第三十二頁【反枕】


   【反枕まくらがえし


 これはお正月の頃にあった話し。俺がまだ社会人一年目で、小さなアパートに一人暮らしをしていた頃の出来事だ。


 ご馳走づくしの大晦日を終え、友人達との初詣を終えてきた深夜。

 縁起物などを気にする俺は、今年は良い年にしようと、初夢を見ようと意気込んでいた。


 一富士二鷹三茄子いちふじにたかさんなすび

 ……四扇五煙草六座頭しおうぎごたばころくざとう。 


 もっとも、意気込んだ所で夢の内容をコントロール出来る訳でも無いのだが、少なくとも寝る直前まで考えていた事が夢の内容に多少ばかりは影響されるとは思ったので、俺は縁起物彼らの事を強く念じながら、疲れに任せてベッドで眠った。



 ……すると、どうだ。

 なんと漫画に描いた様な光景が目前に現れたではないか!

 茄子を掴んだ鷹が、朝焼けする富士さんに――ぁあァァアっと――!?


 気付くと、寝相の良い筈の俺が、大地震でもあったかの様に派手にひっくり返っていた。

 それも我ながらどうやったのか、普段足の方にしている方に百八十度反転しながら、足元の方に残されて居る筈の枕が腹の上に乗っている。狭いベッドの上から転落してないのが奇跡の様な有り様だった。


 ――んだよちくしょお邪魔しやがって……と誰にともなく頭の中で毒づきながら、俺は普段の通りの格好にキチッと戻ってから再びの入眠を試みた。


「一富士二鷹三茄子。一富士二鷹三茄子。四扇五煙草六座頭」


 そう馬鹿の様に煩悩を垂れ流して。


 そして意外にも早く眠りにつけた。

 ……そして再び現れる。富士山をバックにして、茄子と共に滑空して来る鷹のすがたガ――ァァァアッっと!!?


 再び、ひっくり返っている。

 本当に、訳がわからない。

 まるで何者かが、俺の縁起を邪魔立てするかの様だ。


 だがしかし、この時の俺は怖いだとか奇妙だとかよりも、ムカつくが勝って意地になっていた。

 こうなれば何としてでも見てやる。一富士二鷹三茄子が高望みだと言うならば、四扇五煙草六座頭で良いから絶対に見てやる。

 そう決めた俺は、再び睡眠環境を整えて瞼を閉じた。


「四扇五煙草六座頭。四扇五煙草六座頭。四扇五煙草六座頭」


 そして気付けば夢を見ている……。

 ハタハタと、金色の何かを持った坊主が口元に棒状の物を咥えながら時代劇の様な江戸の町を歩いている。俺はその町の商人になって、軒先からそれをぼんやりと眺めていた。


 よし、一富士二鷹三茄子が無理でも――これならば!


 坊主の持っていたものはやはり扇で、背中に琵琶を背負った座頭が口元に咥えていたのはやはりキセ――るぅうつう!!!?


 一瞬早く夢から覚めたのだろうか? 自室の天井を見上げながら意識を取り戻した瞬間に何処かから――


「ドッコイショお!!!」


 と、言い逃れも免れぬ位の野太い男の声を聞いた。


 ――そして、頭の下にあった筈の枕が思い切り引き抜かれ、その衝撃でメンコの様に舞い上がる――オレ。


「うわぁぁぁあっダレだぁあ!!!!?」


 ベッドに着地しながら、恐怖のあまりに俺がそう叫ぶと、



「…………シッパイしたぁ……」



 と消え入る様な男の声が部屋の何処かからした。

 俺の初夢を邪魔するアイツが何だったのかは今でもわからないままだ。


――――――



反枕まくらがえし


 正体不明の半透明の妖怪が、眠っている男の枕を大胆にひっくり返す姿で描かれる。「画図百鬼夜行」では小さな金剛力士像の様な姿で描かれている。

 その部屋で死んだ者が『反枕』となり、眠る人の枕をひっくり返すとも言われている。伝承には単に枕の向きを変えるだけのものもあるが、命を奪ってしまうという話もある。かつての日本人にとって、睡眠とは別の世界へ行く為の手段であると考えられており、その間に枕を返されると魂が肉体に帰ることができないとも考えられた。

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