第36話

「け……けいばじょう……?」

「走らせた騎馬の順位を当てる遊び賭け事です。騎馬の人気ごとに払戻率が決められていて、一位だけを当てる、一位と二位を当てる、一位と二位と三位を当てるなど、当てるのが難しくなるほど払戻率が上がります」

 ツェーザルは競馬について事細かに説明していく。

 将来的に競走馬は貴族たちから参加を募るような形式にするが、競馬が浸透するまではトンペックとアイスラー、そしてツェーザルが用意する。

 競走馬の名前は自由で、「覇王トンペックとかいいですね。自分の馬が一位をとったらもう最高の気分ではありませんか?」と例を挙げたところトンペックは目を輝かせて大きく頷いていた。

 四ヵ月に一度の大会に勝利した馬が、一年に一度の大会の参加資格を得られ、ファーテンブルグ一位の馬を競わせる。

「その年に一回の大会は、トンペック杯――いや、由緒正しい都市の名を冠してフェルローデ杯と名付けましょう。ファーテンブルグ一の栄誉を得るため、その瞬間を見るため、貴族たちは大いに盛り上がること間違いなしです」

「おぉぉぉっ!! なんと素晴らしい!!」

 もはやトンペックはノリノリだ。

 ここにも、作家、D・カーネギー著『人を動かす』が活かされている。


 カーネギーとプルマンが寝台車の売り込みにでしのぎを削っていた時の逸話だ。カーネギーはプルマンに両社合併案を提案した。互いに反目し合うよりも提携した方が、はるかに得策だと熱心に説いたのだ。

 やがてプルマンはカーネギーのこう尋ねた――

「ところで、その新会社の名前はどするのかね?」

 すると、カーネギー は、言下に答えた。

「もちろん、プルマン・パレス車両会社としまよ」

 プルマンは急に顔を輝かせて、こう言った

「一つ、私の部屋で、ゆっくりご相談しましょう」

 この相談が、工業史に新しいページを加えることになっ たのである。

 

 このように、名前と言うのは非常に大切なものなのだ。

 おそらくトンペックは、覇王トンペックという自らの名を冠した競走馬がフェルローデ杯を制し、ファーテンブルグ一位となった瞬間を夢想したに違いない。

 承認欲求は人間ならば誰しもがもつ基本的な欲望の一つだが、貴族はとりわけその欲求が強かった。ヤクザと同じようにメンツを大事にしている人種だからだろう。

 立地条件的にフェルローデしか競馬場を造れないという唯一無二性も大いに効果を発揮している。

 振り切れたバカであっても、やはりトンペックは貴族であった。

 肥大した承認欲求を満たされる道筋が示され、トンペックは一も二もなく飛びついてくる。

「さすがはコルダナ男爵! フェルローデを良く理解しておる!!」

 元を辿れば『カルイザワ』のせいで今の状況に陥っているわけだが、完全に忘れ去ってしまっているようだ。

「トンペック伯爵の祖父――バルナパス様が築いた領地を幾久しく残していくにはどうすればよいのか、僕なりに考えてみた結果です。喜んでい頂けたならばこれほど嬉しいことはありません」

「なんと……なんと……ッ。御爺様の名を……くっ……」

 トンペックは手で目を覆い、俯いた。

「どうしましたか!?」

「――いや……、コルダナ男爵――いや、ツェーザル殿。私は御爺様――祖父を心の底から尊敬しているのだ。祖父の偉大なる功績があってこそ、トンペック伯爵領はここまで発展できたのだからな。しかし、どの貴族たちも讃えるのは祖父ではなく私ばかり……。私など、祖父……そして父上から託された領地を守っていたにすぎないというのにな……」

「トンペック伯爵様。それは自分を卑下し過ぎているというもの――」

「いいのだ。真に偉大なのは祖父であって私ではない」

 最初の尊大で横柄な態度とは打って変わり、憑き物が落ちたかのように真摯的な顔つきになっている。その姿はまるで別人だ。

 あまりの変貌ぶりに後ろで控えている家令ハウススチュワードも心配そうに声を掛けた。

「旦那様……」

「心配ない」

 手で制し、トンペックは深く長い息を吐いた。

 両の手で頭を抱え、額が膝に付きそうなぐらいに背を丸めている。

 まるで懺悔のようだった。

 長いような短いような沈黙。

「――私は……、私自身の手で功績をつくりたかったのだ……。だが、私にはその才覚がなかった」

「そのようなことは……」

「やめてくれ」

 家令ハウススチュワードの慰めをトンペックは一蹴する。

「私がまだ家督を継いでいなかった頃、父上に進言して行った事業が成功したか?」

「…………」

 家令ハウススチュワードは何も言わない。

 いや、言えないのだろう。

「九回だ。さすがにそこまで失敗すれば私も気づく」

(そこまでやらないと気づかない方がどうかと思うんだが!?)

 声に出さなかったのは、ある意味奇跡だ。

 アウレリアを一瞥すれば、ドン引きのあまり口を手で覆っている。

「父上は、私の失敗を尻拭いするだけの能力があった。それだけの能力があれば、領地は――フェルローデはより発展できたかもしれないのに、だ。私はそれが悔しくてたまらなかった……ッ。しかし、父上は祖父から継いだこの土地を守るのが務めだと考えを変えてはくれなかった……」

 トンペックは顔を上げ、ツェーザルを見た。

「伝統を守り続ていく……と言えば立派だが、時代は流れ、変わっていくものだ。その変化に対応できなければ、ただ廃れていくだけでしかない。『カルイザワ』に客を取られるのは必然。なるべくしてなっただけのこと。それを恨むのは逆恨みであろう」

「……トンペック伯爵様」

「ツェーザル殿。そのような他人行儀な言い方はよしてくれ。私は祖父バルナパスに敬意を示してくれた貴殿とは今後とも好い関係でいたいのだ。どうかヒエルニムスと呼んではくれないだろか」

「は、伯爵様さえよろろしければ……」

 トンペックの中で、ツェーザルの好感度は爆上げ状態だ。

 人の名前は重要だと分かっていたが、まさか祖父バルナパスがトンペックの心に刺さる一言だったとは思いもよらなかった。

 ツェーザルとしては何気なく言った言葉なのだが、交渉の場でははままある起こることではある。

「そうか! ありがとうツェーザル殿!!」

「いえ……それよりもトンペック……いや、ヒエルニムス殿。すでにご存じのように、なぜだか僕は国王派から目の敵にされています。僕の提案を受けて競馬場を建設するとなれば、黙っていてもいずれは国王派に知られることとなるでしょう」

 その言葉を受けて、トンペックはおもむろに立ち上がり、深く頭を下げた。

「申し訳なかった……ッ!」

「ちょっ……、ヒエルニムス殿、なにを……っ!?」

 謝罪の意味が分からないツェーザルは混乱して自らも立ち上がった。

 それでもトンペックはまだ頭を下げ続けている。

「『カルイザワ』の襲撃のことだ。ルプンが勝手にやったこととはいえ、元を辿れば私が不甲斐なかったからだ。人的、物的にも相当な被害がでただろう。損害額をまとめて請求してくれ。それに信頼の回復にも全力を尽くすそう。ことの経緯を暴露すればすぐにでも――」

「ちょ! ちょっと待ってください!! ヒエルニムス殿は国王派を敵に回すつもりですか!?」

「当然だ。私はそれほどのことをしたのだからな」

(コイツ……、本当にトンペックか……!? 果断がすぎるだろ!?)

 恥も外聞も矜持も捨てたトンペックの覚悟は常軌を逸していた。

 この覚悟と決断力を新事業で発揮していたならば、きっと大成していたに違いない。

 そんなことよりも、トンペックの誤解を解く方が先だ。

「ヒエルニムス殿、まずは落ち着いてください! そもそも『カルイザワ』は襲撃による被害を受けていません!」

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