第四十六頁【苧うに】
【
僕のおばちゃんは古くからの伝統を守る為に、手作業でカラムシという植物から固い繊維を取り出して糸を作り、
日本古来よりあるその布は、なんでも、高級な着物の素材になるそうなんですが、今では手間暇かかり過ぎる苧麻を作る人が日本に数少なくなって、中でも未だに手作業で布地を作るおばあちゃんの様な職人は一部の人たちから需要があるらしかったのです。
おばあちゃんはいつも障子を閉め切って、昼でも夜でもパッタンパッタンと足踏み式の古い機織りの音を響かせていました。
夜になるとおばあちゃんは作業をする和室に蝋燭の火を灯し、機織り機を延々往復するそのシルエットを障子に映し出していました。
おばあちゃんはまるで機械の様に、一定間隔で同じ動作を繰り返し続けます。
パッタンパッタンパッタン……と、いつまでもいつまでも同じ作業を繰り返していた。
昨年、おばあちゃんが亡くなりました。
老衰でした。安らかなお迎えだったと、最期を看取った大人たちはそう話していました。
葬式には、老舗の呉服屋さんや着物を着た歌舞伎役者や棋士なんかも参列に来て、結構仰々しい感じになりました。
僕はその時に改めておばあちゃんの作っていた苧麻の偉大さを理解して、なんだか余計に悲しくなりました。
葬式を終えたその日の夜は、親戚みんなでおばあちゃんの家に泊まる事になりました。
高齢のおじいちゃんに代わって喪主を務めた僕のお父さんは、疲れてしまったのか早々に寝室へと引っ込みましたが、おじいちゃんと叔母、そしてお母さんと僕は、居間でくつろぎながらおばあちゃんの話しに花を咲かせたりしていました。
「もうあの機織り機も片付けなくちゃね」
叔母が、寂しげにそう言いました。
誰も何も言いませんでした。
それは何処かまだ、側におばあちゃんが居るかの様な感覚が残っていたからだと思います。
夜も更けて来て、そろそろ寝ようかという事で、お母さんと叔母は二人で布団の準備をしに席を立ちました。
僕がおじいちゃんと二人きりになると程なくして、奥の和室の方から、
――パッタンパッタン、と機織りの音が聞こえて来たのです。
僕は驚きました。
家で機織りを心得ている者はおばあちゃんしかいなかった筈で、誰も使い方さえ知らなかった筈なのに、確かに布を仕上げていく音がしているのです。
「ばあさん、今日も精が出るなぁ……」
酒に酔ったおじいちゃんは頬を赤らめながら、なんでもなさそうに言います。
おじいちゃんはいつもぼんやりとしているので、おばあちゃんが亡くなってしまった事さえわかっているのか怪しいのです。
「僕、見てくる」
「邪魔しちゃいかんぞー」
まるでおばあちゃんが生きていた頃と同じ様な調子で、おじいちゃんは僕を見送りました。
電気も付けないまま襖を何枚か開けていくと、機織り機の部屋へと続く障子の向こうで、橙色の蝋燭の明かりが灯っていました。
そしてそこに、パッタンパッタンと機織り機を往復させるおばあちゃんの影を、僕は確かに見たのです。
「おばあちゃんなの……?」
僕は静かに問い掛けました。
すると障子の向こうから微かな声で――
「もう少しで終わるでね」
と声がしましたが――それはおばあちゃんの声ではありませんでした。
「いつ……終わるの?」
僕は慎重に言葉を選びながら、静かに障子へと近寄って行きました。そこで機織りをする者が何者なのかを確かめずにはいられない様な気持ちになっていたからです。
「もう終わるよー、もう終わる……」
そんな声を聞いた瞬間、僕はパッタンパッタンと鳴る機織り機の音に紛れて、一気に障子を開け放ったのです。
「あれ……?」
そこには先程まで灯っていた筈の蝋燭の灯りさえ無く、機織り機には糸さえかかっていませんでした。
動いていた形跡さえ無い機織り機。けれどその足元には、見事に仕上げられた
今年僕は、おばあちゃんが最後に遺したその苧麻布で仕立てた着物で、結婚式に望みます。
……ただ一つ思う事のは、あの日、障子の向こうで機織りをしていたのは、本当に僕のおばあちゃんだったのだろうかという事です。
――――――
『
全身が毛に覆われた、口の裂けた老婆の様な姿で描かれる。あまり詳細の分かっていない妖怪だが、
各地に『山姥』が糸紡ぎを手伝ったという伝承がある事から、『苧うに』は『山姥』の一種であるとも考えられている。
『わうわう』や『うわんうわん』とも呼ばれ、江戸時代の名称では『わうわう』が一般的だった。
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