第4話

 十五年にも及ぶ幽閉生活の中で、ツェーザルがアウレリアに教えた事柄は多岐に渡る。

 中高生レベルの勉学や前世での常識や価値観。ヤクザのシノギ等々、知識面だけではなく武術も叩き込んだ。

 十代の男女が下剋上を狙うのだから、身を護る術以上の力が必要になるのは分かり切っている。

 ヤクザが武術なんてと思うかもしれないが、ツェーザルは若気の至りで古武術を修めていた。

 現代武道とは違い、古武術はルールのない実戦を想定した武術である。流派にもよるが、ツェーザルが修めているのは天真正伝香取神道流といって剣術、居合術、柔術、棒術、槍術、薙刀術などをはじめとした総合武術だ。

 スラムのゴロツキごときに遅れをとるはずがなかった。

「まともなヤツは一人もいねぇのかよ!?」

 ついに五つ目の派閥を壊滅させたツェーザルが吼えた。

 それを見ていたアウレリアは苦笑している。

「まともじゃないからスラムの住民になったんだと思いますよー?」

「正論過ぎてなにもいえねぇ!?」

「そもそも、なんであたしたちスラムの派閥を潰して回ってるんでしたっけ? スラムの住民を誘拐するんじゃなかったんですか?」

 たしかに当初はその予定だった。

 しかし、スラムに入ってすぐに気づいたのだ。

「スラムの状況が想像以上に悪ぃ。健康状態の悪いヤツばっかりゴロゴロしてやがる。拉致ったはいいが、病気の治療が必要だとか、すぐに死んじまうとか、そんなヤツはいらねぇからな。俺が欲しいのは今すぐ労働力になる健康なヤツだ」

「あ、だから最初の兄貴さんに『健康な』って条件を付けてたんですねー」

「そういうことだ。俺らがテキトーにぶらついて探すより、地元の派閥に頼んだほうが見つかりやすいと踏んだわけだが……」

「ハズレばっかりですね~」

「まったくだ……。そろそろアタリを引きてぇもんだが……。次もダメそうだなこりゃ」

 近づいてきたのは、ボロ切れを纏った十歳弱の少年と少女だった。

 ツェーザルたちに危害を加える気満々だったこれまでの連中とは明らかに違う。

 むしろその逆だ。

 少女が少年の服を引っ張って必死に引き留めようとしている。

「デニスお兄ちゃん、やめようよっ。お貴族様に声を掛けたら殺されちゃうよっ」

「バカ! お貴族様がスラムこんなところにくるかよっ。だいたいそんなこと言ってられる場合じゃないだろ! ヨーゼフ兄ちゃんたちが死んで、稼げるのは俺たちしかいないんだぞ!?」

 そう。普通ならばスラムこんなところに貴族はやってこない。だから、これまでの連中は上等な服を着たツェーザルたちを貴族ではなく、裕福な平民の子供だと思ってちょっかいを掛けてきたのだ。

 スラムのゴロツキでも貴族に手を出せばどうなるかぐらいは分かっている。

 少年はそれが分かっていて、少女はそれがまだ分かっていない。そういう微妙な年頃なのだろう。

 そして、二人の会話から彼らが属している派閥の内情が把握できた。

 ツェーザルは『次もダメそう』といった前言を即座に撤回。

 待ちに待った獲物カモに歩みより、屈んで少年少女の視線に合わせた。

「どうしたのかな?」

「――え……っ」

「――ひ……っ」

 まさか話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。

 少年は驚きに身を固め、少女は蒼白になって震えている。

 対極な二人は、次の反応も正反対だった。

「ご、ごめんなさ――」

「あ、あの……ッ。食べのか、お金を……恵んでもらえないでしょうか……!」

 謝ろうとする少女の言葉を遮り、少年が懸命に言葉を紡ぐ。

 ツェーザルの答えはすでに決まっていた。

「いいよ」

「そうですよね……。ごめんなさい。もし殺すなら僕だけ………………え……?」

 あまりな早とちりに思わず微笑みが漏れた。

「そういえば自己紹介がまだだったね。僕はツェーザル。こっちの女使用人メイドはアウレリアだよ。よろしくね」

「で、デニスです……」

「そっか。はい、どうぞデニスくん」

 金貨を手渡し、それをみた少年は唖然として、ついで真っ青になる。

(あれ……?)

 思っていたリアクションと違う。

 驚愕するとか、狂喜するとか。そんな反応をすると思っていたのだ。

 思わずアウレリアに視線を投げると、彼女はやれやれと言った風に首を横に振るう。

「ツェーザル様ー。ここはスラムですよー?」

「――なるほど」

 指摘されて、すぐさま自らの過ちに気が付いた。

(ヤクザのシマで一般人カタギに百万円の札束をガキに渡すようなモンか)

 スラムの子供が金貨大金を持っていたどうなるか。まず家に帰る前に奪われて殺される。店で使おうにも盗んだと決めつけられて牢屋ブタ箱行きだ。

「ごめん。これは僕の考えが足りなかったね。現金を渡すのはナシにしよう。その代わりに君たちが欲しい物を買ってきてあげよう」

 金貨を懐に戻し、できるだけ優しく、穏やかな声音で問いかける。

 デニスは残念そうな顔をしつつも、安心したような複雑な表情を浮かべていた。

「それじゃあ食――」

「ちょ……ちょっと待ってください……ッ」

 声を上げたのは、ツェーザルが声を掛けただけで青ざめて震えていた少女だった。

「なにかな?」

「こ、こんなのおかしいです! 今日はじめて会ったスラムの子供なんかに、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 先ほどまでとは違った毅然とした態度にツェーザルは驚いた。そして、欲しい言葉を言ってくれたことに安堵する。

 スラムで育った子供ならば猜疑心が強く、真っ先にデニスが疑ってくるかと思ったのだ。少女が言わなければ、別のパータンで話を持っていくつもりだったので問題はないが、ひと手間増える。何事も工数が少ないのに越したことはない。

「バッ――! おまえ余計なことを――」

「デニスお兄ちゃんは黙ってて!」

 少年の抗議を少女は一蹴。

 真剣な――睨みつけているにも等しい眼差しをツェーザルは微笑で受け流す。

「君の名前は?」

「エミーリアです」

「ありがとう。エミーリアちゃんの質問はもっともだね。なんで僕がそこまでするかだったね。それは、僕たちは君たちを取りまとめている人に会って話がしたいからだよ」

「会って……なんのお話をするんですか……?」

「お仕事の話だよ。どうにもここにいる人たちは乱暴は人ばかりでね。実のところちゃんと話せたのは君たちが初めてなんだ」

 冗談めかして言うと、少女はようやく苦笑いを返してくれた。

「だから、きちんと話ができる人に会えて嬉しいんだ。金貨一枚は取りまとめの人のところに連れて行ってもらうための案内料かな」

「でも……」

「貰い過ぎだと思う?」

 エミーリアは黙って頷いた。

 賢い子だ。もしかしたら元は平民でやむなき事情でスラムに流れていたクチかもしれない。

「情報の価値を決めるのは君たちじゃなくて僕だよ。このお仕事の話にはそれだけの価値があるんだ。それに、金貨一枚分のお金でなにを買うのかは、取りまとめの人に尋ねた方がいいかな」

「……なんでですか?」

「君たちは、君たちにとっていま何が一番必要なのか分かっているかな?」

「食べ物です」

 エミーリアは即答した。

 ツェーザルはゆっくりと頷き返す。

「そうだね。でも、どんな食べ物がいいのかな? ライ麦、大麦、肉、野菜、果物。食べ物と言ってもたくさんあるあろう? それに薬はいらないの? 衣類は? 日用品は?」

「そ、それは…………」

「でしょ?」

「…………」

 エミーリアが目に見えて戸惑っていた。

 無理もない。金貨一枚分の食料は欲しい。しかし、そのためには会ったばかりの怪しい男を住処まで案内しなければならないのだ。

 もし悪い大人だったら、自分が手引きしてしまうことになる。

 ツェーザルとしてもズルい言い方だとは思うが、どうしても彼らのまとめ役に会いたかった。

十歳ちょっとの子供たちだけで生きていけるほどスラムは甘くはない。ここにくるまでの熱烈な歓迎を受けたハズレを引いてきたからこそよく分かる。

 子供たちを死なせず生き長らえさせられるだけの力を持った大人が確実に存在しているはずだ。

 その上、エミーリアもデニスも痩せ細り薄汚れてはいるが、病を患っている様子はない。まさにツェーザルが欲しい人材であった。

 本当に掛け値なしに、この取引は金貨一枚に相当する。

「――エミーリア。この人たちを家に連れて行こう」

 デニスが口を開いた。

 エミーリアは、「でも……」と躊躇いの言葉を呟きながらも、気持ちが揺れているのが見て分かる。

「知らないヤツを連れてくのが怖いってのは分かるけどよ。俺たちじゃなに買ってもらえばいいのか分かんないのも本当のことだろ。殺されるわけじゃないんだ。ロータルさんに任せた方がいいと思う」

(まとめ役の名前はロータルってのか。ガキはチョロくて助かるな)

 内心でほくそ笑んでるとエミーリアが覚悟を決めたのか力強くなずいた。

「………………分かった」

 連れてこられたのは、ボロボロの集合住宅アパートだ。屋根の半分は崩れ落ち、壁も方々に穴が開いている。室内にテーブルやイスさえもなく、数人の子供たちが飢えを耐えるように地べたに横になっていた。

 思っていた以上にこの派閥の状態は追い詰められているらしい。   

「お帰りデニス、エミーリア。随分と早く………………」

 柔和な笑みで少年と少女の帰宅を迎えたのは四十代過ぎの男だった。右足を膝から下を失っており、粗末な木の杖をついていた。濃いハニーの頭髪は七割以上が白髪で赤と汚れに塗れている。そして、強い黄ネープルスイエローの瞳がツェーザルを見て大きく見開かれていた。

「あなたが――」

「申し訳ございません……ッ!」

 ツェーザルの言葉を遮り、男は膝をつき、頭を床に擦りつけた。つまりは土下座だ。

(この世界にも土下座の文化があるんだな……)

 どうでもいいことを思いながら、男の反応の意味を察した。

「デニスとエミーリアがなにか粗相をしたのでありましたら、わたしがすべての責任を負います! なので、なのでどうか子供立ちの命だけは助けてはいただけませんでしょうか……!」

 ロータルの突然の行動にデニスもエミーリアもぽかんとしていた。なんでロータルが土下座しているのか分からないだろう。

 ツェーザルはロータルに歩み寄り、片膝をついて穏やかな口調で話しかけた。

「顔を上げてください。僕は貴族ではありません。仕事の話をしたくて、この子たちに案内を頼んだんです。仲間思いで、礼儀正しいいい子たちですね」

「お貴族様ではない……のですか……?」

 ロータルはまだ土下座したままだ。

 疑り深い。もしかしたら顔を上げて良いと言われて顔を上げたら殺されたなんて話があるのだろうか。だとしたらこの異世界の貴族はロクでもない。

(まぁ、俺もひとのことを言えた義理じゃねぇが)

 前世では「顔を上げて良いぞ」と言って土下座した相手が顔を上げた瞬間に頭を蹴り飛ばしていた。その数は両手両足を使っても足りない。

 もっとも、ロータルにそんなことをする理由はないどころか、必要な人物である可能性の方が高いので信頼を得られるような立ち回りが必要だ。

 ツェーザルは極めて紳士的に振舞った。

「はい、貴族ではありませんよ。そして僕はロータルさんに会えた幸運に心から感謝しています。子供たちを庇うあなたの姿に心が洗われる思いでした。なにせスラムに入ってからというもの、有無を言わさず襲ってくる連中ばかりだったもので」

 嘘はついていない。

 ツェーザルはまだ襲爵前なので正式な貴族として叙されていないからだ。

 しかし、隠したままでいるつもりはない。タイミングを見計らって打ち明けるつもりだった。

「ごめん。ロータルさんがまさかこんな慌てるなんて思わなくて……」

「ツェーザルさんは私たちに必要なものを買ってくれるって。でも私もデニスお兄ちゃんも何を買ってきてもらえばいいのか分からないから……」

 ここで子供たちのフォローが入った。

 絶妙なタイミングだ。

 ロータルはようやく顔を上げ、近寄ってきたデニスとエミーリアの頭を撫でる。それからツェーザルに視線を向けた。その表情は怪訝、不可解の一色だ。

「わたしたちに施しを……?」

「施しではありません。僕と仕事の話ができる人のところへ案内してくれるという彼らへの正当な報酬です」

「たったそれだけのことで……?」

スラムここでは、たったそれだけのことが成立しないのは貴方がよくご存じなのではないですか?」

「……………………たしかに」

 どうやら理解してくれたらしい。

 だから次の段階に話を進める。

「自己紹介が遅くなりました。僕はツェーザル。横にいるのがアウレリアです」

「これは失礼しました。すでにご存じかと思いますが、ロータルと言います」

 手を差し出したのはツェーザルからだった。

 ロータルは薄汚れたズボンで手をこすり、その手を握ってくる。

「早速で申し訳ないのですが、仕事の話をしても?」

「分かりました――場所を変えましょうか」


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2024/6/4:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。

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