第二十一頁 【火車】


   【火車】


 当時、長野県の山奥の田舎に住んでいた母から聞いた話。


 ある日、母から見た祖父の――つまり僕から見れば曾祖父が亡くなった。

 母の実家は山の上の大きな平屋でした。その地域では当時それなりの権力を持っていたらしく、離れや大きな蔵までもがある豪華な屋敷です。

 近隣に民家は一つや二つある程度で、すぐ背後に聳えた裏山に『〇〇(母の旧姓)家』の墓があります。

 僕もそこには祖父の納骨の際に行った事があるのですが、『〇〇家』の一族だけの墓所ですので道が綺麗に整備されている訳でもなく、泥が斜面になったかの様な道なき道を這い上がって行かなければなりませんでした。高齢になった曾祖母なんかはその当時、危険だからと墓に参るのを断念するくらいでした。ただ時折草刈りや多少の伐採位はしているので、小高い山になった墓所からは眼下に広がる美しい村を見渡す事が出来ました。


 曾祖父が亡くなったその当時は、驚く事にまだ土葬だったそうです。 

 現在では土葬は基本的にされていませんが、法律で禁止されている訳ではありません。感染症の疑いのある場合などは火葬が義務付けられるらしいのですが、いずれにせよ村ではその当時、土葬するのが当たり前でした。

 葬儀を終えて母は曾祖父との別れを済ませ、村の者複数名でなんとか墓所に遺体を担ぎ上げ、土葬しました。

 遺体を包んだ棺には白い布が被せられていて、そのまま深く掘った土中に埋められた。


 その日の夜は、雷鳴轟く程の豪雨だったといいます。

 屋敷に集っていた親戚達も帰って、母は妹と弟、そして両親と曾祖母の六人で普段の通りにそれぞれの寝室で眠っていた。


 ――ピシャン! がごん!


 と、屋敷が震える位のけたたましい物音があって、深夜に家族全員が目を覚ました。

 そしてどうやら先程の轟音が、昼間に曾祖父を埋めた裏山の墓所の方からした様だという話になった。


 裏山はすぐそこですので、祖父が様子を見て来るといって雷鳴の中を傘もささずに懐中電灯片手に出て行った。

 母もまた一人、祖母が止めるのも聞かずに祖父の後を追って冷たい雨に打たれたそうです。

 打ち付けるような雨風に身を晒されながら、豪雨で足場が余計に崩れた裏山を登っていく。裏山といっても墓所があるのは小高い丘程度のものなので、はじめの土砂が流れた様な難所を越えればすぐに墓所が見えてきます。


 ――あっ、


 と先を行く祖父が声を上げたのを、母はその背中を見上げながらに聞いた。


 墓所に覆い被さる様に茂った木々の一本が黒く焦げている。

 落雷がここにあったのだ、と身の危険を感じるよりも先に、祖父が手にした懐中電灯の明かりはその足元の、曾祖父を土葬した墓所を照らし出しました。


 土が掘り返されて、深く埋め込んだ筈の棺桶が僅かに開いている。


 ただしまだ泥の斜面に苦戦している母からは、棺桶の上にかけられていた白い布が泥に汚れるまま端に寄っているのが微かに見えるばかりで、祖父が愕然としたまま見下ろしているその全貌を見る事が出来ないでいた。

 すぐに祖父の立ち尽くすのと同じ地点にまで這い上がり、肩を並べてその中身を見てみようとした所で、祖父が振り返った。


「来ちゃいかん」


 そう言われ、物凄い形相で踵を返して来た祖父に小脇を抱えられて屋敷に押し戻されてしまった。


 それから母は祖父に、あれはなんだったのか。曾祖父が出て来たのか、と恐ろしい事を聞いたらしいのだが、


「獣が荒らしたんだろ、蓋を閉め直して来たから明日また埋め直そう」

 祖父はなんでも無さそうに言ったという。


 しかし、母は幼いながらもその時に違和感を覚えたそうです。

 何故なら、あれ程の豪雨の中で獣が獲物を求めて土中を掘り起こしているのも変に思ったし、第一ここらには鹿か猪がいる位で、肉食の動物の話など聞いた事もなかった。それに実の父親の体を獣に食い荒らされんとしている時に、「翌日にしよう」だなどと、あれ程冷静にいられるものなのだろうか?

 母にはその時の祖父の態度が、様に思えて仕方がなかったという。

 しかしまぁ、そういう事なら明日じっくりと、曾祖父の棺桶の中をあらためてやろうと思った母は、濡れた体を乾かしてから眠りについた。


 しかしその翌日、母が起きだすと祖父の姿はそこに無く、夜中の内に裏山に登って棺桶を一人で埋め直してしまっていた。

 明日にしようと言ったのに、一人であれから墓所へと出向いて、暗く雨風の強い過酷な中で作業を終わらせてしまったのである。


 まるで、誰にもその棺桶の中を見せたくなかったかの様だ。


 祖父は何を見たのか、開いた棺桶の隙間の暗黒を見下ろしながら、凍り付いた祖父の表情が忘れられない。


   *


 そんな話を僕は、祖父の葬式の時に母から聞いた。

 結局祖父がその時見たものは分からずじまいのまま、祖父は今年の冬に亡くなったのだ。

『〇〇家』には一人、祖母が残された。

 祖母と祖父は仲が良かったので、それは大変悲しんで、かなり高齢なので裏山に登るのは無理そうだと思われたが、僕がその老体を支えながら例の裏山を登らせてやって、祖父の骨を一緒に納骨した。

 時代も時代なので、流石に現代は火葬だった。

 骨壷にこじんまりと収まってしまった祖父を胸に抱え込みながら、祖母がボソリと囁き漏らしたのを、僕だけは聞いていた。





 おそらく祖母はその当時、祖父から曾祖父の棺桶の中で見たモノの事を聞いていたのだと思う。

 そしてここからは僕の予想ですが、曾祖父の棺桶の中身は空なんだと思います。



――――――



『火車』


 火の車を引いて黒雲と共に現れ、死体を連れ去り肝を喰らう妖怪。連れ去った遺体を引き裂いてばら撒いていくとも言われている。その正体は『猫また』や『魍魎もうりょう』、『鬼』とも言われる。

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