第38話
ドレーアー伯爵家はファーテンブルグにおいて異色の貴族だ。
貴族は産まれた時から貴族であり、愚劣で蒙昧な民たちを導くべき尊き存在である。それがファーテンブルグ貴族の常識だ。
しかし、ドレーアー伯爵家だけは違う。
貴族は産まれた時から貴族なのではなく、民たちから貴い存在だと認められる行いをして初めて貴族に成るなどと平気でのたまう馬鹿どもだ。
所詮は初代国王に見初められて貴族に取り立てられただけの愚鈍な平民。
おそらくほとんどの貴族がそう思っているにもかかわらず、建国当初からの悪習は脈々と現在に至るまで続いており、王族の傍らには常に
現国王陛下にはドレーアー伯爵家当主が――
アレクシス王太子殿下には長女のエレオノーラが――
リア王女殿下には長男のフェリクスが――
彼らの一言はときに侯爵の発言よりも重用される。
シャハナーとしては、これほど目障りな存在はない。
だが、当時十五歳であったアレクシス王太子殿下が悪習に終止符を打った。
「父上は甘すぎるのだ……。いまはリュプセーヌと良好な関係だからといってもそれが永遠に続くわけではない。百歩譲ってヴォロディーヌ国王の治世のうちはよいかもしれぬ。だが次代の国王はどうだ? 彼の国は我が国の足元を見て値を吊り上げてくるかもしれん。アルアリアに依存するのも危険だ。情勢が不安定すぎる。それどころかアルアリアもこれ幸いと値を上げてくるやもしれん。これではまるで属国ではないか……ッ! シャハナー侯爵。ぜひ私の力を貸してくれないだろうか……ッ」
アレクシスが頼ってきたのはエレオノーラ・ドレーアーではなく、シャハナーであった。
あるいは、エレオノーラ・ドレーアに頼ったが感触が悪かったのかもしれない。
どちらにせよ、力を貸してくれと言われてシャハナーに断る理由はどこにもなかった。
アレクシスと秘密裏に共謀し、邪魔な
実行に移すよりも先に国王が崩御してしまったからだ。
アレクシスは手を汚すことなく国王の座に即位。
これにより、かねてから国政方針について意見が合わなかったリア王女派とアレクシス国王派の対立が決定的なものとなる。
戦争による利権を得ようと有力貴族が国王派に集結する一方、王女派には弱者救済の政策を支持する貴族、そして戦争に反対する――利権に絡めなかった弱小貴族が集まった。
当初の勢力図は国王派が五、王女派が四、中立が一。
いまでは国王派が五.五、王女派が三、中立派が一.五と王女派の勢力を削ることに成功し、あと一息で無視しても問題ない集団にできるはずだった。
コルダナ男爵さえ現れなければ。
彼が生み出したという新薬メフィレスを国王派が模倣し、本家のメフィレスを駆逐したろころまでは良かったのだ。
その後、模倣品がが健康に甚大な被害を及ぼすと王女派からの糾弾を受けると同時に原材料であるケシの群生地が焼失。加えて、『カルイザワ』の出現によって重要な資金源である保養都市フェルローデの収益が赤字化。
リア付きの
身の程を分からせてやらなければならないと思っていた矢先、ルプン伯爵が手を打っていると情報が入った。
派閥内の内部調整に秀でているルプンらしい迅速な対応だと思った。
吉報はなおも続く。
コルダナ男爵が不正に他領の土地を占有していると泣きついてきた貴族がいたのだ。
その貴族――ヒンデミット子爵が持参した融資契約書を見たが、契約者同士の意図が驚くほど透けて見える分かりやすい契約内容であった。
融資者であるコルダナ男爵の目論見は融資金の回収ではなく担保とした領地であり、被融資者であるヒンデミット子爵の思惑は融資金の踏み倒し。
ある意味、双方の利害が一致した素晴らしい契約書だった。
完全にコルダナ男爵の意図を読み取れなかったヒンデミットの自業自得だ。
契約相手がコルダナ男爵ではなかったら、邪険に追い返していただろう。
――コルダナ男爵は危険だ。
帰属しての勘が激しく警笛を鳴らしている。
メフィレスを潰した直後に『カルイザワ』によって息を吹き返した。
ルプンの工作で『カルイザワ』を潰したとしても、また新たな何かを仕掛けてくるかもしれない。
その“何か”が読めない得体の知れなさが、より危機感を煽らせる。
これ以上、国王派の邪魔をされてはかなわない。
王女派とも関係を築いているとなれば尚更だ。
不確定要素は排除しなくてはならない。
そのためにシャハナーは王宮を訪れた。
「陛下。コルダナ男爵は領地線の変更をしてはならないという国法を犯しております」
「領地の一部を無期限かつ無料で賃借か……。おもしろいことを考えつくものだ。商人などには期限を区切り有償で土地を貸している。その期限と費用を弄っているだけと言えばそれだけなのだが」
「貴族が貴族の土地を賃貸借しているというところに問題がございます。無期限かつ無料ともなれば、実質領地線の変更であると捉えられても文句はいえません」
「限りなく黒に近い灰色だな。しかし貴公は黒にしたいと」
「御意に」
「分かった。領地線の変更を禁じているのは内乱を防ぐためのものだが、根本にあるのは領地貴族が謀叛を企てないようにするためだ。此度はその一線を越えた」
「ハッ」
領地が広がれば、それだけ税収が増える。その税収を軍備に回せば、国軍を上回るだけの兵力が得られてしまう。
国王派としては看過できるわけがない
ヒンデミット子爵の領地だけであればまだしも、十数に上る貴族の領地を無期限かつ無償で賃貸借していることが発覚したとなれば尚更だ。
そしてファーテンブルグ最高権力者であるアレクシス国王陛下からの裁可が下された。
「コルダナ男爵を国家反逆罪の容疑で召喚する」
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2024/9/5:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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