第二十四頁 【海座頭】
【海座頭】
俺の田舎の地元に『I池』という名の溜め池がある。
調べてみるとI池には江戸時代からの歴史があるらしいのだが、明治時代の初頭には大雨で堤防が決壊してしまい、その結果引き起こされた大水害で数千人の死者を出した過去があるらしい。
そんな過去もあってかI池は心霊スポットとそれなりに有名な場所だった。
I池は昼間は釣りやボートを楽しめるレジャースポットなのだが、夜になるとその様相を一変させる。
外灯も疎らで人気も無くなり、ぼんやりとした溜め池の上に赤い橋が掛かっている。まるでそこいら一帯が闇の中に浮かび上がっているかの様な不安げな空気を醸し出す。
そういった雰囲気も相まってか、I池には妖怪の目撃談なんかも多かった。
ただし聞いたことも無い現代怪異や都市伝説の類のものばかりで、その真偽は確かでは無い。
だけど俺は確かにI池で妖怪を見た。
あれは俺達が二十代の前半の頃だった。
いつものツレと三人で真夜中の一時頃に、宛もなくドライブをして時間を潰していた。
I池の不気味な噂は俺達も当然知っていたが、余りにも地元にある為にいつも気にする事も無く車で走り去っていた。
だけどその日は何故かI池に降り立って、赤い橋からこの真っ暗闇の溜め池を見下ろしてみようという話になった。
別に目的なんかは無かった。心霊体験なんかに期待していた訳でも無く、ただ煙草が吸いたかっただけだった気がする。それ位何の気も無く俺達は三人で、暗黒の様になった真夜中のI池を橋から見下ろした。
――風の鳴る広大な闇の中に、ポツリと懐中電灯の明かりがある事に気付いた。
溜め池の端の細長くなった所に俺達の立っている赤い橋は掛かっているのだが、そこから見下す先の小川へと続く水面の真ん中辺り、ここから約二十メートル程先になるであろう所で、人工的な光が灯って周囲の闇を彷徨っている。
目を凝らして光を追っていくと、水面に反射した明かりに照らされて、暗い影になった人のシルエットが見えた。
俺達は顔を見合わせて、言葉にするまでも無く息を潜めあった。
何故ならそこが陸地でも浅瀬でも無かった事を俺達全員は知っていて、それならば、まるで水面に浮かんだかの様に佇んだあの黒い人影は何なのだと、無言の内に意思を疎通させていたからだった。
不可思議な存在に俺達は目を疑うばかりであったが、しばらく見ていてもその存在は消え去る事無く、確かにそこに存在するみたいに、懐中電灯の明かりを水面に彷徨わせながら、長い棒切れみたいので足下を探る様にしていた。
その時の俺は【海座頭】という妖怪の存在を知る由もなかったのだが、今思えば水面の上を杖を持って彷徨う姿はまんま【海座頭】の様であったと思う。
……もっとも、そこは海ではなくため池なのだが、水の上を歩く姿はまさに海座頭の様に思えた。
だがその時の俺達はその黒い影を不気味に思うばかりで、なんとなくこちらの存在を気取られ無い様にと声を潜めながら車の中へと戻って行った。
車内ではしばらく、アレは何だったのだろうという話題で持ち切りとなった。
けれど俺達は誰も心霊やら怪異の類を信じないので、夜釣りの人がボートに乗って釣りをしていたんだろう、杖の様に見えたのはボートのパドルだろうという、実に面白みのない結論へと辿り着いた。
まぁ確かに無い話では無いが、I池は夜間の釣りを禁止されているし、そもそもボートなんかは有料の貸出でしか利用が出来なかったので、深夜の一時に水面の上に人が居るのはやはりおかしかった。
もっとも、ならず者が管理者に断りもなくボートを漕ぎ出せば不可能では無い事ではあった。溜め池のほとりには貸出ボートが幾つも停まっていて、夜間は紐で仕切られただけの空間に漂っているのだから理屈としては不可能では無い。
不可能では無いが、そこまでする道理があるだろうか? それも一人で、あんな真夜中に……。
そういった納得のいかない気持ちもあって、なんとなく俺の心の隅にいつまでもあの【海座頭】の事がこびりついていた。
それから数ヶ月の後の事だった。
I池で箱に詰め込まれた人の体の一部が発見されたとニュースになった。
田舎者の俺達にとって、馴染みのI池で起きた猟奇事件はかなりのセンセーショナルだった。
職場や地元でもやはりそのニュースの話題で持ち切りになるのだが、俺はその時にふと、あの時に見た【海座頭】の事を思い出した。
……そして、唐突に気付いた。
あの時、水面の上を杖を突きながら歩いていた【海座頭】の仕草は――。
棒切れで
バラバラ殺人事件の犯人は未だ判明していない。
――――――
『海座頭』
・出現地域:岩手
岩手の三陸沖に頻繁に現れるという。
海を歩く巨大な琵琶法師の姿で描かれる。人を脅かしたり、船を転覆させたりする。一説には海座頭の問いに素直に答える事が出来たら船の転覆は免れるという。
ちなみに座頭とは剃髪した盲目の琵琶法師の位にある者を言い、琵琶法師の持つ琵琶と形が似ているという事からザトウクジラの語源ともなっている。
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