第27話 伯爵当主と伯爵令嬢
夕刻になり、ロザリンドは約束通りシュベルリンゲン伯爵に会うために一人で領主館へとやって来ていた。レクスは同行すると言ってくれたが、ロザリンドは一人で行くと告げた。レクスの王弟としての立場は伯爵と交渉を進める上で非常に強力なアドバンテージになるが、そんなものに頼っていてはダメだと思う。ロザリンドは子爵家の当主代行としてやって来た。ならば、ロザリンドの力だけで援助を引き出さなければならない。
交渉なんてやったことない。どうやればいいかもわからない。しかも相手は国内有数の大貴族、百戦錬磨の強者だ。
少し緊張しながら館に行き、内部に通され応接室へと入る。
震える手を膝の上で握りしめ、心を落ち着けようと深呼吸をした。
(伯爵様は古くからの知り合いだし、きっと助けてくれるわ……大丈夫)
そうしてしばらく待っていると、部屋の扉が開かれて伯爵が入って来た。ロザリンドは慌てて立ち上がり、お辞儀をした。
「本日はお忙しい所、わざわざお時間をいただきまして誠にありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ足を運んでもらってすまなかったな。どうぞ座って楽にしてくれたまえ」
「はい、お言葉に甘えまして」
お辞儀の体勢を解くと、テーブルを挟んで目の前のソファに座る伯爵の様子を窺った。
その表情は意外にもーー非常に好意的に見える。
浮かべる笑みには打算などがなさそうで、それは娘のヴェロニカに向けている笑顔に近いものを感じた。てっきりもっと表面的な笑顔を貼り付けているかと思っていたので内心で驚きつつ、それともこれもロザリンドを油断させるための演技なのだろうかとひそかに訝しんだ。
「ヴェロニカに聞いたのだが、随分と大変な目に遭ったそうだな。援軍を向かわせる準備をしていたのだが、間に合わずすまない。何せ魔鳥どもはこちらが想像していたより遥かに獰猛で、凶悪だったーーだが、窮地は脱したようだ。援助の手は惜しまない。人手でも物資でも、必要なものは何でも運び込もう」
ロザリンドが何か申し出るよりも先に伯爵がそう言うと、足の上で手を組み、さらに言葉を加えた。
「君の兄のフィル君のことだが、重傷を負ったそうだが一命を取り留めたとか。いや良かったよ。フィル君はヴェロニカの長年の想い人……亡くなったとあれば娘がさぞ気落ちしたに違いない。聞けば、マールバラ公爵の世話になっているのだとか? 公爵とは私も付き合いが深い。一筆書いておこう」
「ありがとうございます」
礼を言いながらも、ロザリンドは内心で少し動揺する。
人と物資の援助に、兄の体を気遣う発言。出来過ぎではないだろうかと思ったのだ。
すると伯爵は、さらに驚くような発言をした。
「事態が落ち着いたら、ヴェロニカとフィル君の婚約を正式に認めようと思う」
「婚約、ですか?」
「ああ。二人ともいい年頃だし、急いだほうがいいと思ってね。それに、親族となれば援助の手は惜しまずに済む。双方にとっていいことだと思うがどうだろう?」
「あの……はい」
「では早速、私は公爵に手紙を書き、それから子爵領地に運ぶ物資の手配をしようと思う」
伯爵の顔はどこまでも善良そうで、裏も表も全くなく、心の底から言っているようにしか見えなかった。
***
「……戻ったわ……」
「おかえり、ロザリー。どうした? 顔色がすぐれないが……交渉がうまくいかなかったのか?」
宿に戻ってレクスの部屋をノックしたロザリンドに、扉を開けて出迎えたレクスが首を傾げた。ロザリンドはレクスの部屋に入り、すすめられるがまま椅子に腰掛けると、口を開く。
「物資も人でも援助は最大限にしてくれるって。それに、フィルお兄様のためにマールバラ公爵様にも手紙を書いてくれると。それから、事態が落ち着いたらヴェロニカ様とお兄様との婚約も認めてくださると……」
言葉を切ったロザリンドは、レクスの顔を見た。部屋にいるときは眼鏡を取っているため、朝焼け色の瞳があらわになっている。静かにロザリンドの話を聞いているレクスの表情は、驚いているようだった。
「フィル殿と、シュベルリンゲン伯爵令嬢の婚約を? だがそれは、あまりに……」
言い淀むレクスの言葉をロザリンドが引き継ぐ。
「身分違い。そうよ。実際、お兄様とヴェロニカ様の婚約はずっと反対されていたし、兄もそのことを良くわかっていてヴェロニカ様に他の人との縁談を勧めていた。けれどヴェロニカ様は首を縦に振らなくて……ここに来て急に伯爵様が婚約をお認めになった。なぜなのかしら」
ロザリンドは顎に指を当てて考え込んだ。レクスも不審に思っているようで、青と赤が混じった不思議な色の瞳をじっとテーブルの上に固定していた。
「シュベルリンゲン伯爵令嬢は社交界でも人気のある令嬢だ。家柄、身分、見目の良さで衆目を引きつけ、いつでも引く手数多だった。一度はレナードの婚約者候補に挙がったことさえもある」
「国王陛下の?」
「そう。結局その話は流れてしまったのだが、ともあれそこまでの令嬢が……こう言ってはなんだが、子爵家に嫁ぐというのは考えにくい」
「ええ、その通り」
ロザリンドは頷いた。
そりゃもちろん、ロザリンドとしては二人が結ばれてほしいと思っていた。
今となっては唯一の家族となった兄と、幼少期より仲良くしているヴェロニカ。
ロザリンドにとって大切な二人が結婚して末長く幸せになるのだとすれば、これ以上に喜ばしいことはない。
だが、不可解なことは事実だ。
子爵領地が壊滅寸前の今、なぜ婚約を認めたのだろう。
うつむき黙って考えていると、扉を隔てて宿の階下がにわかに騒がしくなったのが聞こえて来た。
「何かしら」
「待て、先に俺が様子を見る」
ロザリンドが立ち上がり外の様子を見ようと歩き出すのを手で制し、素早く色付きの眼鏡をかけたレクスが扉に向かった。そっと部屋の扉を開け、隙間から階下の様子を伺う。それからレクスはロザリンドの方を向くと、短く告げた。
「……どうやらロザリーに客のようだ」
「私に客? 一体誰かしら」
ロザリンドが扉に近づくと、レクスが退く。そっと覗いてみると、そこにはーーちょうど階下のロビーに、一人のドレスを着た令嬢が、護衛を伴い立っているのが見えた。ロザリンドは部屋から飛び出し、思わず大声を出す。
「ヴェロニカ様!?」
「あぁ、ロザリー。よかった、宿にいたのね」
ロビーには、つい今しがた話題に出していたヴェロニカ・シュベルリンゲン伯爵令嬢がいた。
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