第二十八頁【鉄鼠】


   【鉄鼠てっそ


 その団体の名は伏せる。

 滋賀県の山奥に、とある新興宗教団体の本部がある。

 その新興宗教団体の二代教主である「頼猛らいもう」と名乗る男は、この地にゆかりのある魔道に堕ちた高僧「頼豪阿闍梨らいごうあじゃり」の直系子孫を名乗る者であった。

 親子二代に渡って引き継いで来た宗教団体であったが、先代は早くに亡くなり、若くして教主の座に就いたのがこの「頼猛」である。

 しかし頼猛には跡継ぎが無かった。団体員幹部より選りすぐった霊力の高い妻をめとったというのにも関わらず、何年にも渡って子に恵まれないでいたという。

 先代より引き継いで来たこの教団は、「頼豪阿闍梨」の直系子孫であるという前触れの元に集った信者達ばかりである。自分が子を成せねば、この教団に未来はない。


 教団が神として崇める「頼豪阿闍梨」には、祈祷によって子を宿したという逸話が残っている。だがその後約束を反故ほごにされた頼豪は百日間の断食の後に怨念と化し、魔道に堕ちて大鼠となった。

 その怨念を封じ込めていると言われるのが、滋賀の日吉大社にある鼠社である。旧竹林院の近くにひっそりと祀られるこの社に、神であり受胎の力を持った主神が封じ込められているとこの宗教団体は考えていた。


 ……狂気に陥った頼猛は、夜間境内に忍び込み、あろう事かこの社の封を解いた。

 そして願った。強く、血眼になる程に必死に、我が子孫と、教団の繁栄を願って。


「どうか妻の腹に跡継ぎとなる生命を宿し給え。私は貴殿の直径の子孫である。ひいてはこれは貴殿の悲願ともなろう」


 ――そして誓いを立てた。願いをより強固にする為に。頼豪阿闍梨の逸話にもある様に。


「もしこの願い聞き届けられたれば、私はこの地に生涯通い続け、心からの祈祷を上げ続ける事を誓う。そしてこの命没する時には、貴殿と同じ魔道に入る事さえ厭わない。どうか、どうか……」


 ソレは我が身さえ代償にした誓いであった。



 翌年、頼猛の妻がその腹に子を宿した。願望通りにそれは男児であったという。

 悲願の成就に大変喜んだ頼猛は、より一層と主神への祭事に心血を注ぎ、日がな日吉大社に向かって祈祷を上げ続けたという。


 しかし、いよいよと出産を間近に控えた妊娠三十週程になった頃より、妻の様子がおかしくなって来た。

 時折まるで何かに取り憑かれたかの様に白目を剝いて、そこに白髪の老僧が佇んでいるなどと喚き散らす様になる。

 元々霊力の高い妻である為、彼女がその手の発言をするのに教団員達は皆覚えがあったが……実は頼猛だけは彼女のの事を承知していたので、内心大層気味悪がり始めた。

 始めは出産を間近に控えた産婦の精神的な反応とも考えたが、真実を知る頼猛にさえ鬼気迫る様相で白髪の老僧が……と述べる。

 妻の正気を取り戻させようと、頼猛もまた祈祷を上げ続けたという。

 しかし妻の容態は変わらず、日毎に狂気していき、出産を翌週に控えたその時には、腹のややこを撫で擦りながら、切り裂いたかの様に吊り上がった口角のまま微笑み、虚ろな目をして頼猛に告げたと言う。


「もうすぐ


 ハッとさせられた頼猛は、病院を飛び出して鼠社へと着の身着のまま出向くと、小さな社の足下に縋り付く様にして崩れ落ちた。


「あれは……、頼豪。私が、偽りの子孫を名乗り、この命を魔道に捧げるなどと誓いを立てたから、お前は日がな我が妻の枕元に現れ、その腹に子を宿らせて、魔道に引きずり込んだのか」


 憐れにむせび泣く頼猛の嘆きが、夜の闇に吸い込まれて消えていく。


「お前は私の立てた誓いの通りに、頼豪阿闍梨直径の子孫を、魔道に入らせた……」


 崩折れた視線のその先の、古びた社の足下から、小さな視線が無数と並んで頼猛を覗いていた。

 恨みがましく手を伸ばすと、無数の鼠が散り散りとなって闇に溶けていくのを見た。


 深い悔恨に頭を垂れ、先代と共に築き上げて来た偽りの信仰を無様に思う。


「私は真の化物を世に産み出さんとしているのか」


 空恐ろしくなった頼猛は、そのまま行方を晦ませた。その行く先を知る者は居ない。

 その後、教主の失踪によりこの新興宗教団体は霧散した。

 


 それから数十年として、とある新興宗教団体がこの令和の時代に設立された。

 場所、名前共に伏せるが、この団体の教祖は、やはり「頼豪阿闍梨」の直径の子孫を名乗る二十代の若い男であるという。そしてこの男は様々な妖力を使い、実際に説明しようの無い現象を引き起こすらしい。

 噂によるとその教団は、国家転覆紛いの事を目論む過激なカルト宗教団体であるのだという。

 現在、破竹の勢いで信徒を増やしていると、風の噂に聞いた。



――――――



鉄鼠てっそ


・出現地域:滋賀・京都


 大鼠と化した頼豪が多くの鼠達を引き連れて、延暦寺の経典を食い破っている姿で描かれる。

「平家物語」曰く、平安時代の事、きさきとの間に子を成せないでいた白河天皇が、滋賀県三井寺みいでら頼豪阿闍梨らいごうあじゃりに祈祷を命じた。頼豪が必死に祈祷をすると、后は見事に懐妊した。その褒美に頼豪は自分の三井寺に戒壇院の建立を望んだ。ところが京都の比叡山延暦寺えんりゃくじからの反対を受け、戒壇院の建立は叶わなかった。頼豪は延暦寺と白河天皇を恨み、百日間の断食の後に鬼の様な姿になって死んで怨念となる。頼豪からの呪いを受けた皇子は四歳にして亡くなり、石の体に鉄の牙を持つ巨大ネズミとなった頼豪は、無数の鼠を従え(「太平記」では頼豪自身が八万四千匹もの鼠と化した語られている)延暦寺の経典のみならず仏像までも食い破ったと言う。

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