第13話

 アイスラーに声を掛けたのは、情報漏洩や技術の流出を防ぐためであった。

 源泉から温泉旅館までの水路工事、建物の建築は大規模なものとなり、元スラムの住民をほぼ総出で行うことになるだろう。

 必然的に、彼らは温泉のネタを知ってしまうわけだ。

 諜報耐性インテリジェンス・リテラシーの低い彼らが保養地で従業員として働かせたとすれば、海千山千の貴族や大商人に好きなだけ情報を抜き取られてしまう。

 だから、従業員は別に用意しなくてはならない。 

 そこでアイスラーに共同開発のお誘いをしたというわけだ。

 自領なのだからアイスラー男爵領の民が働いていなければむしろ不自然であるし、開発に携わっていなければ情報が洩れる心配もない。

 聖武日本料理も調理人だけを開発に関わっていない信頼のおける人物に任せれば、レシピの流出も防げるはずだ。

 アイスラー側も領民の雇用先を確保でき、賃借料が得られるのだから断る理由はない。

 あとは、有償で賃貸借した廃村保養地まで源泉を運ぶ手段だが、これは玉川上水で採用されている自然流下式を採用した。地中に埋めるため人目に触れないというのがいい。

 源泉は、ケシの実の抽出液アヘンの採集拠点であるスティア村にある廃鉱だ。灯台下暗しにもほどがある。廃れた鉱山など興味がなかったので、再調査すらロクにしていなかった。クラウスの知識には感謝しかない。

 その源泉のあるスティア村から保養地建設地までおよそ十二キロ。現代日本で例えるならば、山手線新宿駅から品川駅間ぐらいの距離になる。徒歩にして約二時間半といったところか。

 これだけ離れていれば、廃鉱が源泉だと気づかれはしないだろう。

 また、麻薬メフィレスの生産をストップしたことでスティア村にいる住民の仕事がなくなってしまったわけだが、源泉のおかげで新たな仕事が出来た。

 温泉の熱を使ったビニールハウス――この異世界にはまだビニールが存在しないので、全面ガラス張りの小屋による野菜を栽培だ。

 こうして前世の知識とコルダナ男爵家のほとんどの資産、そして元スラムの住民を総動員して保養地の開発が始まった。



「クソッ! これで三ヵ月連続で減収ではないかッ! いったいどうなっている!!」

 トンベックは、執務室で報告してきた代官に怒声を浴びせかけた。

 ファーテンブルグでも有数の保養都市フェルローデを抱えており、上位貴族や大商人だけではなく、王族さえも利用する格式と歴史ある領地であった。

 翻せば、税収のほとんどを保養都市に依存しているため、フェルローデの減収は由々しき事態である。

「恐れながら伯爵様……。新しく開設されたアイスラー男爵領の保養地『カルイザワ』には、見たこともない建物や料理、さらには美容効果だけではなく病気や怪我にも効くという不思議な湯殿までございまして……。娯楽施設も賭場や狩場、酒場、娼館と充実しており、土産屋には温泉饅頭なる絶品な菓子と大陸南部の果実が信じられないほどの安値で売っておりまして……。なんとも素晴らしい場所でございました」

「痴れ者がッ! 貴様を何のために現地にやったと思っているッ!!」

 トンベックは執務机に拳を叩きつけた。

 間者が報告してきた程度の事実ならば、トンベックの耳にも入っている。

 某伯爵夫人曰く――アイスラー男爵領の保養地『カルイザワ』に行ってきましたの。お肌の調子がものすごく良くて、また利用しようと思いますの

 某侯爵夫人曰く――『カルイザワ』の居心地がよくて二週間も滞在していたのですが、実は少し身体が痩せたのですわ。『カルイザワ』の料理はとても身体に良いものみないですわ

 某男爵曰く――温泉とやらに入ったら腰痛が治ってな。あの湯は素晴らしいぞ

 某辺境伯曰く――いや、ここだけの話だが……。あそこの娼館の質はなかなか……。

 曰く、曰く、曰く――――

 お茶会やサロンでは、もはや『カルイザワ』の話題で持ちきりだ。

(チッ! アラを探させるために患者を現地に送り込んだのだが、とんだ役立たずだ!)

「そうは申されましても……付け入る隙はどこにもなく……」

 トンベックがさらに怒りを爆発させようとしたところ、執務室の扉が叩かれた。

「なんだッ!」

「伯爵様。ルプン伯爵がお見えになられております」

「――ルプン伯爵が……?」

 トンベックは渋面をつくった。

 ルプンとの会談予定は入っていないからだ。

(約束もなしに押し掛けるとは何様のつもりだ! 腹黒狐が!)

 トンベックはルプンが大嫌いだった。

 いちおうは同じ国王派に属している男だが、会合以外での交流は一切取っていない。

 二十代後半と自分より二回り以上も年下の癖にひとを馬鹿にしたような言動がとにかく鼻につく。

 派閥筆頭のシャハナー侯爵のお気に入りで重用されているのも気に入らない。

「追い返せ! いまあの男と話している暇はないッ!」

「し、しかし……あ……ッ」

 扉の前にいる使用人を押しのけて入ってきたのは、ルプンその人だ。肩にかかるブランの髪を首筋で一つに結い、糸のように細められた目の奥には灰色グリの瞳が怪しく光っている。その髪色と目の細さ、そして端正な細面が狐を彷彿祖させることから、彼を嫌う者はこぞって『腹黒狐』と呼んでいた。

「追い返せなんて、そんな邪険に扱わなくてもいいんじゃない?」

「ふん、聞いていたのなら話は早い。こっちはそれどころではないのだ。お引き取り願おうか」

「いいのかい? 一緒に『カルイザワ』を潰してあげようと思ったんだけど。別に協力者はトンベック伯爵じゃなくても――」

「ちょっと待て。貴……ルプン伯爵。いまなんと言った?」

「どうやら聞く耳を持ってくれたみたいだね?」

 調子に乗った上から目線の言葉に、トンペックは怒りよりも不信感を覚えた。

 たしかにトンペックとしてはこの上ない申し出だが、ルプンにはまったく益はない。腹黒狐が善意で誰かの窮地を助けるなど、盗賊が炊き出しをやるくらいに非現実的だ。

「……なにを考えている?」

「ははは、これは面白いことを言うね? ボクたちの派閥はなんのためにあるんだっけ? 特にいまは鉄貨一枚でも金が欲しい時期なのはトンペック伯爵も知ってるよね? その金が他派閥に流れてもらっちゃ困るんだよ?」

「他派閥だと……? アイスラー男爵は中立だったはずだが?」

 ルプンは残念そうに首を横に振った。

「本当になにも知らないんだね? 最近、新規事業に失敗したアイスラー男爵が、こんな短期間に別の新規事業をはじめられるだけの資金力があると思ってるのかい?」

「しかし……、ありえないだろう。アイスラー男爵は、領内で他の貴族が事業を起こすのを了解したことになるのだぞ?」

「了解したんだろうねぇ。まったく余計なことをしてくれるよ」

 ここでようやく話が見えてみた。

 アイスラー男爵領で新規事業を起こした貴族とやらが、王女派に属しているのだろう。

 国王陛下は、食糧を他国に依存している現状を良しとせず、西の隣国であるリュプセーヌから穀倉地帯を切り取るべし! と秘かに戦争の準備を推し進めている。それを支持しているのが国王派だ。

 一方、戦争に反対しているのが王女派である。

 上位貴族の大半が国王派であり、ゆえに戦争準備は水面下で着々と進められていた。優勢は決しているものの、邪魔をされて黙っていられないというわけだ。

 王女派で新規事業を立ち上げられるほどの資金力をもった貴族となると――

「ドレーアー伯爵か」

「残念。コルダナ男爵だよ」

 聞いたこともない家名だった。

 しかし、男爵ならば致し方ないだろう。

 貧乏貴族が利用できるほど、保養都市フェルローデの宿泊料等は安くはない。

「…………いや、ちょっと待て。男爵ごときが保養地を一から開発できるほどの資金をもっているわけがないだろう!?」

「それがあるんだよねぇ。ボクたちが模倣した麻薬メフィレスあるよね。どうにも、その本家っぽいんだよね。なかなか尻尾を掴ませてくれないから証拠があるわけじゃないんだけど」

麻薬メフィレスの開発者だと……!? そんな者が王女派にいるのか……!?」

 ルプンの使われている食材がわかるという神に祝福された証ゼーゲンがなければ麻薬メフィレスの成分は解明できなかっただろう。

 もっとも、成分が判明したところで模倣するのに三年もかかってしまったのだが、それを発見した者が王女派にいるとなれば、たかが一部の地域で流行している麻薬メフィレスを国王派が急に模倣しようと言い出した理由も分かるというものだ。

麻薬メフィレスを模倣したのは王女派の金策を潰すためだったのか」

「さすがにそれはないかな。あの時点では製作者が誰なのか分かってなかったし。麻薬メフィレスを模倣したのは、純粋に儲けられると思ったからだよ」

「なんだと? しかし先ほど金が他派閥に流れていると言ったではないか」

「ボクは『その金が他派閥に流れてもらっちゃ困る』って言ったんだよ?」

「チッ、似たようなものだろうが」

 揚げ足を取られて不機嫌に舌打ちするトンペックに対し、ルプンは小さな溜息を吐いた。

「全然違うよ。――いい? 麻薬メフィレスを模倣してしまった以上、国王派には誘えない。そしてその情報は王女派も掴んでいるだろうからね。近いうちに接触を図ってくるはずだよ。金を稼げる貴族は是が非でも欲しいはずだからね。麻薬メフィレスを模倣したのが対立派閥なんだから、これ以上の誘い文句はないよね。そしてボクらは、王女派に付く可能性の高いコルダナ男爵に金を稼がれては困るわけだ」

「…………事情は理解した」

 ルプンの賢ぶった迂遠な言い回しに神経を逆なでされながらも、最初に抱いた不信感を取り除くには十分な説明だった。

 『カルイザワ』を潰す。その一点につき、腹黒狐との利害は一致している。

(普段から偉そうにしているのだ。どれ、お手並み拝見としようではないか)

「私も国王派に属している身だ。協力を惜しむつもりはない」

 口ではそう言ったものの、実際のところトンペックは国王派の活動に熱心なわけでも、主義主張に心から同町しているわけでもなかった。ただ最大勢力の派閥だから属しているだけ。勝ち馬に乗っているだけだ。

 腹黒狐もそのぐらいは重々承知だろう。派閥の構成員は一人でも多いに越したことはない。トンペックのような領地をもつ貴族ならば尚更だ。

 そして、トンペックも派閥の属することで今回のような恩恵を受けられる。

「それでルプン伯爵。どのようにして我が保養都市の利用客を取り戻してくれるのだ?」

「あぁ、それはね――」

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