第四頁 【山童】


   【山童やまわらわ


 辺境と言っても差し支えのない田舎で俺は幼少期を過ごした。今日はその頃の忘れ難い体験を話そうと思う。



 幼い頃を過ごした祖母の家は長野県の山奥にあって、周囲にスーパーやコンビニなんかは無論無く、隣近所までも数キロ離れているという始末だった。

 周囲を山に囲まれた祖母の家。古めかしいが、離れや蔵や広い土間なんかもあって、妙に威厳を感じさせる日本家屋だった。母から聞くに、死んだ祖父は昔この村で村長なんかもしていたらしく、それでこの家はこんなにも立派で、こんな坂道のてっぺんに堂々と建っているのだと言う。


 過去の威厳は結構だが、毎日この急傾斜の坂道を上って帰るのは億劫だったし、たまに郵便配達に来る赤いワゴン車なんかは、凸凹の曲がりくねった細い道に翻弄されて何度か脱輪していた事を記憶している。

 本当に、何もない所だった。


 祖母と両親は毎日畑に行って働いていたが、俺は基本的にはほっぽり出されていた。

 それもその筈、小学校高学年位の頃の俺はとにかくやんちゃで、手伝えと言われた畑仕事もせずに収穫した野菜を無茶苦茶に土に戻してみたり、穴を掘りまくって父親を落としたり、台所に蝉なんかを潜ませて祖母を驚かせてみたり、家の土壁に泥をぶつけまくってアートを作ってみたり……と、とにかく無茶苦茶だった。思うに、遊びたい盛りに遊ぶ場所も同年代の友達も無くて、有り余るエネルギーが爆発していたんだと思う。

 周囲に遊ぶ場所は無いし畑仕事もろくに手伝わせられない。テレビなんかは夕方にならないとなんのこっちゃわからない退屈なニュース番組しかやってないから、俺はこの家の周囲に無限のように広がる自然で遊ぶしか無かった。

 思いつく大概の事はやり尽くしたと思う。


 けれど俺には一箇所だけ、一度も踏み入った事の無い場所があった。

 それが祖母の家の背後にそびえる“裏山”だった。名前も知らない小高い山。ろくに道路の整備もされておらず、時折林業の人が伐採に訪れる位の半分放置された様な山だった。

 どうしてその山に俺が踏み入らなかったのかというと、祖母からこう言い伝えられていたからだった。


「あそこには山のが出るで行っちゃいかんよ」


 山の怪というのが何なのかも当時の俺にはわからなかったが、祖母も両親も俺を怖がらせて山に近寄らせようとしていない事はわかった。俺も俺で年相応に純粋ではあったので、そんな話を信じて近寄る事はしなかった。


 だけどある時、俺はその裏山に踏み入ってしまった。

 キッカケは前日の夜にやっていた冒険ものの映画を観て憧れを抱いた事だった。気が大きくなって、俺も冒険者になりたいと思った、そんな時だったと思う。


 その日はもう秋の寒い時期だったけれど、まだ雪は降っていなかった。

 始めて踏み込む未開地に、恐怖と同時に未知への好奇心が混じり合っていた。

 山を走る車道は細くてガタガタとしていて、あまり交通もない事が降り積もった枯れ葉の有り様から理解が出来た。風が吹くとカサカサという音がする。


 上着の前を閉めた俺は鼻水を啜りながら車道に沿って歩いていたが、いつまでも代わり映えしない景色にしびれを切らして、右手の方に見えた獣道を進んでいく事にした。裏山自体はそう高いものでも無いし、迷ってしまう事など考えてもいなかった。


 程無く行くと道が開けて来た。鬱蒼とした山林の中にポッカリと円形に開けた空間があって、そこだけは地面も平らになっていた。

 幼い俺にとって、行ってはいけないと言われていた山に踏み込んでちょっとした広場を見つけた事は、充分にこの冒険の成功を意味していた。新しい遊び場を見つけたのだから、気分はすっかり未開の地を切り拓いた勇敢な冒険者だ。


 しかし俺はその時、不可思議な物が周囲に散見される事に気付いて頭を捻った。

 山の傾斜に突如と現れたこの広場には、何やら人為的に組み上げられた枝や石、まるで子どもが何かを模して遊んでいたかの様なオブジェがいくつも並んでいるのだった。


 石や枝を並べて作った家の様な物や、河原で積み上げる様な平べったい石の塔、大きな岩に尖った石を押し付けて描き込んだかの様な見た事も無い言語と不気味な絵。

 俺以外にここで遊んでいる子どもが居る? そう思った。

 ……しかしどうしたっておかしい。何故ならこの広場へと至る道は鬱蒼とした獣道の先であるのだし、こんな所にそうそう人など訪れる筈が無い。

 それになにより――。


 こんな僻地に、子どもは俺しか居ない筈だった。


『あそこには山の怪やまのけが出るで行っちゃいかんよ』


 祖母の言葉をその時になって思い出す。

 山の怪やまのけ……山に居る……化け物。


 冷たい風が木枯らしを連れて首元を掠めていった。薄ら寒くなって鳥肌が全身に立った。その日は空が曇っていたから、もう時刻が遅いのにも気付かずに、周囲が暗く、日暮れに変わり始めた事にその時に気付いた。


 あっという間に暗く冷たく変わっていく山の景色。帰り道を急ごうと踵を返すと、先程までは見えなかった角度の所に、石と枝で作られた祭壇みたいのがあって、積み上げられた石の隙間から白い花弁の花が一輪突き出していた。


 慌てた俺は何を思ったのか、季節外れに花開いた得体のしれない祭壇の上の白い花を――茎からもぎり取った。

 思えばその時の俺の心境は、自分がこの地を訪れた勲章というか戦績というか、そういった物を欲していたんだと思う。家に帰って祖母に見せてやろうと、恐怖に動転した思考のまま訳のわからない事をしでかした。


 その瞬間、 

 ――カサカサと周囲で鳴った。


 風が吹き抜けて足下に降り積もった枯れ葉を揺らしたからだと思った。

 けれど風が止んでも、カサカサという物音は数を増していくばかりだった。


 不思議な事に、薄暗い木立の合間から、俺の居るこの広場を取り囲むみたいに、無数の子どもの声が起こり始めるのを耳にした。


 ……ゾッとした。白い花を足下に落としてしまった。どうする事も出来なくなった俺はその場に固まる事しか出来なかった。


 周囲で囁かれる言語は日本語ではあったが何を意味しているのかもわからないもので、時折わかる単語もあったけれどひどく訛っていて理解が出来なかった。例えるなら、祖母が隣近所の老人達と喋っている時の言葉に少し似ていた。祖母は俺や俺の両親と喋る時には気を使って普段は方言を出さない人だった。理由は、ここらの方言は余り綺麗じゃないから覚えさせたくないとかそんな所だったと記憶している。


 闇の中から聞こえて来る声は、少し怒っている様な、子どもが癇癪を起こすかの様なものだと俺には思えた。言っている事は不明だが、とにかくあの白い花を手折った事を山の怪が怒っているのだと思った。

 青褪めた俺は一目散に山を降りた。薄暗くなっていく景色の中でも幸いにも道には迷わなかった。


 自宅に飛び込むと、帰りの遅い俺を案じて玄関で待っていた祖母と両親にこっぴどく怒られた。しかしそんな事よりも、恐怖に慄く俺の異常を感じた祖母が俺に問い掛けて来た。


「まさかあの山に行ったのか?」


 見たことも無い位に凄い形相をした祖母に観念した俺は、事のあらましを伝えた。


 全てを聞き終えた後、母は血の気の失せた顔で俺を見下ろしてから、頬を思いきり叩いた。けれど泣き出しそうになった俺より先に、俺をぶった筈の母が泣き出していた。父もまた膝から崩れ落ちていた。


 訳がわからないでいると、這いずって来た父に抱き寄せられていた。そして次に母の腕に包まれる。この時ばかりは両親の情緒が理解出来なかった。ただし何か、自分がとんでも無い事をしでかしてしまった事だけは子供心にもわかった。


「大変な事になったわ……ああどうしようか、ああー、わらべが……」


 そう呟いていたのは、腕を組みながら難しい顔をした祖母だった。額をこつこつ指で叩きながら、瞬きも忘れてた尋常で無い表情を見せている。

 俺の父も母も大層な焦り様であったが、それから俺はとにかく家に戻され、離れにある蔵に一晩軟禁……いや、監禁される事になった。外から鍵を掛けられて、暗い蔵の中で俺は恐怖で泣いていた。


 理由もわからずに暗い蔵に投げ込まれた俺は、何時頃とも知れない夜半に、妙な音を聞いた。

 トンチキトンチキと、箸で茶碗を打ち鳴らしているかの様な物音の無数が行進して来る。


 ――山の怪が俺を迎えに来たんだ。と、そう思った。そして彼等の声が聞こえてくる。


 その声は子どもがぞろぞろと、まるで遠足にでも出掛けているかの様に密集していて、やはり言語は訛りが強くて聞き取りづらいのだが、その声の抑揚なんかから、悲しそうに、はたまた怒っているかの様に、愉しんでいるかの様に聞こえて不思議だった。いずれにしてもそのどれもが俺にとっては恐怖でしか無かった。


 トンチキトンチキ。遊んでいるかの様に何かを叩く音がする。


 気付けば家の周囲を、何名もの存在に取り囲まれているかの様な声を感じていた。俺はとにかく声を押し殺してここにいる事がバレない様にと努めていたが……遂に自宅の正面玄関に続く締め切ってある筈の門が、ギィィと音を立てて押し開かれる物音を聞いた。


 家に入って来たんだ。


 蔵の小さな格子の小窓から玄関の方を覗いてみると、そこに闇夜に灯った黄色い一つ目を見た。

 その瞬間にひどく酩酊した様な感覚に襲われた俺はそのまま眠ってしまった。


「私が代わりに……」

 最後に聞こえたのは断片的な祖母の声だった。



 翌日、陽が昇って間もない位の早朝に俺は叩き起こされて、有無も言わさず車に押し込められて村を出た。

 俺には何も説明されなかった。というより両親は意図的に俺を無視している様に思えた。しかし軽蔑している訳では無く、無言で悲しそうに微笑みながらお茶やおにぎりをくれた。祖母は車には乗っていなかった。


 そんな風に、夜逃げ同然の形で俺はあの村を出た。

 祖母とはあれから会っていない。それからどうなったのかも知らないし、電話もさせてもらえず一切の接触を禁じられてしまったのだ。


 祖母が大好きだった俺は、それが悲しくて泣いた。

 両親はそれから俺に、一切祖母に関する事を話すのも止めた。こちらから問い掛けても、無視するか露骨に嫌な顔をするか話を変えられてしまう。それどころか、祖母は俺が産まれるよりも前に山で遭難して死んでしまったと真顔で言ってくる始末だった。あの日、あんな事になるまで俺達は祖母と暮らして一緒に畑を耕していたっていうのに、こんな白々しい嘘が他にあるだろうか?


 そして金輪際あの村には近付いてはならないと言われた。



 それから長い時が経過して、俺も成人して家を出る事になった。最後の最後まで両親は祖母に関する嘘を貫き続けた。そう言い続ければ幼い頃の俺の記憶が塗り替わるとでも思っていたのだろうか? 生憎俺は今でもあの日の事を克明に覚えている。


 祖母の事が気になって、俺はある時、両親に黙って祖母と暮らした筈の家に向かった。

 記憶通りに曲がりくねった道を自動車で走って目的地へと辿り着いたが、そこには更地が広がっているだけだった。

 俺があ然としていると、一台の軽トラが走って来て近くに停まった。運転席の爺さんは振り返った俺の顔を見ると「龍二くんか! 久しぶりだな大きくなって」と言った。

 それは当時近所に住んでいた平松さんだった。近所と言っても数キロ離れていたが、時折顔を合わせては可愛がって貰ったのを覚えている。

 挨拶もそこそこに、俺はこれ幸いと平松さんに当時の事を尋ねてみた。するとやはり、当然の事の様に俺達がここで暮らしていた話をしてくれる。

 俺はいよいよ確信へと迫る質問を口にする。


「それであの、祖母は俺達が家を出ていってからどうなったんですか?」

 あっけらかんとした声が帰って来ていた。


「は? お菊さんは龍二くんが産まれるよりも前に死んじまっただろう」


 何がどうなっているのか……。

 どうして平松さんさえもが、両親の言う嘘を語るのか。


 ――山の怪やまのけとはなんだ……?


 ただ分かる事は、あの日の俺が禁忌に触れてしまったという事だけだった。


「お菊さんは遭難したんだよ、ほれ、そこの山。不思議なんだが、こんなに近くて低い山の中で」


 ――たまに誰かが白い花を供えていくそうだよ。

 平松さんは最後にそう付け加えた。



――――――



山童やまわらわ


・出現地域:九州、西日本


 山に出るとされる一つ目の童の様な姿形をした妖怪。二足歩行で人の言葉を話し、牛や馬に悪戯をしたり相撲をとったりするという。一説には『河童』が山に入って甲羅を下ろした姿であるとも言われている。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る