第二章 覚醒
第20話 シュベルリンゲン伯爵領
魔鳥の羽根を使った羽根ペン作りは順調に進んだ。
今いる職人たちが寝る間も惜しむ勢いで製作に勤しんだ結果、既に百本を超える数の羽根ペンが出来上がっている。
ロザリンドは領主館に集まった羽根ペンを見て、呟く。
「結構出来上がったわね。……ひとまず伯爵家に差し上げにいきましょう」
かたわらにいたレクスが興味をそそられたように、武器を磨いていた手を止めて頭を持ち上げる。シロさんは部屋の隅で羽根の間に頭を突っ込み、うとうとしていた。
「そういえば、販路はどうなっているんだ?」
「上客がいて、その人たちに売っていたわ。最大の取引相手はシュベルリンゲン伯爵家。それから伯爵領の商会なんかもそうね。ランカスター家は作った羽根ペンを売る紹介の役目も担っているのよ」
「ロザリーは外商もやっていたのか」
レクスの質問にロザリーは首を横に振る。
「私は作る方が好きだったから。売るのはお父様とお母様、それからお兄様が担っていたの。けど、今はもうそうも言ってられないじゃない? それに、シュベルリンゲン伯爵家のヴェロニカ様とは幼い頃から何かと仲良くしてもらっていたから、久々にお会いしに行くにもちょうどいいわ。私が作った一本はヴェロニカ様への手土産に持っていきましょう。伯爵様にお会いして、復興のための物資と人手の助力も願い出ないと。今のままだと畑が荒らされているからみのりは期待できないし、食料が底を尽きてしまう。それに倒壊した家屋もなんとかしないと……やることは山積みね」
早口に喋りつつ、ロザリンドは革張りのトランクに丁寧に出来たばかりの魔鳥の羽根ペンを詰めて、パチンと留め具を閉じる。
レクスはロザリンドの様子を、顎に指を当てて見つめていた。
「じゃあ、私は十日ほど領地を留守にするけれど」
「待て、俺も行く」
「えっ、レクスも?」
「ああ。行く」
「えぇっと……どうして?」
するとレクスは眉間にこれでもかと皺を寄せたまま、理由を語り出した。
「魔鳥の脅威は去っていない。森にいる雛の何割かは成鳥になり、また春には卵を産むだろう。そうすれば今回と同じことが、次の春に起こる。孵化した雛に餌をやるため、魔鳥が領民に襲いかかる。免れられない確定事項だ。どうにかするためには、兵士を確保する必要がある。伯爵領の兵士を魔鳥の繁殖期に差し向けてもらえるように、説得しに行く」
レクスの予想もしていなかった話に、ロザリンドはその場に立ち尽くした。
もう魔鳥はいなくなったと勝手に思い込んでいた。けれどそんな都合のいい話はどこにもなかったのだ。
魔鳥は森に夥しい数の卵を産み、孵化した雛は親鳥がいなくても何割かは生き残る。そこそこ成長した魔鳥の子供は自力で森の中で餌を取って成長するだろう。
考えてみれば当然の話で、自然の摂理である。
「私、てっきりもう安全になったと思い込んでいたわ。自分が恥ずかしい」
領地の安全を確保することこそがロザリンドの使命であるというのに、それを怠って一足飛びに復興に向けて動き出していた。
ロザリンドがなすべき、考えるべきことを、領地に何の関係もない外からやって来たレクスがやってくれた。
己の考えの至らなさに、両頬を押さえてうつむいていると、レクスが優しく話しかけてくる。
「一人で全てを考えてやるのは不可能だ。それに、子爵領地の危機は俺にとっても無関係ではない」
「…………?」
「俺はヴァルモーデン王国全土を統べる王家の血を引く人間だから、国で起こる窮地は俺が解決するべき事柄でもある」
「レクス……」
青いレンズのはまった眼鏡の奥で、レクスがどんな表情をしているのかはわからない。けれど柔らかく弧を描く唇が、ロザリンドを安心させた。
「お前の兄が執務に戻るまでは、留まって復興の手伝いをするよ」
「ありがとう」
一人じゃない。
領地を担うロザリンドは、一人で頑張らなくてもいい。
兄が倒れて以来、ずっと背負っていた重荷がふっと軽くなった気がして、ロザリンドはレクスに心から感謝をした。
「ここは俺に任せてください。領地はちゃんとお守りしてみせます」
「ありがとう、ディック」
「お安い御用です!」
にぱっと笑うディックと領民たちに見送られ、ロザリンドとレクスは街を後に 伯爵領へと向かう。
森に差し掛かるとロザリンドは前を歩くレクスの背中に向けて疑問を投げかけた。
「にしてもレクス。なぜ馬を使わないの? 徒歩で行けば、結構な時間がかかるはずよ」
「カラ様に乗せてもらう」
「カラ様に?」
首を傾げるロザリンドにひとつ頷いてみせたレクスは、ふいに空を仰いだ。真っ青な空の彼方から白い鳥が飛んできて、段々と近づいてくる。鳥は、最初は確かに鳩ほどの大きさのはずだった。しかし飛来する鳥が目の前に迫った時、人を二人乗せてもわけないだろうというほどに大きくなっていた。
「え、あれ……大きくなった?」
「左様! わしは自由自在に大きさを変えられるんじゃ」
「さすが神鳥、すごいわ……!」
「カラ様、シュベルリンゲン伯爵領の領主館がある街まで乗せていってくれるか」
「お安い御用じゃ。ほれほれ、早速乗るが良い」
カラドリウスは神の名前がついているとは思えない気安さでそう言うと、体勢を低くして乗りやすいようにしてくれる。レクスは慣れているようで羽毛に手をかけ背によじ登ったが、ロザリンドは少したじろいだ。
「あの……王族であるレクスはともかく、ただの子爵家の私が乗るのは恐れ多いわ……」
「問題ない。レクスが乗せると言うておるし、わしもお主なら乗せてもいいと思っている。これほど気概のある娘は珍しいのでな。ほれ、乗りたまえ、ほれほれ」
羽をバサバサして乗りたまえ乗りたまえと言うカラドリウスのお言葉に甘え、ロザリンドは差し出されているレクスの右手に手を乗せた。
途端、腕をグッと掴まれて力強くカラドリウスの背中へと引き上げられ、レクスの前へと座らされた。羽毛は柔らかく、ほんのりと温かい。
「わっ、ふかふか……!」
「掴まるところがほぼないから落ちないように気をつけろ。カラ様、いいぞ」
「ほいほい」
「えっ、待って、わぁっ!」
ロザリンドが何の心の準備もできていないまま、レクスの声かけによってカラドリウスは両翼を広げて空に向かって飛翔した。ほんの二、三回の羽ばたきで木の上まで飛び、さらに上へと飛んでいく。
ロザリンドはレクスの胸に抱えられるようにして乗っているのだが、それでも不安定で何かに掴まっていないと落ちそうだった。言われた通り、羽根ペンをぎっしりつめた鞄を握りしめたまま、恐れ多いと思いつつもカラドリウスの羽を掴む。痛くないように、羽が抜けないように細心の注意を払った。
レクスは胸元まで伸びた青い髪を風に晒しながら、前を見据えてロザリンドに告げた。レクスの低音の声が耳元で響く。
「伯爵領の領主館のある街まで、カラ様に乗っていれば一時間で着く」
「そんなに早いの?」
「カラ様にかかれば、国の端から端までも一日で行ける」
「すごいわね……さすがは神鳥」
そうっと見下ろせば地面は遥か下にあり、もはや地上よりも雲のほうが近いくらいの距離だった。
「怖いか?」
「いいえ」
レクスの問いに首を横に振った。それからすこし首を後ろに巡らせて、背後のレクスを振り返る。
「鳥っていつもこんなふうに飛んでいるのね。実はちょっと、空を飛ぶのに憧れていたの」
***
レクスが言っていた通り、カラドリウスは凄まじいスピードで空を飛び、あっという間に伯爵領主館のある街が視界の端に見えた。
「すごいわ、馬で行けば四日はかかるのに」
「ほっほっほ。すごいじゃろう」
「ええ」
ロザリンドの言葉を聞いたカラドリウスが上機嫌な声を出した。レクスはカラドリウスに話しかける。
「目立たないように街のはずれで降りてくれませんか」
「相わかった」
段々と高度を下げたカラドリウスは、街外れの林の中に降り立つとその身を鳩のサイズまで縮ませる。レクスは乱れた髪を整え、上空で吹き飛ばされないように外していた色のついた眼鏡をかける。ロザリンドもスカートの皺を伸ばして衣服を整えた。
「いつもこんな移動方法なの?」
「いや、普段は歩くか馬に乗っている。カラ様に乗らせてもらうのは緊急時だけだ」
「そうよね、神鳥だものね」
「本来ならカラ様は俺以外の誰にも正体を明かしていないんだが、もうロザリーにはバレてしまっているから、いいかと。時間も惜しいことだし」
確かに時間は惜しい。子爵領地はまだ魔鳥の被害から完全に抜け出したとは言い難いし、もしかしたら魔鳥の雛や、この間の襲撃に加わっていなかった成鳥がいつまた襲いかかってくるかもわからない。さっと行って帰って来られるならば、断然その方がいいに決まっている。
「ではわしは、また鳩のふりをしていようかのう」
レクスの肩にちょんと止まったカラドリウスは「ぽっぽー」と鳩の鳴き真似をした。
「乗せていただき、ありがとうございます」
「いやいや、お安い御用じゃよ」
「行こうか」
レクスに促され、木立の間を縫って出てからシュベルリンゲン伯爵領最大の街へと繰り出した。
「ロザリーはこの街に来たことがあるか?」
「ええ、家族に連れられて何度か。ヴェロニカ様が私の作る羽根ペンを気に入ってくださっていたから」
歩きながら、周囲の人々を見る。伯爵領の領主館がある街は、平和そのものだ。子爵領の壊滅的な被害を思い出し、ロザリンドは眉根を寄せて鞄を握る手に力を込める。
(立て直さないと。また平和に暮らせるように……そのためにはなんとしてでも、伯爵家の援助を取り付けなければいけないわ)
思い詰めた顔をするロザリンドの横顔を、レクスが見つめていることにも気がつかないまま、二人と一羽は伯爵領館目指して街を進んだ。
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