第3話

 ツェーザルは、すぐさま外向けのペルソナを被り、友好的な笑顔を向けた。

「出迎えご苦労さま。おかげで探す手間が省けましたよ」

「はあ? なに言ってんだコイツ」

「目が見えねぇから状況が分かってねぇんじゃね?」

 男たちの嘲笑に、ツェーザルはやはり笑顔で応対する。

「とんでもない。君たちは僕を――いや、僕を人質にして身代金を要求して、彼女メイドはお楽しみのあとに売り払うつもりなんですよね?」

「ハッ、分かってじゃねぇか」

「分かってんのに、こんなとこ来るかフツー?」

「ちょっと事情がありまして。君たちのリーダー……って言っても分からないか。一番偉い人と仕事の話をしたいんですけど、案内してくれませんか?」

 懐から取り出したのは、一枚の金貨。

 案内の報酬だと、言葉にしなくても伝わったらしい。

 見るからに狼狽していて、威勢を張るのすら忘れてしまっている。

 その隙をツェーザルは逃さない。

 一番近くにいた男の手に金貨を握らせ、問いかける。

「君の名前は?」

「お、オットーだ……」

「オットーくんだね。よろしくお願いしますね」

 相手の名前を口に出してお願いをした。

 主導権を握ったツェーザルは、残りの二人にも同じように金貨を握らせ、名前を口に出してお願いをする。

 人は他人の名前などいっこうに気にも留めないが、自分の名前になると大いに関心をもつ。自分の名前を憶えていて、それを呼んでくれるということは気分のいいもので、つまらぬお世辞よりもよほど効果がある。

 これは、ツェーザルが尊敬する作家、D・カーネギー著『人を動かす』のPART二-二「人の名前を覚える」で記されている一文だ。

 そして、その効果は劇的だった。

 男たちは戸惑いながら、顔を見合わせ、小さく頷き合う。

「――チッ、仕方がねぇ。ついてこい」

 金の力だけではこうはならなかっただろう。自分たちよりも身分や立場が上の人間ツェーザルが、名前を呼んで頼んだ――対等に接したから気を許してくれたのだ。

 もちろん、下心もあったに違いない。三人で金貨一枚だと思っていたら、一人金貨一枚だったのだ。いい金蔓になると思っても不思議ではないし、そう思わせるような演出をしている。

 どちらにしても、上の立場の人間に会うという目的は達成された。

 連れていかれたのは、朽ち果てかけた平屋だった。屋根や壁が壊れていないだけ、スラムではマシな部類に入るだろう。出入り口に男が二人。腰に短剣を佩いている。

 見張りを立てないといけないほどの悪事をしている集団らしい。

「おい、誰だそいつらは。攫ってきた……わけじゃなさそうだな」

「客人だ。兄貴に会わせたい」

「客人? オットー、おまえ変なもんでも食ったか?」

「違ぇよ。このガキがボスに仕事の話をしたいんだと。俺たちの仕事が増えるんなら悪いことじゃねぇだろ?」

「…………待ってろ。兄貴に聞いてくる」

 見張り役の一人が家の中に入っていく。

 もう一人の見張り役は、ツェーザルを胡散臭そうな目で見つめていた。

 待っている間は暇なので、笑顔でオットーに話しかける。

「オットーさんは信頼されてるんですね」

「別にそんなんじゃねぇよ。ただ古株ってだけだ。それより仕事の話ってのは本当なんだろうな?」

「もちろんですよ」

「……ならいい。スラムじゃ金を稼げる手段は限らてるからな。その機会を逃したくなかっただけだ」

 どうやらツェーザルを信用できる相手と判断してくれたらしい。

 やはり「笑顔」と「名前を覚える」の効果は凄まじい。

 もっとも、「笑顔」は、目を覆っている黒の紗で効果は半減しているだろうが、その分は横に控えているアウレリアの可愛さでカバーできているはずだ。

 扉が開き、見張り役の男が戻ってきた。

「兄貴が会うと言っている。もちろん俺も一緒だ。妙なことをしたら……分かってんだろうな?」

「もちろんですよ」

 苦笑しながら開けられた扉をくぐる。

 オットーもあとから付いてきた。

(へぇ、外見とは違って中はちゃんとしてんだな……)

 綺麗な板張りの居間に長方形のテーブルが一台置かれ、囲むように六脚の椅子が並べられていた。スラムらしくない、平民の家と遜色ない設えだ。

 そして、椅子には三人の男が値踏みするような視線でツェーザルを見据えている。

 真ん中に座っているのが、おそらくは兄貴だ。元ヤクザの勘がそう告げている。

 両脇にいるのは幹部だろう。

 三人とも暴力のニオイをむせ返るほど漂わせている。

 見張り役の男が足を止めたので、ツェーザルも足を止めた。

 テーブルを挟んでいる上、兄貴との距離はおよそ三メートル。一足一刀にはわずかに届かない。絶妙な距離感だ。スラムのゴロツキと思っていたが、見張り役は護衛としてなかなかいい仕事をしている。

「はじめまして。僕はツェーザルと言います。ちょっと人手に困ってまして、ちょうどいい人材を紹介してほしいんですよ」

 自分が名乗ったからといって相手も名乗ってくれるとは微塵も思ってはいなかった。逆の立場なら――

「ハッ、ガキが調子にのってんじゃねぇよ」

 同じように思い切りバカにする。

 両隣の幹部も嘲笑を浮かべていた。

「マジで仕事の話を聞いてくれると思ってんぜ? このガキ、バカかよ」

「いい女を連れてるって言うから見定めてやろうって呼んだだけなんだがな」

「ちょ……っ、兄貴! それじゃ話が違うだろう!?」

 兄貴と幹部の言葉に、オットーが声を荒げた。

 彼も仕事の話を聞いてくれると思っていたらしい。

「バカが。そんな甘っちょろいこと言ってるからいつまでだっても下っ端なんだよテメェは」

「おいガキ。有り金全部と女を置いてけ。そうしたら帰っていいぞ」

 ありがたいことに命を取られないどころか、痛い目にも遭わないらしい。オットーを甘いと言っておきながら、兄貴も十分に優しい。前世のツェーザルならば絶対にタダでは帰したりはしない。今後も金を毟り取れるよう確実に弱味を握る。

 とはいえ、ツェーザルの話を聞く気がないのはいただけない。

 アウレリアを一瞥すると、事前に打ち合わせた通り瞼を閉じた。

「前金なら用意してますよ。金貨十枚。健康な男女を集めてきて欲しいんです。報酬は一人につき金貨三枚です。どうでしょう? これだけの拠点を構えられる兄貴さんたちだからこそ任せても良いと思える仕事なのですが」 

 話を聞く気がないなら、聞く気を起こさせてやればいい。

 そして、素直で誠実な評価を与えることで自ら動きたくなる気持ちを起こさせるのだ。

 これは、D・カーネギー著『人を動かす』PART一-二「重要感を持たせる」に記されている。

 お世辞は利益よりも害をもたらす。

 ゆえに、これだけの拠点を構えられる集団ならば仕事を任せられると言った言葉は嘘偽りのない本心だ。

 正当な評価を受けた兄貴と幹部二人は、先ほどとは一転、表情から嘲りが消えていた。

「ガキの遊びじゃねぇってわけか、え?」

「僕は最初からそのつもりでしたよ?」

「ハッ、ちげぇねぇ」

 兄貴が破顔する。

 スラムは、おそらくヤクザの世界と同じようなものだ。

 すなわち、金がすべて。

 だからこそオットーや兄貴は現金を見て態度を一変させた。

 もちろん『人を動かす』技術があってこそというのは言うまでもない。

「いいだろう。健康な男女を五人集めてやる。それで期日は?」

 アウレリアを一瞥する。彼女は首筋を掻いていた。

 それを見てツェーザルは胸中で嘆息する。

(集める気がない……あるいは、健康かどうかも分からない適当な男女を集めるつもりか?)

「質問に質問で返すのは申し訳ないんですが、いつまでならば集められますか?」

「三日ありゃ十分だ」

 アウレリアはまた、首筋を掻いた。

 今度は胸中ではなく、リアルで溜息を漏らす。

(集める気がねぇな。三日後に顔を出したら報酬を奪ってお払い箱ってとこか)

「僕はね、嘘つきが大嫌いなんですよ」

 言うと同時に床を蹴った。

 目の前のテーブルに左手をついて飛び越える。

 この動きに反応できた者はただ一人。

 兄貴でも幹部二人でも見張り役でもオットーでもない。

 アウレリアだ。

 ツェーザルが着地の勢いを遠心力に変えて杖を振るう。

 鋼鉄製の杖は易々と兄貴の頸椎を粉砕した時、アウレリアが見張り役の首をへし折っているのを視界の隅で捉えた。

「テメェ――ッ!」

 ようやく幹部のうち右側に座っていた男が怒声を発して立ち上がるも、ツェーザルはすでに突きを放っていた。

 杖の先端が男の喉に突き刺さり、気管と食道を押し潰す。

「――ひっ……」

 もう一人の幹部は悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。

「や……やめ……やめろ……金な――」

 尻もちをつきながらあと退る男にツェーザルは無言で杖を振るい、頸椎を叩き折った。

 アウレリアの方をみれば、彼女もオットーを始末し終えたところだった。

「兄貴ッ! ど――」

 室内の物音が聞こえたのだろう。

 外にいた見張り役が飛び込んできた。

 が、アウレリアの一撃を鳩尾に喰らい、身体がくの地に折れ曲がる。

 下がってきた男の頭――頭頂部と顎にアウレリアの手が添えられ、容赦なく捻りあげた。

 ゴギッ、と頸椎が砕ける鈍い音がして男は床に崩れ落ちる。

 兄貴の拠点を一瞬にして制圧したツェーザルは詰まらなそうに死体となった男たちを見回した。

「まぁ最初からアタリを引くとは思ってもいねぇけどよ。こりゃ酷すぎるだろ……」

 (あんな見え見えの嘘、いまどき小学生にだって通用しねぇぞ……)

  報酬を聞いてからすぐに手の平を返したのは、なにもD・カーネギーの技法が功を奏したからではない。もしかしたら、一割ぐらいはあるのかもしれないが、残りの九割は単純な打算だ。

 いま身包みを剥がしても金貨十枚しか持っていないが、成功報酬を渡すときに襲えば金貨十五枚。前金と合わせて金貨二十五枚が手にはいる。

 どちらが得なのかは言うまでもない。

 元ヤクザの勘と洞察力をもってすれば、モロバレの嘘であった。

「おまえの神に祝福された証ゼーゲンを使うまでもなかったな……」

 アウレリアの神に祝福された証ゼーゲン――この異世界での唯一のファンタジー要素である異能は、虚偽の看破だ。


「俺が交渉を始めたら目を閉じて神に祝福された証ゼーゲンを使え。そして嘘を吐いたら首筋を掻くんだ」


 スラムに入る前、アウレリアにそう言い含めておいた。

 目を閉じさせたのは、神に祝福された証ゼーゲンを使うと瞳が淡く光るからだ。

 もっとも、少し頭の回るヤツならば、目を閉じた時点で、神に祝福された証ゼーゲンを警戒する。

 しかし、兄貴は警戒もせずに堂々と嘘を吐いた。

 その時点で話はご破算。皆殺しが確定した。

「あの~……、いまさらですけど殺してしまってもよかったんですか~?」

「なんだアウレリア。良心の呵責とか罪悪感とか覚えてんのか?」

「いえ、この人たちはツェーザル様を謀ったんですから殺されて当然ですね~。あたしが心配しているのは、こんなクズを殺したことで計画に影響がでないかどうかなんですけど」

「むしろ逆だ。俺たちがやろうとしているのは犯罪だ。それを共謀者以外に知られるのは弱味を握られんのも同然。いつ強請られるかも分かったもんじゃねぇからな。それに、死体なんてスラムにいくらでも転がってただろ。いまさら一つ二つ増えたところで気にするヤツなんていねぇよ」

 現代ならば死体を処理するのに一苦労なので気軽に殺しはできなかったが、この異世界は口封じが楽で助かる。

 ここにくるまで、行き倒れたのか、病死したのか、殺されたのか、そんなような死体が何体も転がっていた。誰かがこの家にある兄貴たちの死体を見たところで、抗争で殺されたのかと思われるだけだ。事件にならないどころか騒ぎすら起こらないだろう。

 それでも気を遣って返り血を浴びないように刃物を使わずに殴殺したのだ。

 スラムだからこそ、血塗られた服を着た男女に話しかけるバカはいない。誰だって自分の命が一番大事なのだ。

「時間が惜しい。次の獲物を釣りに行くか」

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