第四十七頁【青坊主】


   【青坊主】


 友人と難波のひっかけ橋を歩いていた。

 昼中、人混みの向こうから古びた袈裟けさを纏った高齢の坊主が、何処かから、しゃらんしゃらんと鈴の音を鳴らし、俯きながら歩いて来る。


「至レり…吾至レ…ジゴク…ノ門…」


 呟いている。


 異様な有様に吹き出しながら友人が振り返ると、坊主は群衆の中に立ち止まって、私達の方へと足を向けていた。


 賑やかな晴天の下の往来に、一つ不気味な佇まい。

 それはまるで友人の嘲笑を耳聡く聞き留め、今に何事かと詰め寄って来そうな様相にも見える。


 青褪めた私達が踵を返して歩んで行くと、背後からしゃらんと、鈴の音を鳴らせて坊主の足取りも速くなって来る。


 ――徐々にと速くなって来ている。


 呑気に行き交う関西弁の合間を縫って、不思議と鈴の音は明瞭に聞こえて来る。


 ――どんどんと距離が縮まって来ている。


 小走りするかの様な勢いで、人波を避けてしゃらんしゃらんと近付いて来ている。


 ――もうすぐ、背後にいる。


 近くの店にでも転がり込んで助けを求めようと思った。

 必死の形相をする私達に気付いても、たこ焼き屋の店員は何事もなさそうに声を掛けてくる。

 誰も坊主の事など話題せずに笑っている。

 焦燥しているのは私達だけだ。

 

 周囲の人には、背後にいるこの坊主が見えていないのだ。





 囁やき漏らすかの様なその声は、私のすぐ耳元から聞こえたけれど、それは手を繋いで一緒に駆けていた友人のものではなかった。


 反射的に見ると、私と友人との間に出来た僅か数十センチの隙間に――ぴたりとはまり込んだが入り込んでいる。



 ……青い塗料を塗り付けたかの様な異様な顔で、そんな恐ろしい事を、片言の口調でハッキリと言う。

 ボロ切れの様な袈裟を纏った青い顔の坊主は、両目をそれぞれ奇妙に動かして、左右にいる私達一人ずつへと不気味に視線を向けた。

 首を前へと突き出し、私達の肩の間に触れんばかりに収まりながら、すえた様な悪臭を放つ黄ばんだ歯の間で、粘り気の強い唾液が糸を引いていた。


「首ヲ吊レ……首ヲ吊レ」


 人間離れした風貌の男は、まるで説法でもしているみたいな口調で言いながら、左右に分かれて絶句をしていた私達に教えるみたいに繰り返した。


「い、嫌です……そんなの」


 私は思わず首を振り、訳のわからぬ言葉を否定した。


「素晴らシいのにナぁ、気持チがイイのにナあ」


 ジロリと――青い表情に浮かび上がった白い眼球が、今度は友人の方へと差し向いた。


「首ヲ吊レ」


「……っ、もう、行こうカヨ子」


 坊主の言葉を無視した友人は、怯え切った表情から一変し、今度は坊主へと軽蔑する様な視線を向けながら私の手を引いて行った。


 今度は追ってくる事をしない様子の坊主は、人混みに視線が途切れるまで、いつまでもいつまでも友人の背中を凝視しながら、


 ――最後にニタリと笑った気がした。


「地獄り」


 行き交う人混みの向こうで、確かにそう聞こえた気がした。



 ……それから半年、その時の友人が事故で亡くなった。

 その葬儀での事。

 死因は自動車同士の“事故”であるとの事であったが、棺桶の中で溢れる様な花々に囲まれた友人の首元には、色とりどりの花で隠す様にして、ハッキリと縊痕いこんが残っていた。


 それとなく葬儀に参列した友人に尋ねてみても、誰も彼女の首の赤い跡については語らなかった。

 無論遺族に尋ねられる訳も無い。


 私はしゃらんしゃらんと鳴る、鈴の音に怯える様になった。


――――――


『青坊主』


 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」では一つ目の法師の姿で描かれるが、元々日本全国にある『青坊主』の伝承では固定のイメージがある訳では無い。大きな人影や、大きな坊主の姿で描かれる事が多い。

 というのは未熟さを表し――つまり青坊主とは未熟な僧であるというイメージと、実際に青色の肌をしているという解釈がある。

 また昭和以降の都市伝説では、山形県と福島県の小学校で『青坊主』が便器の中から頭を出してこちらを覗くと語られていた。

 香川県の民間伝承では『青坊主』は女性に「首を吊れ」と言ってきて、何も言わないでいると、本当に首吊りにされてしまうとある。

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