第41話 追憶

「…………」


 レクスはロザリンドが去った部屋の中で、一人真っ白な羊皮紙に向き合っていた。カラドリウスは窓から飛び去り、どこかへと行ってしまった。レクスに気を遣って一人にしてくれたのかもしれないし、あるいは久々の王都を楽しんでいるのかもしれない。

 レナードには幾度となく手紙を書いている。

 放浪している最中も定期的な報告を欠かしていなかった。

 だから今回も、似たようなものだ。聖教会をいち貴族の挙式に使うのがいかに愚かな行為であるのかを訴え、教皇に宛てた書状の内容を撤回するよう訴える。

 違うのは、ロザリンドの作った魔鳥の羽根ペンを使うという一点のみである。

 レクスは丸いテーブルの上に置かれた羽根ペンを見やる。茶色く、先端が赤みがかっている羽根は見栄えがする代物だった。

 一見するとただの豪華な羽根ペンだ。まさかこれに、読んだ人を洗脳して操るほどの力が秘められているとは誰も思わないだろう。

 このペンを手に取り文字を書けば、どんな荒唐無稽な願いだろうと聞き届けられる。


「どんな願いだろうと……」


 声に出して呟き、レクスは考えてしまった。

 もしも……。

 一瞬よぎった考えを、すぐさま打ち消す。

 危険な代物だ。国王の考えさえも変えてしまう力があるとは、知れ渡れば欲しがる貴族が後を絶たないだろう。いや、貴族だけではない。商人も平民も、どれほど金を積んでも、時には他の人を害してまでも欲しがる者は大勢いる。

 役目を終えたら、ロザリンドの作った魔鳥の羽根ペンは全て処分しなければならない。

 しかし、とにかく今はこの羽根ペンを使ってレナードに向けて聖教会に宛てた書状を撤回する手紙を書かなければならない。

 余計な考えは抱くなと己に言い聞かせペンを取り、目的の内容だけを一心不乱に書き綴った。

 夜を徹して手紙を書いたレナードは、部屋をノックする音で目を覚ました。


「ロザリンドが来たようじゃぞ」


 いつの間にか部屋にもどっていたカラドリウスに言われ、長い青髪をかき上げたレクスはベッドから降りて扉を開ける。既に支度を整えているロザリンドが、手にトレーを持って立っていた。


「ごめんなさい、まだ寝ていた? これ、朝食を貰ってきたから、よかったら部屋で食べて。その……いくら変装していても、王都にいる以上はバレる可能性が高いでしょうし」


 ロザリンドの気遣いに驚いたレクスは少し目を見開いたが、「ありがとう」と礼を言いトレーを受け取った。


「じゃあ、私は部屋にいるから」

「ああ。支度が終わったら呼びに行く」


 パタリと閉じた扉を見て、レクスは受け取ったトレーを持ってテーブルに移動する。

 変わった令嬢だと思う。

 レクスの素顔を見て正体を知っても尚、態度を変えない。

 王弟と縁ができたのだからもっと頼っても良さそうなものだが、彼女はそうした素振りは全く見せなかった。金銭的な援助も物資の支援も人的派遣も望んでこない。

 王弟として城にいた時に向けられていた数多の好意の目。レクスの持つ権力や美貌に引き寄せられる貴族は多くいたが、ロザリンドは打算的な思惑でレクスに近づこうとはしない。

 だからこそ、助けたいと思ってしまう。

 彼女が歴史の影に消された『魔の乙女』の末裔であるかどうかーーそんなことよりも純粋に、ロザリンドという人物が持つ魅力に惹き寄せられていた。

 そんなふうに考えながらロザリンドが持ってきてくれた朝食を口に運んでいると、カラドリウスが声をかけてきた。


「のう、レクスや」

「なんでしょうかカラ様」

「わしにもパンを一つ、くれんかのう」


 顔を上げるとそこには、翼で腹のあたりを押さえるカラドリウスの姿が。


「夜中に狩りをしようと思うたんじゃが、獲物が見つからんでのう。こんなことは今までなかったんじゃが……ともかく腹が空いて仕方がないわい」


 人間じみた仕草が妙に似合うカラドリウスに思わず苦笑を漏らし、レクスは二つあるうちのパンを一つ丸ごとカラドリウスへと差し出した。テーブルをちょんちょんと移動したカラドリウスが嬉しそうにパンを啄んでいる。

 カラドリウスとレクスの関係は、もう十年以上前に遡る。

 王弟はその身を王家と民のために費やすべしーー創国時の契約に基づき、アレクシスはカラドリウスとの契約を結ぶ儀式を行った。

 左胸に刻まれた契約紋により、カラドリウスが力を使う時にアレクシスの命を吸い取るのだ。

 王弟から第二王子へと受け継がれる儀式は、国王と王太子立ち会いの元で行われる。

 四人が立ち会うその儀式の直前、王弟はカラドリウスと最後の契約を果たす。



「己の寿命を差し出してカラドリウスを生きながらえさせる」というものだ。

 王弟は第二王子が十歳になる時、その生涯を終えるよう強制されている。どれほど優秀な者であろうと、国にとって惜しまれる存在だろうと、神鳥カラドリウスを生きながらえさせるほうが重要であるからだ。

 恐ろしくも神々しい光景にアレクシスは目を奪われ、同時に王族としての重大な使命を感じた。

 この命は国のために有るのだと、見せつけられた気がしたからだ。

 契約を結んだその日から、カラドリウスはアレクシスと行動を共にするようになった。

 神だというから近づき難い雰囲気なのかと思っていたが、予想に反してカラドリウスはかなり親しみやすい性格をしていた。居丈高に振る舞ったりしないし、命令したりもしないし、無闇に契約に基づいて命を吸い取り力を使おうともしない。


「誤解しておるようだがのう、わしはおぬしとは仲良うしたいと思うておる。意味もなく力を使う真似はせんわい。わしの力を使うかどうかを決めるのは、王と王弟じゃ」


 言葉通り、カラドリウスが自ら望んで力を使うことはなかった。

 アレクシスが初めてカラドリウスの力を使ったのは、十二歳の時。国王、つまりアレクシスの父が病に倒れた時だった。

 王太子のレナードもアレクシスと同じ十二歳、まだ即位するには幼いため父王を死なせるわけにはいかなかった。

 周囲の願いを聞き届け、アレクシスは病に臥せる父の元へと行き、カラドリウスの力を使った。

 その時の出来事は、忘れることはできない。

 カラドリウスが力を使うと白い光が父の体を包み込み、目に見えないはずの病を吸い取っているようだった。父の顔色はみるみるうちに良くなり、苦悶の表情が和らいでいく。

 そして同時にーーアレクシスの体を耐え難い痛みが襲った。

 まるで心臓を鷲掴みにされているかのような感覚。確かに何者かに命が奪われているかのような、そんな苦痛。全身に悪寒が走り、冷や汗が止まらなくなった。

 耐えきれずにベッドの横で床にうずくまっていると、カラドリウスが床に降り立ちアレクシスの顔色を伺ってきた。


「命を奪うより、命を与える方が契約者の負担になる。……すまんのう」


 そう謝罪するカラドリウスの黒い瞳の奥には吸い込まれそうなほどの闇が広がっており、かの鳥は神で、たとえ物腰が柔らかく親しみやすさがあろうとも人間である自分とは超えられない深い溝があるのだと、その時初めて悟った。

 それから二度、アレクシスはカラドリウスの力を使ったことがある。

 いずれも命を救うのではなく奪う方の力だ。カラドリウスの言う通り父の病を治した時より痛みは少なかったが、心地よいものでは決してない。

 それでもアレクシスは、己に与えられた使命を前向きに受け止めていた。

 国王であるレナードは命を枷にされてはいないが、国民の頂点に立つという重責を担っている。決して降りられない責任と使命を背負っているという点ではアレクシスと同じだし、むしろ表舞台に立つ場面が多い分レナードの方が心労は多いだろう。

 いずれ、この命をカラドリウスに捧げるその時まで。

 全身全霊で国のために尽くそうと心に誓っていた。

 ーーだからアレクシスは、理解できなかった。

 契約紋を左胸に刻み、神鳥カラドリウスを引き連れたアレクシスを見て、なぜ母が涙を流したのかなんて。

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