第11話
いま、エルヴィーラはなんと言った?
ツェーザルもクラウスと同じ、偽
(つまり、そうじゃなかった?)
背筋に一筋、嫌な汗が流れ落ちる。
いまさら、「え、違うの?」なんて言えるわけがない。
「どういうことだ?」
代わりに尋ねたのはクラウスだ。
そのファインプレーに胸中で喝采をあげる。
(ナイスだクラウス! 褒美にテメェの好きなショートケーキをホールで進呈してやる!)
だが、そんな歓喜もエルヴィーラの言葉で跡形もなく吹き飛んだ。
「偽
「バカな……」
「クラウス様?
「い……いや、そんなことはないが……、俄かには信じられん……」
エルヴィーラは巧みな話術と
彼女がその気になれば、特定の貴族の性癖から領地の経営状況、妻のホクロの位置さえも容易に調べられる。
当然、集めた情報の中には噂やデマカセも多数存在するが、それらに振り回されるのは情報弱者だけだ。
圧倒的な量の情報があれば、矛盾点や合理性、利害関係などを精査して事実は勝手に浮き彫りになる。
もちろん相当な情報分析能力が必要だが、
そんな彼女の情報が誤っているはずがない。
(偽
「エルヴィーラ。偽
「ローテンベルガー伯爵、ルンプ伯爵、シャハナー侯爵の三名です」
「――なるほどね」
もちろん知っていたよ。ただ確認しただけだからね、という体を装ってツェーザルは深く頷いた。
伯爵が二名、侯爵が一名。上位貴族が三家も関わっているならば、利益度外視の計画も十分に頷ける。
良くある例え話だが、卵を百円で売る個人商店と、一円で売るチェーン店。顧客はどちらの卵を買うか、という話だ。
当然、顧客は安いチェーン店の卵を買う。
個人店で卵を買う客はいなくなり、いずれは倒産する。
その瞬間、チェーン店は卵の価格を三百円に吊り上げるのだ。
顧客は否が応でも三百円で買うしかない。
これによって、チェーン店はこれまでの赤字を取り返すのだが、前世の日本では独占禁止法によって禁じられている。
しかし、ここは異世界だ。独占禁止法など存在していない。
三家の上位貴族による膨大な資産にモノを言わせて赤字覚悟の偽
(ふざけやがって……! だが、こっちの労働力はタダ同然。利益率を落としてでも価格勝負に持ち込むか……)
ケシの実の抽出液は高級品だ。しかし、ツェーザルは元スラムの住民を超々低賃金で働かせることで原価を極めて安く調達できている。
多少価格を下げたところで赤字にはならない。
商人から購入しているであろう上位貴族三家は、これ以上の値下げは赤字のさらなる拡大に繋がるため、割に合わないと手を引きく可能性が高い。
そこまで考えたところで、イジュウインの呟きが聞こえてきた。
「なるほど、賦役ですかい」
「――ツ!?」
頭を殴られたような衝撃にツェーザルは息を飲んだ。
まったくもって盲点だったからだ。
前世の日本では完全に忘れ去られた古き課税制度。強制的なタダ働き。
だが、この異世界ではまだ現役なのだ。
賦役によりケシの実の抽出液が採取されたとなれば人件費は一切かからない。
だからこその高品質、低価格。
利益度外視どころか、笑いが止まらないくらいに儲かっているはずだ。
(やってくれるじゃねぇか……)
完全に一枚上をいかれた。
机に拳を叩きつけたくなるほどに悔しいが、それを表に出すことは許されない。
あくまで予想通り――とするには修正できないレベルで計画が破綻してしまっている。予想外だった。それも良い意味で。この方向ならばエルヴィーラの期待を裏切らずに済むはずだ。
「まさか国王派の大物が釣れるとはね。もう少し小物が引っかかると思ってたんだけど。これはちょっと
エルヴィーラの顔色をうかがう――目元が黒の紗に覆われているのは、こういう時に便利だ――と、目を輝かせて頷いていた。
その反応にツェーザルは口角を吊り上げる。
「クラウス。生産済みの
「お、恐れながら……、それはどういう意味でございますか……?」
「偽
「かしこまりましたわ」
エルヴィーラならば、良い売り文句を考えて巧妙に捌き切るだろう。
「在庫を売り切ったら僕たちはいったん
いきなりの
ツェーザルを妄信しているエルヴィーラが真っ先に立ち上がる。続けてクラウスとイジュウインが顔を見合わせ、困惑顔のままエルヴィーラのあとを追うように外へと出て行った。
エルヴィーラが呼び止められたのは、自前の馬車に乗り込もうとした直前だった。
「エルヴィーラ嬢。貴殿のお貸しする兵たちを紹介しておきたいんで、ちょっとばかしお時間をいただいてもいいですかい?」
「わ、私も
イジュウインの申し出はもっともだ。実に傭兵らしい口実の作り方である。
一方、クラウスの言い訳はあまりにも拙い。
(素直に教えてくれって言えば教えてあげるのに)
彼らがエルヴィーラに話しかけた理由は明白だ。
ツェーザルの真意である。
「いいですわよ。貸してくださる兵士の方々がどこの村の者かは分かりませんが、
遠方の都市を拠点としているエルヴィーラは、護衛付きの
上座にエルヴィーラが、下座にクラウスとイジュウインが座ったところで馬車が動き出す。
「……それで、お二人が知りたいのはツェーザル様はなぜ急に
「う…………」
「あぁ、さすがはエルヴィーラ嬢だ」
呻くクラウスに開き直るイジュウイン。
エルヴィーラは脚を組み、膝の上に肘をついて頬杖をついた。
二人の視線が露出した脚と胸元に注がれ、すぐに逸らされる。
「ふふ……そんなの、
「冗談を言っている場合ではないのだがな」
「クラウス様、冗談ではありませんわ」
しかし、クラウスの顔は納得していないもののそれだ。
ここで嘘をつく理由など何もない。それを言おうとしたところ、イジュウインがクラウスの肩を叩いた。
「ハインミュラー殿。エルヴィーラ嬢がここで嘘をつく理由がありませんぜ。まぁ、さすがに
そして、今度はエルヴィーラに視線を向ける。
「エルヴィーラ嬢。怒らないで聞いて欲しいんですがね。実は大将も今回の事態は想定していなかったんじゃないかと
「イジュウイン様、言っていいことと悪いことがございますわよ?」
目が座り、声が低くなったのは仕方のないことだろう。
崇拝する御方を愚弄されたのだ。
イジュウインはたじろぎ、目の前で両手を振るう。
「いや、だから怒らないで聞いてくださいと――」
「イジュウイン殿もやはり同じことを考えていたか……」
「ハインミュラー様までなにを仰っているのですか!! ツェーザル様がこの状況を想定していなかった? ふざけるのも大概にしなさいなッ!!」
深慮遠謀。智謀知略においてツェーザルの右に出る者は存在しない。
それは高級娼婦として数多もの貴族を相手にしてきたエルヴィーラだから分かる純然たる事実であった。
「ツェーザル様は神神プファイルフィーダンよりも
「神プファイルフィーダンより……それは言いす――いや、なんでもない」
口答えするクラウスを視線だけで黙らせる。
神プファイルフィーダンは視覚を司る神だ。たしかに不敬だったかもしれないが、後悔はない。それどころか、むしろ本心ですらある。
「エルヴィーラ嬢。熱くなり過ぎですぜ? なにも某らは大将を軽んじてるってわけじゃねぇんです。ただ、大将の考えを知りたかった」
「フォード殿の言うとおり。私たちは何も考えずコルダナ様の指示に従っていい立場ではない。コルダナ様の意図を汲み取り、より最善を尽くさねばならん。だが……」
その先は口にせずとも察せられた。
クラウスもイジュウインも悔しそうに俯き、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「文官、武官でもないエルヴィーラ殿ならあるいはと思ったのだが……」
「智恵者のエルヴィーラ嬢でも分からないってなら、もうお手上げだ。あれで大将も結構な秘密主義だからなぁクラウス殿?」
「たしかに。コルダナ様が語らぬのなら、今はその時ではないということかもしれん」
「臣下として口惜しいが、とりあえず指示に従うしかないってことですかな」
エルヴィーラを置き去りにして、男たちは勝手に納得して話題を変えていく。
「ところでイジュウイン殿は偽
「恥ずかしながらほとんど何も」
「ファーテンブルグにきて間もないから仕方なかろう。ローテンベルガー伯爵、ルプン伯爵、シャハナー侯爵は国王派と呼ばれる派閥の筆頭だ。三家を合わせれば領民は軽く十万を越える。賦役で動員できる領民が仮に半数だとしても五万人以上。もし派閥の貴族に号令を掛けているとすれば……」
「十何万……いや、何十万の人間がケシの実の抽出液を採取するわけですかい。大将もとんでもないもんに目を付けられちまいましたね。対してコルダナ男爵家はたったの七百人程度。大将が損切りを選ぶのも無理はありやせんか」
「まぁ私はコルダナ様に拾われた身。どんな苦境に立とうともお支えする所存だがな。取り急ぎは当面の金をどう工面するかを考えるか……」
「それをいうなら某も大将に買われた奴隷ですぜ。大将の寛大なお心遣いで解放はされちゃいますがね」
「…………」
二人の会話を聞き、エルヴィーラは心を乱していた自分を恥じた。
家臣としての務めを果たそうとしている二人に対し、自分は癇癪を起してわめき散らしただけだ。
(醜態を晒してしまいましたわ……)
冷静さを取り戻し、エルヴィーラは馬車の車窓に視線を向けた。
それは悔しさの表れ。認めたくはないが――
「アウレリア様ならば……、なにかご存じかもしれませんわね」
エルヴィーラの呟きに、客車にいる誰もが押し黙った。
ツェーザルの専属
だが、それだけではない。
クラウスと遜色ないがほどに算術が操り、
イジュウインと比肩するほどの武芸の修め、
エルヴィーラと同等に商売の話ができ、なおかつ知識や機智に富んでいる。
国中を探しても、これほど万能で有能な
そしてエルヴィーラたちにとって、これが一番重要なのだが、ツェーザルのことを誰よりも深く理解している女であるということ。
部下三人が家を出て行った直後のことだ。
「ツェーザル様ー? 上手くやり過ごしたと思ってるところ悪いんですけど、実は色々と想定外でしたよねー?」
ふふん、お見通しなんですからねー、とアウレリアはドヤ顔で言ってきた。
二人きりになったことで、ツェーザルは
「当たり前だクソがッ!! 賦役? そんなの知るかよ!? つーかふざけんじゃねぇッ! なんで
怒り任せに、拳をダイニングテーブルに叩きつけた。
たしかに
今の状況を日本で例えるならば、
この異世界では商標登録なんて存在しないため、元祖
「しかも
前世において麻薬は、一部を除いて国家が撲滅を主導するほどの危険物だ。扱いを誤れば国そのものが崩壊しかねないほどの危機的な状況に陥る。
国がなくなれば
まず、価格を高額に設定し、使用者を富裕者層に限定させた。
そして、
さらに購入制限を設けて過剰摂取による突発死および中毒者にならないように配慮までしたのだ。
「それを馬鹿どもが! 砂糖菓子みてぇな感覚で
「あれ……? てっきり無策だと思ったんですけど、なに腹案でも?」
「あぁ、国王派が動いたってことは対立派閥の王女派が遅かれ早かれ動くだろうよ。転んでもただでは起きねぇのが信条だからな。今は巻き込まれねぇように手を引くのが一番だ」
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2024/6/23:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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