第11話

 いま、エルヴィーラはなんと言った?

 ツェーザルもクラウスと同じ、偽麻薬メフィレスが高額であるか、あるいは粗悪品だと結論づけたからこそ、何もしなくてもいいと断言したのだが、それをエルヴィーラは否定したのだ。

(つまり、そうじゃなかった?)

 接辞に一筋、嫌な汗が流れ落ちる。

 いまさら、「え、違うの?」なんて言えるわけがない。

「どういうことだ?」

 代わりに尋ねるというクラウスのファインプレーに胸中で喝采を上げた。褒美として彼の大好物であるケーキをホールでプレゼントしよう。きっと喜ぶに違いない。

「偽麻薬メフィレスは、麻薬メフィレスよりもケシの実の抽出液の含有量が多く、しかも半分ほどの価格で大量に流通していますわ」

「バカな……」

「クラウス様? わたくしの情報を嘘だと仰るのですか?」

「い……いや、そんなことはないが……、俄かには信じられん……」

 エルヴィーラは巧みな話術と生技もてなしで、顧客からあらゆる情報を引き出せる。それだけではなく、市井――娼館に出入りしている業者や歓楽街にある酒場や飲食店、宝飾店、服飾店などの従業員にも独自の情報ネットワークを構築しており、そこからも様々な情報が毎日のように収集していた。

 それこそ、特定の貴族の性癖から領地の経営状況、妻のホクロの位置さえもだ。

 収集した情報の中には噂やデマカセも多数存在するが、エルヴィーラの分析能力によって排除される。これにより初見の客でも性癖や趣味嗜好、仕事上の悩みなどを把握しており、その確度は百パーセントに近い。

(偽麻薬メフィレスの生産者は、利益度外視でこちらを潰そうとしてきてやがんのか?)

「エルヴィーラ。念のために聞くけど、偽麻薬メフィレスを生産している組織は分かってるの?」

「はい。ローテンベルガー伯爵、ルンプ伯爵、シャハナー侯爵が関わっているようです」

「――なるほどね」

 上位貴族が三家も組んでいれば十分に現実的な話だ。

 日本にある独占禁止法は、当たり前だがこの異世界に存在していない。

 利益度外視で偽麻薬メフィレスを販売し、コルダナ産麻薬メフィレスを短期間で市場から駆逐する。市場を独占を独占したあと偽麻薬メフィレスの値上げを行うというストーリーだろう。

 ケシの実の抽出液の含有量が多い偽麻薬メフィレスは、当然ながら依存性が高く、副作用も強い。中毒となった者たちは値上げされても買う以外の選択肢はないというわけだ。

「賦役ですかい」

 イジュウインの呟きに、ツェーザルは秘かに息を飲んだ。

 現代日本ではあり得ない古き課税制度。強制的なタダ働き。

 完全に失念していた――というより、イジュウインに言われるまで思いつきもしなかった。

 賦役によりケシの実の抽出液が採取されたとなれば人件費は一切かからない。

 だからこその高品質、低価格。

 利益度外視どころか、笑いが止まらないくらいに儲かっているはずだ。

(やってくれるじゃねぇか……)

 完全に一枚上をいかれた。

 中世風の異世界人なんかに出し抜かれ、元ヤクザのプライドが大きく傷けられた。

 しかし、それを表に出すことは許されない。

「まさか国王派の大物が釣れるとは思ってもみなかったよ。ちょっとシナリオ脚本を変える必要があるかな」

 あくまで、事態は想定通り。ただ、登場人物が小物から大物に変わっただけ――と見えるような悪い笑みを浮かべた。

「クラウス。生産済みの麻薬メフィレスも含めてケシの実の抽出液の含有量を三倍に増やしてもらえるかな」

「は……? え……いや、……それはどういう意味でございますか……?」

「偽麻薬メフィレスに市場を独占される前に在庫を売り切るためだよ。それとエルヴィーラ。これから販売する麻薬メフィレスは従来の五倍の音で売るように。――出来るね?」

「もちろんですわ。売り言葉は、どこよりも品質を追求した期間限定の麻薬メフィレス、でございますね?」

「さすが、よく分かってるね。在庫を売り切ったら僕たちはいったん麻薬メフィレスから手を引くよ。一時いっときの時間も惜しいからね。これで解散としようか。各自、それぞれの役割を果たしてくれ」

 質問も疑問も異論も反論も許さない。

 その意思は正しく伝わり、ツェーザルを妄信しているエルヴィーラが真っ先に立ち上がり、コルダナ男爵家をあとにする。困惑顔のクラウスとイジュウインも遅れて立ち上がり、エルヴィーラを追うように外に出て行った。



 コルダナ男爵家を出すぐに、エルヴィーラは呼び止められた。

「エルヴィーラ嬢。貴殿のお貸しする兵たちを紹介しておきたいんですが、ちょっとばかしお時間をいただいてもいいですかい?」

「私も麻薬メフィレスの生産内容の変更を指示しなければならんのだ。是非とも同乗させてくれ」

 当然の成り行きだろう。

 イジュウインとクラウスはツェーザルの真意を推し量る前に追い出されてしまったのだ。

 ならば分かっている人間に聞くしかない。

「いいですわよ。貸してくださる兵士の方々がどこの村の者かは分かりませんが、麻薬メフィレスを生産している村は……たしかヴィッターだったかしら。ゆっくりとお話しするにはちょうどいい距離ですわね」

 遠方の都市を拠点としているエルヴィーラは、護衛付きの二頭立て箱馬車コーチでコルダナ男爵領までやってきている。客車の中は密談には最適だろう。

「それで、お二方が知りたいのはツェーザル様の真意……ということでよろしいかしら?」

「あぁ、そのとうりだ」

 馬車が走り出してすぐ、エルヴィーラが話を切り出した。

 首肯するクラウスを見据え、軽く微笑む。

「そんなの分かりませんわ」

「………………は?」

 間抜け面を晒すハインの横で、イジュウインが禿頭をさすりながら思案顔で言った。

「まさかエルヴィーラ嬢でも分からないとは思わなかったんですがね。『どこよりも品質を追求した期間限定の麻薬メフィレス』……でしたっけか。すぐに売り文句を考えちまうあたり、てっきり全部見抜いているもんだと思ってましたぜ」

「商売人ならこのぐらい当然ですわ。ケシの実の抽出液の含有量を三倍にして、五倍の値で売るなら、これしかございませんもの。麻薬メフィレスを高値で売る方法が分かったからと言って、なぜそうしなければならないかが分かっているかは別物ですわ」

「そうですかい……」

 イジュウインは困ったように頬を掻いた。

「なにか言いたそうな顔をされていますね?」

「いや……、こう言っちゃなんなんですがね……。エルヴィーラ嬢。怒らないで聞いてくださいよ? 大将はこういう事態を想定していなかったんじゃないかと思いましてね」

「イジュウイン様? 言っていいことと悪いことがございますわよ?」

 思いのほか冷ややかな声が出て、イジュウインがたじろいだ。

「いや、だから怒らないで聞いてくださいと――」

「イジュウイン殿もやはり同じことを考えていたか……」

 話に入り込んできたクラウスにも鋭い視線を向けるが、彼の目はイジュウインに向けられていた。

「イジュウイン殿はファーテンブルグにきて間もないから知らんだろうが、偽麻薬メフィレスを生産しているローテンベルガー伯爵とルプン伯爵、そしてシャハナー侯爵は国王派と呼ばれる派閥の筆頭だ。三家を合わせれば領民は軽く十万を越える。賦役で動員できる領民が仮に半数だとしても五万人以上。もし派閥の貴族に号令を掛けているとすれば……」

「大将もとんでもないもんに目を付けられちまいましたね。それじゃ十何万……いや、何十万の人間がケシの実の抽出液を採取するわけですかい。対してコルダナ男爵家はたったの七百人程度。大将が損切りを選ぶのも無理はありませんか」

「まぁ私はコルダナ男爵に拾われた身。どんな苦境に立とうともお支えする所存だがな。取り急ぎは当面の金をどう工面するかを考えるか……」

「それをいうなら某も大将に買われた奴隷ですぜ。大将の寛大なお心遣いで解放はされちゃいますがね。当然、大将のためならばこの命、散らす覚悟はできてますわ」

 ――バンッ!

 気が付けば、エルヴィーラは客車の壁に拳を叩きつけていた。

(なんなんですの!? この男どもは!!)

「え、エルヴィーラ嬢……?」

「ツェーザル様がこの状況を想定していなかった? ふざけるのも大概にしてくださいましッ!」

 深慮遠謀。智謀知略においてツェーザルの右に出る者は存在しない。

 それは高級娼婦として数多もの貴族を相手にしてきたエルヴィーラだから分かる純然たる事実であった。

 『最高の女フレイア』と呼ばれるようになってから、数えきれないほどの貴族から身請け話を持ち掛けられたが、エルヴィーラはすべてを断ってきた。

 本来であれば有り得ないことだが、『最高の女フレイア』の看板が、不可能を可能としていた。

 高級娼婦底辺であっても、選ぶ権利はある。自分にはそれだけの価値がある。

 身請けするならばボンクラではなく、自分が認めるような男がいい。

 そこに現れたのがツェーザルだ。

「ツェーザル様は神神プファイルフィーダンよりも未来さきを見通せる御方ですわ! この状況を想定していなかった? そんなことがあるわけがございませんわ!」

「神プファイルフィーダンより……それは言いす――いや、なんでもない」 

 口答えするクラウスを視線だけで黙らせる。

 神プファイルフィーダンは視覚を司る神だ。たしかに不敬だったかもしれないが、後悔はない。それどころか、むしろ本心ですらある。

「エルヴィーラ嬢。熱くなり過ぎですぜ? なにも某らは大将を軽んじてるだとか、疑ってるとかってわけじゃありません。某らの立場を考えれば、大将の指示にただ従うだけじゃなくて、大将の考えを汲み取り、指示された以上の成果を上げなきゃならんでしょう」

「いかにも。しかし、武官のフォード殿と文官の私ではコルダナ様の考えが読めんかった。だから智恵者のエルヴィーラ殿に聞いたわけだが」

「エルヴィーラ嬢が分からないってなら、とりあえず指示に従うしかないってことでしょう」

 イジュウインとクラウスの気持ちを知り、エルヴィーラは顔を伏せた。

 家臣として務めを果たそうとしている二人に対し、自分は癇癪を起して喚き散らしてしまったのだ。

(醜態を晒してしまいましたわ……)

「…………誠に悔しくはありますが、アウレリア様ならば……なにかご存じかもしれませんわね」

 エルヴィーラの呟きに、客車にいる誰もが押し黙った。

 ツェーザルの専属女使用人メイドにして、愛人。

 だが、それだけではない。

 クラウスと遜色ないがほどに算術が操り、

 イジュウインと比肩するほどの武芸の修め、

 エルヴィーラと同等に商売の話ができ、なおかつ知識や機智に富んでいる。

 国中を探しても、これほど万能で有能な女使用人メイド――どころか王侯貴族すら存在しないだろう。

 そしてエルヴィーラたちにとって、これが一番重要なのだが、ツェーザルのことを誰よりも深く理解している。

 


 部下三人が家を出て行った直後のことだ。

「ツェーザル様? 上手くやり過ごしたと思ってるところ悪いんですけど、実は色々と想定外でしたよね?」

 ふふん、お見通しなんですからねー、とアウレリアはドヤ顔で言ってきた。

 二人きりになったことで、ツェーザルは外向けの仮面ペルソナを盛大に殴り捨てた。

「当たり前だクソがッ!! 賦役? そんなの知るかよ!? つーかふざけんじゃねぇッ! なんで国王派の三家あいつらが出てくんだよ!?」

 怒り任せに、拳をダイニングテーブルに叩きつけた。

 たしかに麻薬メフィレスは需要と供給が追い付かないほどの人気商品となったが、国家レベルで言えば一部の地域の話でしかない。

 今の状況を日本で例えるならば、麻薬メフィレスは地方都市周辺で人気を博しているご当地商品だ。それを国内最大メーカーがパクって全国的に販売を開始したに等しい暴挙である。

 この異世界では商標登録なんて存在しないため、元祖麻薬メフィレスは瞬く間に駆逐されてしまうだろう。

「しかもケシの実の抽出液アヘンの含有量が多い? なにも知らない馬鹿が勝手なことしやがって! 俺がどれだけ気を遣ってたと思ってやがる!!」

 前世において麻薬は、一部を除いて国家が撲滅を主導するほどの危険物だ。扱いを誤れば国そのものが崩壊しかねないほどの危機的な状況に陥る。

 国がなくなれば商売シノギができなくなるのだから、細心の注意を払うのは当然のことだろう。

 まず、価格を高額に設定し、使用者を富裕者層に限定させた。

 そして、ケシの実の抽出液アヘンの含有量を少量にすることで、副作用や依存性を軽減。アブナイ薬ではなく、嗜好品レベルまでグレードダウンさせた。

 さらに購入制限を設けて過剰摂取による突発死および中毒者にならないように配慮した。販売はエルヴィーラが管理する娼館の高級娼婦なので顧客管理も容易に行える。

「それを馬鹿どもが! 砂糖菓子みてぇな感覚で麻薬メフィレスを売りやがって! 絶っっ対ぇにただじゃおかねぇ! 徹底的にぶっ潰してやる!」

「――というとツェーザル様? なにか腹案でもあるんですか?」

「まぁな。国王派が動いたってことは、対立派閥の王女派が遅かれ早かれ動くだろうよ。だから今は巻き込まれねぇように手を引くのが一番なんだ」

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