第16話
「王女派……? たしかフェリクス様と話していた時、ツェーザル様が言ってましたよねー?」
「あぁ、フェリクスには濁されたけどね」
「大将、申し訳ないんですが某はまだファーテンブルグの情勢に明るくないもんで。ちっと説明してやくれませんかね?」
「そうだね。ちょうどいい機会かな」
アウレリアの教養はツェーザルの前世の知識が元となっているためファーテンブルグの社会事情についてはどうしても疎くなる。
イジュウインもファーテンブルグにきて三年しか経っていない。
(クラウスは……説明する必要もないか)
王宮に仕えていたのだから、ある意味誰よりも詳しいはずだ。
「エルヴィーラ。悪いけど簡潔に説明してくれるかな?」
「かしこまりました」
エルヴィーラは娼婦の格好のまま恭しく頭を垂れた。
コルセットで小さくしているとはいえ、艶めかしい胸元が見えそうでイジュウインが慌てて目をそらす。
「ファーテンブルグはいま、三つの派閥の分かれておりますわ。東の隣国リュプセーヌに戦争を仕掛けようとしている国王派。それを阻止しようとしている王女派。そのどちらも属さずに静観している中立派。勢力は五対三対二といったところですわ。国王派が過半数を占めているため、ファーテンブルグは水面下で着々と戦争準備が進められておりますの」
「はーい! エルヴィーラ様、
「こいつぁ変則的な三つ巴って感じですかね。王女派としては中立派を取り込んで五部に持ち込みたい。あるいは少しでも国王派を切り崩して味方にしたい。国王派は中立派が王女派になるのは断固阻止しつつ取り込んで勢力を増強できたら僥倖……って具合ですかね」
アウレリアが率直な疑問を言い、イジュウインは口に手を当てながら勢力図の分析を口にした。
エルヴィーラは
「まずはアウレリア様の疑問から回答いたしますわ。たしかにファーテンブルグは食料自給率が低く、他国からの輸入で賄ってます。ですが、リュプセーヌとの国境付近にある穀倉地帯を切り取ってしまえば解決する――というのが国王派の主張ですわ。もっとも、切り取れれば……の話ですけれど。イジュウイン様の分析はまさにその通りですわ。だからこそ王女派のフェリクス様がツェーザルに接触してきたのは正にそのため」
「切り取ってしまえばー……って、その言い方だとエルヴィーラ様は切り取れないと思っているように聞こえますけどー?」
「解せませんな。
再びの二人同時の質問にエルヴィーラはノータイムで答えていく。
「先代の国王陛下は聡明な御方でしたわ。そのような御方が東西の両国に対して融和政策をなさっていた。当時王太子殿下であらせられたアレクシス様の『リュプセーヌに進行すべき』という主張を退け続けていたことからも穀倉地帯の切り取りが難しいとお考えであったと察せられます。国王派がどのような算段をつけているか分かり兼ねますが、リュプセーヌに戦争を仕掛けた瞬間から食料の輸入はできなくなりますわ。アウレリア様はアルアリア一国で戦時下の消耗に耐えられると思われます?」
「…………理解ました。あれですねー、国王派の人たちは輜重を軽視してるって話ですよねー」
「シチョウ……?」
軍事用語に明るくないエルヴィーラは首を傾げ、逆にイジュウインが感心したように頷いた。
「アウレリア嬢は博識ぶりには毎度驚かされやす。エルヴィーラ嬢、輜重ってのは軍需人の総称で、この場合は糧食ってことになりやす」
「イジュウイン様、ご教示感謝いたしますわ。アウレリア様の言うとおり、リュプセーヌと戦争になればアルアリアだけでファーテンブルグの食料需要を満たすのが極めて困難だからですの。フェリクス様の態度がおかしかったのは、ツェーザル様が国王派の手の者ではないかと疑っていたからですわ」
「大将が? なんだってそんな疑いを掛けられなきゃならないんで?」
「
エルヴィーラの言葉を受けて、イジュウインは顎に手をあてて黙考する。
彼は武闘派ではあるが、脳筋ではない。専門外のことについては疎いものの、専門外だからと言って思考放棄するような短絡的な人間ではなかった。
ほどなくして、イジュウインは一つの結論に辿りついた。
「………………たしか、偽
「さすがはイジュウイン様。話が早くて助かりますわ」
「これだけ手がかりをくれりゃあ、いくらバカな某にも分かりますぜ」
王女派は、前コルダナ男爵の嫡男はすでに死んでいる考えている。
公衆衛生の概念が一般化されているとはいえ、医療技術は中世レベルでしかないこの異世界において、病を抱えて産まれてきた赤子は死んで当たり前の世界だ。
その死んでいるはずの嫡男が生きているとなれば、奇跡だと思うよりも誰かが成り代わっていると考える方がはるかに現実的かつ合理的である。
DNA鑑定などないこの異世界では主張したもの勝ち。成り代わっていないという証明を証明できない。まさに悪魔の証明だ。
ただし、誰でも出来るわけではない。
吹けば飛ぶような木っ端貴族の嫡男であること、生後直後に幽閉されたこと、事実を知っている者が生きていないこと。
この三つの条件が揃ったからできたことである。
もし王族や有力貴族ならば無理な話だっただろう。
このまま何もしなければ、誰の目にも止まなかったはずだ。
しかし、ツェーザルは
その後、狙いすましたかのように国王派が偽
ツェーザルからすれば国王派にパクられただけなのだが、王女派はそうは捉えなかった。
国王派が送り込んだ者が本物のツェーザルと入れ替わり、コルダナ男爵となったのではないか、と。
根拠は後追いで国王派が偽
国王派の指示で偽ツェーザルに新商品の開発および試作品の販売を行わせていた。十中八九失敗するだろうが、国王派の懐は痛まない。もし万が一にでも成功したら成果を根こそぎ奪えばローリスク・ハイリターンだ。
事実、
王女派的には完全にクロだ。
さらにもう一つ。
コルダナ男爵は本物であるとしたならば、十五年も病に伏せていたことになる。
そのような者が
普通に考えてありえない。
国王派がレシピを提供し、試作させていたと考えた方が筋が通る。
「フェリクス様は、ツェーザル様が
「ケシの実の群生地に火をつけるってヤツでやすね。偽
イジュウインは頷いて納得し、しかしすぐに眉根を寄せた。
「大将。もし違ってたら悪いんですが、ケシの実の群生地に火を放つのは王女派じゃなくても……それこそ某らにもできたんじゃないですかい?」
「イジュウイン様。国王派は派閥に属している貴族に協力を求めているはずですわ。それがどれだけの規模だと思いますの?」
エルヴィーラが呆れ顔で言い、ツェーザルも苦笑しながら会話に加わった。
「説明ありがとう、助かったよ。エルヴィーラの言うようにあまりに範囲が広すぎて僕らじゃ手に負えないからね。いずれ王女派が接触してくるのは分かっていたことだから、それまで待ってたんだよ。王女派が動けば国王派が気づかないはずがないからね」
「待ってた……? どういうことですかい?」
「王女派が動く前にケシの群生地を燃やせば誰がどう見ても犯人は
「……たしかに」
「でも王女派が動いた今ならば、犯人は誰がどう見ても王女派になるよね」
「つまり…………面倒事を王女派に押し付けたってわけですかい?」
「イジュウイン、言い方。まぁ事実なんだけどね。男爵単独と派閥だったらどっちの方が国内最大派閥の圧力に耐えられるかって話だよ。僕は面倒事を避けられるし、王女派も偽
ケシの群生地を焼失させれば偽
国王派の金策を潰せるというメリットが一つ。
さらに危険薬物な薬物を流通させたという理由で公然と国王派を糾弾できる。
ある意味、文春砲のようなものだ。
これで少しでも国王派からの離反や非協力的な者がでれば儲けもの。
ついでに国王派にとって不利益な行動を取ったツェーザルは、国王派が送り込んだ偽物という疑惑を多少は緩めてくれるはずだ。あえて不利益になる情報を提供して誤魔化したという線も考えていはずなので、王女派の心証としては黒に近いグレーから白いに近いグレーになった感じか。
もっとも、偽物疑惑を解消できたわけではないので今後もフェリクスが接触してくる可能性は高い。
「さすが大将ですぜ。エルヴィーラ嬢が神プファイルフィーダンよりも未来を見通せると言ったのも頷けやす」
「ちょ……!? それ誰にも聞かれてないよね!! 大丈夫だよね!?」
イジュウインの言葉にツェーザルはガチで焦った。
この異世界には、五神を信仰している宗教団体が存在する。
ファーテンブルグだけではなく、リュプセーヌやアルアリアなど、北方大陸の各国が国教として認めているため、その影響力は計り知れない。
もし、その宗教団体に今の発言が噂レベルでも伝わったとすれば死活問題だ。
(宗教関係はガチでヤベーからな……)
一度、真剣にエルヴィーラと話し合うべきか……と考えていたところ、アウレリアが控えめに手を挙げた。
「あのぉ、ツェーザル様……? 王女派に恩を売ったってことは王女派になるってことですー?」
「今のところ様子見かな」
国王派になるつもりは絶対にない。
だが、
ツェーザルの目的はテンプレ悪徳領主ライフである。
その障害になるようであれば中立を貫くつもりであるし、利害が一致するならば一時共闘もやぶさかではない。
(そろそろ頃合いだな)
今回の騒動の発端は、ツェーザルの出生と生い立ちにあるのは間違いない。
いずれは嗅ぎつけてくるだろうとは思っていたが、想像以上に早く、後手に回ってしまった。
いまは上手く誤魔化せたが、今後もそうだとは限らない。
秘密は秘密にしているからこそ弱味になる。事前に周知しておけば脅迫の材料になりえない。もう知ってるけどそれなにか? と開き直れるわけだ。
もちろん、周知する相手は厳選する必要がある。
「アウレリア。これからちょっと込み入った話をするから、その前に飲み物を持ってきてくれるかな?」
「あ、はーい。分かりましたー」
アウレリアは素直に頷いてミニキッチンへと足を向けた。
ほどなくして戻ってきたアウレリアは、それぞれに好みの飲み物を配っていく。
ツェーザルにはブラックコーヒー。ちなみに仕事中ならミルクのみ。交渉後はミルクと砂糖が入れられている。
イジュウインには暑くて濃い緑茶。エルヴィーラには薄めの紅茶だ。
高級娼婦の個室に備え付けてあるものなのでどれも高級品だが、自宅であればさらに豆や茶葉も好みのものが使われる。
最後にアウレリアが自分用の果実水をもって隣に座った。
準備が整ったところで、神妙な顔をしているエルヴィーラとイジュウインに視線を向ける。
「さて、込み入った話をする前に一つ質問団だけど、ジュウインの国では病を患って生まれてきた赤子はどのくらいが成人できるものなの?」
「そりゃあ、一人いれば奇跡ってもんですぜ」
「なるほどね。エルヴィーラ、それは
「もちろんですわ」
「うん。よく分かったよ。フェリクスも言ってたけど前コルダナ男爵の嫡男が重たい病をもって産まれてきた。なら、僕が生きているのは奇跡ってことになるよね?」
「仰る通りかと」
「何をいまさら。ツェーザル様の存在こそがまさに奇跡ですわ」
イジュウインとエルヴィーラの言葉を受け止めながら、ツェーザルはアウレリアを見た。
話の流れから、ツェーザルがなにを話そうとしているのか察したのだろう。
それだけ心が軽くなった。
世界のすべてが敵になったとしても彼女だけは味方でいてくれると確信できる。
誰も信じられなった前世では考えられない感情だ。
秘密を明かし、受け入れられなかったとしても。
アウレリアがいてくれるのならば、それだけでいい。
腹は決まった。
ツェーザルは目を覆っていた紗を手にかけ、一気に取り払う。
「――ッ!?」
現れたぬばたまの黒い瞳を見て、エルヴィーラは絶句した。
五神を信仰しているこの大陸において、髪と瞳の色は重要な意味を持っている。
五神教は、人はだれもが一柱の神から寵愛を賜って産まれ、その証が
五柱の神々は、それぞれ五官を司り、赤、青、白、緑、黄の象徴色をもっている。
例えばアウレリアの髪は
ちなみに司っている五官は聴覚。アウレリアの嘘を看破する
そして、黒を象徴色とする神はいない。
五神教は、神の寵愛を賜っていない者、二柱以上の神から寵愛を賜っている者は忌子し、判明した時点で命を奪うよう教徒たちに教えていた。
ツェーザルが紗で目元を覆い隠していた理由がまさにこれである。
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2024/7/24:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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