第三章 真実
第38話 教皇の決意
聖教会にある教皇の執務室にてノア・ノーフォークは国王陛下からの書状を読んでいた。
ノアは稀代の教皇である。弱冠二十歳で教会最高責任者の座に就いたのは彼が初めてであり、ともすれば批判が集まりそうなものだが、彼に関しては諸手を上げて皆が賛成をした。
白銀の髪を顎下で切り揃え、銀のまつ毛に覆われた瞳は神秘的な紫色。繊細な顔立ちをしており、説法を解く口調は穏やかながらもよく通る声で信徒たちを魅了する。
さぞかし育ちが良さそうに見えるのだが、ノア教皇は孤児院の出身だ。
教会が運営する孤児院で育ったノアは貧しい暮らしをする人々の気持ちがわかっており、おそらくそれが彼の人気を支える理由の一つにもなっているのだろう。
ノア・ノーフォーク教皇の立場は揺るぎなく、盤石だ。ただ一つの懸念点を除いては。
「フィル・ランカスター子爵とヴェロニカ・シュベルリンゲン伯爵令嬢の挙式を聖教会で執り行う許可を与えたい……?」
書状に書かれている文章がにわかには信じられず、口に出してみた。が、やはり結果は変わらない。眉を顰めるノアの気持ちを読み取ったかのように、執務室に控えていた二人の男が口を開く。
「やれやれ……国王陛下もとうとう錯乱したようですね」
「……聖教会をいち貴族の挙式に使うなど、前代未聞」
先に口を開いたのは白い衣を身にまとった鋭い目つきの三十代ほどの男、枢機卿の一人のブラッドリー。
そして次に言葉を発したのは、鎧を身につけた四十代の男、聖騎士団長セドリック。
ノアは手紙から目を離し、彼らを見た後、視線を窓へと移した。
「君たちは先ほどの光を見た?」
「はい」
「もちろんでございます」
ブラッドリー枢機卿とセドリック聖騎士団長は間髪入れずに頷く。
ノアが執務室から見た光景は、にわかには信じ難いものだった。
雷雲轟く王都外で雲間を切り裂いた一陣の光の柱。白く輝くその光は、紛れもなく伝承にあるものーーカラドリウスが使う、命の光だ。
神鳥カラドリウスとは伝説の存在ではなく、今なお契約により王家に仕えている実在する鳥。それを知っているのは国王と王弟、そしてごく一部の者たちのみ。カラドリウスとともに初代国王を神と祀る聖教会の教皇であるノアも当然ながらその事実を知っていた。
ーーそしてそれ以上のことも。
「あれは王弟殿下の命を糧にした力の行使ではない。間違いなく『聖なる乙女』によるものだ」
「左様でございますね」
「見張りの兵が確認したところ、つい先刻、城門を通って変装した王弟殿下とカラドリウス様、そして一人の娘が王都に入ってきたとのことです」
セドリック聖騎士団長の言葉にノアがうん、と頷く。
「……殿下は、とうとう見つけたようだね」
ノアは銀色の長いまつ毛を伏せ、物憂げな表情を浮かべる。いつも信徒の前で見せる穏やかな笑みも、人を安心させる優しい声色も、今は鳴りをひそめていた。
執務机の上に置いてある国王からの書状を右手で掴むと、ぐしゃりと握りしめる。紫色の瞳には冷たい色が宿り、まるで凍てつく氷のようだった。
「……歴史を正す時が来た。ブラッドリー枢機卿、この書状に返事を書くから、それを陛下に届けてくれないか」
「はい」
「それから、セドリック聖騎士団長は、やってきたレナード陛下を迎え入れてくれ。……くれぐれも丁重に、そして迅速にね」
「はっ」
それからノアは、人々を魅了してやまない繊細な顔立ちに微笑みを浮かべる。それは常になく物騒で、冷ややかな笑顔だった。
「ついに我々は、葬り去られた歴史を白日の下に晒す機会を得たようだよ」
力を恐れた人々により『魔の乙女』という忌み名をつけられ、存在すらも歴史から消された悲劇の乙女、ケーラ。
ノア・ノーフォーク教皇の目的は、『魔の乙女』ケーラを『聖なる乙女』として聖教会で祀ること。そして、王弟殿下を国王の座に据えること。
国王レナードが悪政を敷いているとは言わない。むしろ彼は年なりによくやっている方だろう。
だがそれが、なんだというのだ?
弟の命を犠牲に、弟の婚約者である乙女の評判を貶め、そうして代々国王の座に就いている兄に、一体どんな情状酌量の余地があるというのだ。
聖教会の古い文献で見つけた事実と、ノアを育ててくれた前教皇の話を聞いた時から、ノアは心に決めていた。
間違った歴史を正さなければならないと。
「楽しみだな」
どこかから批判が出る前に速やかに動かなければならない。
底冷えのする瞳で、ノアは握りつぶされてくしゃくしゃになった国王から届いた書状を見据え続けていた。
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