第12話

「金がねぇ……」

 理由は至ってシンプル。

 麻薬メフィレス事業からでを引いたからだ。

 もっとも、正確に言えば金はある。

 麻薬メフィレスを高値で売り切り、一時的にではあるが相当な利益を得た。娼館の売上も減収しているとはいえ十分な利益を得られている。 

 だが、ツェーザルの目的はテンプレ悪徳領主生活だ。

 それができるほどの継続的に潤沢な利益を生む仕組みは作れていない。

(俺の趣味じゃねぇんだが……)

 徐に羊皮紙に筆を走らせ、書き終えたそれを持って二階にあるクラウスの部屋へと足を運んだ。

「クラウス。入っていいかな」

「……コルダナ様? どうぞ、お入りください」

 基本的に仕事を丸投げしているので、クラウスが尋ねてくることはあってもその逆は滅多にない。だから、迎え入れたクラウスは戸惑い顔だ。

「ツェーザル様がわざわざお越しになるとは、いったいどうなさいましたか?」

「いや、大した用事じゃないんだけどね……」

 言いながら、ツェーザルは応接セットのソファーに腰を下ろした。クラウスもすぐにやってきて対面に座る。

「クラウスはこの国の領地を転々としていたんだよね?」

「はい。お恥ずかしながら……」

「いや、なにも恥ずかしがることはないよ。おかげで僕はクラウスと出会えたんだからね」

「そんな……、光栄でございます」

「うん。それでね。僕は成人するまでコルダナ男爵領ここから出たことがないんだ。成人して領主になってからは多くの領地に赴く機会も増えたけど、やっぱり知らない領地の方が多い。だから、僕よりも多くの領地を知っているクラウスに尋ねたいことがあるんだ」

「左様でございますか。私に応えられることであればよいのですが……」

 多くの領地を知っている点のみでいえば、諜報担当官であるエルヴィーラの方が適任だろう。だが、エルヴィーラにない強みをクラウスは持っている。

 それは財務官僚として王宮に勤めていた経験だ。

「ここに書かれているもので見覚えのあるものはあるかな?」

「拝見させていただきます」

 差しだした羊皮紙を受け取り、しばらく眺めたあとにクラウスは言った。

「コルダナ様は領内に鉱山のない下位貴族の領地や上位貴族の領地でも都市ばかりを訪問されておられましたから、ご存じないのも無理なからぬことではございますが、この国では地面から熱湯が噴き出したり湧き出るのはよくあることでございます」

「――マジでッ!?」

 いかに元日本人で異世界人よりも知識は豊富とはいえ、ツェーザルはヤクザであって温泉の専門家ではない。

 ただ、日本の山形県には銀山温泉という有名な温泉地がある。だから温泉と鉱山には関係があるのではないかと考えたのだが、どうやらアタリだったらしい。

「コルダナ様がなにをお考えなのかは存じませんが、地面から熱湯が噴き出したり湧き出てくる鉱山は即廃鉱となるため良く思われていない……いえ、正直にいえば忌み嫌われております」

「え……、嫌われてるの? なんで? 浸かったりしてないの?」

「失礼ながら……、熱湯がでるとそれ以上は採掘ができません。また、浸かれるような温度ではございませんので」

 どうやらこの異世界では、麻薬だけではなく温泉も存在していないらしい。

「そっか。でも大丈夫。それよりも、コルダナ男爵領うちから一番近い、その熱湯が出ている鉱山ってどこだか分かるかな?」

「……たしかアイスラー男爵領だったかと」

「お、いいね」

 アイスラー男爵は、融資を行った領主の一人だ。他の貴族同様、返済が滞ったため領地の一部を無償かつ無期限で賃貸借をしている。

 ケシの実の抽出液アヘンの採集拠点の一つだが、麻薬メフィレスの生産を止めている現状、扱いに困っていたので別の使い道があるならば活用しない手はない。

「クラウス。悪いんだけど一つ契約書を作ってくれないかな」

 思ったが吉日。善は急げ。

 その翌日、ツェーザルはアイスラー男爵領へ向けて出立した。

 

「イジュウイン。申し訳ないんだけど、次の休憩まで客車の中にいてくれないかな」

「そりゃ構いませんが、いきなりどうしたんですかい大将?」

「ちょっと内緒話をしようと思ってね」

 密談をするのに移動中の客車ほど最適な場所はない。

 護衛を部下に任せ、イジュウインがアウレリアの横――ツェーザルの対面に座った。

「――で、大将。内緒話ってのはなんですかい?」

「大した話じゃないよ。イジュウインの母国の話を聞きたいと思ってね」

 イジュウイン・フォード。

 彼曰く、軍艦で戦地に向かう途中に嵐に遭遇し、この大陸に流れ着いたそうだ。

 漂着したのはファーテンブルグの西の隣国、アルアリア。

 そこで色々あって奴隷になったわけだが、目下の問題はそこではない。

 イジュウインの出身国の名は聖武。国旗の意匠は獅子。首都は野老澤ところざわ

(どう考えてもサッカーじゃなくて野球の方だよな……)

「もちろんですぜ。なんでも聞いてください」

「ありがとう。なら、聖武ではどんなものを食べてたの?」

 お米を食べていたの? とストレートに聞かなかったのは、米がファーテンブルグに存在していなかったからだ。米を知らないファーテンブルグ人――と思われているツェーザルが国交どころか発見もされていない国の主食を口に出すのは明らかに不自然すぎる。

「さっすが大将。武人に武芸や戦じゃなく食文化を尋ねるとは面白い。主食は米――こっちで例えるなら少々無理はございますが、麦に近いもんです。副食は魚や肉などこちらと同じようなもんですぜ。ただ、こっちとは違って魚は生でも食べてましたがね」

「生ッ!? 大丈夫なのそれ!?」

 驚いてみせたのは、もちろん演技である。

 刺身の存在を初めて知った外国人がこんなリアクションをしていたので真似てみただけだ。

「大丈夫じゃなきゃ食べたりしませんて。刺身は塩を付けて食べるのもいいんですが、醤油という調味料と山葵という薬味を付けて食べるのが一番ウマい食べ方ってもんです」

「へぇ……、こっちでは聞いたこともない調味料ばかりだね。食べ物の話題を振っていてなんだけど、イジュウインは故郷の味が恋しくなったりしない?」

「そりゃあ食べたくもなります。最近はとんとご無沙汰ですからね」

「最近?」

 まるで、少し前までは食べれてたような言い方だ。

 ツェーザルの問いかけに、イジュウインの答えは目を見張るものだった。

「えぇ、傭兵団時代、団員にリュプセーヌ出身者がいたんですがね、その者の伝手で一ヵ月に一度ぐらいは食べれてたんですよ」

「はあっ!? リュプセーヌには米があるの!?」

 イジュウインの出身国、聖武が日本風な国であるのは分かり切っていたから、日本食風な文化があるのは想定できていた。

 しかし、まさかファーテンブルグと交易をしている隣国に米が存在しているとは予想だにしていなかった。どうやって食材を取り寄せようか、あるいは何で代用しようか考えていただけに嬉しい誤算だ。

 ツェーザルの食いつきぶりが意外だったのか、イジュウインはやや引き気味だ。

「え……えぇ、そうですが……」

「分かった! ちなみに、醤油や味噌は?」

「ありましたぜ。聖武料理で使われる食材や調味料はほとんどあったんで、同郷の者がいるのかもしれません」

「よし全部取り寄せよう!」

「それは某にとっても願ってもないことですが……、よろしいんで?」

「もちろん!」

 まさか米だけではなく醤油や味噌も――いや、聖武料理で使われている食材や調味料ということは、味醂や豆腐、納豆などもあるかもしれない。

 これならば、より本格的な温泉旅館が実現できる。

(…………ちょっと待て)

 日本食が再現できると興奮していて、重要なことを忘れていた。

「なんで米がファーテンブルグこの国に流通してないのかな?」

「生産量が少ないからでしょう。以前にも話しましたが、聖武国は島国です。鎖国しているので一部の国を除いて交易はしてません。某のような漂流者か、物好きが国交に紛れて出国したか、そんなところでしょう」

「他国に輸出するほどの量は生産できてない……ってことかな」

「さすが大将。話が早くて助かります」

(……となると、ファーテンブルグだけじゃなくてリュプセーヌからの客も誘致できるってわけか。ますますオイシイ話じゃねぇか)

「しかし……、食材や調味料を取り寄せたところで肝心の調理方法が分からないか……」

 残念そうに呟くが、もちろん嘘だ。簡単な料理ならばツェーザルも作れる。

 しかし、ファーテンブルグ人であるツェーザルが日本聖武料理が作れるのは対外的にみておかしい。

「それなら安心してください。某が調理できますんで」

「…………え?」

「意外なのは分かりますがね……。こう見えて料理が趣味なんですわ。自分でいうのも変なんですがね。兵団での評判は上々ですぜ?」

「そ、そうなんだ……」

 面食らったような返事は演技である。

 エルヴィーラから部下に料理を振舞っていると聞いていたので一芝居を打ったのだ。

 これで不自然なく聖武日本料理を堪能できる。

「それじゃあ、今度僕に作ってもらえるかな?」

「それは構いませんがね……」

 イジュウインは、伺うようにアウレリアを見やった。

 というのも、ツェーザルが食べるものはすべて彼女が作っているからだ。つまるところ、某が作ってもいいんですかい? ということだろう。

「アウレリアに教えながら作ればいいじゃにあかな。そしたらイジュウインがいなくても好きな時に食べられるしね」

「そういうことでしたら喜んで作らせてもらいます。ところで大将。内緒話ってのはいつ始めるで?」

「え? これが内緒話のつもりなんだけど?」

「…………はい?」

 イジュウインが不思議そうな顔をした。

 たしかに彼の出身国の食文化の話をしただけだ。普通はこれが密談だとは思わないだろう。

「ごめん、ちょっと言葉が足りなかったかな。実はいま向かってるアイスラー男爵領に保養地をつくろうと思ってるんだけど、なにか特色がないと誰も来てくれないよね。だから異国の料理をウリにしようかなって。――ほら、貴族って珍しいものが好きだからさ。国交もしていない異国の料理。しかも調理方法を知ってるのはイジュウインとリュプセーヌの一部の人たちだけ。これなら麻薬メフィレスみたいに簡単には真似できないしね」

 あえて温泉旅館ではなく保養地と言ったのは、ファーテンブルグでは温泉という概念が存在していないからだ。そして、おそらく聖武には温泉が存在する。

 ファーテンブルグ人が温泉と言えば、イジュウインが不自然に思うのは間違いない。もっとも、温泉旅館をつくっていく上でいずれ気づかれるだろうが、そこは薪代を節約できるからとか適当に誤魔化すつもりだ。

 いまのところアウレリア以外に転生者であると告げるつもりはない。

「さっすが大将! 目のつけどころが違いますぜ! たしかにこりゃあ人に聞かせられない話………………っと、大将? いまのところ聖武料理を作れるのは某だけなわけですが、某は私兵団を任されてますんで、保養地で料理人をするのはさすがに無理がありますぜ?」

「分かってるよ。保養地の警備をするための兵も必要だからね。イジュウインには兵士の補充と育成に専念して欲しい。だからさ、アウレリアに聖武料理を教えて欲しいんだよ」

「なるほど。心得ました」

「アウレリアもそれでいいよね?」

「もちろんです」

 コルダナ男爵領は常に人材不足だ。

 兵士の補充=スラムの住民の拉致である。それで補充された新規兵だけではなく既存兵の訓練をしなければならないイジュウインの負担は相当なものだろう。

 アウレリアも女使用人メイドの仕事のほか、ツェーザルやクラウスの補佐も行っている。それに加えて料理人の育成だ。

 夜明けから夕暮れまで働いて、休みはない。

 従業時間は過労死ラインを余裕で超過している。

 だが、それは幹部や元スラムの住民だけではない。

(これで俺も仕事がなきゃ最高なんだが……)

 ツェーザルもまた、夜明けから夕暮れまで働き通しで休みもろくにとれていなかった。

 テンプレ悪役領主生活には、まだまだ遠い。

 


「遠いところようこそおいで下さいました、コルダナ様」

 領主の屋敷のある町に到着すると、アイスラー男爵が自ら出迎えてくれた。

 ヒンデミット子爵とは大違いである。

 それもそのはずで、アイスラー男爵はツェーザルから受けた融資を本気で返済しようとしていた数少ない良識ある貴族であった。

 残念ながら融資金で立ち上げた新事業は軌道に乗らずに頓挫してしまい、結果的に担保を取られてしまうことになったのだが、領地の一部を無償かつ無期限に賃貸借する契約に対して一切の異を唱えなかった。それどころかツェーザルに頭を下げてきたのだ。アウレリアの嘘を看破する神に祝福された証ゼーゲンを使うまでもなく、本気の謝罪であると一目で分かるものであった。

 だから出迎えにも精一杯の誠意が込められていた。

 領主のほかに女使用人メイドが数人しかいないのは、ツェーザルを侮っているわけではなく、男爵位だからだ。家令ハウススチュワード執事バトラーなど男の使用人の雇用には金がかかる。一種のステータスと言っても良い。

「ご無沙汰しています、アイスラー殿。以前にも言ったかと思いますが、同じ貴族、それも同じ爵位なのですから様付けは遠慮したいのですが……」

「あ……、いや、これは失礼しました。では、コルダナ様……殿。お連れの方々も」

 アイスラーが自ら先導し、領主の屋敷へと向かった。

「アイスラー殿、改めまして貴殿の都合も尋ねずに押し掛けるように来てしまい申し訳ありませんでした」

 応接室へと通されたツェーザルは急な訪問の詫びから入った。

 というのも、思い立った翌日に出立したので、「これからそっちに行くからよろしく」と一方的な連絡しかしていなかったからだ。

 アイスラーならば大丈夫と、ある意味信頼しての行いである。

「滅相もない。コルダナ殿であればいつでも歓迎いたします」

「そう言ってもらえると助かります」

 予想通りの反応にツェーザルは微かに微笑んだ。

 女使用人メイドが応接室に入ってきて、ツェーザルとアイスラーの手元に紅茶を置いていった。

 それに口をつけながら、二人はとりとめもない雑談を交わす。

 たった一言が相手に付け入る隙を与えかねないため、貴族同士の会話は例え雑談であっても油断できない。

 アイスラーはその意識が致命的に足りていなかった。ようは良い人過ぎるのだ。

 貴族元ヤクザに新事業に失敗してから以前よりも領地経営が苦しくなったと漏らしてしまったのが運の尽きである。

 ツェーザルは即行で晒された弱味に喰らいついた。

「アイスラー殿に一つお願いがあるのですが、また土地を一部貸してもらえないでしょうか?」

「構いませんよ」

「そうですよね。今回は無――え?」

 まさか即答でOKされるとは思っていなかったので、ツェーザルの方が面を食らってしまった。

 それに対してアイスラーはさも当然のように答える。

「大恩があるツェーザル殿の頼みですから。さすがに、どこでも好きなところを、というわけにはいきませんが」

「いや……、そこまで恩を感じることではないかと……。担保は頂戴してるわけですから」

「とんでもないことです。私は融資頂いた金額にご提供した土地が担保として釣り合っているとはとても思えません。コルダナ殿の寛大な御心のおかげです」

「僕にとっても十分な利益のある取引だったから気にしなくてもいいんですが、せっかくなのでお言葉に甘えさせていただきます。領地の北西ある廃村の周辺をお借りできればと。あと今回は無償ではなく有償でと考えています」

「そんな――」

 アイスラーの言葉を、ツェーザルは手で制した。

 彼の誠意は嬉しく思うが、今回賃貸借する土地は元スラムの住民の隠れ里ではなく、多くに人が訪れ賑わう保養地にする予定なのだ。

 ターゲットは多くの金を落としてくれる富裕者層でる。

 他領の土地を無期限かつ無償で賃貸借するのは黒に近いグレーであり、金のニオイに敏感な貴族や大商人が訪れるような場所だからこそ、リスクヘッジのためにクレーではなく真っ白にしておきたかった。

「担保はすでに頂いていますから無償というわけにはいきません。それに僕は土地を借りるお願いをしてきただけではないんです」

「……?」

「アイスラー殿のお人柄を見込んでですね、一緒に保養地を始めてみませんか、という共同事業のお誘いなんですが、いかがでしょうか?」


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