第37話

「被害がない……? まさか……。ルプンは二百人近い傭兵を襲撃させると言っていたのだぞ?」

「襲撃の情報を事前につかんでいましたので、対策を打たせてもらいました」

「バカな……いったいどうやって……」

「うちには優秀な部下が揃ってますので。ともかく、被害はまったくないどころか、『カルイザワ』の安全をより強調するための宣伝材料に使わせてもらいましたので暴露も損害賠償等は不要です」

 逆に、暴露されては国王派を敵に回すだけではなくトンペックの評判にも傷がついてしまう。そうなれば競馬場の客付きに多大な影響を及ぼしてしまうので、ツェーザルとしてはなんとしても避けたいところだった。

 一方トンペックは、驚きの視線を送っていたが、すぐに被りを振るう。

「優秀な人間のもとには優秀な人間が集まるというわけか」

「買い被り過ぎです。それよりも僕が言いたかったのはヒエルニムス殿と国王派との関係です。国王派に嫌われている僕の提案に乗ると言うことは――」

「よい、みなまで言わなくとも分かる。関係が悪化するだけではなく、派閥にはいられなくなるだろうな。だが、もとより私は国王派を敵に回しででもツェーザル殿に償いをしようとしていたのだ。なにも問題はない」

(男気あり過ぎだろ……。マジで別人なんだが……)

 典型的なお坊ちゃまが、この短時間で国内最大派閥の非道を弾劾しようとするほどの変化に衝撃を隠しきれない。

「よろしいのですか?」

「よろしいもなにも、私はリュプセーヌへの侵攻に乗り気ではないからな。戦争が起これば保養どころではなくなる。客足が遠のくのが分かっているのだ。積極的に与するわけがないだろう」

「…………えっと……。……ではなぜ国王派に?」

「国王派に属せば、派閥の貴族たちを囲い込めるという父上の政策を引き継いだだけだ。事実、『カルイザワ』ができるまでフェルローデは潤っていた……あぁ、先ほども言ったが、ツェーザル殿が気に病むことではない。現状維持しかできなかった私が悪いのだ」

 トンペックは自分が悪いと言っているが、ツェーザルはそうは思わなかった。

 国王派に属しているからこそ、既得権益が守られていたのだ。他の貴族が保養地をつくったとしても、国内最大派閥に睨まれてはたまらない。

 実際、『カルイザワ』は国王派の妨害を受けている。もしこれがツェーザルでなければ、完全に詰んでいただろう。

「しかし……、それならば僕の提案に乗らなくても良いのではないですか? 『カルイザワ』に客が流れたとはいえ、国王派の属しているからこそ一定数の利用客がいるはずです。こう言ってはなんですが、フェルローデの規模を縮小すれば十分に採算がとれるレべ――水準だと思いますが」

「ツェーザル殿。領地を発展させたいという思いはあるのだ。しかし、跡継ぎであった時とは違って今の私は当主だ。尻拭いしてくれる者はいない。失敗は許されない状況にもかかわらず、私には才能がない。現状維持何もしないのが領地にとっての最善手というのがなんとも皮肉な話だがな」

 はっ、と自嘲し、トンペックは言葉を続ける。

「国王派は支援金を受け取るだけで領地経営の助言もなにもしてくれはしなかった。――まぁ、客を融通してくれる対価と言われればそれまでだが、ツェーザル殿はフェルローデのまったく新しい道を示してくれた。それが他人が考えた案であろうと自分の代で領地が発展する未来が見えたのだ。この機会を逃せば、私は必ず後悔する」

「そこまで評価していただき光栄です」

「とんでもないことだ。こちらこそ、競馬場の地をフェルローデに選んでくれてありがとう。感謝する」

 トンペックは右手を差しだしてきた。ツェーザルもその手を握り返す。

 口約束ではあるものの、協力関係はここに成立した。

 お互い着席し、面会開始とは打って変わって和やかなムードになる。

 家令ハウススチュワードが「飲み物を変えさせます」と一言断ってから退席し、すぐに戻ってきた。執事バトラーに指示を出してきたのだろう。

「ヒエルニムス殿。詳細はまた後日に詰めるとして、まずはフェルローデの営業を一時的に止めましょう。このまま営業を続けていても赤字が増えるばかりです」

「………………そうか……。そう……だな……」

 苦渋したのち、絞り出した言葉の意味をツェーザルは正確に察した。

 フェルローデの営業を中止すると言うことは、そこで働いている者たちが職を失うと言うことだ。

 正直、今回の短い会話だけでトンペックに商才があるのかどうかは分からないが、新事業が上手くいかなかった理由がよく分かった。

 決断力があまりにも乏しすぎるのだ。

 その証左が、フェルローデの営業停止に即答できずに、あいまいな同意である。

 だからツェーザルは言った。

「フェルローデで働いている者たちの給金は僕が保証しましょう。彼らは競馬場で働いてもらう予定ですので、失うわけにはいきません。競馬場への改築がはじまるまで少なくとも半月は要するでしょうから、『カルイザワ』で働いてもらいます」

「…………恩に着る」

「協力者なのですから当然です。フェルローデをどのように改築するかは持ち帰り、草案をつくってきます。一ヵ月半後に持参したいと思うのですが?」

「そんなに早く……?」

 コルダナ男爵領とトンペック伯爵領の往復だけで半分以上の日数が割かれてしまう。加えて領主不在で溜まっている仕事を片付けることも考えれば、草案をまとめる時間は、二週間もない。

「移動中は暇ですから。――あとフェルローデの者たちを『カルイザワ』へ移動させる手配は早馬を使うのでもっと早く迎えの馬車を寄こせると思います。その間は特別休暇として領民の労ってください」

 前世で競馬場を参考にすれば草案はすぐにでも作成できる。

 東京競馬場に浦和、大井、川崎、市川、中山、船橋。

 競馬は基本的に土日にレースが行われる。フェルローデでも週二回連日でレースを行うつもりだ。

 その日にだけ賑わう博都フェルローデ。

 客は泊りがけでくるだろうから、宿はそのまま。フェルローデの街に手を付けるつもりはない。レースのない日は農耕に従事してもらう。なにを生産するかは土地の状態を見て決める。

 競馬場は街の外に建設する予定だが、元々平地なので大工事にはならないだろう。

 上手く事が運べは一年以内に、保養都市フェルローデは博都フェルローデに生まれ変われるはずだ。

 麻薬と女、そして賭け事は大いに儲かる。

 ツェーザルはほくそ笑みながらトンペック伯爵領をあとにした。

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