第二十五頁 【野寺坊】


   【野寺坊】


 心霊系動画投稿主の僕が、滋賀県の山奥にある《月》という美しい名の廃村へと訪れた時の話しだ。


 僕はバイクで数々の心霊スポットや廃村などを巡り、夜になったらそこにテントを張って野営をするという、かなり体を張った心霊検証形の動画を投稿していた。

 その日僕は《月》という名の美しい名の廃村を目指し、山間を縫う様に峠道を走り続けた。その時の季節は秋で、気候も心地良く、山並みに見える紅葉やイチョウの黄色を眺めながらのツーリングはとても気持ちが良かった。フルフェイスのヘルメットに取り付けた車載カメラを車道に向けながら、僕はぐんぐんと廃集落を目指した。

 

 正午。秋晴れの空。

 到着した廃村はとても綺麗に整備されている様だった。調べてみると、今でも管理はされているらしく、集落に辿り着くまでの道筋に幾つかの酷道なんかはあったけれど、村を横断していく一本の細い車道なんかはとても綺麗に整っていた。

 両サイドを山に挟まれながら細い車道をバイクで徐行して行く。この村には当時数百人の村人がいたという事で、集落としてはそれなりの規模のものだ。

 今でも人が住んでいるのではないかと言う程に立派な日本家屋がチラホラと過ぎて行く。いずれの家々も雨戸こそ固く閉ざしているけれども、今にも音を立てて戸が上げられそうな程の居住まいだった。

 道路脇に生えた草木なんかも綺麗に刈られている様だし、道中には立派な神社や、どうやらかなり新しそうな酒や饅頭なんかのお供物の捧げられた祠なんかも目に付いた。両脇を立派な松に挟まれた地蔵なんかもあって、やはりいずれも綺麗に管理されている様だった。今にもひょっこりとあの辻の角から頭巾を被った農作業のおばさんでも出て来そうな様相だ。


 正直言ってこの《月》集落は心霊スポットでもなんでも無かった。だから幽霊なんかが出るというエピソードも、どこぞで取って付けた様な陳腐ものしか無いのだけれど、どうやら多くの視聴者が心霊スポットと廃村とを混同して理解しているらしく、僕はこうして複数の視聴者の希望により、この集落を訪れているのであった。

 僕がバイクを徐行しながらヘルメットの内部に仕込んだマイクに向かってこの集落の歴史や心霊目撃談などを語っていると、やがて傾斜の激しい入母屋造いりもやづくりの建物が見えて来た。思えばどの家々も屋根の傾斜は深かった様にも思う。しかしいま僕の目前にある家屋の屋根は薄水色したトタンに変わっていたので、他の家屋とは様子が違う様子が目に付いた。


「この辺りは積雪量も多く、そういった事から雪が上手く滑り落ちる様な形状をしているのでしょうね」


 などとそれっぽく解説しながら行くと、例の薄水色したトタン屋根の前に立派な石造りの土台があり、その上に鐘楼があるのに気が付いた。観察してみると正面の屋根は前へと突き出して、その軒下が縁側の様になって続いている。正面の板戸はきっちりと閉められているが、その内部を見るまでもなく、そこがなんなのかには察しがついた。

 かなりこじんまりとはしているが、ここはかつてのこの村の寺であったらしい。


 東の空から低い雲が垂れ込めているのが見えた。山の天気は変わりやすいと言うし、いざとなれば軒下に避難する事もできる。そう考えた僕は今夜地をこの寺の前に決めた。

 慣れた手つきで簡易なドーム型テントを寺の前の少し開けた空間に設営した。右手に鐘楼を見る形であったが、見上げてみるとそこに釣鐘が無いことに気が付いた。


「鉄屑屋にでも売り飛ばしてしまったのでしょうか? いやいや運搬費の方が高くつきそうですよね」


 なんて事ない雑談を交えながら、寝床を整えた僕はカメラ片手に廃村の散策へと繰り出した。


 それから徒歩で集落を撮影して回っていると、あっという間に日が落ち掛けて来た。

 つるべ落としとはよく言ったもので、まだ五時も回っていないのに、もう暗がりが迫って来ている。この村が地形的に山に挟まれる形になっているのも暗黒に拍車をかけていた。巨大な山から落ちる影が、この村ごとすっぽりと包み込んでしまっている様だ。例年、通りで雪がよく積もる筈だ。

 

 僕が釣鐘の無い鐘楼の前にまで戻って来る頃には、東の空がオレンジ色と一緒に厚い雲も連れて来ているのが見えた。

 まさか一雨来るのか? と考えたが当然廃村に電波なんかは無い。スマートフォンで天気予報を確認しようとした自分を馬鹿に思いながら、定点カメラをテントの周囲にセットして照明の準備をしておく。そしてクッカーで湯を沸かしてカップ麺で簡易な夕食を済ませた。


 世界が昼から夜へと移ろう黄昏時を、誰も居ない廃村で一人眺めているのは、なかなかにノスタルジックなものがあった。いい絵も撮れたので、撮れ高としては夜間にもう一度周囲を軽く散策する位でいいだろう。

 夜になるまでテントにこもって映像のチェックをしていた。


 ――ガタガタガタ


 立て付けの悪い戸に悪戦苦闘するかの様な遠慮の無い物音がテントの外からして、腰が抜けるかと言う程に驚いた。

 日の暮れた闇の中へと恐々と顔を出していくと「おや?」とハッキリと男の声があってこれまたひっくり返りそうになった。その瞬間を映像に収められていないのが悔やまれるばかりだ。

 ……見ると、どうやら寺の住職なのだろうか、袈裟を纏った初老の坊さんが、先程まで締め切られていた寺の正面の板戸をスライドさせながら、丸い目をして僕を見下ろしている。

 この坊さんは一体何処から現れたのだろう? 裏口なんかがあってそこから入って正面に回ったのだろうか? いやいや、そんな事なら物音で気付く筈だ。ましてや自分の寺の敷地に怪しいテントがあったら向こうも必ず気付くだろう。しかしその坊さんの驚きようと来たら、まるでそこに人がいるなんて事を考えても見なかった、とでも言った具合だった。少なくとも僕にわかったのは、管理の良く行き届いたこの村には管理人がいるという事で、この寺の管理をしているのが恐らくこの坊さんであるのだろう、という事だった。


「驚いた」

「あっ、すみません敷地の中で……僕実はこう言うものでして……」


 素性を明かしてから事情を説明する。こう言う場合は大抵邪険に扱われるものなのだが、どう言う訳なのかその坊さんは嬉しそうに笑うと、根掘り葉掘りと僕の活動について楽しげに尋ねて来る。

 しばらく話し込んでいると、意気投合して来た。動画を回していいかと問うと二つ返事で良いと言うので、これは動画的にも美味しいと思って、二人で軒下の縁側に腰を掛けて、月明かりを頼りにしながら、さもトークショーであるかの様な画角でカメラを三脚にセットした。

 話し込んでいると、やはり元々この廃村に住んでいた寺の住職であったらしく、昔話を沢山して貰った。《月》にはかつて六百人もの村人がいてそれなりに栄えていただとか、ここにも昔は木造の学校があったなんて話を聞かせて貰った。なんだかとても嬉しそうに話すので、僕も沈み込む様に相槌を打って微笑んだ。

 ひとしきり語り終えたと感じた僕は、朗らかな表情を続ける住職にお礼を言ってカメラを切った。朝からの撮影でバッテリーも残り少なくなっていたのだ。


「お兄ちゃんよ、誰にも忘れられんように、うんと有名になるんやで? 誰にも思い出されんのは虚しいからなぁ」


 住職は僕の動画活動を全面的に応援してくれるらしく、ここで引き続きキャンプを続けてくれて良いと言ってくれた。感謝の意を述べながら立ち上がると正面に見える鐘楼を見て思い出したので「そういえばどうして釣鐘が無いのでしょう?」と言いながら振り返っていくと、「あーそれはなー」と言う住職の呑気な返答を途中まで聞いて、完全に背後へと振り返った時には住職はもうそこに居なかった。


「あれ?」


 今更に住職の名も聞いていなかった事に気が付いた。それに気付いたのは、名前を呼ぼうとしたが言葉が出なかったからだった。

 静まり返った冷たい夜気に、ややばかり冷静になって来る。

 開けた板戸の中に引っ込んだのかな? なんて思って少し戻って中を覗き込んで見ると、そこには埃の被った畳が敷いてあるだけだった。薄白い月明かりが内部を隙間なく照らしているのだから確かだった。

 それじゃあ裏手へ回ったのかな、と思い懐中電灯を片手に寺の周囲を照らしてみたが、住職の姿は愚か、そこにあるべき物が無い事に気がつく。


「あの人……どうやってここまで来たんだ?」


《月》集落まではいくつもの山を越え、迂回してようやく辿り着く事が出来る。登山家やマラソン選手でなければ徒歩で人里まで降りる事なんて絶対に不可能だ。ましてや運動不足気味に見える初老の住職だ。

 いや……待て待て、違う。きっと車が迎えに来る手筈なんだ。

 さっきまで普通に話してたじゃないか。動画だって撮ったし、話してくれた内容もしっかり覚えてる。

 そうだ、おかしい事なんて無い。なんでも怪奇に繋げようとするな。

 ……しかし、じゃあどうしてだろう。

 どうしてなのだろう?

 つい先程までそこで会話をしていた住職の顔が思い出せない。

 どう言う訳なのか、その表情の中心に靄が掛かったみたいにぼんやりとしている。

 急いでカメラの映像を確認してみた。その映像の中で、僕は一人縁側に座って、長々と誰かの話に相槌を打つみたいに深々と頷いたり、笑ったりしていた。


「あのっ、住職さん!?」


 思い切って大きな声を出してみたが、夜の空気に消えていくだけだった。静謐とした夜の山の中で自分の声が僅かにこだまするのを聞いた。


 急に恐ろしくなって、僕は大急ぎでテントを片付けてその場から逃げ出す様に撤収した。


 夜の暗い山道をバイクで走り去る最中、背後の廃村から――ゴーン。と鐘の音が鳴った。

 しかし確かに、あの鐘楼に釣鐘など下がって無かった筈だ。 



――――――



『野寺坊』


 廃寺に現れるとされる妖怪。信仰を失った寺の住職の怨念が妖怪化したものとも考えられている。黄昏時に寂しげに鐘楼の鐘を鳴らすという。

「画図百鬼夜行」では鐘楼の前に佇むボロボロの袈裟を纏った侘しげな僧の姿が描かれている。

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