第5話
人生、落ちぶれる時は一瞬だ。
大工を生業としていたロータルだったが、事故で片足を失ってしまった。奇跡的に一名は取り留めたものの、治療費で蓄えは底を尽き、働こうにもこの身体では新しい仕事など見つかるはずもない。
家賃が払えなくなり、住処を追い出されるまで大した時間はかからなかった。
ロータルのような者たちが流れていく先は決まっている。市壁外にあるスラムだ。
しかし、スラムに移り住んだとて働かなくていい理由にはならない。たしかに教会の炊き出しで一日一食は賄えるが、それだけだ。腹を満たすには到底足りるはずもない。
餓えて体力が落ちれば病にかかりやすく、病に倒れれば体力がないため回復は見込めない。
ロータルが活きていくためには、やはり金を稼ぐ必要があった。
だが、スラムの住民が得られる仕事は肉体労働か汚れ仕事である。前者ができればスラムに流れてくる必要はなく、後者は元平民の倫理観から手を出すのは躊躇われた。
そこで必死になって考え出したのが、前職の伝手を使った斡旋業だった。
スラムに住んでみて分かったことだが、仕事を欲している者が多いにもかかわらず、仕事の量が圧倒的に少ない。
理由は単純だ。
勢力の強い派閥が目ぼしい仕事を独占してしまっているからだ。その結果、弱小派閥や派閥に入っていない者たち――主に女子供に仕事が回ってこない。
元来、子供好きであったロータルは、そんな少年少女たちに仕事を斡旋し、その斡旋料で生活していけるようになった。
現役時代に現場監督の役職に就いていたロータルの顔は広く、斡旋する少年少女たちも多少の教育をして送り出していたから現場の評判も良い。
気が付けば小規模ながらロータルを中心とした派閥が出来上がっていた。
自分は働かず、子供たちに働かせ、生活費を稼いでいる。大人として褒められた行いではないだろう。――が、それしか生きる術がないのだから仕方がない。
誰にも吐きだせない罪悪感。これとは末永い付き合いになりそうだ。
ちなみに、他派閥の関与は、より強力な派閥にみかじめ料を払うことで後ろ盾になってもらった。我ながらうまく立ち回れていたと思う。
子供たちは成人を機に斡旋先に就職したり、恩返しとばかりに幾何かの金銭を仕送りしてくれている。それでどうにか成り立ってきたのだが、やはり転落は一瞬だった。
子供たちは成人を機に斡旋先に就職し、恩返しとばかりに幾何かの金銭を仕送りしてくれている。それでどうにか成り立ってきたのだが、やはり転落は一瞬だった。
先日、斡旋先で大規模な事故が起こり、年長組のほとんどが事故死してしまったのだ。常にギリギリの生活をしていた自分たちに蓄えなどあるはずもなく、稼ぎ頭を失った派閥は日ごとに追い詰められていった。辛うじて仕送りでどうにか糊口をしのいできたものの、完全にジリ貧である。
デニスとエミーリアが盲目の貴族らしい人物を連れてきたのは、まさにそんなときった。
子供たちを家に残し、ロータルはツェーザルのあとを追う。話し声が聞こえなくらいまで離れたところで前を歩く二人の足が止まった。
振り返ったツェーザルは、まっすぐとロータルの目を見ているような気がした。気がした、というのは目を黒い紗で覆っているため視線が分からないからだ。
「改めて自己紹介をしましょうか。僕はツェーザル・コルダナ。ここから山を二つ越えたところにある在地貴族の嫡男です」
「――ッ!」
貴族だとは思っていたが、本人の口から告げられると身を固めてしまう。平伏しなければ失礼だと思いながらも、先ほど顔を上げてくれと言われているので、どう対応すればいいのか判断がつかない。
それが顔に出ていたのだろう。ツェーザルは口に笑みを浮かべて言った。
「普通にしていてください。偉いのは爵位をもつ当主であって、その子供の僕じゃありませんから」
「――な……ッ」
誰もいないと分かっていても思わず周囲を見回してしまった。
いまのツェーザルの発言は、明らかな貴族批判である。
貴族は爵位をもった当主が偉いのではない。血統そのものが貴いのだ。
「あまりそのような発言はなされないほうが……」
「もちろん相手は選んでいますよ」
つまり、ロータルだから言った、と。
「………………なぜそこまで私を買って下さるのです?」
「信用するに値するお人柄だ、と言ったはずですよ」
「それでも……、です。貴方様の言葉を疑っているわけでは――いえ、そう捉えられても致し方ありませんが、他意はないのです。
普通の貴族ならば、この時点で無礼打ちを覚悟しなくてはならない。私の言うことが信じられないのか! と激昂してもおかしくはないからだ。
しかし、ツェーザルは顎に手を当てている。
「――強いていて言うならば、デニスとエミーリアの言動……でしょうか。デニスは僕に殺されることを覚悟で物乞いをしてきました。『ヨーゼフ兄ちゃんたちが死んで、稼げるのは俺たちしかいないんだ』と。そしてエミーリアはそれを必死で止めていたんです。
「…………いま、なんと?」
「尊敬する、と言ったんですよ」
「………………」
聞き間違えかと思って問い返してみたが、聞き間違いではなかったらしい。
卑しいスラムの住民を貴族が褒めるなんて、三本足の鶏を見かけるようなものだ。
だから、なんと返答したらいいのか分からず、ただただ呆然とツェーザルの顔を見返すしかなかった。
「知った風な口を利くなと言われるかもしれませんが、
「そんな……畏れ多い……。私はただ、自分が生きていくために子供を利用したにすぎません」
ロータルは組織が出来るまでの経緯を掻い摘んで話した。別に隠すようなことでもなかったし、子供を利用して生きているという罪悪感を吐露できるのは今しかないと思ったからだ。
ツェーザルは、ロータルのつまらない話にも時おり相槌を打ち、耳を傾けてくれていた。そして最後に――
「やはり、ロータルさんは素晴らしい方だ。あなたに出会わせてくれたデニスには感謝しかありませんね」
その言葉は、罪悪感を吐きだして出来たわずかな隙間に、吸い込まれるようにして収まった。
自分のしていたことが認められた。肯定された。それも貴族の嫡男に、だ。
こんなに栄誉なことはない。
(なんだか……、気持ちが軽くなったな……)
「ところで貴方様はどうして
「あぁ……、そうでしたね。実はスラムの住民を何人か領地に引き取りたいと考えていたんですよ。でも、僕はスラムの事情に明るくありませんから、誰か頼める人はいないかと探していたんですが……」
「いまさらですが、ご無事で何よりです。失礼ですが、貴族様の嫡男であるのですから、護衛をお付けになった方がよろしいかと……」
「コルダナ男爵領は小さな領地で、お恥ずかしながら護衛を付ける余裕もないんですよ」
「しかし……だからといってご子息と
「ご心配ありがとうございます。これでもアウレリアは相当腕が立つんですよ」
「――アウレリア様が……?」
思わず
武張った気配は微塵もなく、可愛らしい少女にしか見えない。
とても腕が立つとは思えなかったが、ツェーザルの無事が何よりもの証拠だろう。
個人的に興味はそそられたが、深入りするべきではないし、いま尋ねるべきはそこではない。
「御冗談を。貴方様のような人を育てられた御父上がご当主なのですから、人手不足などあり得ぬでしょう」
「僕を評価してくれるのは大変ありがたいのですが、反面教師と言いますか……、身内の恥を晒すようで心苦しいのですが、父上は圧政を敷いておりまして……。領民の多くが他領に移り住んでしまったのです。しかし、その父上も先だって世を去りました。襲爵の儀を終えれば僕は晴れてコルダナ家当主となります。ようやく領地を良き方向へと改革したいのですが、去ってしまった領民は戻ってきてはくれません。移住者を募ろうにも魅力ある土地でありませんしね。なにより元領民から悪評を聞けば尚更というものでしょう。そこで、これまでの罪滅ぼしも兼ねてスラムの住民を引き取ろうかと思ったんですよ」
「それは……、なんとも……」
ままならない話だ。
ツェーザルは何も悪くないのに、先代領主のツケを払わされている。
「――ちょ、ちょっとお待ちください!? 貴方様は貴族の嫡男などではなく、もはや立派な貴族様ではないですか?!」
「それは違いますよ。まだ襲爵の儀が終わっていません。次期当主ではありますが、国法上ではまだ当主――貴族ではありませんよ」
「し、しかし――」
ロータルの言葉を遮り、ツェーザルは断言した。
「ですから、コルダナ家次期当主の名に懸けて、引き取ったスラムの住民は自立するまで最低限の衣食住は無償で提供すると誓います。仕事も用意しましょう。もちろんその対価も支払います。なのでどうでしょう? 既存の領民との軋轢を避けたいので、まずは健康な男女を五人ほど集めてはいただけないでしょうか?」
「それは私としても願ってもいない話ですが……、よいのですか……?」
「ロータルさんなら信頼できると思ったから頼んでいるんですよ」
「……分かりました。お引き受けしましょう」
自立するまでの衣食住どころか仕事も用意してくれ、賃金も支払ってくれる。恐ろしいほど破格の待遇だ。
このまま自分のところにいれば近い将来、飢えて死ぬか、病で死ぬかのどちらかだろう。せめて、まだ働ける健康な子供たちをツェーザルに預けられたら、子供たちを使って生きながらえてきたという罪悪感も少しは薄らぐというものだ。それが自己満足だとしても、子供たちが生きてくれるならば悪くはない。
「引き受けてくれてありがとうございます。ところで、いつまでには集められそうですか?」
「明日……というのはさすがに難しいですが、二日もあれば十分でしょう」
「分かりました。では二日後の昼にここで落ち合いましょう。――それと、これを渡しておきますね」
おもむろに渡された革袋にロータルはにわかに混乱した。袋越しの感触と手渡された時に聞こえた音で中身がなんなのか予想できたが、確かめずにはいられなかった。
口ひもを解き、中を覗けば顔を見せたのは黄金に輝く硬貨が十枚。
「――ちょ、ちょっと待ってください!?」
「これでは足りませんか?」
「そ、そういう意味ではありません! こんな大金、受け取れるわけないじゃないですか!?」
これではまるで、子供たちを売ったようではないか。
やはり貴族は貴族。金で解決しようとする生き物なのか。
恋が一瞬で醒めてしまったような、浮かれていた気持ちが急激に冷え込んでいく。
しかし、ツェーザルは困ったように口角を下げて、頬を掻く。
「ロータルさんは何か誤解をしているみたいですね。僕はこれからも継続的に子供たちを引き取りたいと考えているんですよ。でも、病気や働けないほど衰弱しきった子供は引き取れません。……僕が言っている意味、分かりますよね?」
「――ッ!?」
木材で頭を殴られたような気分だった。
一人で勝手に裏切られたような気になっていた自分を殴り飛ばしてやりたい。
(なんと慈悲深い御方なのだろう……。そして俺はなんて愚かなんだ……)
本来であれば、ロータルの方から持ち掛けるべき――気づくべき事柄であった。
人材が不足しているという交渉材料はすでにツェーザルの口から提示されている。
そして、金さえあれば食事を与えられるばかりではなく病の治療もできるはずだ。
(それなのに……、俺はなにを考えていた……?)
ツェーザルに預けられる子供たちが生きていけたら……。それ以外の子供たちは見捨てるしかないと思っていたのだ。
完全な思考停止。
馬鹿にもほどがある。
ツェーザルは誤解されるのを承知で、手を差し伸べてくれた。
その手を、どうして拒めようか。
「ありがたく使わせてもらいます」
ロータルは眦に涙を滲ませながら、ただただ丁寧に頭を下げるしかなかった。
「チョロいなあ異世界人! 日本の
宿屋に戻ってきたツェーザルは椅子に凭れ掛かり、スラムでのやり取りを思い出して意地の悪い笑みを浮かべていた。
対して、ベッドに腰かけているアウレリアは不思議顔だ。
「異世界人がチョロいというか……、なんでロータスさんはあんな簡単にツェーザル様のことを信じてしまったんでしょうか?」
「あ? そんなの簡単だろ。俺がロータルの打ち明け話をちゃんと聞いていたからだ」
「――え、それだけ……?」
「そ。それだけだ。例えば、相手の話を聞かない、自分のことだけを喋る、相手が話してるのに遮って自分の意見を口にする、相手を見下してものを言う。そんなヤツ好きになるか?」
「なりませんねー。むしろ関わりたくないです」
「なら逆はどうだ?」
「そりゃあ好……あっ」
「だろ?」
人に好かれるならば、嫌われる行為の逆をすればいい。
D・カーネギー著『人を動かす』PART二‐四「聞き手に回る」に記されている。
「さて、日暮れまでにまだ少し時間があるな……。ちょっと薬局に行ってくるわ」
「薬局……? ツェーザル様、具合でもあるんですか?」
「いや、
「麻薬ってツェーザル様の世界にあったアブナイ薬ですよね? 薬局にあるのは傷や病気を癒す薬ですよ?」
(まぁ普通はそう考えるよな)
だが、それは現代日本での常識だ。
もし麻薬売買の
「いい機会だ。歩きながら説明してやるよ」
(聞かなければ良かった……)
ロータルとツェーザルの話を聞いてしまったエミーリアは、死ぬほど後悔していた。
『健康な男女を五人ほど集めていただけませんか?』
『……分かりました。お引き受けしましょう』
『こんな大金受け取れるわけないじゃないですか!』
『……僕が言っている意味、分かりますよね?』
ロータルとツェーザルが外に出ていったまま、なかなか帰ってこなかったので気になって
エミーリアの
しかし、聞こえてきた『健康な男女』『引き受ける』『大金』の言葉は、幼いエミーリアでも何の話をしているのか容易に想像ができた。
人身売買である。
これまで自分たちを育ててきたロータルが進んで子供たちを売るとは考えられない。『分かりますよね?』という言葉から察するに、ロータルは何か弱みを握られて断れなかったのだろう。
やはり盲目の男を信じるべきではなかったのだ。
(止めなきゃ! この話をなかったことにしてもらわないと――)
ロータルの下へ向かおうとしたエミーリアは、しかし動くことができなかった。
周囲には具合の悪い子供たちが苦しそうに横になっている。熱があったり、咳が止まらなかったり、顔色が悪かったり……。満足にご飯が食べれないから、体調は悪くなる一方だ。
自分やデニスは年上で体力も多少はあるから、まだ大丈夫だが、それでも時間の問題だろう。
なにもしなければ、全員が病か飢えで死んでいく。
しかし、盲目の男からもらった金があれば当分は餓えなくても済む。病を癒す薬だって買えるかもしれない。
その代わり――健康な男女五人が奴隷になる。
(全員が野垂れ死ぬよりは……)
まだマシだろう。
エミーリアは腹を括る。
健康な男女に当てはまるのは十一に。
盲目の男を連れてきたのは自分とデニスだ。当然、五人の中に入れてもらうとして、あとの三人にはゴメンとしか言いようがない。
デニスにだけは事情を話そうかと思い――やめた。
言ったところで混乱させてしまうだけだ。秘密を知る者は少ないほうがいい。
ロータルは二日後の昼にツェーザルと落ち合うと言っていた。
「あと二日……か」
それでもう、この場所には二度と帰ってこれなくなる。
残された時間はわずかしかない。
それでも、エミーリアは普段通りに過ごすしかなかった。
いつもと違った行動をすれば気づかれるかもしれない。
それに、事情を知らない者たちは、普段通りに過ごすしかないのだ。
自分だけが悔いが残らないように過ごすのは違うような気がする。
苦しい。悲しい。悔しい。辛い。痛い。切ない。寂しい――逃げ出してしまいたい。
でも、これは盲目の男を連れてきた自分が負うべき責任だ。
デニスを止められなかった自分の罪だ。
「…………ごめんなさい……」
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