第二十七頁【手の目】


   【手の目】


 背骨の曲がった老父が駅前の銀行から、視覚障害者の持つ白杖はくじょうをついて出て来た。

 杖を前方左右にカチカチとついて、周囲の情報を感知しながらゆっくりと階段を降りて歩いていく。

 その日は休日で、田舎の町とはいえ駅前は少し混み合っていた。老父の揺らす白杖が、やや幅を広く取って振られていたので、駅前のコンビニ前にたむろしていたガラの悪い若者の一人の体に当たってしまった。


 逆上した若者は慰謝料を寄越せと下世話な請求を始める。面白がってぞろぞろと、その取り巻き達も老父を囲んで笑い始める。

 老父は、今あるお金で再来月までやりくりしなければならないからと、平身低頭して若者達に許しを乞うた。


 町行く人々が通り過ぎていく。哀れな老父に目をやれど、誰も彼を助けようとはしなかった。

 一人の若者が、老父が何やら大事そうに懐に何かを抱え込む様にしたのをめざとく見ていた。

 抵抗する老父の懐より金の入った封筒が奪い取られた。

 どうか返してくれとせがむ老父。見て見ぬ振りを続ける人々。


「だったらよ、かくれんぼしようぜ。俺達を見つけられたら返してやる」


 全盲の老父に対し、これ以上無い位に辛辣な、心無い言葉が投げ掛けられた。

 目が見えもしないのに誰かを見つけ出す事なんて出来る訳がない。


「お願いです。お願いです、どうか」


「駄目だ。目を開けたらすぐに見つけられるだろうが」


 ギャハハと笑う下劣な声。

 余りの屈辱に歯軋りを始めた老父が、声のした方角へと向かってぐりんと首を回し、固く瞑っていたその瞳を開けた。


「見えてるぞ」


 開かれた老父の目は、白く濁って、明後日の方角へと投じられていた。

 老父の目が見えていない事など明白であったが、その不気味な気配に若者達が一瞬静まり返る。


「見えてるぞぉおおお!!」


 突如と挙げられた胴間声に、その場にいた者全員がびくりと肩を跳ね上げた。


 ――そして、激情した老父が白杖を振り回しながら駆け出した。

 しかしその先は車道で、すぐ側にまで大型トラックが差し掛かっていた。


 ……これは、そんな痛ましい事件だった。


   *


「私がその話を知ったのは、その場にいたという若者達が、何やらこの話を方々にして回って……という事情を聞いたからでした」

 

 ――助けを求めているとは?


「ええまぁですがその、私も人づてに聞いた話で、直接彼らの誰かと面識がある訳でもないので仔細はわからないのですが、何やら……って言うんです」


 ――死んでいくとは、まさかその場にいた若者達が?


「いえ、その光景を見ていた人達全員がです」


 ――全員……ですか? その場を通りがかった人やコンビニでレジを打っていた様な人もですか?


「はい、見て見ぬ振りをした人達全員がです」


 ――それは凄まじい、皆同罪という訳ですか……老父の怨念? ……それで、一人ずつ死んでいくとは? もう少し詳しくお聞かせ願えませんか?


「はい。どうも夢に出るのだそうです。あの日、トラックに轢かれたあの老父が。白杖を左右に振りながらカチカチと、暗闇の中を近付いて来る。日毎にそんな夢を見るというのです」


 ――そんな事が? 全員の夢にですか? それはある種のシンクロニシティ(意味のある共時性)という奴では?


「その難しい言葉の事はわかりませんが、既に対象となっている人達の四分の一程がそれぞれの死因で亡くなっていると聞きます。そしてその数は未だ増え続けていて、これはもう偶然という域を超えています。彼らに取ってはその夢が、死の宣告の様なものになっているのだそうです」


 ――最近この町で事故や不審死が多いと騒がれているのは、この一件に起因していると……。

 いやまさか、そんな話が。

 ――そ、それで、夢に出てきた老父が迫って来て、最後はどうなるのですか? 日毎にその夢を見るという事は、死亡するまでに猶予があるという事ですよね?


「最後には瞳を閉じた老父が目前に立ち尽くし、その掌を頭上に差し伸ばして来るのだそうです。そうして身動きの出来ぬまま震え上がっていると、瞳だけで見上げたその掌の中に、瞼が見えて来て、そしてパチリと開くんだそうです。そして言われる――、と」


 ――は? ……え、つまりですか?


「はい。それもその瞳は恨めしそうに歪み、血の涙を流しながら充血を始めて、自分の頭を包み込む頃には、その下に口の様なものが現れながら確かにこう言うのだそうです」




   「



――――――


『手の目』


・出現地域:京都・岩手・新潟


 両掌に瞳の開いた彷徨う座頭の姿で描かれる。

 岩手県や新潟県の伝承では、殺された盲人が、自分を殺した者の顔を見てやりたいと言う怨念からこの姿となって、夜な夜なその者を捜しているとある。


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