画図百鬼夜行 風
第三十七頁【見越】
【
私だけなんでしょうか?
超高層のビルなんかを足元の方から見上げるとゾクゾクとして、足腰が立たなくなるかの様にフラフラとよろめいて、悪くすると膝をついてしまうんです。
名古屋駅の東口なんかに出てJRセントラルタワーズを見上げる時なんかは絶対にそうなります。
ただの高層ビル位はなんとも思いません、余りにも巨大な建造物を足元から見上げた時にだけそう感じるのです。
私はこれを勝手に高層物恐怖症と呼んでいましたが、調べてみると“低所恐怖症”だなんて珍妙な名前がついていました。
でも高層物が怖いのに“低所”だなんて変な感じがしますね。
そして私にとっては後に続く“恐怖症”というのも間違っているのです。
何故なら私はこの感覚が好きで、名古屋駅に出ると必ずと言って良いほどセントラルタワーズを見上げるのですから。
友達と名古屋駅に行くとビルを見上げてキョロキョロとばかりしているので「田舎者に思われるからやめろ」だなんて言われます。
それで結構。私は田舎者なのです。それよりも高層ビルを見上げていたい。
フワフワとして、よろよろと足腰から力が抜けていって……何を隠そう、私はこの感覚が好きなのです。
私がこの恐怖症を感じたのは、小学生の頃の修学旅行で奈良の東大寺の大仏を見上げた時でした。
思えば東大寺の大仏はそう高くはない筈なのですが、どういう訳か想像よりもずっと巨大な大仏様を足元から見上げる光景は、私が小人になって、とても大きな生物に見下ろされているかの様な心地の良い威圧感を覚えさせました。
もしこの大仏が動きだしでもしたら一瞬にして踏み潰されてしまいそうです。
ウルトラマンやゴジラなんかが実在したらそれはどれ程の恐怖を私に覚えさせるのでしょう。
一度見てみたいものです。
話を戻しまして、今からお話しする体験は、私のこの“低所恐怖症”というのが事の発端になってくるのです。
私はその日、夜の終電で一人名古屋駅に降り立ちました。
友達が車で迎えに来てくれる事になっていたのです。
平日で、もう電車は無くなっているのに周囲には結構まだ人がいました。
流石都会は違います。
しかし私は少し早く到着してしまった様で、友達との待ち合わせまでに少々の時間がありました。
折角なので夜のセントラルタワーズや周囲にそびえ立つビル群なんかを思う存分に見上げようと思い、私は東口を出て少し歩きました。
やはり素晴らしい。
夜とはいえ建物は各階で煌々と光り、背景にした闇夜を忘れさせる位に明るいものでした。
セントラルタワーズを存分に堪能してから少し歩き、正面に見える「飛翔」という名のトルネードしたモニュメントを過ぎると、正面に全面ガラス張りになったかの様な大名古屋ビルヂングが見えてきます。
足元からしっかり堪能してから、次はすぐ右手の方にあるミッドランドスクエアの方へと移って首を上空へと傾けていきました。
やはりどれも素晴らしい威圧感です。
しかしそう遠くまで行っている時間は無いので、私は名古屋駅を足下にするセントラルタワーズの方へと向き直ったのです。
――あれはなんなんだ?
しかしその隣――そびえ立つみたいに、見た事も無い
それは闇の様に暗く沈んで夜に溶け込んでいました。
どういう事なのかセントラルタワーズの照明さえも吸収してしまっているかの様に、その超大過ぎるシルエットは僅かにも照らし出される事はありません。
まるで、理解を超えたサイズの黒子がそこに立ち尽くして世界を俯瞰しているかの様です。
私は目を瞬きましたが、やはり居ます。
背後の建物が全く見えないくらいに、そこだけ濃密な夜の帳が落ちているのです。
そしてそれは間違い無く人のシルエットをしていて、セントラルタワーズの中間くらいで二股に分かれて大地に巨大な足が着かれています。
私は一人、怪奇な光景を見上げて膝を震わせました。
今見ているのが何か妙な自分の錯覚なのだとしても、これ以上の威圧感を覚える事は二度とは無いのでは無いだろうか?
過去感じた事もない感覚に私が膝から崩れ落ちそうになっていると、なんとその暗黒のシルエットはグングンとその背丈を高くしていって、次にその頭をもたげるみたいにして私の頭上にまで影を落とし始めたのです。
夜とはいえど名古屋駅周辺は照明で照り輝いています。
当然私の周辺も街頭や信号機の明かりで満たされています。
しかしその巨大な影が頭上に差してくると、その全てが霞んで闇になっていくかの様でした。
光をかき消すくらいに濃い影が、私とその周辺一帯を闇に染め始めたのです。
「カッコーカッコー」と青信号を告げる音響式信号機の間抜けな音が私の耳に聞こえてきました。
周囲を行き交う人は、青信号になっても横断歩道を渡り出さない私に奇妙げに振り返るだけで、張り詰めて来た闇の事なんかには気付いていないかの様でした。
影はどんどんと濃くなっていきました。
唖然と立ち尽くした私に、頭上からぐんぐんと頭をもたげた超巨大生物の頭が接近してサイズを大きくしていっている。
もう名古屋駅全体が闇に染められようという時、あんぐりと口を開けたまま、身動きも出来ずに上空を見上げていた私の視線の先で、
闇が切り開かれて、
そうですそれは、
地上にいる蟻みたいに小さな私を空から巨大生物が見下ろすみたいに、黒いシルエットにパックリと口元が開き、そして鏡の様にギラついた目がギョロリと蠢いて私を捉えました。
そして吐息が掛かるくらいに側の空から、地上が鳴動しているのでは無いかと思える程の低い地鳴りの様な声でこう言ったのです。
「膝……つかんかぁ」
もうサイズ感も分かりえぬ位の巨大な目に凝視されながら、私の腰が、もう反り返れぬという程に弧を描いた所で、私を見下ろしていた黒い顔も、周囲を染めた闇も、瞬時に消え去ったのでした。
この話、誰にしたって信じてもらえないんです。
ああ、どうにかもう一度体験したいのに。
この怪奇がなんだかわかる人はいませんかね?
――――――
『
「画図百鬼夜行」では大木の影から姿を現す、首を前のめりにした巨大な僧の姿で描かれている。
四つ辻、石橋、木の上などに現れて、見上げる程に大きくなっていく妖怪。日本各地に伝承があり、『見越』に飛び越えられると死ぬ。見上げ過ぎて後ろに倒れると喉笛を噛みちぎって殺される。逆に頭から足下の方へと見下ろしていけば殺されないが見上げると食い殺される。竹が倒れて来て押し潰される。等様々ある。しかしその対処方法には似通った所があり、「見越した」と唱えれば消えるとされる。ユニークなものでは、度胸を据えて煙草を吸って見つめていたら消えた。差金でその高さを測ろうとしたら消えた、などがある。
また『見越』の正体は变化を持つ動物であるとされたり、『ろくろ首』との関連性も示唆される事から、男の『ろくろ首』であるとも言われる事もある。
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