第6話
「気を付けて行ってくるんだよ」
ロータルに見送られ、エミーリアたちはスラムにある拠点をあとにした。
選ばれたのはエミーリアとデニス、そして同じ年のカーラ、一つ下のコンラートとカイの五人だ。
ロータルからは、コルダナ男爵領に出稼ぎに行ってもらうことが決まったと伝えられている。事情を知らない四人は大金を稼げる働き先を見つけてくれたロータルに感謝し、これで年下の子供たちを助けてやれると大いに喜んだ。
唯一、真実を知っているエミーリアも怪しまれない程度には演技ができていたと思う。
先を歩くのはコルダナ男爵領からの使者――ということになっている領主本人と
デニスたち男子三人は「スラムの外とかはじめてなんだけど!?」「うわっ、すっげぇ綺麗な
「――エミーリア、どうしたの? 顔色良くないけど……」
カーラが心配そうに尋ねてきた。
やはり男子と違って女子はよく人を見ている。
「ううん、なんでもないよ。昨日の夜ちょっとよく眠れなかっただけだから」
「そっか。……実はわたしもよく眠れなかったんだよね。たぶん
「あはは……、みんな一緒だね」
嘘は言っていない。眠れなかった理由がほかの四人と違うだけだ。
そして、しばらく歩くと、ツェーザルは一軒の家の前で足を止めた。
スラムでは珍しい、屋根も壁も壊れていないまともな家だ。
ツェーザルは、あたかも自分の家かのような自然な動きで扉に手をかけ――しかしそれを見たコンラートが叫んだ。
「ツェーザル様!? 勝手に入ったらマズいッス! 殺されちゃいますよッ!」
「ん? コンラートはこの家のことを知っているの?」
「ここはマルティーン兄弟の拠点ッス! 少数精鋭の武闘派でボクたちの後ろ盾になってくれてる派閥も一目置いてるッス!」
マルティーン兄弟ならエミーリアも耳にしたことがあった。
なんでも元傭兵の三兄弟が中心となっている派閥で、構成員も傭兵仕込みの訓練を受けてとても強いらしい。
しかし、ツェーザルは安心させるような声音で言った。
「エミーリアとデニスには言ったと思うけど、二人に会うまで何度か襲われたんだ。そのうちの一つがここを拠点としてた派閥なんだけど……。そんなに強くなかったよな?」
ツェーザルは確認するようにアウレリアへ顔を向けた。
彼女は女のエミーリアから見ても見惚れる笑顔を浮かべる。
「雑魚でしたねー」
「だよな。そういうわけで、そのマルなんとかは壊滅させたから安心していいよ。死体も片しておいたから」
壊滅とか死体とか。サラッと怖いことを口にしていたが、なぜだか怖いとは感じなかった。ツェーザルの口調が玄関の掃除しておいたくらいの気軽なものだったからかもしれない。
「ツェーザル様すごいッス!」
「マルティーン兄弟を雑魚なんて! ツェーザル様は強いんですね!」
「あの……ッ! 時間があるときでいいんで俺を鍛えてもらえますか!?」
興奮している男子たちを横目に、カーラは呆れたように溜息を吐く。
「もぉ……、男子は単純なんだから……」
「あはは……」
エミーリアは、一瞬だけ
(強そうには見えないけど……)
お世辞にも逞しい身体つきとは言えない。
その上、目が見えないという不利な条件で武闘派の派閥を単独で壊滅させられるとは到底思えなかった。
(毒……? でもどうやって……)
エミーリア視線は自然とアウレリアに向けられた。
大人しそうで同性から見ても可愛らしい
(彼女を使って油断している隙に……?)
ロータルの弱味に付け込むような卑怯な男ならばやりかねない。
ツェーザルに視線を戻すと彼は扉を開けて中に入るところだった。
「どうぞ~。みんな中に入ってくださいね~」
警戒心が緩みそうな抜けた声で、アウレリアが子供たちを室内へと招いた。
(家の中でなにかするつもりなんだ……)
そうでなければ、他派閥の拠点を奪う理由が説明できない。
エミーリアは顔を強張らせながら扉をくぐった。
「うわっ! すげぇ!」
「屋根とか壁に穴が空いてないッス!」
「これがマルティーン兄弟の拠点かぁ……」
先に入っていた男子たちが騒いでいる。
たしかに、さすがは有力な派閥の拠点といったところだろうか。
屋内はスラムではあり得ないほど綺麗な造りになっていて、テーブルとイスが六つもある。
壁や屋根に穴が空き、床に座って食事をしていたエミーリアたちの住処とは雲泥の差だ。
「着替えと身体を拭う布を置いておくから、そこの瓶に入った水でよく身体を洗ってから着替えてね」
ツェーザルがそう言うと、アウレリアが背嚢から着替えと布をテーブルに置いた。
その言葉に騒いでいた男子たちが一斉に静まり返る。
「着替えって……俺たちの、ですか?」
「うわっ! 新品の服だ!」
「これ……、飲み水じゃないッスか……!?」
「ツェーザル様……。あの、わたしたちお金が……」
最後の言葉はカーラのものだ。
スラムの住民は着の身着のまま。斡旋先に着ていく服は使いまわし。平民から落ちてきた人の話によれば、平民でも衣類は手作りが基本で、少し余裕のある家庭ですら古着も買えないそうだ。
つまり、新品の服はお金持ちでしか着れない高級品。
カーラが蒼白になるのも無理はない。
しかし、ツェーザルは困ったように頬を掻いた。
「ロータルさんから聞いてない? 生活が安定するまでの間、当面の衣食住は無償で提供するから安心してね」
「むしょう?」
「タダってことですよー、カイさん」
アウレリアが優しく微笑んで説明したあと、すぐさまツェーザルに視線を投げた。
「あとツェーザル様。いくら若くても男と女。同じ部屋で気がいさせるのは配力に欠けると思いますよー?」
「……たしかにそうだね。それじゃレディーファーストってことで男は外に出ていようか。アウレリア、あとは頼んだよ」
「もちろんですー」
ツェーザルが、よく分かっていないデニスたち男子を連れて外に出ていくと、アウレリアが手を叩いた。
「それじゃ身体を綺麗にしましょー」
「――あ、あの……ッ」
エミーリアが辛うじて声を上げられたのは、アウレリアが
「なにー? エミーリアちゃん」
「大丈夫なんですか……。その……ツェーザル様を外に追いやったりして」
スラムで過ごしてきたエミーリアに貴族の常識は分からない。
しかし、
「子供とはいえ女の子が着替えるんですから席を外すのは当然ですよね?」
「え…………。いや、その…………偉い人を追い出してよかったのか……と……」
質問の意味が伝わっていないアウレリアに、エミーリアは失礼にならないように精一杯言葉を選びながら改めて尋ねた。
それでようやく伝わったらしい。
「なるほどー。大丈夫ですよー。ツェーザル様はそんなことで怒るような狭量な人じゃありませんからー」
「そ、そうですか……」
実際、何も起こっていないのだから納得するしかなかった。
そしてエミーリアは瓶に入った水をみて、次にカーラを見る。視線が合った。
考えていることは同じなのだろう。
スラムでは水は貴重品で、身体の洗うのは決まって雨の日。裸で外に出ればタダで汚れを落としてくれる。当然、男女一緒にだ。
女の子が着替えるのだから男の子は席を外すのが当然など考えたこともなかった。
住んでいる世界があまりにも違い過ぎる。
「どうしたんですかー? 早く身体を拭いて着替えましょー?」
「あ……はい……」
アウレリアに促され、エミリーアとカーラは服を脱ぎ、水を絞った布で身体を拭き始めた。
「……なんか、すごく贅沢だね……」
「…………うん」
カーラの呟きに、エミーリアは小さく頷いた。
おそらく井戸から組んできたであろう飲み水を、身体を拭くために使っていることに罪悪感と戸惑いを隠せない。
身体を拭き終わり、衣類を手に取った。
真新しい純白のシュミューズとショーツ、そして濃紺のコタルディ。
穴も開いていない、擦り切れてもいない、シミ一つも付いていない。
そんな服を着るなんて生まれて初めてだ。
肌触りが滑らかで、とても軽い。
「う…………」
カーラは衣類を胸に抱いて、嗚咽を押し殺していた。
瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「こんな上等な服……、本当に私なんかが着てもいいんですか……」
「泣くほど喜んでもらえるなんて嬉しいですー。それ、あたしが選んだんですよ? ツェーザル様が選んだのはちょっと
「ツェーザル様の趣味が……? ちなみになにを選んだんですか?」
あ売れ頼あは悪戯っ子のような笑みで呟き、カーラは神妙に頷いた。
「…………
「…………上着は?」
「ありません」
「タイツは?」
「素足です」
「………………」
まさかの選択にカーラとエミーリアは揃って絶句してしまう。
シュミーズは下着であって、そもそもドレスではない。娼婦ですらコルセットやタイツくらいは履いている。
いまのところ穏やかな口調で紳士然としているツェーザルからは想像もできないくらいに壊滅的な服装感覚に衝撃を受ける。
あまりにも悪趣味すぎる――――が、よく考えればロータルの弱みを握ってエミーリアたちを買った手口も十分に悪趣味だ。
おそらく、こちらが本性なのだろう。
自分たちを買ったツェーザルの趣味の悪さを知って、エミーリアの気分はさらに沈んでいく。
女たちの着替えが終わって入れ違う際、エミーリアとカーラから胡乱な目で見られたような気がする。
きっとアウレリアが服装のネタを話したのだろう。
異世界の、あるいは中世のファッション事情なんて知るわけがない。
それはともかく、綺麗になったガキどもをアウレリアとともに宿に戻り、預けていた馬車に乗せて帰路についた。
トラブルらしいトラブルもなく、馬車は順調にターベルク伯爵領を抜け、コルダナ男爵領へと入る。このままのペースならばあと二日で本村に到着するだろう。
御者台にいるツェーザルは振り返り、荷台にいるガキどもを見やった。
慣れない馬車旅でぐったりしている。特にコルダナ男爵領の悪路がトドメをさしてしまったらしい。
(別に死ぬわけじゃねぇしな。放置でいいだろ)
ツェーザルは前を向け、流れゆく景色を眺めながら、ここまでのことを振り返る。
ロータルとの交渉が終わり、まず最初に着手したのはガキどもの衣類の調達だった。
善意で服を恵んでやるわけじゃない。コルダナ男爵領の本村までの長い時間、汚くて臭いヤツらと一緒にいるのは御免だ、という話である。
しかし、いまのコルダナ男爵領の財政事情は非常に悪い。無駄遣いは厳禁だ。
そこで選んだ手段が、中古衣類店に押し入り商品を拝借する――いわゆる強盗である。
店主ひとりで経営しているような店を探し、客が店内にいない夕暮れどきを狙った。店主を目隠しをした上で拘束。一言脅し文句をかければいい簡単なお仕事だ。
この異世界には防犯ベルや防犯カメラなんてものは存在しないから、顔を隠し、服装を変えれば足が着くことを心配する必要はない。
次におこなったのは着替える場所の確保だ。宿屋に連れ込むのは怪しまれる可能性が高いので却下。アウレリアがスラムに入って最初に襲ってきた派閥の拠点がいいんじゃないですかー? と提案してくれたので即採用した。
拠点には残党が殺気立って詰めていたので三分の二を殺し、残りの三分の一の残党を使って死体を片付けさせた。ついでに水瓶を満杯にさせたあと口封じのために全員を始末する。
そうしてロータルが提示した二日間を過ごし、ガキどもを掃除した家に連れてきたところ、中古の服を新品だと勘違いして歓喜したのには驚いた。
さらに驚嘆したのは初日の夕食だ。
野営のために手の込んだ料理は作れない。干し肉と数種類の野菜をぶち込み、塩だけで味付けしたスープと硬パンだけの粗食にガキどもは大興奮した。
「に、肉だ……」
「こんな豪華な食事を食べてもいいッスか!?」
「俺たち明日死んじゃうのかな……」
これにはさすがのツェーザルもドン引きだった。
たしかに――
スラムの住民ならロクなものを食べていないだろうから、普通の領民が食べるよりも粗末な食料でも彼らからすれば天国だろう。
――とは思ったが、まさか本当にここまで手放しで喜ばれるとは思ってもみなかった。
金を騙し取った相手から「金を盗んでくれてありがとう!」と感謝されているみたいで複雑な心境だ。
唯一、エミーリアだけが暗い目をしていたが、気づかない振りをした。
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2024/6/12:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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