第14話

「これって既得権益の侵害というやつですよねー」

「アウレリア嬢は難しい言葉を知ってるんですね」

 アイスラー男爵領に開設した保養地『カルイザワ』の視察中、アウレリアがふと漏らした言葉に、護衛として同行していたイジュウインが関心したように言った。

「ツェーザル様に教えてもらったんですよー」

「さすがは大将。頭のデキが某とは違いますぜ。――ところで、そのキトクケンエキのシンガイってのは何なんですかい?」

「そーですねー。既得権益っていうのは、誰かが持ってる利益のことですねー。保養地は……たしかにトンペック伯爵って貴族が独占している状態だったんですけど、ツェーザル様が『カルイザワ』をつくったことで独占状態じゃなくなって、利益が独り占めできなくなったんですねー」

 そーですよねー? と視線を向けてきたアウレリアに、ツェーザルは頷き返した。

 アウレリアの説明にイジュウインも納得したのか深く頷いている。

「ってなると、そのトンベック伯爵とやらからすれば大将を恨んでるでしょうね」

「そーなんですよ。そんな敵をつくるようなことをしてよかったんですか?」

「アウレリア嬢の言うとおりですぜ、大将。先に言ってくれてれば護衛の配置を変えたってもんです」

 苦言を呈す二人に、ツェーザルは柔らかく微笑んだ。

「あはは……。申し訳ないね。でも大丈夫だよ。トンベック伯爵の為人はエルヴィーラに頼んで調査済みだからね」

「どういうことですかい?」

「保養都市フェルローデは、三代前――トンベック伯爵の曽祖父が一代で築き上げたものらしいんだ。それを二代前の祖父と先代の父が維持してきた。だから当代のトンペック伯爵も現状維持が基本方針なんだよね。ようするに、代々受け継がれてきたものの維持はできるけど、問題が起きたときの解決能力に乏しい典型的なお坊ちゃまってのが僕とエルヴィーラの見解でね。たぶん、地団太を踏んで終わりだと思うよ」

 賢君の子が賢君になるとは限らない。

 保養都市フェルローデを発展させていないことから、トンベック伯爵家は子孫に恵まれなかった証左でもある。

 企業にとって――いや、人間にとって現状維持は退化と同義だ。それに気づけない時点で、その者の能力はたかが知れている。

「大将がそういうならそうなんでしょうが……。念のためしばらくは某が護衛させていただきますぜ」

「まぁそこは任せるよ。人が多く集まるところは揉め事や騒動がつきものだからね」

 ツェーザルがそう言った途端、フラグを回収するかのように右手にある酒場から陶器の割れる音と「ふざけんじゃねぇ!」という怒声が聞こえてきた。

「――さっそくだね……」

「さっそくですかい……」

 ツェーザルとイジュウインは顔を見合わせて苦笑う。

 新宿の歌舞伎町では、この程度の喧噪は日常茶飯事だ。焦る必要もない。

 戦場でいくつもの修羅場を切り抜けてきたであろうイジュウインも同様だろう。

 一人、十五年の幽閉生活である意味箱入り娘的なアウレリアだけが狼狽した表情で私兵団長に訴えかけてきた。

「そんなのんきにしている場合ですかっ!?」

「落ち着いてくださいアウレリア嬢。すべての飲食店に二名の私服警備兵を常駐してます。この程度――ほら、騒ぐ必要もありませんぜ」

 イジュウインが視線を投げた先には、両腕を荒縄で縛られた男が私服警備兵に連れ出される姿があった。

(おいおいマジかよ……)

 ツェーザルが驚くほどの手際の良さだ。 

 私服警備兵の一人が黄色い狼煙を上げている。

「すみません……。あたし、こういうのには慣れてなくて……。あれはなにを……?」

「詰所の警備兵に合図を送ってるんですわ。罪人を連行するのに店を離れるわけにはいきませんからね。しばらくすれば護送のための警備兵がやってくるって仕組みですわ。ちなみに黄色の狼煙は罪人確保。赤は応援要請です」

「はぁ~。よく考えられてますねー。――でもなんで私服なんです? 警備兵の制服なら抑止力になると思うんですけど」

「そりゃ簡単な話ですわ。アウレリア嬢? 警備兵に監視されながら食事を楽しめますかい?」

「………………なるほど……」

「ま、ほかにも油断させて潜在的な罪人を顕在化させるとか、もしも客入りが悪かったらサクラ要員だとか理由はあるんですがね」

「はあああー。すごいですイジュウイン様!」

「いや……それほどでもないんですが……」

 アウレリアの掛値のない勝算にイジュウインは相好を崩して照れていた。

 イジュウインは見た目から脳筋なイメージが強いが、実は算術も奸計もコミュ力も平均以上の平均以上の能力を有している。ただ、荒事にだけしか発揮されないのが非常に残念ではあった。

「ときに大将。某の気のせいであればいいんですがね。先ほどのような騒動が最近になって急に増えてきたような気がしまして」

「報告書にも書かれてたね。たしか二、三日に一件くらいだったかな」

「その通りです大将」

「なら少ない方なんじゃないかな」

 東京最大規模の新宿警察署管内での粗暴犯認知件数(暴行、傷害、脅迫、恐喝)は、過去五年の平均で四百二十六件。これを十二ヶ月で割ると一ヵ月三十六件、毎日粗暴事件が起きていることになる。

 他の所轄で比較してみれば、池袋警察署で月十四件。渋谷警察署で月二十一件。

 新宿警察署管轄内の犯罪がいかに多いかが分かるというものだ。

 それに比べて二、三日で一件の犯罪は十分の少ない方だろう。

「お褒めの言葉をいただき大変恐縮なんですがね……、他の都市は月に二、三件。多くて五、六件ですぜ……?」

「『カルイザワ』は他の都市とは違うからね。そう簡単には比較できないんじゃないかな」

 そんなやり取りをしながら、ツェーザルたちは娼館の前で立ち止まった。

 とある人物がツェーザルに会談を申し出て、この場所を指定してきたのだ。

「いまさらですが、会談に応じて良かったんですか?」

「アウレリアの言いたいことも分かるけど、応じないわけにはいかないよね……」

 ことの発端は、あエルヴィーラが持ってきた一通の書簡だ。

 内容は会談の日時と場所、フェリクスという差出人の名前だけ。会談の内容も目的もなにも書かれていない。普通に届いた書簡であれば、ツェーザルは絶対に応じなかっただろう。

『これをコルダナ男爵に渡して欲しいとエルヴィーラ嬢に伝えてくれないかな』

 フェリクスと名乗る男は、そう言って麻薬メフィレスの売人である高級娼婦に書簡を手渡したそうだ。

 表向き、娼館の経営者はエルヴィーラとなっている。前世の日本でいうところのフロント企業で、ヤクザが経営していることを巧妙に隠して一般企業を装っている。そのため従業員ですら、フロント企業だと知らずに働いているケースがほとんどだ。当然、書簡を託された娼婦もその事実を知らない。

 身内では幹部のアウレリア、クラウス、イジュウイン、エルヴィーラの四名しか知らず、上位貴族が本気で調べなければ分からない程度には情報を隠蔽している。

 四人から情報が漏れたとは考えずらいため、会談相手は間違いなく後者だ。会談場所に高級娼館の個室を選んだのもそのためだろう。

 相手はツェーザルのことをおそらく調べつくしている。

 それに対し、ツェーザルは相手のことを何も知らない。強いて言えば、上位貴族の関係者だと推測できる程度だ。

 絶対的に不利な状況でありながらも誘いに応じざるを得なかったのは、国王派の存在である。いまはまだちょっかいを掛けてきていないが、麻薬メフィレスの本家がツェーザルだと知られたら確実に面倒なことになる。

 上位貴族の関係者ならば、国王派にチクることも容易いだろう。

 つまりは、「会談に応じなかったらチクっちゃうよ? イヤでしょ? イヤだよね? なら会談しようぜ」と脅迫されているようなものなのだ。

 会談相手の意図はどうであれ、ツェーザル元ヤクザが脅迫されたとなれば黙っているわけにはいかない。ヤクザと警察はナメられたら終わりだ。今後、こんなふざけたマネができないようにシバく必要がある。

「会談相手は豪胆にも一人でやってきてるから、暴力沙汰にはならないと思うけど、もしもの時はよろしくね」

「御意」

「アウレリアはいつも通りで」

「分かりました」

(この異世界には神に祝福された証ゼーゲンがあるからな。注意しておくに越したことはねぇ)

 軽い打ち合わせを済ませ、ツェーザルが指定された個室の扉を開けた。

 高級娼婦の個室は、リビングルームとベッドルームの二間続きになっていてそれなりに広い。情事だけではなく、娼婦との会話や軽食、酒も楽しめるようにと考えたからだ。

 そしてその会談相手は、リビングルームで高級娼婦と抱擁して熱烈なキスを交わしていた。

「…………」

(たしかに娼館はそういうところだが……。会談時間よりも早く到着したからってて娼婦と乳繰り合ってんじゃねぇよッ!?」

 緊張感が台無しだ。

 ツェーザルの入室に気づいた会談相手は、慌てた様子を一切見せず、むしろキスの余韻を楽しみながらゆっくりと身体を向けてきた。

「失礼。目の前に素敵な女性がいたら口説かずにはいられない性分でね」

「…………お楽しみのところお邪魔しました。じゃ、これで」

「ははは、コルダナ男爵は冗談が好きだなぁ」

「いやわりと本気ですけどね!?」

 愉快そうに笑う会談相手に、ツェーザルは心底嫌そうに顔をしかめた。

 いまの会話で完全にイニシアティブを奪われたからだ。

 娼婦と乳繰り合っていたのは、そのための布石にほかならない。

(チッ、これまで相手にしてきた貴族も厄介な野郎だな……)  

「まぁまぁ、きてくれて嬉しいよ。コルダナ男爵。俺はフェリクス。以後よろしくね」

 フェリクスは立ち上がり、軽薄な笑みを浮かべて手を差し出してきた。

 短く刈った鮮やかな紫みの赤ブーゲンビリアの髪に感情の読みにくい深い紫みの赤ラズベリーの瞳。端正な顔立ちは、舞台役者のように仮初の喜怒哀楽を十全に引き立てるだろう。

 そんな一癖も二癖もありそうな男の手を握り返し、ツェーザルも意味深長に口角を吊り上げる。

「ご丁寧にありがとうございます、フェリクス殿。よく僕のことを知っていましたね?」

「なに、ちょっと知り合いがコルダナ男爵のところの麻薬メフィレスを愛用していてね。販売中止になって困ってたから、生産者に再販の予定はないものか直接尋ねてみようと思ってね」

「残念ながら再販する予定はないですね」

 ツェーザルはノータイムで切り返した。

 麻薬メフィレスとツェーザルを結び付けている時点で、はぐらかすだけ時間の無駄だ。

「それは残念」

「まぁ立ち話もなんですから座りましょうか」

 ツェーザルの促しで二人はダイニングテーブルに向かい合うかたちで腰を下ろした。

 イジュウインとアウレリアはツェーザルの後ろに控えている。高級娼婦はいつの間にか退室しており、室内には四人しかいない。

「それで、僕にどのような御用件ですか? まさか本当に麻薬メフィレスの再販を尋ねに来たわけじゃないですよね?」

「おっ、その単刀直入な感じはポイントが高いよ! 俺も無駄話は好きじゃなくてね。特に貴族の挨拶とかもうダメだね! 実を言うと俺の雇い主もせっかちな性分でね。あんまり長居できないんだ」

 アウレリアからの合図はない。

 雇い主がいる、は本当。

 できればフェリクスを殺せば済むような話であれば楽だと思っていたのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。

「だからいきなり本題を言うよ――コルダナ男爵。貴殿は何者だい?」

「…………ちょっと言っている意味がよく分かりませんね。僕はツェーザル・コルダナ。国王陛下から男爵位を頂戴した在地貴族ですよ?」

「まぁーたまたぁー、本当はそういう意味じゃないって分かってるでしょ? そういう返事は関心しないなぁ。こう見えても、俺は嘘やはったりを見抜くのが得意なんだよね」

「僕が嘘を言っているとでも?」

「本当のことは言っていないとは思っているよ? 麻薬メフィレスの生産者を探すのは本当に大変だったんだ。そう仕組んだ貴殿ならば、よく分かってるんじゃないかな? 例えば――」

 フェリクスは深い紫みの赤ラズベリーの瞳でアウレリアを見た。

「お嬢さんが嘘を見破る神に祝福された証ゼーゲンを持っている、とかね?」

 アウレリアが分かりやすく息を飲んだ。

 経験のなさが露呈してしまったが、こればかりは致し方がない。

 麻薬メフィレスの生産者を探るためにツェーザルだけではなく、周囲の人間の情報も握っている。だから嘘をついても無駄だ――

(っていうブラフだろ、これは)

 アウレリアの神に祝福された証ゼーゲンを知っているほとんど人間は始末している。残りは馬鹿な貴族なので、神に祝福された証ゼーゲンが使われたことすら気づいていないはずだ。

 だから、フェリクスがアウレリアの神に祝福された証ゼーゲンを見抜いたのは、状況からの推察。

(嘘やはったりを見抜くのが得意ってのは嘘じゃないらしいな)

 正体不明の人物と会談するのに、足手まといにしかならない女使用人メイドを連れてくるだろうか。しかも、茶を淹れるでもなく主人ツェーザルの後ろに控えて目を瞑っているのだから怪しまない方がおかしい。

 そして、目を瞑る意味は明白だ。どのタイミングで神に祝福された証ゼーゲンを使用したのか悟られないためである。

 では、この状況で有効な神に祝福された証ゼーゲンの能力はなにか?

 その答えがフェリクスのブラフというわけだ。

 この程度の芸当ならばツェーザルでもできる。

 逆いえば、フェリクスは自分と同等の洞察力、推察力があるということだ。

(上等じゃねぇか)

 ツェーザルは挑戦的に笑った。

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