第18話
「殿下。ただいま戻りました」
フェリクスが跪いた先には、麗しい女性がいた。
複数の神から寵愛を賜った忌子の名は、リア・ファーテンブルグ。
ファーテンブルグ王国アレクシス・ファーテンブルグ国王の妹だ。
今年で十九歳になるが、王族の役目である国内外の有力な貴族と婚約どころか婚姻すら結べずに行き遅れの年齢に片足を突っ込んでいた。
王族から忌子が産まれたなど口外できるはずもないのだから当然の成り行きだろう。
そうとは知らない国民は、やれ男嫌いなのだとか、
もちろん、そのすべてが完全な的外れであった。
リアは常々恋をしたいと嘆いているし、
この秘密を知っているのは、
出産に立ち会った助産婦や助手などは、すでにこの世にはいない。
さらに言えば、前国王が崩御する前から妃と
そんな一時も気が抜けない環境に置かれながらも、奇心旺盛で、まっすぐな性格に育ったのはもはや奇跡と言っても過言ではないだろう。
孤児院や医療院を建設し、五神教会にも積極的に金銭的な支援をしながら自らも進んで炊き出しに参加している。
人前に出るときは左目に眼帯をつけなくてはならないが、そんな装飾品でリアの美しさは損なわれたりはしなかった。さらに王妹という高貴な身分にもかかわらず、
明るくて親しみやすい性格とくれば、国民からの評判が悪いはずがない。
ただ、一つだけ欠点があるとすれば、明るくて親しみやすすぎる……といったところだろうか。
「おっつー。噂のコルダナ男爵はどんな感じだったー?」
王族としての品位の欠片すら残さない、砕けすぎたリアの言動は平常運転。長年の付き合いであるフェリクスはもう慣れたものだ。
「ハッ。恐ろしく聡明なご仁でございました。我々が接触してきた意図を正確に見抜いており、私が言及するよりも先に国王派の不利益となる情報を提供してきたほどです」
「マジで!? ちょーウケるんですけどっ!? キレッキレじゃん!」
「当人だけではなく、家臣も逸材ばかりでございました」
「すごいフーゾク嬢がいるのは聞いてるけど、それ以外ってこと?」
「はい。アリアニアの傭兵団『ダイサッカイ』の団長が護衛をしておりました。また、
「なにそれヤバくない?」
『ダイサッカイ』団長イジュウインの勇名はファーテンブルグでも轟いていた。
味方に彼の傭兵団がいれば士気は天井知らずに上がり、敵に彼の傭兵団がいると聞いただけで練度の低い兵士は逃げ出したという。
精強な傭兵団ではあったが、常勝不敗ではなかった。勝率は五分五分。あくまで傭兵団はその場限りの助っ人なのである。覆しようのない戦局もあっただろう。
それなのに『ダイサッカイ』が畏れられているのは、最後まで戦い抜くからだ。
傭兵は基本的に戦況が悪くなれば雇い主を見捨てて逃走する。死んだらそこで終わり。生きていれば何とかなる。良くも悪くも、それが傭兵という生き物だ。雇い主もそれを承知で契約を結ぶ。
しかし、『ダイサッカイ』は不利になろうとも、たとえ雇い主の兵士たちが全滅しようとも戦場に残り戦い続けるのだ。相手としたら溜まったものではない。優勢が決すれば兵士の損失は可能なかぎり抑えたくなるのが心情。それなのに精強な傭兵団が最後の最後まで抵抗してくるのだ。
逆に劣勢側は、それを逆手にとって少しでも良い条件での和平交渉が可能になる。
そんな異常ともいえる傭兵団を築き上げた団長が家臣として仕えているのだから、ヤバいというリアの感想は至極当然のものであった。
それに、嘘を見破る
「殿下の仰る通りにございます。そして、コルダナ男爵が提供してきた国王派の不利益となる情報もまた恐るべきもでございます」
偽メフィレスの危険性。そして、それを市場から一掃する方法を聞いたリアの反応は、いささかフェリクスが予想したものとは異なっていた。
対立派閥の収入源を根絶やしにするだけではなく、国家を崩壊させかねない劇薬をばら撒いた責任を追及し、国王派の勢力を大きく削れる千載一遇のチャンスである。
それなのに、リアは顔に歓喜の色はなかった。
「メフィレスの原材料がケシの実って……それまんま
「――殿下?」
思わず声を掛けずにはいられなかった。
いつもの陽気さは鳴りを潜め、嵐の前の静けさのような怖さを感じる静寂。
視線だけを動かして主の顔を伺えば、表情がごっそりと抜け落ちていた。
感情の抜けた
「フェリクス。コルダナ男爵の容姿はどんなだった?」
「容姿……でございますか……。身体は鍛えているようでありましたが細身で――」
「違う顔! 髪の色は!! 瞳の色は!?」
鬼気迫る形相で両肩を掴まれた。ひっ……と悲鳴を飲み込み、フェリクスは言った。
「か、髪の色は
「バカなの!?」
思いっきり頭を叩かれた。
非力なリアの平手打ちは肉体的にまったく痛みを感じなかったが、精神的には吐血しそうなほどの致命傷をフェリクスに与えていた。
「で……殿下……なにを……」
「なんで気づかないの!? 外に出るとき、わたしは眼帯をつけてるよね!? それはなんで!? コルダナ男爵はなんで目を布で覆ってるの!? メフィレスの存在は!? 『軽井沢』はなに!? 十五年も病に伏せていた少年がどうやったら誰も知らないものを短期間で生みだせるっていうの!?」
「…………ッ!!」
(――なんと愚かな……)
フェリクスは愕然とした。
ツェーザルが目を布で覆っているのは、目が不自由だからと常識に、先入観に囚われていた。
この年まで生きている忌子はいないと思い込んでいた。
目の前にその例外がいるにもかかわらず、だ。
髪と瞳の色が異なるから目を布で覆っている――そんな憶測は邪推でしかない。
しかし、十五年間も病で伏せていた少年が、国の誰もが知らない
この事柄が組み合わさって始めて、ツェーザルが忌子ではないのかという根拠のある推測が成立する。
なぜならば、リアがまさにその体現者だからだ。
これまでファーテンブルグには孤児院という概念は存在しなかった。親が死に、あるいは捨てられて行き場を失った子供たちは野垂れ死ぬか、スラムでいつ死ぬか分からない生活を送るしかない。
それを五神教の『我々は神のご寵愛を賜った。そのご寵愛は善い行いをするために神が授けたものである』という教えにこじつけ、領主がせめて主要都市だけでも孤児院を設立しなければならないような風潮にさせたのだ。
さらには衛生概念の周知徹底である。孤児院と同様の理由で医療院を設立させ、手洗いうがい、ひいては人や馬の排泄物の処理方法を徹底させた。これまでは道端に捨てるのが常識であったが、集積場所を定め、郊外に用意した専用の穴に破棄して一定量に達したら土を掛けて埋める。
これによって各領地の疾病率が激減するという途轍もない実績を上げた。
排泄物の運搬や穴掘り作業はスラムの住民の仕事とし、彼らの新たな収入源を創出したのも見逃せない功績だろう。
第三者からすれば聞くに値しない共通点かもしれないが、当事者からすれば根拠とするには十分だった。
「フェリクス! コルダナ男爵と仲良くなりなさい! まずは国王派に群生するケシの実を一掃しちゃって! 全力でコルダナ男爵のメフィレスが再販できるように支援をヨロシクね!」
「――かしこまりました!」
ルプン伯爵邸。
その執務室で主が不機嫌に笑いながら官吏の報告を聞いていた。
「――ちょっと俺の危機違いかな? もう一度言ってくれる?」
「か……、『カルイザワ』に向かわせた工作員がすべて捕縛され……作戦は失敗……いたしました……」
「先月も同じ報告を聞いたような気がするんだけど、気のせいかな?」
「い……いえ……。ルプン様のお記憶に間違いはないかと……」
トンベック伯爵領の保養都市フェルローデから、『カルイザワ』に流れてしまった顧客を取り戻すのは容易ではない。品質で劣っているとなればなおさらだ。
正攻法でいくならばフェルローデの品質を向上させるのが間違いのない方法だろうが、どうしても時間がかかる。
ルプンとしては短期間で成果を上げたい――となれば、取りうる手段は邪道しかない。
『カルイザワ』へと工作員を向かわせ、治安を悪化させるのだ。
飲食店に入ればガラの悪い客が給仕に絡み、料理に難癖を付けている。
酒場に入れば酔った客同士が殴り合いの喧嘩をしている。
旅館に泊まれば夜中まで騒ぐ客がいてゆっくり眠れない。
道端ですれ違えば肩がぶつかったと言いがかりをつけられて金を強請られる。
女だけの旅行者がいれば、昼夜関係なく物陰に連れ込み強姦する。
なんだかよく分からない言葉を叫びながら男が店の窓を叩き割っている。
――果たして、そんな保養所に誰が行きたいだろうか。
噂は良いものでも悪いものでも瞬く間に広がっていく。
貴族たちの間で話題のとなっている『カルイザワ』のことであればなおのこと。
その結果、『所詮は男爵が興した保養地。やはり由緒あるフェルローデが一番だ』と客が戻ってくる。そんな筋書きだったのだが――
(肝心の治安を悪化させられないんじゃ意味ないんだよねぇ)
「あのさー、無能はいらないんだよねー。ちゃんと原因を調べて対策は打ったの?」
「も、もちろんでございます……ッ」
「じゃあなんで失敗したの?」
「そ……、それは……警備が予想以上に厳重で……」
「はいバカ―。はい無能ー。君もうこなくていいから」
「――ッ!? ルプン様! どうかご寛恕を! 銅か今一度私に機会を下さいませ!」
「衛兵!」
ルプンが声を上げると、外に控えていた衛兵が即座に入室してくる。
「それ、目障りだから摘まみだしちゃってー」
「ハッ」
「ルプン様! 何卒、何卒……ッ!」
官吏が悲痛な声を上げながら衛兵に引きずられていく。
執務室の扉が締められてもなお、その声は聞こえてきたが、次第に小さくなって、やがて聞こえなくなった。
執務机の椅子に腰かけなおしたルプンは忌々しそうに舌打ちをする。
「傭兵風情が生意気な……ッ。戦闘だけじゃなくて警備も規格外とはね……」
傭兵団『ダイサッカイ』の団長イジュウインは、個の武勇に優れているだけではなく、指揮官としても有能。さらに教導者としても超一流であるというのは有名な話だ。
しかし、警備までこなせるとは聞いていない。
「コルダナ男爵も厄介な人物を見つけてきたもんだね……」
ルプンは、作戦に失敗した官吏を無能だと罵ったが、本当に無能であったなら家臣に登用していない。
今回の件は、今回の件はイジュウインが優秀過ぎたのだ。
(これ以上、貴重な間者を失うわけにはいかないからね……)
「仕方がない。俺が自ら――」
「ルプン様!」
執務室の扉が乱暴に開けられ、官吏が転がるように入ってきた。
ノックもなく開けられたことに不快を感じ、さらに官吏の様子から火急の用件――それも良くない事柄であると察せられ、加速度的に機嫌が悪くなる。
「……なに?」
底冷えするような視線と言葉を投げつけられた官吏は、職務に忠実だった。あるいは、主が不機嫌だと感じられないほどに動転していたのだろう。
プルンの手前で跪き、臆することなく言い放った。
「報告いたします! ケシの群生地が全焼したとのこと!」
「………………」
まったくもって予期していなかった報告に言葉を失った。
(こいつはいったいなにを言ってるんだ?)
感情が真っ先に理解を拒む。一方、理性が冷静に報告を分析する。
(ケシの群生地が全焼? 誰がやった? 王女派か、コルダナ男爵か。あるいは両方――いや、コルダナ男爵の線はない。いくら『カルイザワ』でも所詮は男爵。貴族としての格も領地の規模も違う。喧嘩を売っていい相手かどうかの判断もできないようなバカではないはずだ。……そもそも国王派に属する貴族の領地すべてにケシの群生地が存在する。焼かれたのは誰の領地だ?)
「いますぐシャハナー侯爵とローテンベルガー伯爵に早馬を出せ。被害状況を――」
「ルプン様!」
別の官吏が執務室に駆け込んできた。
「なんだ!」
「シャハナー侯爵より急使が参りましたが――」
「通せ!」
「いえ……それが……、昼夜問わず馬を替えて飛ばしてきたようで、言伝を残して気を失いまして……」
ここにきて、ようやく感情が理性に追いついた。
ルプンは深呼吸を三度して気持ちを落ち着かせると駆け込んできた官吏に問う。
「急使の言伝を聞こう」
「シャナ―侯爵領のケシの群生地が全焼! 目撃者の証言から王女派の可能性大。同時に王女派がコルダナ男爵が接触していたとのこと。貴殿も気をつけられたし――以上です」
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