第43話 レナードとアレクシス
教会へと向かいながら、レクスの記憶ははるか昔へと飛んでいた。
アレクシスにとって、レナードはかけがえのない存在だ。
腹違いといえど同じ父を持つ二人は、幼少期より共に学び、同じ時間を過ごすことが多かった。
年が同じということもあり、アレクシスとレナードは時に真剣に、時にふざけ合い、たまに喧嘩をしながらも仲良く過ごした。互いにとって互いの存在はなくてはならないもので、成長して行くにつれて絆はより強固なものになっていった。
王太子であるレナードはアレクシスよりも課せられていることが多い。
帝王学を学び、父について政務を教わり、己の幸せよりも国について考えることが第一であると常に言われていた。
レナードは不満も弱音も言わず、ただひたすら来るべき王位を継ぐ将来に備え真面目に勉学に励み、民をまとめてより良い国にするにはどうすればいいのかを考えていた。
アレクシスはそんなレナードを尊敬していたし、兄弟として支えたいと心の底から思っていた。
ーーたとえ、己の命をカラドリウスに捧げることになろうとも。
約束された生贄としての将来がやってくるその時まで、レナードの手となり足となり働こうと心に誓っていた。
だが……。
脳裏によぎる、カラドリウスと契約を終えて戻った時に母が流した涙。
そして今際の際に告げられた真実。
あの日からアレクシスの中に迷いが生じてしまった。
レナードと顔を合わせるのが苦痛になり、喋ることすら厭うようになった。
心境の変化に気がつかれる前にと、逃げるように城を出た。名前をレクスと偽って、母から譲り受けた珍しい瞳の色を隠し、髪を伸ばして風貌を誤魔化した。
まだ気持ちの整理など到底ついておらず、レクスの心は三年前の迷いの中にいるままで、一歩も先に進んでいない。
しかし運命はレクスに、これ以上の足踏みを許しはしなかった。
シュベルリンゲン伯爵からの手紙をレナードに届ける訳にはいかない。それを読んだレナードが、伯爵の要望を飲んでしまえば、教会からも貴族諸侯からもレナードの信用が失われてしまう。
そう考えていたのに、ロザリンドの作り上げた羽根ペンの威力は恐ろしく、どうあっても使者の手紙を阻止することができなかった。
止むに止まれず三年ぶりに会ったレナードは、以前と変わらないーーいや、前よりももっと威厳に満ちた姿になっていた。
瞳には即位したての頃に宿っていた若干の不安は微塵もなく、己の執務の腕に自信を持っている。国というものを舵取りするのは大変であろう。まして頼りにしていた王弟であるアレクシスの力が借りられないのだ。唐突に出ていったアレクシスを責めるわけでもなく、いつもアレクシスを気遣った内容の手紙をくれていたレナードに、罪悪感とやるせなさを感じていたのも確かだ。
しかしレナードはすでに手紙を読んだ後で、手紙の虜となっていた。
教会にはすでに挙式を行うよう通達済み。反対意見は耳に入れてもらえなかった。普段のレナードならばこんな性急にことを運んだりはしない。一旦保留にし、誰かに相談をし、吟味してから話を進める。
ロザリンドの持つ、覚醒した『魔の乙女』の力に空恐ろしさすら感じる。
いや、鎧豹を退け、カラドリウスの力を何の代償もなしに使ってみせたのだから、読んだ人の思考を操ることなどむしろ容易いことなのだろう。
ただし状況は非常にまずい。
ノア教皇はレナードに怒り、秘密裏に深夜に呼び出した上に捕縛した。起こりうる最悪の状況は、暗殺。
(まだ、生きていてくれ……!)
迷いはしてもアレクシスの根底にはレナードを慕う心が存在している。幼少期よりずっと努力し続ける姿を見ていた。支えたいと思っていたのは、紛れもない事実だ。死んでほしいなどと思ったことは一度もない。
「着いたぞ、レクスや」
カラドリウスが沈んでいたレクスの思考を現実に引き戻す。
「どうやらレナードは鐘塔におるようじゃな」
鐘塔は時を告げるための鐘がある塔だ。
「生きていますか」
「のようじゃ」
ひとまず安堵する。が、捕らえられているのに変わりはないだろう。
「行きましょう」
そこでふと、前に座るロザリンドが気掛かりになった。成り行きで連れて来てしまったが、レナードが囚われている場所に彼女を連れて行くのは得策ではない気がする。何が起こるかわからないし、荒事が起きる可能性だって十分にあり得る。
「ロザリー、危険が及ばないとも限らない。降ろすから宿で待っていた方がいい」
「でも、私の作った羽根ペンのせいで大変な事態が起こってしまっているのだし、私も一緒に行くわ。戦力にはならないかもしれないけど、カラ様の力を無条件に使えるのは私だから、行けばきっと何かの役に立つはずよ」
ロザリンドは身を捩って首をレクスに向け、レクスの目を見ながらきっぱりとそう告げた。初めて出会った時に見せたものと同様の強い決意を感じさせる瞳に、凛とした表情。レクスには持っていない、置き去りにした感情を強く思い起こさせる姿。
「だが……もし、守れなかったら」
「大丈夫よ。私、これでも運は強いみたいだから」
ロザリンドはレクスの不安を払うかのようににこりと笑う。
「一年間魔鳥の襲撃に耐え続けたし、鎧豹も退けた。極め付けは、神鳥の力を自在に操れる……人間なんかにどうにかされると思う?」
努めて明るく言うロザリンドの内心がレクスには容易にわかった。
彼女は責任を感じている。
自分が作ったもののせいで一国の王を危険な目に合わせてしまった引け目を感じているのだ。だから例え自分の身がどうなろうと、レナードを助けようとしている。
気丈なロザリンドの気持ちをふみにじれるはずがない。ここで降ろしてしまえば、きっと彼女に恨まれる。
レクスはロザリンドの腰に手を回し、後ろから抱きしめた。カラドリウスの背の上は二人で乗るには狭いので、驚いたロザリンドが身をこわばらせても逃げる場所なんてどこにもない。そのままロザリンドの肩口に顔を寄せると、短く切り揃えられた彼女のセピア色の髪が頬をくすぐった。
「……守ると約束する」
絶対に。何があろうと誰も死なせない。ロザリンドの折れそうなくらい細い腰に回した腕に力を込めると、おずおずとレクスを見上げて来た。
「あの……ありがとう。なるべく穏便に済ませましょう?」
「努力する」
「二人とも、鐘塔が近づいて来たぞい」
カラドリウスの声で顔を前方に向ければ、確かにそこには聖教会、いや王都いち高い建造物である鐘塔がもう目の前に聳え立っていた。
「どうやら鐘楼の下の一室にいるようだのう。このまま行くか?」
「はい」
「あいわかった」
レクスの声に合わせてカラドリウスはまっすぐに鐘楼のある塔にある窓に向かって飛んでいく。
たとえ真実をすべて打ち明けることになろうとも、レナードの命を救うのだとレクスは心に決めていた。
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