第4話
幽閉生活の中でアウレリアに教えたのは前世で培った教養だけではない。
若気の至りで修めている古武術も叩きこんでいた。
現代武道とは違い、古武術はルールのない実戦を想定した武術である。流派にもよるが、ツェーザルが修めているのは天真正伝香取神道流といって剣術、居合術、柔術、棒術、槍術、薙刀術などをはじめとした総合武術だ。
正規兵ならばまだしも、スラムのゴロツキごときに遅れをとるはずがなかった。
「まともなヤツは一人もいねぇのかよ!?」
ついに五つ目の派閥を壊滅させたツェーザルが吼えた。
それを見ていたアウレリアは苦笑している。
「まともじゃないからスラムの住民になったんだと思いますよー?」
「正論過ぎてなにもいえねぇ!?」
「そもそも、なんであたしたちスラムの派閥を潰して回ってるんでしたっけ? スラムの住民を誘拐するんじゃなかったんですか?」
たしかに当初はその予定だった。
しかし、スラムに入ってすぐに気づいたのだ。
「スラムの状況が想像以上に悪ぃ。健康状態の悪いヤツばっかりゴロゴロしてやがる。拉致ったはいいが、病気の治療が必要だとか、すぐに死んじまうとか、そんなヤツはいらねぇからな。俺が欲しいのは今すぐ労働力になる健康なヤツだ」
「――あ、だから最初の兄貴さんに『健康な』って条件を付けてたんですねー」
「そういうことだ。俺らがテキトーにぶらついて探すより、地元の派閥――組織に頼んだほうが見つかりやすいと踏んだわけだが……」
「ハズレばっかりですね~」
「まったくだ……。そろそろアタリを引きてぇもんだが……。次もダメそうだなこりゃ」
近づいてきたのは、ボロ切れを纏った十歳弱の少年と少女だった。
ツェーザルたちに危害を加える気満々だったこれまでの連中とは明らかに違う。
むしろその逆だ。
少女が少年の服を引っ張って必死に引き留めようとしている。
「デニスお兄ちゃん、やめようよっ。お貴族様に声を掛けたら殺されちゃうよっ」
「お貴族様が
「だからって少しは声かける相手を選んだっていいじゃん!」
そう。普通ならば、
しかし、子供はそんな微妙な違いが分かるわけがなかった。
そして二人の会話から、彼らの境遇を察するに余りある。
年長組が死に、年少組だけが残された派閥なのだろう。
ツェーザルは『次もダメそう』といった前言を即座に撤回。カモに歩みより、屈んで少年少女の視線に合わせた。
「どうしたのかな?」
「――え……っ」
「――ひ……っ」
まさか話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
少年は驚きに身を固め、少女は蒼白になって震えている。
対極な二人は、次の反応も正反対だった。
「ご、ごめんなさ――」
「あ、あの……ッ。食べのか、お金を……恵んでもらえないでしょうか……!」
謝ろうとする少女の言葉を遮り、少年が懸命に言葉を紡ぐ。
ツェーザルの答えはすでに決まっていた。
「いいよ」
「――そうですよね……。ごめんなさい。もし殺すなら僕だけ………………え……?」
あまりな早とちりに思わず微笑みが漏れた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。僕はツェーザル。こっちの
「で、デニスです……」
「そっか。はい、どうぞデニスくん」
それをみた少年は唖然として、ついで真っ青になる。
(え……、なんで……?)
思っていたリアクションと違う。
驚愕するとか、狂喜するとか。そんな反応をすると思っていたのだ。
思わずアウレリアに視線を投げると、彼女はやれやれと言った風に首を横に振るう。
「ツェーザル様。ここはスラムですよー?」
「――なるほど」
指摘されて、すぐさま自らの過ちに気が付いた。
(ヤクザのシマで
スラムの子供が
「悪い。これは僕の考えが足りなかったね。現金を渡すのはナシにしよう。君が欲しい物を買ってきてあげるよ。なにがいいかな?」
金貨を懐に戻し、できるだけ優しく、穏やかな声音で問いかける。
デニスは残念そうな顔をしつつも、安心したような複雑な表情を浮かべていた。
「それじゃあ食――」
「ちょ……ちょっと待ってください……ッ」
声を上げたのは、ツェーザルが声を掛けただけで青ざめて震えていた少女だった。
「なにかな?」
「こんなのおかしいです。なんで私たちなんかのためにそこまでしてくれるんですか?」
先ほどまでとは違った毅然とした態度に、ツェーザルは驚いた。そして、欲しいしい言葉を言ってくれたことに安堵する。
スラムで育った子供ならば猜疑心が強く、真っ先にデニスが疑ってくるかと思ったのだ。少女が言わなければ、別のパータンで話を持っていくつもりだったので問題はないが、ひと手間増える。何事も工数が少ないのに越したことはない。
「バッ――! おまえ余計なことを――」
「デニスお兄ちゃんは黙ってて!」
少年の抗議を少女は一蹴。
真剣な――睨みつけているにも等しい眼差しをツェーザルは微笑で受け流す。
「そう言えば君の名前は?」
「エミーリアです」
「ありがとう。エミーリアちゃんの質問はもっともだね。僕たちは君たちを取りまとめている人に会って話がしたいんだ」
「会って……なんのお話をするんですか……?」
「お仕事の話だよ。どうにもここにいる人たちは乱暴は人ばかりでね。実のところちゃんと話せたのは君たちが初めてなんだ」
悪戯っぽく笑うと、少女はようやく苦笑いを返してくれた。
「だから、きちんと話ができる人に会えて嬉しいんだ。金貨一枚は取りまとめの人のところに案内してくれるお駄賃かな。それに、金貨一枚分の何かを買ってくるにも、まとめ役の人に会った方がいいと思ってね」
「……ごめんなさい。よく分からないです」
「――ん-……、そうだね。君たちは、君たちにとっていま何が一番必要なのか分かっているかな?」
「食べ物です」
エミーリアは即答した。
ツェーザルはゆっくりと頷き返す。
「そうだね。でも、どんな食べ物がいいのかな? ライ麦、大麦、肉、野菜、果物。食べ物と言ってもたくさんあるあろう? それに薬はいらないの? 衣類は? 日用品は?」
「そ、それは…………」
「でしょ?」
彼らは派閥の中でも最年長であるのは、まず間違いない。先ほどの交わしていた二人の会話がその証拠だ。
しかし、十歳弱の子供たちだけで生きていけるほどスラムは甘くない。ここにくるまでの
子供たちを死なせず生き長らえさせられるだけの力を持った大人が確実に存在しているはずだ。
そしてその人物は、悪い人物ではない。
子供を使って搾取しているような人物のもとで育ったならば、仲間のために危険を承知で貴族と思われる人物に声を掛けるようなんて行動はしないはずだ。目の前の少年と少女は、あまりにも純粋すぎる。
だからこそ、まとめ役の人物に会ってみたかった。
「――エミーリア。この人たちを家に連れて行こう」
いままで黙っていたデニスが口を開いた。
エミーリアは、「でも……」と躊躇いの言葉を呟きながらも、気持ちが揺れているのが見て分かる。
「知らないヤツを連れてくのが怖いってのは分かるけどよ。俺たちじゃなに買ってもらえばいいのか分かんないのも本当のことだろ。殺されるわけじゃないんだ。ロータルさんに任せた方がいいと思う」
これまで襲い掛かってきた派閥を皆殺しにしてきた。敵対するならば、子供であっても容赦はしないと知っているアウレリアは居心地の悪そうな表情を浮かべているが、ツェーザルの知ったことではない。
(まとめ役の名前はロータルってのか。ガキはチョロくて助かるな)
「………………分かった」
エミーリアが同意したことで、彼らの拠点――まとめ役のいる場所に案内してもらうことが決定した。
そして連れてこられたのは、ボロボロの
思っていた以上に、この派閥の状態は追い詰められているらしい。
「お帰りデニス、エミーリア。随分と早く………………」
柔和な笑みで少年と少女の帰宅を迎えたのは四十代過ぎの男だった。右足を膝から下を失っており、粗末な木の杖をついていた。濃い
「あなたが――」
「申し訳ございません……ッ!」
ツェーザルの言葉を遮り、男は膝をつき、頭を床に擦りつけた。つまりは土下座だ。
(この世界にも土下座の文化があるんだな……)
どうでもいいことを思いながら、男の反応の意味を察した。
「デニスとエミーリアがなにか粗相をしたのでありましたら、わたしがすべての責任を負います! なので、なのでどうか子供立ちの命だけは助けてはいただけませんでしょうか……!」
「顔を上げてください。僕は仕事の話をしたくて、この子たちに案内を頼んだんです。仲間思いで、礼儀正しいいい子たちですね」
「そうだぜロータルさん。この人たちすげぇいい人なんだ!」
「お駄賃ももらったんだよ!」
デニスとエミーリアが説明に加わり、ロータルは恐る恐る顔を上げた。
「お貴族様ではない……のですか……?」
「子供たちを庇うあなたの言動は実に見事でした。信用するに値するお人柄ですね。本当にあなたのような人と出会えてよかった。ここに立ち入ってからというもの、有無も言わさず襲ってくる連中ばかりで辟易していたんですよ」
貴族だと肯定しては話が進まなくなる。かといって否定するのも後で嘘だとバレたら信頼関係を壊しかねない。だからロータルの言動を褒めることで話を誤魔化した。
「それは……そのような恰好で
「あはは……、耳の痛い話です」
(ここで、こんな問答をしてても埒があかねぇな。さっさと仕事の話に移るか)
ツェーザルは苦笑いから表情を真剣なものに変えた。
黒の紗で目元を覆っているが、口元だけでも意外と相手に感情は伝わるものだ。
「自己紹介が遅くなりました。僕はツェーザル。横にいるのがアウレリアです」
「これは失礼しました。わたしはロータルと言います。ここにいる子供たちの面倒を見ているのですが、わたしが不甲斐ないばかりに子供たちには辛い思いをさせてしまっています。そういえば仕事の話をしたいと言っていましたが?」
「はい。ここではなんですので、少し場所を変えませんか」
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