第10話
コルダナ男爵家のリビングには、ツェーザルが重用している幹部たち四人が集まっていた。
上座にはツェーザル。その傍らに立ち、控えているのは専属
そしてリビングテーブルの右辺に財務担当官と
エルヴィーラは役職柄、普段は領地外で活動を行っており、よほどの重要な案件が発生しない限りは顔を見せることはない。
(あのエルヴィーラが緊急事態っつーんだ。相当ヤベェ事態が発生したんだろう)
手紙には、緊急事態につき幹部全員の招集をお願いいたします、とだけしか記されておらず、詳細はツェーザルもまだ知らない。
文字には書けないほど込み入った内容なのだろう。
コルダナ男爵領外で活動していたエルヴィーラは、先ほど到着したばかりだ。休憩する時間すら惜しむ様子からも随分と慌てているのが分かる。
本来ならば緊張感ある空気が漂っているところなのだろうが――
(なんともシマらねぇ空気なんだよな……)
その原因を作っているのは他でもないエルヴィーラだ。
以前にアウレリアが『この世界の人には早いと称した』
前世では性風俗店も経営していた経験もあるので、この程度の色香で意識することはなかったが、この異世界では壮絶に刺激が強すぎるらしい。
クラウスとイジュウインは揃って赤面し、エルヴィーラから目をそらしていた。
「ン、ンッ」
ツェーザルは咳ばらいをし、場の空気を改める。
「エルヴィーラ。早速だが報告を――」
「申し訳ございませんツェーザル様」
言葉を遮ったのはクラウスだ。
職務に忠実な財務担当官は、不当なことさえしなければ主に従順――言葉を遮ったりなどしない。
視線――といっても黒の紗で目元を覆っているため顔をクラウスに向けると、彼は頭痛を堪えるように額に手を当てながら言った。
「その……、エルヴィーラ殿の服装はどうにかならないのでしょうか……」
「まったくハインミュラー殿の言うとおりですぜ。エルヴィーラ嬢、
イジュウインも苦言を呈す中、エルヴィーラはしなを作って言い返した。
「あら? 減るものではありませんからどうぞ存分にご覧になってくださいな。我慢できなかったら仰ってくださいまし。誠心誠意ご奉仕させていただきますわ。よろしければ今宵は五人で睦み合いましょうか?」
そのたった一言で、場の雰囲気がピンク色に染まった。
とある事情で高級娼婦をしていただけに、仕草の一つひとつが艶めかしい。
(四Pじゃなくて五P……?)
ツェーザル、イジュウイン、クラウス、そしてエルヴィーラ。
(――あ)
「ちょ……!? なんであたしが入ってるんです!?」
「仲間外れは悪いと思いまして。いけませんでしたか?」
「ダメに決まってるじゃないですか!?」
アウレリアの渾身の否定にエルヴィーラは心底残念そうに答えた。
「あらあら、それは残念。一人で殿方三人の獣欲を満たさなくてはいけない――あぁ、それはそれで興奮しますわね」
ペロリと舌で唇を舐める仕草は、艶めかしくもあり、獲物を目の前にした猛獣のようでもあった。
ツェーザルは苦笑し、クラウスとイジュウインの顔は引き攣っている。
「つ、謹んで辞退させていただきます」
「そ、某も……」
「あとでもったいなかったと嘆いても知りませんわよ?」
「そろそろいいでしょ。エルヴィーラ、報告を頼むよ」
ツェーザルの言葉にエルヴィーラは残念そうに呟いた。
「仕方ありませんわね。それでは報告を。まずは結論から申し上げます。今月以降、売春事業と
「な――ッ!?」
一瞬にして顔色を悪くしたのはクラウスだ。
エルヴィーラの担当している売春と
常にギリギリの資金でやり繰りしており、自転車操業といっても過言ではない。
財務担当官としては絶対に聞きたくなかった一言に違いなかった。
イジュウインも深刻そうな顔で腕を組んでいる。傭兵団の団長時代に資金繰りで難儀したことがあったのだろう。
「え……エルヴィーラ殿。冗談はその格好だけにしてもらいたいのだが……」
「今月以降ということは、来月もずっとということですかい?」
「えぇ、そうですわ。このまま手を打たなければ、売上は下がるばかりです」
発言を無視されたクラウスは、邪念を払うように首を振るった。
現実逃避をしている場合ではないと気づいたのだろう。
「その予測の根拠はあるのですかな?」
「同業者が僕らのやり方を真似てきたんだろうね」
クラウスの質問に答えたのはツェーザルだ。
それを追うようにアウレリアも口を開く。
「ですねー。売春事業も
「コルダナ様だけではなく……アウレリア殿まで……」
クラウスとイジュウイン。
ツェーザルとアウレリア。
両者の違いは、商売の知識があるかないか。その一点に尽きる。
クラウスとイジュウインは文官と武官。商売の仕組みが分からなくて当然だ。
前世とは違い、他業種を理解するような教育を施されているわけでもなければ、
そしてツェーザルは元日本人の非合法の商売を生業とするヤクザ。アウレリアはその薫陶を受けた弟子である。
事業を始めた瞬間からこの状況を予測していた。
むしろパクるのに三年もかかったのかと驚いているぐらいだ。
(日本だったら半年……いや、二、三ヵ月で類似品が出回るだろうからな)
ツェーザルとアウレリアの言葉に、エルヴィーラは恍惚とした表情を浮かべる。
「お二人ともさすがですわ。まさに仰る通りでございます」
「し、しかし……娼館はともかく
「クラウス。わずか三年じゃないよ。三年もあったんだ。原材料はファーテンブルグでどこにでも自生しているケシの実の抽出液だからね。少し調べれば簡単に分かることだよ」
クラウスの疑問に答えた後、ツェーザルは視線をエルヴィーラに向けた。
「それで、なにか対策は思いついた?」
当然、ツェーザルは対抗策を用意している。
しかし、最初からそれを授けては部下が育たない。
エルヴィーラもそのつもりでいるから答えはすぐに返ってきた。
「はい。まずは売春事業からですが、現在は一つの娼館に複数の嗜好に合わせた娼婦を配置しております。それを一つの嗜好にのみ特化した専門の娼館を競合周辺に開店させることで流出した顧客を奪い返しますわ」
エルヴィーラが提案内容は、すでに日本で展開されている性風俗の最終形態だ。
セーラー服やメイド、熟女――マニアックなところでいけば妊婦しか在籍していない専門店である。
現在の一つの店舗で複数の性的嗜好を取り扱うことで、一ヵ所に多くの性的嗜好を持つ客を呼べるというメリットが反面、属性に対応する娼婦の絶対数が少なくなってしまう。
例えば、娼婦十人がキャパの娼館に五つの性的嗜好を取り扱えば、一属性に着き二人の娼婦しか在籍させられない。
一方、専門店ならば十人全員がその属性の娼婦にできる。二人と十人では、どちらが顧客の多様性に応えられるか、という話だ。
そして、もう一つ。
競合周辺への開店だ。
これはコンビニエンスストアでよくやられている手法で、一ヵ所の地域に同ブランドの店舗を複数開店させて競合を干上がらせる――いわゆる囲い込み戦術である。
日本人ならば当たり前と思うかもしれないが、前世の知識もなく文明レベルの低い異世界人が、そうそう思いつくような発想ではない。
エルヴィーラの聡明さは驚嘆に値する。
前世の知識というアドバンテージがなければ、悔しいがツェーザルでは足元にも及ばないだろう。
しかし、事実を知らないエルヴィーラは、ツェーザルこそ不出世の天才だと信じ切っている。
(クソがっ! 超やりづれぇ!?)
だが、やるしかないのだ。
売春事業に
三つの業務を任せられる人材は他にいないのだから、下手に失望させて見限られるわけにはいかなかった。
エルヴィーラの期待の込められた視線が痛い。
(ツェーザル様ならば私如きが考えたものよりも優れた案をお持ちのはずだ! とかなんとか思ってんだろ!? ふざけんな! ンなもんあるわけねぇだろ!!)
だが、やるしかないのだ。
「たしかに、これが娼館じゃなければ有効な手だとは思うよ」
「――娼館でなければ……でございますか」
「そう。人は誰しも自分の性的な嗜好を知られるのは恥ずかしいものだからね。それが一般的ではないならばなおさらだよ」
「
「エルヴィーラは業界に毒されすぎ。普通は恥ずかしいの。ね、イジュウイン?」
「そこで某に振りやすか!?」
「で、答えてくれるの?」
「答えるぐらいなら切腹を選びやす」
イジュウインのガチな反応に、ツェーザルはエルヴィーラを見やった。
「ね? 普通はこういうもんなんだよ。うちの客層である貴族や大商人だったらどう? もっと忌避感が強いと思うんだよね。そういう人たちが専門店に足を運ぶかな?」
貴族や大商人はヤクザ以上にメンツを気にする人種だ。
専門店に行けば、それだけで自分の性的嗜好を暴露するに等しい。
その言葉にエルヴィーラの
「さ、さすがはツェーザル様ですわ……ッ!」
「いま僕らにできることは、娼婦の質を上げることぐらいだろうね。そのあたりはエルヴィーラの得意分野だよね」
「はい、心得ております!」
ツェーザルが身請けするまで、エルヴィーラと言えば『
娼婦に北欧神話の女神の名を冠するのは不敬だと思うのはツェーザルが元地球人だからだろうか。もっとも、愛の女神であるから、ある意味、的を射ていると言えなくもない。
ともすれ、エルヴィーラが『
事情を知らない者からすれば、「俺との相性抜群では!?」「え、これ運命のであいじゃね?」「もはや俺の嫁!」と一瞬にしてエルヴィーラの虜になる。
もちろん相性抜群でも運命でもないければ嫁でもない。
タネもシカケもアリアリ。
エルヴィーラの徹底した情報収集と記憶力によって成された不断の努力の賜物だ。
まさに才女。
すべての娼婦がエルヴィーラと同等の技術を身に付けられるとは思ってはいないが、彼女を指導を受ければ確実に質は向上するだろう。
「あと懸念されるのは娼婦の引き抜きと誘拐……嫌がらせ、かな。イジュウイン。どのくらいの兵士を捻出できる?」
「ハッ。五十ならばいますぐにでも出せやすぜ。道の整地に支障がでても構わないなら百は出せますがどうしますかい?」
「なら五十で。采配はエルヴィーラに任せるね」
「御意」
「ありがとうございます」
イジュウインとエルヴィーラの返答を聞き、ツェーザルはもう一つの看過できない問題に話題を向ける。
「あとは
こっちの対策は? と視線だけで問いかけた。
エルヴィーラは渋面をつくり、
「誠に申し訳ござません。お恥ずかしいながらこちらに関してはまったく対応が思い浮かばず……」
「そんなに恐縮しなくてもいいよ。この場合、何もしないのが正解だからね」
「なにもしないのが正解……? ……………………、――ッ!?」
エルヴィーラは黙考し、一瞬で答えに辿りついたらしい。
(いや、どんだけ頭の回転が速ぇんだよ!?)
東大卒の人間は過程をすっとばして結論に行きつくため、凡人とは会話のテンポが合わないと聞いたことがあるが、まさにそんな感じだ。
目を見開き、歓喜に震えた声で「さすがツェーザル様ですわ……」と呟くエルヴィーラに、凡人筆頭のクラウスが苦言を呈した。
「いや、さっぱり分からないのだが、どういうことだエルヴィーラ殿?」
「
「無論だ。元スラムの住民七百人が総出で取り掛かって、ようやく需要に供給が追いついているのだからな」
「そこですわ。ツェーザル様の崇高で寛大な御心で救われた大勢の元スラムの住民が大恩を返すべく必至で働いてくれているからこそ成り立っているのです。果たして、同等の賃金で働くものがこの国にいると思いまして?」
「それは……」
クラウスが言葉に詰まるのも無理はない。
元スラムの住民の日給は鉄貨一枚。日本円換算で百円だ。
この異世界での一般的な日給は、鉱夫で小銅貨五枚。日本円換算で二千五百円。
物価の違い――水より
「他者が
「だろうな。原材料費が高額になるならば、偽物の
クラウスも、ようやく理解したらしい。
同品質ならば安い方。同価格ならば良質な方を求めるのが消費者の心理だ。
そして、パチもんは本物に比べて品質が劣るのは必定。なにもせずとも偽物の
「
(…………………………え?)
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2024/6/23:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
2023/9/16:クラウス・ハインミュラーの呼称および地の文の表記を修正
イジュウインの口調を変更
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