第15話

「いや、本当。なにを言っているか分かりませんね」

「――ふぅん。なら言い方を変えようかな」

 フェリクスはテーブルに両肘をつき、手を組んだ。

は重たい病をもって産まれてきたらしいね」

「それがなにか?」

「前コルダナ男爵が亡くなったタイミングで都合よく病気って治るものなのかな?」

「実際に僕はこの通り元気なわけですし、そうとしか言いようがありませんね」

(…………なるほど。コイツは俺が偽物だと言いてぇわけか)

 ツェーザルを本物のコルダナ男爵の嫡男だと思っているならば、これまでの会話どおり貴殿と言ったはずだ。

 前コルダナ男爵が亡くなったタイミングで、本物の嫡男を謀殺して成り代わっていたツェーザルが表舞台に現れたのではないか。

(なかなかキレるじゃねぇか)

 大筋は間違っていない。

 だが前提が逆だ。

 前コルダナ男爵が亡くなるタイミングを待って表舞台に出たのではない。

 表舞台に出るのにベストなタイミングを待って前コルダナ男爵を謀殺したのだ。

 致命的な勘違いをしたまま、フェリクスの追及は続く。

「その目は後遺症かなにかかな?」

「そうですね。人に見せられるようなものではありませんので」

「なら余計に不思議だね。目が不自由なのにどうやって字を習ったのかな? それに十五年も病に伏せていた者が元気になった途端、この国の誰もが知らない麻薬嗜好品を生みだせるものかな? 販売や隠蔽方法も子供が考えて出来るようなレベルじゃないよ?」

(――ん?)

 フェリクスと言葉に、違和感を覚えた。

 普通に会話が成立しているのに、それを不自然だと感じてしまっている。

 今だけではない。数度交わしたフェリクスとの言葉にときおり混ざるノイズのような違和感があった。

 だが、その追及はあとでいい。

 いますべきはフェリクスにこちらの情報を一切渡さずに追い返すことだ。

「別に十五年間ずっと寝込んでたわけじゃありませんからね。調子のいいときは部屋で色々と勉強していたんです。専属の女使用人メイドが優秀だったので、目がこんなんでもなんとかなりました」

「ふぅん……」

 嘘偽りのない事実ではあるが、フェリクスは作り話だと思っているに違いない。

 偽物疑惑を晴らす決定的な証拠を見せなければ納得しないだろう。

 だが、それを見せてしまえばアウレリアとイジュウイン以外――それこそ国中の除いた国中の人間が敵に回る。

 もしかしたらエルヴィーラは味方になってくれるかもしれないが、クラウスは難しいかもしれない。

 それほどの爆弾

 それは――前コルダナ男爵の嫡男ツェーザルが忌子であるということ。

 重たい病をもって産まれてきたた。前コルダナ男爵のその言葉が真っ赤な嘘なのだ。

 ファーテンブルグにおいて忌子は、判明した瞬間に殺さなければならない。そういう風習がある。

 しかし、なにを思ったのか前コルダナ男爵は殺さず、山小屋へと幽閉した。

 重病で尚且つ人に感染すうつる病だとでも言ったのだろう。そうすれば、誰も山小屋に足を向けようとは思ない。

 そして、口封じのためにお産に立ち会った産婆をすべて殺した。息子の病が感染うつったのだろうとでも言えば完璧だ。殺害は疑われず、逆にツェーザルの病の信憑性を高められる。

 実母はツェーザルを出産後、一ヵ月と経たず他界。忌子を産んでしまったのが相当にショックだったのだろう。

 実父の前コルダナ男爵はツェーザルが自ら謀殺した。

 乳母であるアウレリアの母――アデーレも亡くなっている。

 真実を知っているのは、最早ツェーザルとアウレリアの二人だけしかいない。

 だからこそ、フェリクスがどれだけ嗅ぎまわってもバレることはなく、どれだけ問いただされても口を割るわけにはいかなかった。

 いずれ真実を明かさなければいけない時がくるだろうが、まだその時ではない。あまりにも準備不足すぎる。

(問題はどうやって目の前の野郎にお引き取り願うかだが……)

 手ぶらで帰ってくれるような相手ではない。が、逆にいればツェーザルの秘密と同等かそれ以上、あるいは早急に帰らなければいけないような情報《手土産》を与えてやればいい。

 ヤクザ社会で揉まれてきたツェーザルの観察力も並大抵のものではなかった。

 まず、偽麻薬メフィレスを販売しているのが国王派という事実。

 そしてツェーザルを偽物だと疑っていること。

 最後にエルヴィーラから得たファーテンブルグの情勢。

 これらを繋ぎ合わせれば、フェリクスがツェーザルと接触してきた理由に辿りつく。

「ところで偽麻薬メフィレスですが、アレって取り締まったりできないものですか?」

「いきなり話題を変えてきたね? ――まぁいいか、付き合ってあげるよ。取り締まるというのはどうしてだい?」

「どうしてもなにもフェリクス殿が言ったことでしょう? 再販の予定はないかって」

「あれはカマ掛けで言っただけだよ。取り締まるのは無理じゃないかな。偽麻薬メフィレスは多くの有力貴族が愛用しているからね。取り締まる話が出た瞬間に圧力を掛けられて終わりさ」

「王女派なら取り締まれるんじゃないですか?」

「さぁね。王女派の内情までは知らないから分からないけど、できないこともないだろうね。でも、する理由がないよ。メリットよりもデメリットの方が大きいのは間違いなからね」

 またしても違和感を覚える。

 だが、フェリクスの返答に不自然な点は一つもない。

 アウレリアの嘘をついた合図咳払いもない。

 釈然としないまま、違和感を頭の隅に追いやり、ツェーザルはフェリクスの深い紫みの赤ラズベリーの瞳を見つめた。

「では、利点が大きければ動いてくださると?」

「利点があれば、ね」

「(言質はとったぜ? せいぜい働いてくれよ?)では麻薬メフィレスの元締めとして偽麻薬メフィレスの危険性をお伝えしなければなりませんね。偽麻薬アレは三本くらい連続で吸ったら死ぬような劇薬ですよ」

「おいおい、そんなくだらない冗談、俺が信じるとでも?」

「冗談だとでも? フェリクス殿には相応の観察力があると思ってたんですけどね。僕の思い違いでしたか」

「ははは、貴殿も演技が上手だな。役者になってみたらどうだ?」

 嘘やハッタリが見破れるほど観察力が優れているフェリクスだ。ツェーザルが嘘を言っていないことぐらいお見通しだろう。

 それでも否定してくるのは感情の問題である。

 受け入れがたいほどに信じられない。信じたくないのだ。

 だからツェーザルは無言でフェリクスを見つめ続ける。

「…………」

「…………」

 数秒、十数秒、数十秒と時間が経過するほど、フェリクスの顔が歪んでく。

「…………マジなのか……?」

 フェリクスがようやくツェーザルの言葉を受け入れた。

 同時に、フェリクスは偽麻薬メフィレスをただ気持ちよくなるだけのクスリ程度にしか認識していなかった証左でもある。

 話の主導権を取り戻したツェーザルは、子供に算数を教えるような、ゆっくりとした優しい口調で言った。

麻薬メフィレスは、例えるならば酒と同じですよ。適量ならば構いませんが、度を過ぎれば害になる。偽麻薬メフィレスを生産販売している人たちは、ただ真似ただけだから気づかなかったんでしょうね。嘘だと言うなら、適当な重罪人に試してみてください。その結果が有力貴族たちの末路です」

麻薬メフィレスと偽麻薬メフィレスの違いは分かった。しかし、その末路ってのが想像がつかないね。いったいどうなってしまうんだい?」

 ツェーザルはアウレリアに目配せをした。

 小さく頷き、アウレリアはミニキッチンへと向かう。

「初期症状は、偽麻薬メフィレスを吸うのを止めると激しい身体の痛みや嘔吐感に襲われます。偽麻薬メフィレスを吸えば症状が治まるわけですから、吸うのを止められなくなる。悪循環ですね。偽麻薬メフィレスを買う金がなくなれば、家財を売ったり借金する程度ならマシな方でしょうね。強盗や家族を奴隷商に売り飛ばすぐらいは平気でやりかねません」

「バカな……。誇りある貴族が強盗や身内を奴隷商に売るわけが……」

「あるんですよ。偽麻薬メフィレスを買うことしか考えられなくなってしまう。それだけ恐ろしい薬なんです」

「貴殿は……、そんな恐ろしい効果があると分かっていて売っていたのかい……?」

「先ほども言いましたが、危険なのは偽麻薬メフィレスであって、麻薬メフィレスではありません。もっとも、過剰摂取すれば危険であることは否定できませんが、だからこそ一定の購買制限を設けていました」

「あぁ……あれか……。あれはそういう理由が……。ようやく納得できたよ。売れ筋の商品になんで制限を掛けるのか不思議に思っていたんだよ」

 フェリクスは疲れたように息を吐いた。

 一回の購入につき十本一組まで。再購入できるのは十日後。つまり、すべての麻薬メフィレスを吸いきったあとだ。

 ちょうどいいタイミングでアウレリアが珈琲と紅茶をもって戻ってきた。

 ツェーザルの前にはブラックの珈琲が。フェリクスの前には角砂糖が二個添えられた紅茶が置かれる。

(角砂糖二個にミルクなしの紅茶がフェリクスの好みってわけか。エルヴィーラめ、抜け目がねぇな……) 

 ツェーザルはカップを持ち、珈琲の香りを楽しみながら口に含んだところで話を再開した。

「それで偽麻薬メフィレスの危険性の続きなんですが、吸い続けると意識も定まらずに朦朧とした状態になったり、壁や床に身体を打ち付けたり、錯乱状態になります。そして最終的には自ら命を絶つか――この場合、本人は死のうとは思っていないでしょうね。気持ちいいから高い建物の上から飛んでみた。その結果、地面に叩きつけられて死んでしまうわけです。あとは廃人か、心臓が耐えられずに止まってしまうか。まぁロクな死に方じゃないでしょうね」

「………………」

 フェリクスの顔が青ざめた。カップをもった手が微かに震えている。紅茶が零れてしまうのを心配してカップがソーサーに戻した際、カチカチカチカチと音が鳴った。

 おそらく、ツェーザルが口にした症状の人物に心当たりがあるのだろう。

 だからこそ、あえて口にした。

「偽麻薬メフィレスを愛用している有力貴族の中で常に偽麻薬メフィレスを吸っているような人はいませんか?」

「…………いるね」

「その人は完全に中毒者ですよ。何人いるか知りませんが、多くの有力貴族がそんな状態になったら…… この国はどうなるでしょうね?」

「……………………」

 フェリクスは頭を抱え込んだ。

(まぁそうだろうな)

 有力貴族な在地、法服を無理やり前世の職業に当てはめれば知事や議員、高級官僚になる。

 彼らがある日突然ヤク中になってしまったら?

 フェリクスの咎めるような視線がツェーザルを射抜いた。

「貴殿はこうなると分かっていてなぜ手を打たなかったんだい?」

「取り締まる話が出た瞬間に圧力を掛けられてる分されるのがオチだね……と言ったのはフェリクス殿ですよ? たかが男爵ごときに何ができるというのです?」

「ぐっ……」

 ツェーザルの呼び名が貴殿に戻っている。

 フェリクスの中で、優先順位がツェーザルの偽物疑惑から偽麻薬メフィレスに入れ替わったのだ。

 ここでツェーザルはとどめの一手を刺した。

「少し嫌味が過ぎましたね。男爵如きでは潰されてしまうので実行に移せなかっただけで、偽麻薬メフィレスを市場から一掃する手段ならばありますよ」

「ほ、本当かい!?」

「えぇ。ただ、これを実行するためにはもう時間はほとんど残されていません。これを聞いたらすぐに帰らないと間に合わなくなります」

「構わない! すぐにでも教えてくれ!!」

 良い食いつきっぷりだ。

 それだけ偽麻薬メフィレスに侵されている有力貴族が多いのだろう。

 これで情報を一切渡さずに追い返すことに成功した。

「分かりました。では、シャハナー侯爵、ローテンベルガー伯爵、ルプン伯爵の領地にあるケシの群生地に火を放ってください」

「……は?」

 この反応は、どう捉えればいいのだろうか。

 麻薬メフィレスの原材料がケシだと知らないのか、そんな大物の領地に火を放てるわけがないと思っているのか。

 どちらでもいいようにツェーザルは親切にアドバイスをする。

麻薬メフィレスの原材料はケシですからね。まったくもって不幸な事故です。たまたま、偶然ケシの群生地の横で誰かが火を熾していた。それが運悪くケシに燃え移ってしまったわけです。燃えてしまっては種子は残りません。来年から偽麻薬メフィレスは生産できなくなってしまいますね」

 ツェーザル自身がやったのでは簡単に足が着いてしまう。それだけではなく人手が足りなくて実行は不可能だ。

(が、テメェんとこならできんだろ?)

「……なるほど。たまたま、偶然、運悪く……。それならば仕方ないね」

「一つ貸しってことで」

「偽麻薬メフィレス本家麻薬メフィレスの安全性までは模倣できなかった……と追及しておくよ。その話は一瞬でほとんどの貴族に広まるだろうね」

 その話が広まれば、偽麻薬メフィレスが市場から消えた後、なんの憂いもなく麻薬メフィレスを再販できる。

「(本当に食えねぇ野郎だ)仕方ありませんね。今回はそれで手を打ってあげますよ」

「では俺はこれで」

 急いで部屋を出ていくフェリクスと入れ違うように一人の女が入ってきた。

 フェリクスに乳繰り合っていた高級娼婦だ。

 密談に近い状態であることから、アウレリアは申し訳なさそうに頭を下げる。

「あ、すみませーん。まだ取り込み中なんですよー」

「あら? わたくしだけ仲間外れなんてツレないですわね」

 高級娼婦の声にアウレリアは、一瞬だけ呆けたあと目を見開いて驚嘆した。

「エ、エルヴィーラ様ッ!? 見た目も雰囲気も全然違うんですけど!?」

「顧客の好みに合わせるのが高級娼婦プロというものですわ」

 『最高の女(フライア)』の異名は伊達ではない。

 豊満のはずのバストは片手で隠れてしまえるほど小さく、いつもの大人びた妖艶さは鳴りを潜め、幼くもあどけない相貌はまるで別人だ。

 これまで護衛に徹し、無言を貫いていたイジュウインが慄いている。

「好みに合わせるっても限度があると思うんですがね……」

「化粧や表情の作り方でいくらでも幼く見せられますし、コルセットのつけ方を工夫すれば、こんな風に胸を小さく見せられますわ。もちろん、素肌を晒してしまえば元の大きさに戻ってしまいますけど、そこは着痩せするとかいくらでも言い訳は聞きますもの。それに、大きくて嫌がる殿方はいませんわ」

 エルヴィーラの視線がイジュウインに向けられる。

「某に同意を求められても困るんですがね……」

「あら残念。でも、アウレリア様このくらいはできるでしょう?」

「いやいやいやいや!! 無理ですから! あたしはできないですからね!?」

 そうかしら? などとしなを作っているが、こんな芸当を出来るのは間違いなくエルヴィーラだけだろう。

 だからこそ諜報活動に従事させているわけで、今回もツェーザルがくるまでの間、フェリクスの応対を任せたのだ。

 可能なかぎり情報を収集し、ツェーザルに接触してきた意図を探れ、と。

 もっとも、先ほどまでフェリクスと話していて確信に近い予測はついている。

 エルヴィーラとの会話は答え合わせのようなものだ。

「エルヴィーラ。フェリクスなんだけど、王女派で間違いないかな?」

「さすがはツェーザル様。仰る通りですわ。フェリクス・ドレーアー。王女派の重鎮であるドレーアー伯爵の嫡男です」


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2024/7/19:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。








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