第12話 魔鳥討伐①

 ランカスター子爵領に戻ると、領主館で待っていてくれていた人々に出迎えられた。


「お帰りなさいませ、ロザリンド様。フィル様はどうなりましたか?」

「危機は脱したようで、顔色も随分と良くなっていたわ。しばらく公爵様のところで安静にしていることになったから」

「左様ですか……それはよかった」

「それから、公爵様が派遣してくれた兵が一人」

「ディックです、お役に立てるよう、精一杯頑張ります!」

「おぉ、これは心強い」

「魔鳥討伐に関して作戦があるの。皆を集めてくれるかしら」


 ロザリンドはまだ動ける領民を集め、レクス、ディックも交えて道すがらに考えた

作戦を話した。


「まずは、アイオロスの笛の音で安全を確保しつつ、領民たちをシュベルリンゲン伯爵領へと避難させる。無事に全員が逃げたら、笛の音をピタリと止めるの。そうしたらきっと、魔鳥はお腹を空かせた雛の餌を確保するために、子爵領地に留まる私たちに狙いを定めて襲いかかってくるでしょう? 私たちは峡谷の崖下の一角に身をひそめ、魔鳥の強襲を待つ。峡谷の中は狭いから、魔鳥の動きが制限される。伯爵領地の兵たちと共に誘き寄せられた魔鳥を一気に射落とす、っていうのはどうかしら」


 話を聞いた人々はしばし考え、ゆっくりと首を縦に振る。


「うむ、なるほど……それでしたらうまくいく可能性は非常に高い」

「でしょう?」

「でもまずは、シュベルリンゲン伯爵様にご助力を願う必要がありますな」

「そうなの。だから私、これから伯爵様に会いにいってくるわ」

「しかしそれでは、時間が……ここから伯爵領主館までは、急いでも二日はかかります」

「けれど、行くしかないでしょう」


 領民の声にロザリンドはそう答えた。伯爵様に助力を乞うならば、ロザリンドが行って説明をするのが筋である。しかし作戦を聞いたレクスは、硬い声で言った。


「アイオロスの笛は確かに便利だ。だが、領民たちがのこのこ森を歩いていたら、笛の音を持ってしても抑え切れるかわからない。そうでなくとも、この数の魔鳥を笛で抑えておけるのはせいぜいあと二、三日というところだろう。雛に餌をやらなければならない以上、笛の音が聞こえても魔鳥が襲撃してくる可能性は否定できない」

「そんな……」


 うまくいくと思っていた作戦に否を出され、ロザリンドはレクスが突きつけた現実にふらりと体をよろけさせた。それでもレクスは容赦無く言葉を続ける。


「領民を子爵領地に留めたまま、今いる兵でなんとかしなければいけない」

「…………」


 ロザリンドは居並ぶ面々を見つめる。

 まともに戦えるのは、おそらくレクスとディックのみ。

 あとは領民たちの中で比較的体格が良く、怪我もほとんどしておらず、戦えそうな男たちが雑多に集まっているだけだ。彼らは一年前までは工房で働いていた職人たちで、戦いとは無縁だった。

 少しの希望が見えたと思ったのに、あっという間に潰えてしまう。

 せめて公爵家がもう少し兵を派遣してくれていたら、また違っただろう。

 ーーそれでも。

 それでも、なんとかしなければならない。

 全滅するのはごめんだった。

 ロザリンドはぎゅっと拳を握り、レクスの言葉に意気消沈する領民たちに声を掛ける。


「私たちだけで、やりましょう」

「ロザリンド様」

「私は一度、命を捨てる覚悟で魔鳥に挑み、レクスに助けられた。今更死んだところで惜しくはないわ。大した戦力にはならないだろうけど、前に立って戦います。だから、みんな、私と共に戦って」


 今一度のロザリンドの言葉は、領民たちの心を打ったようだった。

 皆、愛する家族のため、守るべき者たちのために、あの悍ましい魔鳥たちを退けようと心を奮い立たせる。


「……よし、俺たちだけで、やってやろう」

「なぁに、前回までとは訳が違うさ」

「レクス殿もいるし、公爵家の私兵であるディック殿もいる!」

「やってやろうじゃねえか!」

「おぉ!」


 皆が拳を振り上げ、威勢よく言った。


「じゃあ、作戦の詳細を詰めましょう。この人数で戦うなら、もっときちんと考えなくてはいけないわ」


 ロザリンドの言葉に、皆が額を突き合わせる。レクスが静かに口を開いた。


「先ほどのロザリーの作戦は中々いいと思う。少し変えれば使えるだろう。崖下に領民を一箇所に集めて置けるような広い空間はあるか?」

「あるわ。天然の洞窟で、内部が広いから普段は食料を備蓄しておく場所に使っているの。奥に行けば湧水が溜まっている泉もあるから、有事の際にはしばらく暮らせるようにもなってるの」

「ならばそこに集め、入口は魔鳥に破られないようにしっかりと塞いでおこう。その隙に俺たちで峡谷に魔鳥を誘き寄せ、作戦通りに矢で射落とす。ディック、弓矢は使えるか」

「若手の兵士たちの中では、一番の成績でした」

「ならば結構。ロザリー含め、領民たちは今から寝ずの訓練だ」

「ええ」


 ロザリンドは同意する。

 勝てるかどうか、ではない。

 勝たなければならないのだ。

 

 この日から魔町討伐に向けて、慌ただしく準備が始まった。

 峡谷内の家屋にバラバラに住んでいた領民たちを集め、川沿いの広い洞窟内に一時的に移ってもらう。

 来るべき魔鳥との決戦に向けて、ロザリンドを含めた領民たちはレクスとディックに指南してもらいながら弓矢の腕を磨いた。

 戦えない領民たちは、訓練中に魔鳥に襲撃されないようアイオロスの笛を回して音を鳴らし続ける。絶えず聞こえる甲高い音を耳にしながら、ロザリンドも弓の練習に励んだ。

 レクスは剣の腕のみならず弓も使えるらしく、遠く離れた的の真ん中に正確に矢を射るし、ディックも自分で言っていた通り見事な腕前だった。


(私も、頑張らなくちゃ……!)


 ロザリンドは弓をぎりりと引き絞り、矢を打つ。的の真ん中を穿つように、集中して狙いを定めた。やがて放たれた矢は弧を描き、的に擦りはしたものの真ん中を射抜くまでには至らない。

 ロザリンドはめげることなく次の矢をつがえ、黙々と練習を繰り返す。

 指の皮が剥けるほどに練習するロザリンドを見て、ディックが声をかけてきた。


「……なんか、俺が公爵領地で聞いた話のだいぶ状況が違うんですね」

「一体どういうふうに聞いていたの?」

「ランカスター子爵領で小規模な魔鳥の被害が出たから、討伐に向かってくれって。大した数じゃないから俺一人で簡単にかたがつくって聞いてたんで」

「公爵家の方々も、随分なホラ吹きね」


 ロザリンドはとうとう出血し出した指を見つめながら、皮肉をこめて言う。


「森を通って来たからわかるでしょう。魔鳥は森を荒らして夥しい量の卵を産んだし、ご覧の通り子爵領地は壊滅寸前よ。一体何人の領民が餌にされたかわからない」

「みたいですね」

「私の父も母も殺されたし、兄は瀕死の重傷を負ったわ。この戦いで数を大幅に減らせなければ、もう私たちは負けよ。森も領地も魔鳥に支配され、数を増やした魔鳥どもは今度はきっとマールバラ公爵領とシュベルリンゲン伯爵領を襲うでしょうね」


 ロザリンドは言葉に怨念を込めつつ、矢を放つ。今度は寸分違わず的の真ん中を射ることができた。ちらりとディックを見つめると、難しい表情を浮かべていた。


「貧乏くじを引いたって、思ってる?」

「いえ」


 意外なことに首を横に振ったディックは、ロザリンドの目を真っ直ぐに見た。


「俺、人の役に立ちたくて兵になることを志願したんで。ここで子爵領の皆さんのためになるのなら、喜んで魔鳥と戦います」

「……そうなの。ありがとう」

「っす」


 ディックはロザリンドに並んで弓を持った。的目掛けて力強く飛んでいった矢は、真ん中に深々突き刺さった。



***



 弓の練習は周囲が暗くなるまで続いた。

 崖の上は危険なので、崖下の工房に身を寄せ合い、皆で夕食を取ってから眠りにつく。

 疲れ果てて皆が眠りにつく中、レクスは未だ起きていた。窓から外の様子を見ても、漆黒に塗りつぶされた闇夜では何も目に映らない。遠くに魔鳥の鳴き声が聞こえるが、ステュムパリデスは夜目が効かないので襲っては来ないだろう。

 ここはかつてロザリンドが羽根ペン作りに使っていた工房なのだという。

 確かに洞窟内部には椅子と机があり、種々の鳥の羽やナイフやら、レクスには何に使うのかよくわからない道具が置いてある。

 ランカスター子爵領地は峡谷に吹く風に乗り、さまざまな鳥が飛来してくるのだとロザリンドは言っていた。その鳥の羽根を使ってペンを作っていたのだとも。

 確か、レナードの国王就任式典でも、ランカスター子爵一家は羽根ペンを贈り物にしていたなと思い出した。

 金色の鷲の羽根ペンと鮮やかな青いミミズクの羽根ペンだった。

 献上品は各領地の特産品であることが多いのだが、見目鮮やかな二つの羽根ペンは、書いた文字が現実になる、というたいそうな謂れがあり、物珍しさからかレクスの記憶に残っていた。

 三年前の国王の就任式典の折、レクスは王弟アレクシス・ヴァルモーデンとしてレナードの座る玉座の真横に立ち、ロザリンドに会っていた。

 その時のロザリンドは、真っ直ぐに伸びた艶やかなセピア色の髪を持つ、ごく普通の子爵令嬢だったはずだ。今はどうだろう。

 レクスは眠るロザリンドを見下ろした。

 髪は艶を失い、ざんばらな切り口が枕の上に散っている。身なりは簡素、弓の稽古によって手指の皮が剥けて血がこびりついている。

 己の身がどれほど傷ついても、命を投げ出す覚悟でロザリンドは子爵領地に留まり続け、魔鳥と対峙している。

 その事実に、レクスの心は動かざるを得なかった。

 かつて城で兄と共に、国に住まう万人の民のために働き続けていたアレクシスとしての記憶が呼び覚まされる。

 捨てたはずの、逃げたはずの過去が心の中で鎌首をもたげ、各地を当てもなく放浪するレクスに問いかける。

 ーー彼女の助けをするべきではないのか、と。


「…………」


 レクスは皆が雑魚寝をする工房を音もなく抜け出して、外に出た。

 峡谷の間を吹く風は夜になっても止まず、三年の間に胸元まで伸びたレクスの青い髪をなぶった。

 崖の上に広がる夜空を見上げると、月星すら隠した曇り空に、白く輝く鳥の姿が見える。鳥は下降し近づいてきて、伸ばしたレクスの腕に音もなく止まった。


「カラ様」

「ちがーう、シロさんじゃ」

「……シロさん」

「ポッポー」


 名前を呼び間違えるレクスに鳩の鳴き真似をして見せた神鳥カラドリウスこと伝書鳩のシロは、羽根を広げてバサバサする。


「レナードはお主を心配しておったぞ。いつかどこかで死んでしまうのではないかと」

「死んだなら、それまでの運命だったということだろう。それよりシロさん。お願いがある」

「なんじゃ」

「魔鳥討伐に力を貸して欲しい」

「ほう。公爵家の兵では心もとないということかの?」

「……たばかられた。マールバラ公爵は一人の新兵だけを送って寄越して後は知らん顔を決め込むつもりらしい」

「そりゃあまたなんと」

「シロさん。俺はランカスター子爵領を助けてやりたい。魔鳥の数が尋常じゃないのは、シロさんにもわかるだろう。このまま放っておいたら領民は全滅。魔鳥は餌を求めて公爵領や伯爵領にも顔を出すようになり、被害は拡大する一方だ。雛が成長して大人になれば魔鳥は今の数倍になり、そうすればもう誰にも止められなくなる」

「重々承知じゃが……しかし……良いのかのう。わしが力を使えば使うほどに、おぬしが……」

「良い。構いません」


 間髪入れずに返ってきた答えに、シロはつぶらな瞳でじっとレクスを見つめてからふむぅと唸る。


「相わかった」

「ありがとうございます」


 頭を下げるレクスに、シロは困ったような声をかけた。


「もそっと自分を大切にせなんだか」

「…………」


 レクスは神鳥の言葉に沈黙を返し、夜空を見上げた。

 雲が厚く覆った空は、一片の星も月も見えず、ただただ不気味な魔鳥の鳴き声だけが時折森の奥から響くのみだった。

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