第17話

「くっ……くくくっ! ははははっ!」

 堪えきれず、といった風にイジュウインは破顔した。

(まぁお前ならそういう反応をするだろうな)

 予想どおりのリアクションにツェーザルは苦笑いを零した。

「悪いね、いままで黙ってて」

「本当ですぜ大将! それにアウレリア嬢も驚いてないってこたあ、やっぱり知っていたんで?」

「まぁね。ちょうどいい機会だから、僕の出生の秘密でも話そうか。もちろん分かっているとは思うけど他言無用だよ?」

「ハインミュラー殿にもですかい?」

「まさか。クラウスにはあとで僕から話しておくよ。実のところ、この話をするつもりはなかったんだけどね。フェリクスのことを考えてたら、ここで話しておいた方がいいと思ってね」

 ツェーザルは珈琲を含み、口と喉を潤してからイジュウインと、いまだ呆然としているエルヴィーラをみて言った。

「十九年前、僕は忌子として産まれた。本当ならば殺されているはずなんだけど、なぜか前コルダナ男爵父親忌子を殺さなかった。産まれたばかりの赤子忌子を使われていない山小屋に幽閉したあと、すぐに監視役兼乳母としてアデーレという名の奴隷と、その女の子供がやってきた。その子供がアウレリアというわけさ」

「このあたりの話は物心がついた頃に母から聞いたものですねー。なにせ、当時のあたしは生後半年でしたし、ツェーザル様にいたっては産まれたばかりでしたから。母はツェーザル様の報告と食料の受け取りに外出できましたけど、あたしたちは小屋の周辺までしか出られません。ツェーザル様と母、そしてあたしの三人だけの生活ですから、黒い髪と瞳の色が忌子の証なんて知りませんでしたよー。母が亡くなる直前に話してくれて、はじめて知ったって感じですねー」

 もっとも、転生者であるツェーザルは生まれた直後から明確な意識と自我があった。アデーレに教えられるまでもなく自分が忌子であり、山小屋に幽閉された理由を知っていたのだが、あえて打ち明けたりはしていなかった。

 ここまで話を聞いていたイジュウインの顔から笑みが消え、代わりに安堵の浮かべる。

「――ようやく得心いきやしたぜ。大将だけなら――無礼を承知で言えば……奇特な御人で済んだんですがね。アウレリア嬢も某のことを一切気にしちゃいませんでしたから不思議に思ってたんです。類は友を呼ぶとはいいますが、主従揃って奇特な御人なんて偶然なんてありえませんからね」

 長年の疑問が氷解してすっきりした表情のイジュウインとは対照的に、エルヴィーラは目を見開いて禿頭スキンヘッドの兵士長を見つめていた。

 明晰な頭脳と膨大な知識で、一を聞けば十を知るを地でいく彼女が、まったく話についていけてないのは珍しい――というか初めてのことではないだろうか。

「その言い方ではイジュウイン様も忌子であるように聞こえるのですけれど?」

 ――前言撤回。やはり、エルヴィーラの聡明さは健在であった。

 普通、これだけの情報でイジュウインが忌子であると気づけるわけがない。

「エルヴィーラ嬢の推察力は実に恐ろしい。もっとも、忌子ってぇ歳じゃありませんがね。お察しのとおり、某は髪と瞳の色が違います。それを隠すために髪を剃っているってわけです。母国では二柱の神から祝福を賜ってる者は珍しくはありましたが、いないわけじゃありませんでしたからね。この大陸に流れ着いたときはそりゃ驚きましたぜ」

 イジュウインの母国――聖武では二柱の神から祝福を賜ってる者忌子が珍しくなかった。この話は初耳だ。てっきり聖武でも忌子として扱われているとばかり思っていた。

 だとすれば、この大陸に髪と瞳の色が違う人間がほとんどいないのは、忌子として即殺される環境だからではないだろうか。

 国によって忌子が産まれる確率に大きく違いがあるとは考えられない。

「こう言っちゃあなんですが、宗教観の違いってやつですかね。この大陸じゃあ神は五柱とされてるみたいですが、某の国は神は八百万――多種多様で数多く存在するとされてました。――つまり何が言いたいかってぇと、大将や某を怖がる必要はないってことですぜ、エルヴィーラ嬢」

 ファーテンブルグ人――いや、この大陸の人間はすべて五神教徒だ。

 そして、教徒にとって忌子は殺すべき悪しき存在であると刷り込まれてしまっている。

 五神教に触れられる環境ではなかったツェーザルやアウレリアは別として、エルヴィーラは敬虔な五神教徒だろう。

 宗教についてはセンシティブな問題なので話題に出したことはないが、エルヴィーラの様子から察するにショックや戸惑いを感じているに違いない。

 崇拝している人物が、実は反社会的な、忌むべき存在だったとしたら?

(普通なら手の平を返して軽蔑するんだろうが……、相手はエルヴィーラだからなぁ)

 エルヴィーラのツェーザル信仰が、五神信仰を超越していたとしても不思議ではない。なにせ神プファイルフィーダンよりも未来さきを見通せると不敬極まりないことを平気で口にするぐらいだ。

「ツェーザル様。進言いたします。――いますぐ五神教を滅ぼすべきですわッ!」

「………………は?」

 案の定、エルヴィーラは想像の斜め上をやすやすと超えてきた。

「至高の存在であるツェーザル様を忌子などと教えを説く宗教はもはや邪教といっても過言ではありませんわっ! なんと忌々しい……ッ! わたくしは――いえ、この大陸すべての人間が五神教に騙されていたのです! 目を醒まさせてあげませんとッ!!」

(そうきたか……。めんどくせぇ……)

 ツェーザルは頭を抱えながら、大きく息を吐いた。

 五神教は利用価値の塊だ。自ら忌子であると明かして魔女狩りの対象になる愚だけは犯したくはない。

「エルヴィーラが怒ってくれるのは嬉しいよ? でも、さすがに大陸全土に教徒をもつ五神教に喧嘩を売るのはちょっとまだ早いかな。それよりも国王派と王女派をどうにかするのが先だからさ――ね?」

「――ッッ!? さすがはツェーザル様ッ! 自らを亡き者にしようとした邪教にすら慈悲をお与えになるとは……! なんと寛大な御心……! ――あぁ……ッ! 滅ぼすなどわたくしが狭量でございましたわッ!」

 狂信的なツェーザル教徒のエルヴィーラは、教主が白と言えば黒いものでも白くなるらしい。

 そして、ツェーザルが絡まないところでは非常に優秀であった。

 一瞬にして熱狂的な教徒の顔ポンコツから冷徹で合理的な諜報員の顔に切り替わる。

「ところでイジュウイン様。貴方様はなぜ生きてらっしゃるので? 不良在庫なっていたということは、忌子――年齢的に忌人かしら。そうだと分かる状態で売られていたのでしょう? 普通ならば処分されていてもおかしくはないと思うのですけれど?」

「いや……それは某に聞かれても……」

 答えに窮すのは当然だろう。

 イジュウインとしては、戦に敗れて捕虜となり、解放するための金が支払われなかったために奴隷として売られてしまったという認識でしかない。

 だからツェーザルが代わりに答えててやる。

「これでもイジュウインは勇名を馳せた傭兵団の団長だったからね。相当な額で買い取ったんじゃないかな。数日後には髭が伸びて忌人だと分かったんだろうけど、すぐさま処分できるような額じゃなかったんだろうね」

「ある意味、その奴隷商人も騙されたわけですわね。ならその奴隷商人もイジュウイン様の髪と髭を剃ったまま売ればよかったと思うのですけれど」

 エルヴィーラの言は正論だ。

 奴隷は他の商品と違って生活費維持費が掛かる。売れない奴隷はゴミ以下でしかない。普通の奴隷商人ならば、早々に処分するなり、顧客を騙して売り逃げするだろう。

 しかし、イジュウインを買った奴隷商人は普通ではなかった。

「商売人としての勘が、イジュウインを殺さない方がいいと言っていたとか。あと、商人は信用が命だそうだよ。実際、エッポほど誠実で優秀な奴隷商人はほかにいないんじゃないかな」

「あぁ……。イジュウイン様を売ったのはエッポ様でございましたか……」

 イジュウインとの売買が縁となり、エッポからは娼館で働いてもらう奴隷を大量に買い付けていた。エルヴィーラが窓口となっているため、エッポとは知己である。それゆえの納得だろう。

「――承知いたしましたわ。途中、お恥ずかしながらも少々取り乱し、話をそらしてしまい誠に申し訳ありませんでした。そして、わたくしにツェーザル様の秘密を打ち明けてくださったこと、恐悦至極。光栄に存じますわ」

 エルヴィーラは席を立ち、ツェーザルの前で跪く。

わたくしエルヴィーラは、改めてここにツェーザル様に忠誠を誓いますわ」

「ありがとう。安心したよ」

「とんでもないことでございます。わたくしがツェーザル様を忌避することなどあり得ませんわ。もちろんイジュウイン様もです。――ただ一つ、僭越ながら言わせていただくとすれば、五神教では神からの寵愛の証である髪を染める好意は禁忌とされておりますわ。くれぐれもご注意くださいませ」

 エルヴィーラの忠告に、ツェーザルは肩をすくめて返答とした。

 ツェーザルの髪色は、暗い青インディゴ

 わざわざ脱色してから染めたのは、この異世界での白と黒の定義が分からなかったからだ。脱色せずに白色で染めれば灰色っぽくなるが、それが異世界人的に黒だと認識されては意味がない。だから、髪が伸びて根元が黒くなっても目立たないであろう暗いインディゴに染めたのだ。

「大将が秘密を打ち明けてくださるのは家臣として光栄ですがね。なぜ今なんです?」

「僕らの信頼関係をより強固なものとするため、かな。フェリクス――王女派もそれなりに僕たちのことを調べ上げてたみたいだしね。もしかしたら、忌子であると知られてしまうかもしれない。第三者から『コルダナ男爵は忌子らしい』と聞かされるくらいなら先に言っておこうと思ってね」

 弱味は隠しているからこそ弱味となる。逆にいえば隠していなければ弱味は弱味になりえない。

 お前のとこの領主は忌子らしいぜ、と言われたところで先に知っていれば『だからどうした』となるからだ。

 だからこそ、弱味になる秘密は徹底的に潰しておくべきだろう。

「フェリクス――王女派の推測は根本的に間違ってるのは分かってくれたと思う。僕は病で伏せていたのではなくて、忌子だから隠されていたんだ。そしてもう一つ。勘違いしていることがある。世間では前コルダナ男爵が自死したことになっているけど、真実は違う。僕が領主になるために謀殺したんだ」

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