第35話

 まず間違いなく、トンペックは『カルイザワ』襲撃事件の結末を知らない。

 その根拠が、先ほどの代わりに運営してやる発言だ。

 おそらくだが、トンペックの脳内では、こんなストーリーが展開されているのではないだろうか。


 ――盗賊に襲われ、燃え上がる『カルイザワ』。逃げ惑う来客たち。

 その姿をみながら、ツェーザルは膝をつく。

「あぁ……俺には保養地の経営なんてまだ早かったんだ……。もっと……、もっと早く気が付いていれば……ッ」

 涙が頬を伝い、拳は地面を叩く。

「――そうだ……。トンペック伯爵様を頼ろう……。長きにわたり保養都市フェルローデを治めてきた伯爵様ならば良い知恵を授けてくださるに違いない……!」

 ツェーザルは立ち上がり、手近な兵士を集めて準備もそこそこに『カルイザワ』を出立する。

「事前の連絡もせず非礼は承知の上だが……、トンペック伯爵様ならば寛大な御心で許して下さるはずだ……」

 

 そんな妄想から、トンペックは無様に助けを求めて駆け込んでくる下級貴族を余裕の態度で歓迎した。

 老獪な貴族としての思考ではなく、勘違い野郎の残念すぎる対応は、まさに世間知らずを体現しているかのようだ。

「――『カルイザワ』を建設する前、トンペック伯爵様の治める保養都市フェルローデを拝見してきました。格調高く、赴きがあり、歴史を感じる素晴らしいところで感動したのを今でも覚えています」

 ツェーザルは、トンペックの買収へ発言をガン無視してフェルローデを褒めたたえた。

 もちろん、すべて嘘だ。

 エルヴィーラからの報告書を読んだだけでフェルローデに一度も訪れたことはなく、報告書から感じた印象は歴史があるというだけの面白味も何もない廃れた古臭い保養地、である。

 ――こんなんが競合なの? マジでチョロいな。相手にもなんねぇんだけど。

 と、完全に見下した発言をしたのを覚えている。

「よく分かってるではないか。『カルイザワ』とやらも、私の手にかかればより良き街となるだろう」

「………………」

(いや、マジでやりずれぇ……。どう話をもっていきゃいいんだよ……)

 ツェーザルはバカの認識を改めざるを得なかった。

 これまでバカは扱いやすくて助かると思っていたが、何事も振り切れると手にを得なくなるらしい。

 とはいえ、話し合いの場についてしまった以上、引き下がるわけにはいかなかった。

「仰る通りかと。しかし、フェルローデも『カルイザワ』もお客様を癒すことを目的とした保養地です。この二つをトンペック伯爵様が運営される利益と不利益。どちらが大きいか、聡明なトンペック伯爵様ならばお気づきなのでは?」

「…………あ、あぁ、もちろんだ。当然だとも。君に気づいて、私が気づかないはずがないだろう」

 完全に分かっていない顔だ。

 どうやらポーカーフェイスもできないらしい。

 フェルローデと『カルイザワ』をトンペックが運営するメリットとデメリットがあるというのは、デマカセではなく本当だ。

 メリットは、一時的にツェーザルから利益を奪えること。

 デメリットは、瞬く間に経営難に陥ること。なにせ、温泉や聖武日本料理などのキーとなるコンテンツを握っているのは、すべてコルダナ男爵領の領民だ。運営がトンペックに移った時点で引き揚げてしまえば、何もかもが提供できなくなる。

 もちろん、それを教えてやる義理はない。

 ニュアンス的に不利益の方が大きいと印象付けられれば十分だ。

「さすがはトンペック伯爵様です。フェルローデは実に素晴らしい立地にありますので、トンペック様は是非ともフェルローデのさらなる発展に尽力していただきたく」

「…………くっ」

 トンペックは悔しそうな顔で押し黙った。

 ――さらなる発展だと? ふざけるな! 『カルイザワ』貴様のせいで売り上げが落ちてるんだぞ!!

 と、罵れないのは分かっていた。

 これまでの話の流れと矜持が邪魔をしている。

 そして、地味にツェーザルの賞賛も効いているはずだ。

 お世辞は、偽物である。偽金と同様、通用させようとすると、いずれは 厄介な目にあわされる。

 作家、D・カーネギー著『人を動かす』の中に記されている一文だ。

 ここでカーネギーは、嘘ではなく心からの言葉であれば人を動かすことが出来ると伝えている。

 ツェーザルの言ったフェルローデへの賞賛は嘘偽りのない本心だ。

 自分の領地を心から褒められて嬉しくない領主はいない。

 それに、もし怒鳴り散らしてしまえば、自らの領地を否定することにもなる。

 建前と本音の間で揺れるトンペックの心の隙間に、ツェーザルは鋭く切り込んだ。

「フェルローデは、競馬場を造るのにるのに適してると思うんです」

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