第7話
ようやく辿りついたコルダナ男爵領の本村は、エミーリアが思わず絶句してしまうほどに何もないところだった。
森を抜けたら開けた場所があって、学のないエミーリアでも数えられるだけの戸数の家と、畑がある。
その畑は歪なかたちをしていて、半分以上が放置されている有様だった。
理由は子供でも分かる。
明らかな人手不足だ。
農作物の世話に勤しんでいるのは恒例の村人ばかりで若者の姿は見当たらない。
そんな村人たちは、馬車の存在に気が付くと作業を止めて近寄ってきた。
「御領主様! 無事に帰ってこられてなによりですじゃ!」
「御領主様! さっき採れたばかりの野菜です! ぜひ召し上がってください!」
「御領主様、荷台にいる子供たちは?」
「トーマス、おかげさまでなんともないよ。ちょっと馬車の移動に慣れてなくて身体が痛いけどね……。アルマ、おぉこれは美味しそうだね。ありがたく食べさせてもらうよ。ローデリヒ、あとでみんなにも紹介するけど、この子たちは新しく村の一員になる子だよ。良くしてくれると嬉しいかな」
集まってきた村人にツェーザルは気さくに応じている。
その横でデニスの呟きが聞こえた。
「りょうしゅ……さま……?」
(そういえばデニスたちは知らなかったんだっけ)
短くも濃密な旅路で忘れてしまっていたが、ツェーザルが貴族でありコルダナ男爵領の領主であると知っているのはエミーリアだけなのだ。
「え……、ツェーザル様は領主様の使者だって話じゃ……」
「でも……」
戸惑うデニスたちを尻目にに、エミーリアは自分でも驚くほど冷静だった。
(ここは私も驚いたフリをしておくべきかな……)
今更ながら目を見開いて驚いてみせた。
ちょっと大げさだった気もするし、わざとらしかったのかもしれない。先ほど野菜を大量に渡していた老婆が気づいてくれた。
「御領主様。子供たちの様子が少しおかしいようですが……。どこか怯えているような……」
「怯えている……?」
ツェーザルは振り向き、黒の紗越しに目があったような気がした。そして、目元が隠されているにもかかわらず、眉をしかめたのが雰囲気で察せられた。
数日一緒に過ごしただけのエミーリアでも分かったのだ。付き合いの長いであろう
彼女は顔をそっとツェーザルの耳元に寄せる。
同時に、エミーリアは後ろにいるカーラを見る振りをして顔を背け、瞳を閉じた。そして
「ツェーザル様。子供たちには領主の使者を名乗っていたかと」
「…………あ」
どうやら完全に忘れていたらしい。
エミーリアは
「実は……怖がらせるのも良くないと思って、僕が領主だとまだ説明してなくてね」
「そりゃ申し訳ありませんでした。あたしたちが余計なことを言っちまったせいで御領主様のお気遣いを無駄にさせてしまった」
「いや、気にしないでください。話す機会はいくらでもあったのに、僕が優柔不断だったせいです」
ツェーザルと老婆の話を聞いていた一人の老人が、荷台にいるエミーリアたちのところに近寄ってくる。そして、一番怯えていた年下のコンラートの頭を優しくなでた。
「そんな怯えんでもいい。御領主様はほかの貴族様と違って寛大で慈悲深い素晴らしい御方だからなにも心配はいらんよ」
「くび…………きられたりしない……?」
「そんなことせんよ。御領主様はこの国で一番お優しいからなあ。安心して暮らすといい」
「そうだよ。あんたたちがなんで御領主様が連れてこられたのか分からないけど、何かしらの事情があったんだろうさ。あたしたちは歓迎するよ」
スラムではあり得ない、暖かな光景だった。
心からの優しい言葉を与えられ、頭を撫でられているコンラートは涙を流していた。デニスとカーラも先ほどとは別の意味で戸惑っている。
物心ついたときからずっと周囲の大人たちは敵だった。唯一、助けてくれたのはロータルだけだ。それさえ最初は利害の一致から始まった関係で、家族のようになったのは本当に数年前からでしかない。
初対面で、打算抜きに温かく迎え入れられることになれていないデニスたちは、どう反応すればいいのか分からなかった。
そしてエミーリアは、デニスたちとはさらに別の意味で戸惑っていた。
(村人たちすらも騙しているの……? 本当に? そんな計算高い人が領主の使者だと名乗っていたことを忘れたりする? 抜けた人柄を見せて親しみをもってもらおうっていう演技? それとも村人たちもグル?)
ドツボに嵌っていた。
「あんまりここにいても御領主様の邪魔になっちまう。仕事に戻るとするかの」
老人の一言を皮切りに、集まっていた村人たちが畑へと戻っていった。
その背中を見送りながら、ツェーザルは深い溜息を吐く。
「悪いね。村に到着して落ち着いたところで打ち明けようと思っていたんだ。言いたいことは色々あるだろうけど、先に二つだけ言っておくよ。まず僕はまだ貴族でも領主でもない。それとこのことはロータルさんも知っているよ」
(どこまでが本当でどこまでが嘘なんだろう)
ツェーザルとロータルの会話は途中からしか聞いていなかったので、すべてを知っているわけではない。
デニスが質問を投げかけた。
「で……でも……。村の人たちは御領主様って言っていました」
「仮の領主ってところかな。数ヵ月前に先代の領主――つまり僕の父が亡くなってね。僕が爵位と領地を継ぐんだけど、襲爵の儀が終わってないんだよ。つまり王様から許可が下りていないから、まだ貴族でもなければ領主でもないってこと」
子供でも分かりやすい説明にデニスは頷き、どことなく安堵していた。
ツェーザルの態度がこれまでとなにも変わっていなかったからだろう。
スラムからこの村に向かう旅路で、ツェーザルとの距離はたしかに縮んでいた。信頼も芽生えていた。
――エミーリア以外は。
「権力を手にしたら、悪いことをするんですか?」
口が勝手に動いていた。自分でも驚いてる。
それ以上にデニスたちが驚いていた
「エミーリアッ!?」
声を上げられたのはデニスだけで、カーラは口に手をあてて絶句しているし、コンラートとカイは呆然としている。
そしてツェーザルはというと――笑っていた。
「くっくっくっく…………」
「なにが可笑しいんですか?」
「ごめん。気を悪くしないで欲しい。最初に会ったときといい、エミーリアは僕が欲しい言葉を欲しいときに言ってくれると思ってね」
「どういう意味ですか……?」
「遠慮のない質問の方が答えやすいときもあるってことだよ」
ツェーザルは顎に手をあてて、左の口角を吊り上げた。
「権力を手にしているかいないかで言えば、もうすでに権力を手にしているよ。まだ領主じゃないといっても、実質的に領主みたいなものだからね。――で、いまの僕は悪いことをしているように見えるかな?」
「…………いえ」
エミーリアは力なく首を横に振った。
村人たちの様子から、ツェーザルを信頼しているのは明らかだ。
「改めて謝罪しよう。身分を隠していて悪かったね。言い訳になってしまうけど、はじめから身分を明かすと怖がられてしまうんじゃないかって黙っていたんだ。いつ言おうか迷っていたら、こんなことになってしまった」
ツェーザルは深々と頭を下げる。
その光景にエミーリアたちは言葉を失った。
話に聞く貴族は、偉そうで、我がままで、イヤな人種ではなかったのか。
(なんで……、ロータルさんを……私たちを騙して奴隷にするような悪いヤツじゃなかったの……?)
「ツェーザル様はかなり変わりものなんですよー。なにせあたしみたいな
アウレリアの明るい声が、エミーリアの発言からピリピリとした雰囲気を一掃させた。
「そう……だよな。普通の奥属様なら俺たちなんかに新しい服とかくれないよな」
「あぁ……。美味しいご飯も食べさせてくれないッスね……」
「フケイなことを言った時にバッサリきられてるよね……」
「そうだね……」
デニスもカイもコンラートも、カーラですらツェーザルの言葉を信じようとしていた。
しかし、エミーリアだけはまだ納得していなかった。ツェーザルとロータルの会話を聞いてしまったからこそ、疑いが晴れないでいる。
「ツェーザル様。そろそろここから移動しませんかー?」
「そうだね。ずいぶん長く寄り道をしてしまった」
アウレリアの言葉にツェーザルが頷き、馬車が再び動き出した。
といっても、小さな村だ。移動はすぐに終わり、一軒の家の前で馬車が止まった。
屋根があり、壁があり、壊れているところは一つもない。雨も風も防げる立派な家だ。ほかの村人の家よりも二回りほど大きい。おそらく、村の有力者の家なのだろう。
てっきりツェーザルの屋敷に連れていかれるものだと思っていたのだが――
(あ……)
エミーリアは気づいてしまった。
五人全員がツェーザルの奴隷になるのかと思っていたが、そんなことは一言も言われていない。五人が違う人物の奴隷になる可能性だってあったのだ。
それに気づいた瞬間、エミーリアの中ですべての線が一本に繋がっていく。
(奴隷は人じゃない……)
身体を綺麗にして清潔な服を着せたのは、
ご飯を食べさせたのは、家畜に餌をやるのと同じ。働けない
つまりはそういうことだ。
(村人に売るために私たちを買ったんだ……)
この家の住人に品定めをされ、一人……あるいは何人かが買い取られていく。
「さあ、着きましたよー。皆さん降りてくださいね~」
アウレリアの呑気な声が、いまは悪魔の声にしか聞こえなかった。
「ツェーザル様。よかったですねー。あんなに喜んでもらえて」
「……そうだな」
「なんですか、そんな微妙な顔してー?」
スラムの子供たちをコルダナ男爵領に迎えた日の夜。
領地を開けている間に溜まった書類を片付けながら、ツェーザルは浮かない返事をしてアウレリアに訝しがられていた。
「いや、なんか調子が狂うんだよ。悪いことしてんのに褒められるみたいな感じだ」
「あ、いちおう自覚はあるんですねー」
「当たり前だ。法律を把握してなきゃ
D・カーネギー【人を動かす】によれば、かつて全米を震え上がらせた暗黒街の王者アル・カポネは自分を慈善家だと思っていたらしい。良くも悪くも歴史に名を遺すほどの偉人はおおむね思考ぶっ飛んでいる。あるいは思考がぶっ飛んでいるからこそ歴史に名を残せるのか。
残念ながらツェーザルは自分をそこまでの器だとは思っていない。
スラムのガキどもを少し大きめの家に住まわせたのには理由がある。これから他の街のスラムからもガキどもを拉致ってくる予定のため、その都度、家を与えていたのでは面倒だからだ。
ツェーザルとしては不法滞在している外国人十数人を六畳一間のアパートにぶち込んでいる感覚なのだが、スラムのガキどもは狂喜した。
また、死なれても困るので必要最低限以下の食糧を届けた。具体的には、普通の人が食べる三日分の食料を七日分と嘘をついて渡したのだ。食べ盛りの十代のガキどもでは絶対に足りない分量に不満を見せるかと思いきや、スラムのガキどもの反応は想像の斜め上をいった。
滂沱の涙を零し、旅の間ずっと浮かない顔をしていたエミーリアですら感涙に咽び、ツェーザルへの謝罪と感謝の言葉を連呼していたのには、さすがのツェーザルもドン引きだった。
そして、明日からコルダナ男爵領内の道を整備する仕事に就いてもらい、働いた分の対価を支払うと説明した瞬間、ツェーザルを神だと崇め始めたのだ。もはやカオスである。
重機が存在しないこの異世界で、道の整備は超重労働だ。ガキがやるような仕事ではない。その上、対価も一日鉄貨一枚。日本円換算にして、およそ百円だ。
日本で例えるならば児童虐待、労働基準法違反、最低賃金ガン無視。余裕で
「あたしはツェーザル様が罵倒されたり批難されたりするところなんて見たくありませんからねー。逆に良かったと思いますよー?」
「いや……。罵倒されたり批難されるつもりだったのに崇めたてられてるってのが気持ち悪ぃんだが……」
元ヤクザが罪悪感を覚える時点で異常な状況だ。
「
「他にもこういうことがありそうで怖いんだが……」
「あ、それフラグじゃありません?」
「マジか……」
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2024/6/14:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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