第五十一頁【うわん】
【うわん】
僕の住む町内に、とある古屋敷がある。
漆喰塗りの高塀に周囲を囲まれた格式高い屋敷であるのだが、僕がこの地に来てから約十年。少なくともこの期間には買い手はついていなかった。
犬の散歩で近所を歩いていると、今風の家々に挟まれて、突如と古い高塀がスラリと立ち並び、十メートル程のその距離を歩いている間、妙に古めかしい様な心持ちになる。
ある日の朝、犬の散歩をしていると、この地に昔から住んでいるという、同じ町内の腰の曲がったおばあさんが玄関先に水を撒いている所に遭遇した。
うやうやしく挨拶を交し。通り過ぎようとした所で僕は、あの古屋敷について尋ねてみようと思い至った。立派な屋敷だがしばらく買い手が付かないので、前々から妙に気にはなっていたのだ。
尋ねてみると、やはりおばあさんはあの古屋敷について知っていた様で、シワの深い表情のまま、柄杓で水を撒いて言った。
「あそこは妖怪が出るで誰も買わんの」
考えてみると幽霊と妖怪の違いなんて僕にはわからない。精々年代による表現の差によるものだろう位に思っていたら、おばあさんはにこにこしながら念を押すように言った。
「妖怪『うわん』が出るの」
聞くに、古屋敷や小寺に住み着き、塀の上から「うわん」と叫んで驚かせて来る妖怪であるらしい。おばあさんもまた、幼い頃に何度かその声に驚かされてひっくり返った事があるのだとか。だからあの古屋敷の前は通らないようにしているらしい。
柄杓で水を撒くおばあさんに礼を言った僕は、犬が電柱に小便をしだす前にその場を立ち去った。
「妖怪……妖怪か」
スマートフォンで検索してみると、確かに妖怪『うわん』の情報が出てきた。やっている事のスケールが小さい割には結構メジャーな妖怪であるらしく、ここ青森県に伝承の残る、三本爪の小鬼の様な奴らしい。
何となく僕はその古屋敷へと足を向けていた。例の屋敷は通りを二・三本奥に入った程度の所にあるので、犬の散歩ついでに立ち寄ってみようと思ったのだ。
妖怪「うわん」の伝承を知ってからあらためてこの古屋敷を訪れてみると、見上げる高塀の壮観な並びに、何処か厳格でいて不気味なものを感じて来る。
門の締め切られたこの屋敷の中はどうなっているのか、こんなに高い塀を連ねると言う事は人様に見られたく無い事情でもあったのだろうか、などといらぬ邪推が脳裏を掠める。
雰囲気に呑まれながら僕が歩いていると、手にしていたリードが後方でピンと張り、重量を感じる。振り返ると愛犬が足を止めて唸っている。
常に僕よりも前を歩き続けるこの犬にしては珍しい事で、僕は犬が立ち止まっている事にも気付かずに思考に没頭していた訳である。
唸っている。
見ると犬の視界は上方へと投じられていた。
しまいには犬がわんわんと吠え始めた。気性の優しい犬であるので、これは珍しい事だった。
まさかこの視線の先に妖怪が……?
犬につられて僕も塀の上を見上げた。
しかし、そこには柿の木があるだけで何も見当たらない。
それでも未だわんわんと吠えるので、僕は犬を叱りつけようと振り返った。
……既に、犬は吠えていなかった。
それどころか、リードの許す限りに目一杯後退しながら怯えている。
そして、僕と犬との間に出来た二メートル程の空間から、
「うわん」
確かに聞こえた。
それから僕が犬と一緒にその場を走り去ったのは言うまでもない。
――――――
『うわん』
・出現地域:青森
廃屋の塀から、お歯黒をした三本爪の鬼が、人を脅かす様な姿勢で声を出している姿で描かれる。(お歯黒であるから既婚女性だと言う訳では無く、昔は公家や武家の男子もお歯黒をしていた)
古屋敷に住み着き、姿は見えぬが住人を驚かせるという。
―
読了ありがとうございました。
鳥山石燕の作品はここからも、『
『画図百鬼夜行』に漏れた妖怪達は桃山人の『絵本百物語』や様々な妖怪絵巻に収録されていますので、まだまだ終わりは無いなと思います。
いずれまた続きを書いてみたいです。
最後に、
妖怪とは伝聞の存在です。
拙作を通してより広く伝聞される事で、現代にも妖怪は蘇ると思っています。
渦目のらりく
令和に潜む妖怪たち 渦目のらりく @riku0924
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