びたロザリンドのセピア色の髪が風に揺れた。見上げれば、快晴の空には種々の鳥が飛び交っている。

 鳶、金鷲、サファイアミミズク。

 峡谷風に乗って悠々と空を泳ぐ鳥たちの姿が見られる、以前と変わらない穏やかな光景だった。


 一年前、王都での事件が落ち着いた後、ロザリンドはランカスター子爵領へと帰ってきた。

 帰ってきて真っ先にしたことは、森に残る魔鳥の卵に向かって手紙を書くことだった。


「孵化したら森から出て人の迷惑にならない場所で暮らすこと」


 その約束は果たされ、魔鳥の雛は自力で飛べるようになるとどこかへ飛び去り、代わりに前まで子爵領地の上空を飛んでいた鳥たちが戻ってきた。 

 ロザリンドが作った魔鳥の羽根ペンは全て処分した。

 危険すぎる代物なので、誰かが使う前に一本残らず燃やしてしまった方がいい。

 ヴェロニカに頼んでいた伯爵家の羽根ペンも無事に回収できたし、もうこれで心配なことはないだろう。

 それから怪我から回復した兄のフィルとともに領地の立て直しに尽力し、つい先月にはフィルとヴェロニカの挙式が行われた。もちろん場所は王都の聖教会などではなく、しかし伯爵家の格式を重んじてシュベルリンゲン伯爵領主の街テレステアにある教会で執り行われた。

 二人を見守る伯爵夫妻の面持ちは複雑そうだった。

 ロザリンドの憶測では、手紙を読んだ伯爵にかけられていた暗示はすでに解けているはずだ。レナード国王も王都での騒動の後、「なぜあんな書状を聖教会に向けて書いたのかわからない」と言っていたし、羽根ペンの効果は永続性ではない。

 なのに二人の婚姻を許したということは、ヴェロニカの意志を尊重したのだろう。

 今回の騒動を経て、ロザリンドには『魔の乙女』の力が宿った羽根ペンの効果についてわかったことがある。

 想いの力が強ければ強いほど、羽根ペンに記された言葉が強い力を持つのだろう。

 ヴェロニカはランカスター子爵領地の窮地を嘆いて伯爵に宛てて手紙を書いた。

 態度には出さずとも、胸の内では娘への愛情を抱いていた伯爵は手紙を読んで心を動かされ、そして国王に向けて手紙を書いた。

 ロザリンドは鎧豹の襲撃から街を守りたくてペンを取り、レクスの命を救いたくてカラドリウスに手紙を書いた。

 文字というのは人の心を代弁する。心を込めて書いた文字は、時として読んだ人の心を強く動かす。

 ロザリンドが作った羽根ペンはそうした文字が持つ力を最大限に引き出しているのだと思った。



 ところであの後、レクスは城に残ることになった。


「全てを話したことで、わだかまりが溶けた。むしろこれからは、レナードを支える必要がある。急に出生順が逆だと言われれば、レナードだって困るだろうし」


 そうしてレクスは、常に浮かべていた思い詰めたような表情とは真逆の、憑き物が落ちたかのような穏やかな表情を浮かべた。

 自分の中に押し込めていた秘密を暴露したことで肩の荷が降りたのだろう。


「ロザリーには世話になった」

「逆よ、私の方がお世話になりっぱなしだったわ。子爵領を助けてくれたり、伯爵家の使者を一緒に追いかけてくれたり」

「いや。……ロザリーと一緒にいたから、俺は自分の心に整理をつけることができたんだ」


 レクスはそっとロザリンドの手を取った。


「結局のところ、俺は逃げていたんだ。どんな状況に追いやられても、決して悲観せず前向きに道を切り開こうとするロザリーを見ていたら、このままではダメだと思うようになった。ありがとう」


 レクスはそう言って、世にも美しく微笑んだ。だからロザリンドも、笑みを返す。

 ロザリンドにはあとひとつ、懸念事項があった。カラドリウスに向き直り、その黒い瞳を真っ直ぐに見据える。


「カラドリウス様、第二王子が十歳になった時にレクスの命を貰うという話なのだけど……」

「あぁ。レナードにもレクスにも今現在子供はおらぬが、王子が二人生まれたら約束果たしてもらうことになるのう」

「…………」

「ロザリー、いいんだ。これはカラ様というより俺たち人間が望んでいること。カラ様の力は国に必要なものだから、俺一人のわがままで絶やすことなどできない」


 そこはきっと、譲れない部分なのだろう。ロザリンドはうつむき、しばし考えてから顔を上げる。


「私の命じゃダメかしら。王家の血を継ぐ人間じゃないけれど、『魔の乙女』の末裔なら、カラドリウス様の寿命を伸ばすのにもうってつけの人材だと思わない?」

「な……何を言い出すんだロザリー」


 レクスの焦った声がするが、ロザリンドは構わなかった。


「あなたは国に必要な人間だと思うから、死ぬべきじゃないわ。それに……死んでほしくないって、思うのよ」


 それはロザリンドの本音だった。

 レクスは真面目で、不器用で、美しい容姿の下に途方もない悩みを抱えていて。

 口数の少ない彼と行動を共にするうち、だんだんと気持ちが理解できて、自己犠牲的な考えを持つ彼を救いたいと思った。


「あなたを死なせるくらいなら、私が代わりになりたいの」

「ダメだ! そんな、そんなことを俺は望んでいない!」


 ロザリンドの肩をつかんだレクスが焦り、朝焼け色の瞳でカラドリウスを見た。


「カラ様! 了承しないでくれ。契約通り俺の命を差し出すから!」

「レクス、私あなたに死んでほしくないの」

「俺だってロザリーに死んでほしくない!」


 二人のやりとりを眺めていたカラドリウスは嘴から小さく息を漏らす。


「……実はのう、ロザリンドの生命力は、普通の人間のそれをはるかに上回る力を秘めておる。十年分の寿命をもらえれば、それでわしは今後百年を生きながらえることができるじゃろう。それでどうじゃろう」

「え……十年でいいの?」


 カラドリウスは微笑む。レクスはまだ納得していないようだった。


「ダメだ、そんな……十年だってたいしたものだぞ。軽々しく命を差し出すな」

「レクスだって、軽々しく差し出そうとしているじゃない」

「俺はそういうふうに言い聞かされてずっと生きてきたんだ、覚悟がある。だがロザリーは違うだろう。一年間辛い思いをしてきた。この先は幸せに、普通に暮らすべきだ」

「ねえ、私、魔鳥の群れに領地が壊滅寸前まで追い込まれた時、似たようなことをお兄様に言われたの。でもね、こう答えたわ。『今ここで一人だけ幸せになるために皆を見捨て、逃げ出すなんて私にはできないわ』。今も同じ気持ちよ。あなたを見捨てて一人幸せに暮らすなんて、できそうにないの。十年が何? 十年寿命をカラドリウス様に捧げても、長生きしてみせるわよ」


 そういって笑って見せれば、レクスは泣きそうな顔になって近づいてきて、ロザリンドの肩口に顔を埋めた。


「……ロザリーには敵わない」


 ロザリンドはレクスの青い髪にそっと頬を寄せる。


「生きてほしいの、ずっとずっと。……王家の契約になんか縛られずに」

「……ありがとう」


 間近で見るレクスの瞳は神秘的に揺らいでいて、いつまでも見ていたいほどに美しかった。

 


 律儀にも送ると言ってくれたレクスの言葉に甘え、カラドリウスに乗せてもらって子爵領地へと戻った。


「ありがとう、レクス、カラドリウス様」

「お安い御用じゃ。また会おうのう!」

「ロザリー。また、必ず会いに来る」


 そう言って神鳥に乗ったレクスは、青く長い髪をなびかせて空の彼方へ去って行った。

 もう、一年も前の話になる。

 彼は今、城でどうしているのだろうと時々考える。

 きっとレナード国王を補佐し、王弟として責務を果たしているのだろう。

 そういえばヴェロニカの話では、城で近々大規模な夜会が開かれるのだという。

 王家主催の夜会では、王弟殿下の婚約者が披露されるのだともっぱらの噂になっている、と聞いていた。

 人生の伴侶を見つけたのだというならめでたいことだ。

 ロザリンドは、胸の内に宿ったかすかな痛みに気がつかないふりをして、崖下から空を見上げた。

 ーーと、見上げた先の青空に、巨大な鳥の姿が見えた。

 白く輝くその鳥は、円を描きながらゆっくりと下降してくる。驚きに固まるロザリンドのすぐそばまでやって来た鳥の上には、見慣れた人物が見慣れない姿で乗っていた。


「久しぶり、ロザリー」


 穏やかな声でそう言ったのは、青い髪と朝焼け色の瞳を持つ人物。

 ロザリンドがつい今しがた考えていた人だった。

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