第47話
「いまごろ必至に第三防衛拠点の最初の土塁を守ってるとこかな。くっくっくっ」
《最終》防衛陣地の天幕で、ツェーザルは優雅に珈琲を啜りながらほくそ笑んだ。
計画通りに行きすぎて笑いが止まらない。
もしローテンベルガーが土塁を放棄したとしても奪還するなと厳命してあるが、敵の心理からすれば奪い返しに来ると思うのが普通だ。
だから、どれだけ被害が出ようとも死守する。死守せざるを得ない。
そしてこちらは交代で仮眠をとりながら散発的に矢を浴びせ続ける。
敵はいつ矢の雨が降るかもわからずに常に緊張を強いられる。もちろん仮眠すらとれない。
酒保商人たちが逃走したので食事も摂れず、夜が明けた頃には心身ともに疲労困憊で戦いどころではない。
「コルダナ様は軍師としても一流でございましたか……」
「相手の嫌なことをするのが好きなだけだよ。実際、戦術的なことは全部イジュウイン任せだからね」
コルダナ男爵軍の輜重部隊長を務めるクラウスに答えた。
本当の戦争を知らないツェーザルが描けるのは戦略だけだ。それが実行可能かどうかを専門家であるイジュウインに確認しながら練り上げたのが今回の迎撃作戦である。
「ご謙遜を。
「それだってイジュウインの母国、聖武国の武器だからね。僕の手柄じゃないよ」
ファーテンブルグのある北方大陸で用いられている
その最大射程距離は約三百メートル。有効射程距離は約百五十メートルだ。
一方、クラウスが新兵器と言った聖武国で用いられているのは、前世の戦国時代で用いられていた弓――和弓だった。
その最大射程距離は約四百五十メートル。有効射程距離は約三百メートルと
その違いは用いられている材料にある。
それに対して和弓は強靭な竹を使用しているため、軽くて加工がしやすく柔軟性に優れていて曲げても簡単には折れず、反発性が非常に高い。
これほど弓に適した素材が、なぜファーテンブルグで使われていないかと言えば、この大陸で竹が自生していないからだ。
ツェーザルが竹を発見したのはまさに偶然。米を仕入れているリュプセーヌ在住の聖武人から筍ご飯をおすそ分けしてもらったことで、この大陸に竹が持ち込まれていることを知る。
ツェーザルはすぐに竹の苗を購入し、隠れ里で育てまくった。
筍が食べたかっただけではなく、弓の材料になると知っていたからだ。
戦は常に強い武器を持っていた方が勝つ。
戦いにならないに越したことはないが、もしもの時の準備は重要だ。
だからイジュウインの記憶をもとに弓職人に和弓を作らせた。
さすがに前世や聖武国のものには劣るものの、
「あとは『ダイサッカイ』の元隊長たちのおかげだよね。彼らがいなかったら奇襲部隊を運用できなかったわけだしね」
「仰る通りかと。探し出してくださったエッポ殿には感謝してもしきれませぬな」
今回の迎撃計画は奇襲の成否が戦いの勝敗を分けると言っても過言ではない。
ゆえにイジュウインは元部下を可能なかぎり集めて欲しいと嘆願してきた。
私兵団の中でも隊長を任せられる人材は育ってきているが、奇襲の指揮を執れるほどの実力はないというのがイジュウインの忌憚のない意見であった。
しかし、イジュウインの元部下――『ダイサッカイ』の傭兵たちは戦争奴隷として売り払われてしまっている。行方も分からなければ生死も不明。はきり言って無理難題だ。
が、元部下がいなければ奇襲は成功しないと言われたら最前を尽くすしかない。
迎撃が失敗すれば破滅する未来しかないのだ。
エルヴィーラの情報網と奴隷商人のエッポの人脈に一縷の望みを託して、奇跡的に所在を確認できたのが十二人。
足元を見られて法外な値段を要求されたが、頷かざるを得なかった。
交渉が決裂すれば待っている未来は破滅なのだ。
「しかしながら、コルダナ様の先見の明あってこそ奇襲が成功したというものでございます」
「先見の明?」
「間道でございます」
「あぁ……」
言われてみて思い出した。
コルダナ男爵領に一本だけ通る本道にはいくつもの間道が存在している。
領内にある隠れ里で作られたメフィレスの材料を運ぶためだけに造られているため、ひと一人が通れる程度の獣道に等しい道だ。
木の根や傾斜に足を取られて材料をぶちまけられたら困るので、そうとう蛇行はしているものの安全なルートを確保している。が、道らしい整備は一切していない。予算と時間がもったいないからだ。
外部の者では絶対に道の存在に気づけないだろう。
今回、それが奇襲部隊の出入口として上手く機能したに過ぎない。
討伐軍が派遣されることを想定して造ったわけではないので、クラウスの過大評価というものだ。
もっとも、その誤解を解くつもりはない。
「使えるものはなんでも使わないとね」
「仰る通りかと」
だが、この異世界にとって新兵器となる和弓も、敵に気づかれないほど粗野な間道と元『ダイサッカイ』の隊長格を用いた奇襲も討伐軍を迎撃するための助攻に過ぎない。
主攻はエルヴィーラ傘下の娼婦を使ったアヘン増し増しのメフィレスの無償配布と酒保商人たちへの襲撃だ。
もし輜重部隊が王国軍の管轄であったならば、徹底的に身辺調査された安全な娼婦を従軍慰安婦に選ぶであろうし、相応の護衛も付けていただろう。
しかし、従軍しているとはいえ民間の酒保商人。数が揃えられなければ近くの村から慰安婦になる娘を集めるような連中だ。身辺調査などするわけがない。
それに慰安婦として従軍したいと志願してきたのは、高級娼館で勤めている娼婦だ。良い
こうして簡単に息のかかった娼婦を潜り込ませたらあとは簡単だ。
酒保商人らが王国軍に気に入られようと良い
一方で、王国軍にとって酒保商人は外部委託先だ。契約内容は軍需品や日用品、娼婦の販売や略奪品の買い取りを行うこと。そこに護衛は含まれていない。
他国への侵攻ならばまだしも、今回は国内であり討伐先は大した兵力を持たない男爵領である。しかも最後方で、民間人なのだから絶対に襲われないだろう――と契約内容に含めなかったのだ。
酒保商人もそれで合意したのだから、責任はお互いにある。
ちなみに従軍慰安婦は前世の現代において悪とされているが、中世ではいて当然の存在だった。それはこの異世界でも変わらない。
メフィレスによって大半の兵士が戦力外となり、補給を断たれたことで無事な兵士も十全には戦えないだけではなく、継戦能力さえも奪い去った。
どれだけの食料を携行していたかは知らないが、節約しても一、二日が限界だろう。近隣の村や町から徴収するにしても三万もの兵士を賄えるだけの食料を確保できるとは思えない。
討伐軍の選択肢は二つ。撤退するか、超短期決戦にでて電撃的にコルダナ男爵領を制圧して食料を奪取するかだ。
そして討伐軍の威信にかけて撤退は絶対に選べない。
「しかし……コルダナ様も大博打をなされる。酒保商人を襲い兵站を断つのは名案でござますが、すべての商人からの批判は必至。どうなさるおつもりでございますか」
「大博打でもないよ。国王派に恨みや思うところのある商人は一定数いるものだからね。官吏だってそうだろう? ねぇクラウス?」
「なるほど……。仰る通りでございます」
濡れ衣を着せられて放逐された王宮の元文官は苦笑しながら頷いた。
事実、ツェーザルは国王派にメフィレスを模倣されて市場を奪われている。似たような経験のある商人は間違いなくいるはずだ。ほかにも色々とエグいことをやっているだろう。
従軍している酒保商人は王国派のお抱えであるから、甘い汁を啜っている彼らには潜在的な敵が多くいるはずだ。
今回、襲撃されたからとはいえ討伐軍を置いて逃げ去った罪は重い。彼らが失脚することで他の商人たちが入り込む余地が生まれるのだから、逆に感謝されても良いぐらいだ。
もっとも、これまで散々嫌がらせされてきた国王派に取り入ろうとする商人がいるかどうかだが――
(いるだろうなぁ)
感情よりも利益をとる。それが商人だからだ。
しかし、それは泥船だ。
今回の討伐軍を追い返したところでツェーザルの逆賊認定が消えるわけではない。むしろ撃退してしまったことでさらに本腰を入れて討伐にやってくるだろう。
それではジリ貧だ。
討伐軍が編成できないほど弱体化させなければならない。
それがツェーザルの勝利目標であり、すでにその一手は打たれている。
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