第44話 レナードと教皇
レナードが目を覚ました時、視界に入ったのは聖教会の教皇ノアの姿だった。
動こうとして、自由が効かないことに気がつき見下ろしてみると、椅子に縛り付けられていた。戸惑うレナードの姿を見て愉快に思ったのか、ノアは人形のように繊細で美しい顔に微笑を浮かべる。
「お目覚めですか、国王陛下」
「一体どういうつもりだ?」
状況が全くわからず問いただすも、ノアは笑顔のままである。
「陛下からいただいた書状の意味を伺おうかと思いまして」
「意味も何も、書いてある通りだ。フィル・ランカスター子爵とヴェロニカ・シュベルリンゲン伯爵令嬢の挙式を聖教会で執り行う許可を与える。教会には速やかに準備に当たってもらいたい」
レナードが昨夜受け取った、シュベルリンゲン伯爵からの手紙。その内容を読んだレナードは感銘を受けた。
娘の気持ちを最優先に考え、身分や利益を度外視した結婚を許した伯爵の度量の広さと愛の深さ。貴族であれば誰しもが結婚とは家同士の結びつきを強くするための政治的道具とみなすものだが、伯爵は娘の気持ちを慮った。そうそう実行にうつせることではない。のみならず伯爵は、二人の門出を祝うために聖教会で挙式を執り行うことすら望んでいた。
文面から滲み出る強い思いにレナードの気持ちも動かされ、自然と聖教会に宛てた書状をしたためていた。そうするのが良いと思ったし、そうしなければならないとも思った。抗い難い力に突かれて、一刻も早く聖教会に書状を書かなければと思った。
しかしノア教皇はレナードの気持ちなどまるで理解できないとでも言いたげに、笑みを引っ込めかすかに眉根に皺を寄せる。
「陛下、聖教会は神聖なる場。いち貴族の結婚に使っていい場所ではありません。ましてそれが、たかが子爵家の婚姻などと」
「そういう旧体制の考え方を改めるいい機会だと思わないか」
「全くもって思いませんね」
ノアのにべもない返答にレナードは落胆を覚える。
「ノア教皇、あなたの言い分は最もだ。だが、きっとシュベルリンゲン伯爵からの手紙を読めば考えも変わるはず。私の部屋から手紙を持ってくるよう伝えよう。ひとまずは解放してもらえないか。そもそもなぜ、拘束する必要がある?」
レナードは言いながら室内に視線を走らせた。簡素な部屋だ。石造りの壁が剥き出しの円形の部屋はお世辞にも広いとは言えない。調度品の類はなく、レナードが縛られている椅子の他には何もない。ノアは壁に背を預けて立ったままレナードを見下ろしている。
出入り口にはレナードもよく知る聖騎士団長のセドリック。そして部屋に一つしかない窓には枢機卿の一人であるブラッドリーが佇んでいた。
目的がよくわからない。
昨夜、書状を受け取った教皇がレナードと内密に話し合いたいと使者を寄越し、レナードはこれに応じて聖教会へと出向いた。護衛と共に聖教会の門をくぐったところまでは覚えている……が、その先の記憶がプツリと途切れてしまっていた。
友好的な雰囲気であるとはとても言えない。
ノアは人形のような顔に冷たい笑みを浮かべており、聖騎士のセドリックと枢機卿のブラッドリーに至っては剣呑な態度を隠そうともしていなかった。
ノアはレナードの解放してほしいという願いは聞き入れず、ゆったりと喋り出す。
「陛下。少し、昔話をいたしましょうか」
「昔話?」
「この国の成り立ちについてです。陛下はもちろんご存じでしょう。ヴァルモーデン王国は初代国王エドワードの力のみで魔獣どもを退けたのではないと」
「当然だ。エドワードは弟のヘイデンと協力して魔獣や魔鳥を追い払い、この地を人の住まう安住の土地にした」
「もう一人いるでしょう」
ノアの言葉は鋭く、確信を持っていた。
「歴史の影に消された悲劇の乙女……『魔の乙女』とよばれる存在があったはずです」
レナードは青い瞳を見開いた。それは、歴代の国王と王弟しか知り得ぬ事実。『魔』を呼び寄せる乙女はあまりに危険な存在であるため、闇に葬り去られたはずだった。
「聖教会は建国時より続く五百年の古い歴史を持っています。創らせたのは初代国王エドワードの息子、二代目の国王ウィリアム。ウィリアムは亡くなった初代国王を祀り、神格化することで国民の求心力を得ようと考えました。その時、強力な力を持つ『魔の乙女』の存在は邪魔にしかならなかった。なぜならば建国当時の戦いの功績は、彼女によるところが大きかったからです。『魔の乙女』は魔鳥を神の鳥へと変え、魔獣も魔鳥も退け、そして傷ついた人々を神鳥カラドリウスの力で癒した。奇跡に等しい力を使った『魔の乙女』はしかし、愛し合った王弟ヘイデンを失ったことで絶望し、自ら人の輪から外れてどこかへと去って行ったと伝わっています。聖教会が正しい歴史を伝えようとすると、かならず王家からの邪魔が入る。時にそれは……教皇の暗殺という強引な手段で。王家は王家の威信を保つため、五百年の長きにわたって国民を欺き続けているんです」
一体この男はどこまで真実を知っているのだろうか。レナードは聖教会が持つ正確な情報を恐ろしく思った。王家によって秘匿にされていた歴史の真実を、実はずっと聖教会は知っていたのだとしたら。知っていて尚、国王を神格化し祀るよう強要されていたのだとしたら。
「……何が言いたい?」
「陛下。ヴァルモーデン王国に伝わる古くからの王家の慣習……第一王子が王位を継ぎ、第二王子がやがてカラドリウスに寿命を捧げるというのは果たして本当に正しいと言えるのでしょうか」
ノアの紫色の瞳は、今やレナードに対する嫌悪感を隠していなかった。
「『魔の乙女』が思いを寄せていたのは王弟。神鳥に命を捧げたのも王弟。兄のエドワードは、ただただ二人の手柄を掠め取っただけの泥棒に過ぎないと思いませんか? 聖教会は長きに渡り、こう考えていました。王弟こそが王位につくにふさわしい存在だと。今こそ『魔の乙女』の存在を明らかにし、国を救った功績を讃えて呼び名を『聖なる乙女』と変え、同時に保身のために乙女と王弟を蔑ろにした兄に罰を下すべきだと」
「それが聖教会の総意で、そのために私を捕らえたと言うのか」
「その通り。陛下が何か失態を犯すのを心待ちにしていたのです。そこにきてこの書状」
ノアは懐から、一枚の羊皮紙を取り出す。
それはつい昨日、レナードがノアに宛てて書いたもの。フィル・ランカスター子爵とヴェロニカ・シュベルリンゲン伯爵令嬢の挙式を聖教会で執り行うようにと命じた書状だった。
ノアは書状とレナードとを交互に見比べ口元に薄い笑みを浮かべる。
「レナード陛下はそつがなく、あまり失策をなさらないので困っていたんです。なんとしてでも私が教皇の座にいるうちに歴史を暴きたいと思っていたもので。そこにきてこの書状。これがあれば、信徒に問うことができる……今代の国王陛下はいち貴族の荒唐無稽な戯言を聞くとんでもない無能であると。そして歴史の真実を暴けば、国民は陛下を玉座の位を奪い取った簒奪者であると糾弾するに違いない。知っていますか、陛下? 国民が敬っているのは初代国王よりも神鳥カラドリウスなんです。神格化された国王より、神の鳥たるカラドリウスを信じるように説いてきたのは、歴代の教皇以下の神職者なんですよ。未だに実在し続けるカラドリウスが契約しているのは王弟であると知れば、民は皆陛下より王弟殿下にお心を寄せることでしょう」
馬鹿な、と言えればどんなにいいだろう。
しかし目の前で語るノア教皇の紫色の瞳には妄執ともいえる炎が宿っていて、とても冗談だと断じることができない。
これは、聖教会の抱える闇だ。
過去五百年に渡って聖教会が密かに握り続けていた歴史の秘密を、今まさに暴こうとする、歴代の教皇たちの執念がノアの身に宿っているのだ。
「…………」
「本日の説教で、僕は真実を明るみに出します。そこで信徒がどう思うか。陛下にはしばらくの間、ここで大人しくしていてもらいます」
レナードが口を開こうとしたその時、凄まじい破壊音と共に窓ガラスが砕け散り、部屋の中に巨大な白い鳥が突っ込んできた。
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