第9話

「……先触れをやったのに出迎えもなしか。歓迎されてねぇな」

 貴族専用の通用門を通った先には、誰もいなかった。

 爵位も年齢も上だが、借りた金を滞納している者の対応ではない。

「これは相当なめられてますねー」

「まぁいいんだが。こっちは金を返して欲しいわけじゃねぇからな」

 領主邸に到着すると、さすがに出迎えはあった。

 が、その人物は最上位の使用人である家令ハウススチュワードではなく、ナンバー2の執事バトラーだ。

 ツェーザルを歓待する意思はないということだろう。

 執事バトラー案内で応接室に通された。

 ソファーに腰かけ、後ろにアウレリアが控える。

 護衛は館に立ち入りさせてもらえず、馬車で待機させていた。

 そして待たされること小一時間。

(良い度胸してんじゃねぇか……)

 ようやく現れたヒンデミットは、相変わらず締まりのない腹が突き出ていて、アホ面した顔はさながらオークのようだった。

 その素振りからは申し訳なさは微塵も感じられない。

「コルダナ男爵。此度は遠路遥々ご苦労でしたな」

「ヒンデミット子爵もご壮健そうでなによりです」

 挨拶を交わし、お互いに着席した。

 本来ならば日常会話から始めるのが貴族の礼儀らしいが、早く用件を終わらせたいツェーザルだけではないだろう。腹探り合いをしている時間すら勿体ない。侮られたり、嫌味を言われるぐらいならば安いものだ。

「ヒンデミット子爵の貴重なお時間を奪ってしまうのも忍びないので、早速本題に入らせていただいても?」

「ふむ……。襲爵して間もないコルダナ男爵は貴族の礼儀にまだ慣れていないようですな」

 予想どおり、嫌味が飛んできた。

 しかし、すぐさま自らの言葉を翻してくる。

「まぁいいでしょう。私も暇ではありませんからな。些事はさっさと終わらせてしまいましょう」

「些事……ですか」

「おっと失礼。つい本音がもれてしまいましたな」

 つまらない挑発だ。

 ツェーザルは営業用の笑みを浮かべて軽く受け流す。

「いえいえ、お気になさらず。それで、融資金の返済その些事ですが、どのようになさるおつもりで?」

「どうするもなんも金を返すアテがなくなってしまったのでな。不足分は担保で賄ってもらいたい」

「分かりました。それで手を打ちましょう」

 即答したツェーザルに、ヒンデミットは訝しむ素振りもなく、目をそむけたくなるような醜い笑みを浮かべた。

「いやはや、話が早くて助かりますな。しかし、あとで文句を言われても困りますぞ?」

「ご安心ください。融資の際にもお伝えしましたが、恥ずかしながら僕の領地ではもう村を拓ける場所がないのです。ですから、今回の担保は僕にとって融資金と同等の価値があるのです」

 その言葉に嘘偽りはない。

 スラムの住民を拉致し、コルダナ男爵領の領民は爆発的に増加した。

 しかし、コルダナ男爵領には百人を超える領民は食料的な事情で養えず、それどころか既存の住民と拉致してきたスラムの住民新しい領民の間で諍いが起きるのは目に見えている。

 だからツェーザルは一計を案じた。

 資金難に苦しんでいる低位の貴族に、領地の一部――それも、その貴族にとって失っても痛くはない場所を担保とすることを条件に多額の融資を持ち掛けたのだ。

 今回の担保は、領内にある廃鉱となって打ち捨てられた鉱山の村廃村。そこ中心とした半径一リーユ(約四キロメートル)である。

 ヒンデミットは腹の中でこう思っただろう。

 ――これは融資という名の土地売買なのだ、と。

 建前上、数ヵ月は返済をおこない、頃合いを見計らってそれを打ち切る。

 ツェーザルも形だけの督促状を送り、頃合いを見計らって自ら債権回収に貴族の下を訪れる。そして担保による補填で話をつけるのだ。

 踏み倒し、踏み倒されるのが双方の中で既定路線。だから話も早い。

 それに、ヒンデミットで四人目のため、ツェーザルも慣れたものだ。

「アウレリア、契約書を」

「かしこまりました」

 横に控えていたアウレリアが革の鞄から丸められた羊皮紙を取り出し、手渡してくる。それをローテーブルの上に広げて言った。

「ヒンデミット子爵。内容を確認してください」

「では確認させてもらいましょうかな」

 ヒンデミットは余裕の態度で羊皮紙を手に取り、記載されている文章に目を走らせた。

 しかし、その余裕はすぐに消え失せる。

「な――なんだこれは……!?」

「担保とした土地の賃貸借契約書です」

 これまでの三人も同じようなりリアクションだったため、ツェーザルの返答は最早作業のような感覚だった。

「ふざけるな! これでは話が違うではないか!」

「それは異なことを。どう話が違うのですか?」

「――ッ」

 頭の回転の鈍いヒンデミットは、すぐに言葉に詰まってしまう。

 まさかここで、土地を売買するという話だったはずだ! などと口が裂けても言えるはずがない。

 国法によって領地線の変更は禁じられている。

 この異世界に録音機は存在しないが、言質を取られることは弱味を握られるのと同義だ。

 そして、この国法こそがヒンデミットの余裕の正体である。

 担保だろうと土地を渡してしまえば、それは国境線の変更に他ならない。ゆえに担保による補填はできず、しかも融資金の返済は不要。

(襲爵したばかりの若造の考えた浅はかな企みなど思ってたんだろうが、役者が違ぇんだよバカが)

 暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律――いわゆる暴対法で、ヤクザも商売シノギが難しくなってきた。そんな中、若くして幹部まで上り詰めた元ヤクザの手腕は伊達ではない。

「ヒンデミット子爵。これからは契約書は良く読み込み、曖昧な文言は明確になるまで確認することをお勧めします」

「――なんだと……」

 射貫くような視線をツェーザルは軽く受け流し、アウレリアから手渡されたもう一本の羊皮紙を広げて見せた。

「融資契約書の写しです。第六条一項。担保とした土地はツェーザル・コルダナの使用するものとする。と記載されています。書き換えたと思うならば、後ほどヒンデミット子爵の手元にある融資契約書で確認してください」

 使用する。なんとも日本人らしい曖昧な表現だ。それをヒンデミットは勝手に土地を譲渡すると勘違いした――勘違いするように誘導したのだ。

「こんなものは詭弁だ! 賃借期間は無期限! 賃借料は無料だと!? これでは貴様に土地を譲渡したようなものではないか!」

「賃貸借契約書はきちんと読み込まれたようでなによりです。しかし、土地の所有者はヒンデミット子爵ですから領地線の変更には該当しません」

「そんな……そんなこと出来るわけがないだろう!?」

「なぜです?」

「陛下からお借りしている土地を又貸しするなど不敬な真似ができるものか!」

(陛下ねぇ……)

 この異世界では、領地は国王陛下から下賜されたものではなく、貸与されているものらしい。

 ゆえに領地線の変更は、国王陛下に「おまえが決めた領地が気に入らない」と言っている喧嘩を売っているに等しく、禁止されているというわけだ。

 ヒンデミットは、同じ理屈で又貸しなど不敬だと切り返してきたが、浅はかにもほどがある。

「おや、ヒンデミット子爵は領民に地代や人頭税とっていないので?」

「ぐ……っ」

 人頭税は日本でいうところの住民税みたいなものだ。住んでいるということは家があり、家は国王陛下から貸与された領地の上に建っている。

 つまり、土地の賃貸借――又貸しをしているというわけだ。

 ヒンデミットの論理は完全に破綻している。

「さて、異論がないようであれば賃貸借契約を取り交わしたいのですが?」

「………………………………分かった」

 元々、担保として差し出す土地はヒンデミットにとって無価値である。

 ツェーザルに一杯食わされ、感情的には我慢ならなくとも多額の融資金を踏み倒せるのだ。結果だけをみれば、ヒンデミットに不利益はなく、利益しかない。

 仮に融資契約を破棄、ないしは向こうにしようものなら、契約に不備がない以上、ヒンデミットは契約も守れない貴族として他の貴族だけではなく商人からも見放されてしまうだろう。

 そうなれば貴族として社会的に死んだも同然だ。

 だからこそ、苦虫を嚙み潰した顔をしながらも頷かざるを得ない。

 その後、賃貸借契約は粛々と進み、ツェーザルは計画通りに廃村の周囲四キロメートルの土地を得たのであった。



 ツェーザルに領地の一部を無期限かつ無料で賃借されられた一ヵ月ほど経ったころ、ヒンデミットはその土地に密偵を放った。

「クソ……ッ! あんな若造に良いようにやられて黙っていられるか! あれほど執着していたんだ。きっと何かあるに違いない!」

 今回の取引きで利益はあったものの、やはり感情的には我慢ならなかった。

 あの廃村の一リーユ(約四キロメートル)圏内には廃鉱が存在する。まさか、ヒンデミットが知らないだけで鉱脈が生きているのかもしれない。

 そうでも考えなければ、ツェーザルは多額の融資金を踏み倒されて大損をしただけになる。

(もし鉱脈があるなら、何をしてでも奪い返さねば……)

 しかし、戻ってきた密偵の報告は、ヒンデミットの予想を完全に裏切る者であった。

「廃村にには百名近い人が暮らしておりました。早朝にはケシの実を刃物で傷つけ、夕方に分泌液を採取。日中は道となる場所を整地しており、これはコルダナ男爵領からの物資を運搬しやすくするためだ思われます」

 ケシの実から抽出される分泌液は、強力な痛み止めとして重用されている。人でや手間がかかるわりに少量しか得られないため高額で取引されていた。

 それなのにヒンデミットが、あの土地を無用の長物とした理由は、ケシの実が一年草だからだ。

 賦役として多くの領民を動員することは可能だが、その間はほかの仕事が出来なくなる。領民によっては移動に十数日かかる者もおり、その期間の損失を考えれば不利益の方が多くなる。正直なところ割に合わないのだ。

 一方、貧しい土地を貸し与えられている男爵程度ならば、十分に有益だろう。

 それこそ多額の融資金を踏み倒されても、将来的には元が取れるほどに。

 密偵からの報告は、ツェーザルが無理をしてでもあの土地を欲しがった理由を補強するものでしかなかった。

「まさか……、本当に特別な理由などなかったというのか…………」



「――と思ってなろうなバーカ。ンなわけねぇじゃん」

 中世の文明レベルで生産が可能な麻薬は、コカ、大麻、アヘンの三つ。

 麻薬で有名なコカインやヘロイン、覚醒剤といった強力な麻薬は、科学技術の進歩によって特定の化学物質を抽出したり、性質を改変できるようになってから生産されるようになった麻薬だ。年代でいえば十九世紀以降になる。

 そして十九世紀以前――中世では、コカや大麻、アヘンは麻薬ではなく嗜好品や栄養児、医薬品として見なされていた。

 襲爵の儀の前、スラムの住民を拉致しにいった都市シュラーベンで、ツェーザルが薬局に赴いたのは、この裏付けを取るためであった。

コカは葉っぱを噛むことで疲労回復や眠気を軽減する嗜好品ないしは栄養剤。

 大麻は腹痛や頭痛などの軽い痛みに用いられる鎮静剤。

 アヘンは手や足を失うほどの重症者に用いられる鎮痛剤。

 ちなみに、アヘンを精製して生産されるのが、最も危険と名高いヘロインであり、最強の鎮痛剤と謳われているモルヒネだ。

 そしてアヘンだけが唯一、精製しなくても現代の地球にある麻薬と同等の効果を有している。

「ツェーザル様。一つ疑問なんですけど、この異世界でもケシの実の抽出液アヘンは鎮痛剤として一般的に用いられてますよね? なんで麻薬あぶないクスリとして認知されていないんですか?」

「あー、それな。摂取方法が違ぇんだ。小難しい話になるが、アヘンってのは脳中枢神経に作用する麻薬だ。鎮痛剤として口から飲むと麻薬物質は腸で吸収されて、少ししか脳中枢神経に運ばれねぇ。だから効果が薄い。が、精脈注射や喫煙でなら脳中枢神経にダイレクトで運ばれる。しかも速効でだ」

 ヨーロッパでは経口摂取が主流であるため、アヘンが麻薬であるという認識はない。

 一方、中国では喫煙が主流であったため、早い段階からアヘンが麻薬だと認識されていた。

「…………よく分からないですけど、麻薬メフィレスがタバコにしている理由は分かりました」

「それだけ分かれば十分だ」

 中世のタバコはパイプで吸われている。だからタバコ葉に乾燥した少量のアヘン粉末を混ぜて販売している。

 少量である理由は、大量の麻薬中毒者を出して目を付けられたくないため、嗜好品レベルまで効果を落としたかったのと、採集量が少ないからだ。

 一キログラムのアヘンを得るのに、約二千本のケシの実が必要な上、一年草で年一回しか抽出できない。ケチるのは当然だろう。

 ちなみに、麻薬メフィレスの名は、ドイツのファウスト伝説に登場する悪魔、メフィストフェレスを元ネタにしている。

 メフィストフェレスは、主人公のファウストが地上の快楽を体験し尽くす代償として魂を売った相手で、堕落した人々の魂を集めるのが使命とされている。

 麻薬の名前には、まさに打って付けのネーミングだ。

「これで賃貸借している土地は四つ。ようやく麻薬メフィレスの自給自足が出来るようになったわけだ。得られた利益でもっと土地を得られれば……ククククッ!」

「うわぁ……。ものすっごく悪い顔をしてますよー? それはそれで素敵ですけどッ」

「テンプレ悪徳貴族ライフに一歩近づいたんだから当たり前だろ」

 ツェーザルは、アウレリアを抱き寄せ、口づけを交わす。

 頬を酒に染めたアウレリアだったが、表情はどこか不満気だ。

 その理由が分からないほど、ツェーザルは初心ではない。

「ツェーザル様……。あの……、いつになったら……、その…………、ご寵愛を頂けるのでしょうか……」

「分からねぇよンなこと」

 ぶっきらぼうに言い返す。

 アウレリアとはまだ本番をしていない。

 許しているのは口での奉仕まで。ツェーザルも手と口を使っての愛撫までだ。

 結ばれたくないわけではない。

 だが、妊娠――正確にいえば出産のリスクが大きすぎるからだ。

 医療技術が未発達の中世において、出産による母体の死亡率は極めて高い。

 ツェーザルとしては唯一無二の理解者であり、盟友を失いたくはなかった。

「医療系の神に祝福された証ゼーゲンをもったヤツが必ずいるはずなんだ。そうじゃなきゃ、この異世界の平均寿命の高さが説明できねぇ」

 中世で知られているはずのない公衆衛生の概念。

 そして、おそらく異常な進歩を遂げているのは公衆衛生学だけではない。

 その理由が人口だ。

 中世ドイツで一万人以上の都市が十数しかなく、ほとんどの都市人口は五千人以下だった。

 ツェーザルは、てっきり人口一万人の都市、ターベルク伯爵領の都市シュラーベンが十数側だと思っていたのだが、そうではないのだと最近になって分かった。

 これはスラムの住民を拉致するため――もっとも最近は別の者にやらせているが――、または融資を行うために多くの都市に行って分かったことだが、そのどれもがも一万人規模の人口だったのだ。

 人口の増加は公衆衛生の概念が広まっただけで片付けられるものではない。

 乳幼児死亡率の低さ。これも重要な要因だ。

 前世の中世では、乳幼児死亡率が極めて高く、また出産は命がけであった。

 コルダナ男爵領に医療系の神に祝福された証ゼーゲンをもった者がいないだけで、高位貴族の領地にはいるのではないか。

 まだ仮説の段階だが――

「いまエルヴィーラに探らせてる。それまでこれで我慢してくれ」

 ツェーザルは慰めるように唇を重ねた。

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