第三十八頁【しょうけら】
【しょうけら】
古くからある精神科の『K病院』に看護師として勤めていた時の事。
夜勤をしていると交代で深夜に二時間の仮眠があるのですが、僕の勤めていた四階の病棟だけには仮眠室というのがありました。
他の階の病棟に仮眠室が無いので、休憩の時間になると簡易ベッドを風呂の脱衣所に組み立てて仮眠をとるのですが、K病院の最上階となる四階にだけは何故か、仮眠専用の部屋があるのです。
しかしその部屋の造りが妙なのです。
まず病棟の廊下に倉庫へと続くかの様な木製の扉があるのですが、鍵を開けて見るとそこは靴置き場――小さな玄関の様になっていて、右手には腰を折らなければ入れない様な高さ一メートル位の入口があり、小上がりの様に段差になった中の三畳間へと入っていける。するとそこからは天井が吹き抜けの様に高くなっていて、そのてっぺんには天窓が一枚ある。足元には畳が三枚と布団が敷いてあって、四方は白漆喰の壁になっている。
つまり非常に狭いが異様に高さのある長方形の部屋なのです。
初めはその異様な造りに閉塞感を覚えたりもしたのですが、馴れてみると静かでよく眠れる。声を出して見ると高い天井に向かって吸い込まれる様に消える。
まるで煙突の中で眠っている様な部屋だった。
病棟の古参に聞いてみると、昔その部屋は「瞑想部屋」として使われていたという。
患者が精神を統一する為に使われていたという訳です。
それが医学的になんの効果があるのかは疑わしいものなのですが、なんにせよ昔治療の一環として利用されていた部屋が仮眠室であるらしいのです。
夜、その部屋で眠っていると、高い天井にある天窓からは闇が見えている。月明かりのある日には薄明かりが射し込んで来たりもする。
今からする話しは、そんな月明かりの日の事です。
その日の夜勤はまぁ色々あって、ああ疲れたなぁなんて思いながら仮眠室へと入りました。
さっさと布団のリネンを交換して寝る準備を整えました。
その日の僕の仮眠時間は深夜の零時から二時までです。
仰向けになると、天窓から射し込んだ月明かりが真っ直ぐに僕の顔に落ちて、窓枠のフレームを十字形にしていました。
目を瞑って眠りに落ちよとうした所で、瞼の裏がチラチラと明滅する様な感覚を覚えて薄く目を開けたんです。
高い煙突のてっぺんの、その天窓の所に、黒いナニカがある。
長方形にした窓枠の左下の所に、のっぺりとした黒い物が映り込んで、背後からの月明かりで逆行になっているのです。
しばらくその影は何なのかと目を凝らしました。
一度そこに鳥が止まっているのを見た事があるので、また鳥かと思って見ていたのですが――
――その黒い影の頭髪がざわわと風にうねるのを見たんです。
その自然ななびき方と、黒い髪の見え隠れする様に、「あ、人だ」と疑いようもなく考えました。
しかし、言うまでもなくそこは四階で、天窓に人がヤモリの様に張り付いている筈もありません。
唖然としながら、僕はスマートフォンのライトを点灯して天窓へと向けていました。
薄暗くなっていた男の表情が照らされる――。
――そのつり上がった口角が、耳に届くのではと思う程に大きな口で笑った男の顔が、はっきりと見えたのです。
口が大きな事以外何の変哲もない、町中で擦れ違っていても気付かなさそうな普通の中年の男が、僕を上空から真っ直ぐに見下ろして笑っていたのです。
うわぁぁあ!!
と叫んだのですが、その声は煙突に吸い込まれて消えました。もしやすると、叫んだつもりでいただけで声にもなっていなかったのかも知れません。
月光を雲が覆い隠して、薄明かりが消えて無くなりました。
するとそこにはもう、何も居なかった。
――――――
『しょうけら』
「画図百鬼夜行」では、民家の屋根に上がり、天窓から中を見下ろす三本爪の鬼の様な姿で描かれる。
日本の民間信仰に
一説にはこの『しょうけら』は、人々がこの庚申待の規則をしっかりと守っているかを監視しているのだと言われる。
規則を破る者をその三本爪で傷付けるという。
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