第30話

 先触れ通り、リアを乗せた一行が『カルイザワ』へと辿りついた。

 中位貴族レベルの二頭立ての箱馬車コーチに騎乗した護衛が十人。王女殿下には相応しくない馬車と護衛の人数であったが、お忍びであれば妥当なのかもしれない。そのあたりの常識に疎いツェーザルは、特になにも思うことなく歓迎のあいさつをしようと馬車へと近寄った。

 護衛に止められずに客車まで来られたのは、フェリクスが一緒にいたためか、はたまたツェーザルの顔を知っていたからか。

 窓越しで一言二言交わし、滞在先の旅館まで案内するつもりだったのだが、その予定は初っ端から盛大に狂わされる羽目になる。

 なんと客車の扉が開いて、王女が降りてきたのだ。

 足首にかかるほど長い外套を羽織り、それに付随するフードを目深に被っているため容貌は伺い知れなかったが、肩口まであるくすんだ紫みの青スマルトの髪が揺れ、ほのかにスミレの香りが漂う。

 そして、耳心地のいいソプラノの声が空気を震わせた。

「フェリクスッ! 街にあるすべての屋台の食べ物を人数分確保しなさいッ!!」

「は……?」

「ハッ!」

 呆けた声を出したツェーザルで、躾けられ忠犬の如く敬礼を返したのはフェリクスだ。

(え……? パシり? フェリクス虐められてんの?)

 面白そう、とツェーザルは悪乗りをする。

「あ、じゃあフェリクス殿、僕の分も頼むよ。今日はちょっと手持ちがなくてさ」

「え……。普通にイヤなんだけど。ツェーザル殿なら代官邸でいくらでも食べられるよね?」

 面白味の欠片もないクソ真面目な返答に、ツェーザルは王女を見た。

「リア王じ……リア様。一体どういう教育をされておられるので?」

「申し訳ございませんコルダナ男爵」

「――なっ!? ちょっ、リア様!?」

 お忍びとはいえ王女が謝罪するとは思わなかったのだろう。

 困惑するフェリクスを無視し、ツェーザルは言った。

「まったく、ノリツッコミくらいはしてくれると思ったんですけどね」

「ホントそれな。フェリクスには失望しました。罰として確保する食糧はすべて自費とします。いいですね?」

(あー、コイツ完全に隠す気ねぇわ……)

 リアの返しを聞き、ツェーザルは確信した。

 元日本人で、ある程度社交性を持ち合わせている人物ならば許容範囲だろうというレベルでフェリクスをイジり、リアの反応を試したところ、結果はこの通り。

 奏上以上に王女のノリがいい。

 ついていけていないのは異世界人現地人であるフェリクスだけだ。

「え……ッ!? いや……、ちょっ……、え……?」

「早く行きなさい! それともわたしの命令に従えないの?」

「い、いえ……、そのようなことは……」

「ならなんでまだここにいるの?」

「も……申し訳ございません……! ただちに食料を確保して参ります!!」

 去り際、「どういうわけか説明してもらうからね!?」という意思が伝わってくる視線を残し、フェリクスは『カルイザワ』の街へと消えていった。

 残されたのは十名の護衛とリア、ツェーザル、そして傍でずっと黙って控えているアウレリアの三人。

「コルダナ男爵。宿までは遠いのですか?」

「歩いて二十分ほどかと」

「そう――。治安は?」

「昼間の池袋くらい……と申し上げればお分かりになりますか?」

 ツェーザルの返しに、リアは口元を綻ばせた。

「では歩きましょうか」

「馬車に乗らなくてよろしいので?」

「恐れながらリア様」

 ツェーザルの質問とほぼ同時に護衛の男が声を上げた。

 護衛の男の言いたいことはおおよそ見当が付く。

 お忍びとはいえ王女が徒歩で目的地まで向かうなど護衛として言語道断とでも言いたいのだろう。

 一方ツェーザルは、リアが治安の質問をした時点でこうなることは予想していた。質問したのはあくまでも最終確認程度の意味合いだ。

 だから当然――

「これは決定事項です。そもそも、要人が馬車の中にいないと満足に護衛もできないような者たちを選んだ覚えはありません。違いますか?」

「…………心得ました」

(なんつーか、王族指導者としての風格がハンパねぇな……。元日本人ってのは確定として、前世じゃ大企業の取締役か政治家でもやってたのか……?)

 リアの正体を推察しながら、ツェーザルは「こちらです」と先導する。

 護衛は五人が王女を囲むように、残りの五人は遠巻きに展開した。これでは気軽に雑談をしながら歩くような雰囲気ではない。

 リアも同じことを思ったのか、軽く溜息を吐く。

「全員わたしから距離を置いて警護にあたりなさい」

「し、しかし……ッ」

「コルダナ男爵は、『カルイザワ』ここがファーテンブルグのどこよりも安全だと言ったのです。これではまるで、その言葉を疑っているようではありませんか。わたしを狭量な人間にしないでください」

(王都じゃなくファーテンブルグときたか……。随分高く評価されたもんだな)

 だいぶ盛ってはいるだろうが、この異世界のどの都市も昼間の池袋より治安が悪いのはたしかだ。

「…………」

 先ほどの苦言を呈した男が護衛のリーダ―なのだろう。

 部下たちに視線を飛ばし、すぐさま護衛全員が距離を開けて王女の警護に移る。

「はぁ……。まったく、息が詰まるというものです」

「僕には想像することしかできませんが、心中お察しいたします」

「そのお気持ちだけで十分です。立場上……だけではなく、すでに察しているとは思いますが見た目のこともあって必要最低限しか外に出られません。その貴重な機会ぐらい自由にさせてほしいものです」

「必要最低限の中に……その……お忍びは含まれるのですか……?」

 もちろん入るわけがない。分かり切った質問にリアはテノールの声を震わせる。

「ふふ……っ。今回はだいぶ無茶をしました。なにせ同郷の者に会えるのですから」

「光栄です。僭越ながら、僕も楽しみにしておりました。個室を用意しておりますので、詳しい話は食事の席にでも。しかし……」

 ツェーザルは遠巻きに聞き耳を立てながら周囲を警戒している護衛たちを見やった。

 彼らはどんな状況であろうとリアの傍から離れはしないだろう。護衛としては当然の行動だ。そしてツェーザルに、その行動を止める手立てはない。

「安心してください。わたしが下がらせます」

「いえ……その……それで納得してくれますか?」

「コルダナ男爵ともあろう方がおかしなことを言うのですね。彼らの納得など必要ですか?」

「――これは……、失礼いたしました。リア様は思いのほか剛毅なのですね」

 王女の命令は絶対。王女が白と言えば黒いものでも白になるのだ。

 しかし、もしツェーザルがリアの暗殺を考えていたら?

 そもそも二人は初対面なのだ。同郷というだけで全幅の信頼を置くには、あまりにも考えが甘すぎる。

 ツェーザルならば、まず間違いなく疑ってかかる。事実、個室の外には最強の戦力であるイジュウインを配置し、アウレリアは同席させるつもりだ。

 一見ひ弱そうに見えるリアだが、神に祝福された証ゼーゲンによっては万が一も有り得る。万全の態勢を整えておくに越したことはない。

 しかし、リアはテノールの声はおかしそうに震わせた。

「ふふっ……。わたしは誰かの悪意に敏感なのですよ。そうでなければ、わたしはもうこの世にはいないでしょうね」

「…………」

(なるほど。見た目通りのお姫様ってわけじゃねぇってことか……)

 貴族最底辺の男爵であるツェーザルでさえ、忌子というだけで十五年も幽閉されていたのだ。王族となればそれ以上の何かがあっても不思議ではない。

 見た目に惑わされてはいけないと肝に銘じたつもりだったのだが――


(………………どうしてこうなった……)

 ツェーザルは頭を抱えていた。

 宿に着き、一息ついたあとで宴席に誘ったところまでは良かったのだ。

 渋る護衛もリアの一言で個室の外での待機となる。話し相手はツェーザルの護衛であるイジュウインに丸投げした。

 アルアニアで勇名を轟かせていた傭兵団『ダイサッカイ』イジュウインの名は護衛たちも知っており、険悪なムードは一気に霧散する。

 そしていざ料理が運ばれてきたところでリアが本性を現したのだ。

「フェリクスに聞いてたから知ってたけど……。現物を見ると感無量だわ……。さっき休んでるとき、フェリクスに買わせた団子を食べたけど、あれ小麦粉じゃなくてちゃんとしたもち米だったし……。あのね? わたしこれでも王族なんだよ? この国で上から四番目に偉いんだよ? その権力に物を言わせて転生してからずっと探してきて見つからなかったのに……」

 リアは口元を手で覆い、零れ落ちる涙を指先でそっと拭う。

 感涙に震えている対象が米ではなく、生き別れた姉妹であったならば、なんと感動的なワンシーンだろうか。

「いただきます……」

 掌を合わせて食事の挨拶を呟き、リアは目の前に出されたおにぎり(鮭)を頬張る。

「――うまぁ…………ッ」

 おにぎり(鮭)を二口で平らげ、おにぎり(おかか)、おにぎり(昆布)、焼きおにぎりを制覇し、豆腐とわかめの味噌汁で一息ついたあと、焼き魚を完食し、たくあんで箸休めしたのち、カレーライスに挑んでいる。

 できるだけ多くの料理を楽しんでもらおうという趣向のため一品の量は少ない。しかし、食べているリアの姿は王女の威厳を失墜させるには十分すぎりものだった。

 さながら運動部の男子高校生を彷彿させる豪快な食べっぷりである。

 まさか、この食事風景を見せたくないがために護衛を追い出したのでは? と疑いたくなってしまう。

「…………」

 リアの鬼気迫る食べっぷり、ツェーザルは話しかけるタイミングを見つけられない。アウレリアをみれば、彼女も首を横に振るっている。

 はぁ……、と溜息を吐き、ツェーザルは頬杖を突いた。

 宴席にはリアのほか、ツェーザルとアウレリアの三人しかいない。

 そのため、リアは外套を纏っておらず、その容貌を晒していた。

 さすがは王族と言うべきか、見惚れるほど端正な顔立ちをしている。くすんだ紫みの青スマルトの髪は艶やかで、些細な動きに合わせてサラサラと揺れ動く。透き通るような白い肌は瑞々しくシミどころか荒れている気配さえない。

 明るい青フォゲットミーノットの右目は好奇心に爛々と輝いていて、やわらかい緑ペディグリの左目は慈悲と慈愛に満ちていた。

 左右の瞳の色が違うヘテロクロミア

 リアは宴席について早々、左目を隠していた眼帯を取り去っていた。

 ツェーザルに対し、隠し事をするつもりはないというアピールなのだろう。

 一国の王女が弱味を曝け出すなど軽率な行動だとは思ったが、ツェーザルに不利益はないので何も言わない。

 見た目通りだとすれば、二柱の神から寵愛を賜ったイジュウインと同じタイプの忌子だ。

 しかし、ツェーザルの勘は見た目通りではないと告げている。

「――ツェーザル君!」

 カレーライスを胃袋に収めたリアの唐突な一言にツェーザルは目を点にした。

「え……く、君……? り、リア様……それは――」

「あーもう! そーゆーのいいから! お互い転生者なんだから異世界ここでの立場とかどーでもよくない!? わたしのことはリアって呼んでねっ! ちなみに前世の名前は五十鈴風香、歳は十九歳で看護学生。JDだよっ☆!」

「……………………」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る