第2話

 思い立ったが吉日。さっそく出入りしている商人から情報を収集し、コルダナ男爵領を出立した。

 向かう先は、ターベルク伯爵領にある都市シュラーベンだ。

 コルダナ男爵領の北側に隣接している領地で、都市人口はおよそ一万人らしい。

 この数が多いのか少ないのかは全く分からない。

 ツェーザルは、異世界転生して産まれてからすぐに山中にある使われていない山小屋に幽閉されてしまったため、この異世界の世情を知らないのだ。

(たしか……、中世ドイツで人口一万人以上の都市は十数しかないんだっけか)

 うろ覚えの知識を参考にしてみるも、前世とこの異世界とでは発展の仕方が異なるかもしれないので一概に比較できるものではないだろう。

(つーか一万人程度で都市ってのもピンとこねぇんだよな……)

 なにせ事務所のあった新宿区の人口は三十四万人。スケールが違い過ぎる。

 考えても結論の出ない問題に現実逃避してみても、現実は逃してくれないらしい。

「…………………………おぇ」

 ツェーザルは馬車の荷台から身を乗り出して嗚咽を漏らした。

 吐きだせるものはすべて吐き出してしまったので、出てくるものは胃液だけ。

 横になって休もうにも、激しい振動がそれを許さない。

 衝撃吸収機構サスペンションのないオンボロ大型四輪馬車キャラバンの乗り心地は想像以上に最悪であった。

 休息をとるほど目的地への到着は遅くなり、地獄の時間が延長されるだけなので、御者をしているアウレリアには気にせず走るように命じていた。

(盗賊に追われて猛スピードで逃げる王族を乗せた馬車……所詮はフィクションか……)

 競歩程度の速度でこの惨状である。

 馬に鞭を入れて全力疾走させたら、即行で横転するに違いない。

「もうすぐ街道にでますから! そうしたらもう少しはマシになると思います! もう少しの辛抱ですよ!」

 ガタガタとうるさい走行音に混じってアウレリアの声が聞こえてくる。

 街道とは、主要都市を繋ぐ領主の管理下にある整備された道のことだ。人、物、情報を運ぶ大事な道であるため、道幅も広く、石畳が敷かれていて非常に走りやすい。

 一方、いまツェーザルたちが使っているのは、樹木や草を除去して踏み固めただけの道だ。地面がむき出しで、石や窪みが平気で存在している。

 この道は、コルダナ男爵領から他の領地に行くための唯一の公道であるが、領民は領地の外にでないため、ここを通るのは月に一回訪れる商隊だけ。ほとんど使われない道のために金は掛けられない――あるいは道を整備しようという発想すらなかったのかもしれない。

 これまでの領主たちを呪いつつも、それが幸いして比較的安全な旅が行えているのはとんだ皮肉だ。

 コルダナ男爵領に盗賊は絶対に現れない。

 理由は説明するだけ悲しくなる。

 月に一回、商隊しか通らないような道に、縄張りを張っても旨味がないからだ。

 ゆえに、野生動物さえ気を付けていれば問題はない。コルダナ男爵領にいる危険な野生動物のほとんどが夜行性であるらしい。日中にコルダナ男爵領を抜けさえすればいいのだ。

 街道に出れば、一日で移動できる距離毎に宿場町があり、安全確保のために領主の私兵が詰めている。野生動物や盗賊に襲われる心配はなくなるというわけだ。

 もちろん、街道から外れてしまえばその限りではないが、ツェーザルが目指しているシュラーベンは街道沿いにある主要都市なので問題はない。

 ――というのが、事情を聴いた商人からの言葉だった。

 その話を聞かなければ、アウレリアと二人で領地の外にでようとはしなかっただろう。

(思ってた以上に治安が良すぎる気がしないでもないが……)

 中世では盗賊が跳梁跋扈しているイメージがあるし、異世界系のファンタジーでも大きな街道で盗賊に襲われるのはテンプレイベントだ。

(盗賊に身を落とすヤツが少ないのか……?)

 人間、誰もが好きで盗賊になるわけではない。

 食い扶持に困った者や脛に傷のある者、兵士や傭兵にはなれないが暴力に自信のある者、楽に金や食料を得ることに慣れてしまった者など様々だ。

ファーテンブルグこの国は、国土のほとんどが鉱山って話だったよな?」

 シュラーベンは隣にいるアウレリアに尋ねた。

 二人がいるのは、シュラーベンの手前にある最後の宿場町だ。

 夕飯を食べ終え、寝るまでの時間を使ってこの国、ひいてはこの異世界の状況を分析するのがツェーザルの日課になっていた。移動中もたしかに暇ではあるのだが、街道であっても振動が邪魔をしてロクに集中できない。考えるならば、やはり静かな環境が適している。

 ちなみに、部屋は宿泊代節約のため、二人部屋だ。

「はい。農耕に適した土地が少なくて食料は他国からの輸入に頼ってるってお母さんが言ってましたね」

(なるほど、そういうことか)

 アウレリアの一言で、街道の治安の良さに得心がいった。

 街道は主要都市な都市を結び、王都へと繋がっている。もちろん、国外へもだ。

 輸入した食糧は街道を通じて輸送されるため、これが盗賊に襲われたら国家として致命的な打撃となる。

 自身の管理下にある街道の区域で、食料を運んでいる荷馬車が盗賊に襲われたとなれば貴族として致命的な疵を負う。

 領主たちが本気で治安維持に努めているわけだ。

(アデーレに感謝だな)

 前世の中世でも、この異世界でも、基本的に平民は生まれた町から離れることなく一生を終える。そのため、自分の生活圏内のこと以外は基本的に知らないし、知ろうとも思わない。

 普通の平民ならば、食料の多くが他国から輸入されていることは知っていても、『頼っている』という認識はないはずだ。この表現を用いるためには、国の事情――つまりは生活圏外のことを知っている必要がある。

 しかし、アデーレ――アウレリアの母は知っていた。

 宿屋の娘であったから、商人や旅人などから話を聞く機会があったのだろう。

 ツェーザルはたしかに、この異世界の知識は少ないが、アデーレのおかげで宿屋の娘が知っているレベルの知識は身に着けていた。

 ツェーザルが、読み書きできるのもアデーレが教えてくれたからだ。

 平民の識字率がい低いのは、中世のお約束である。だが、アデーレは仕事柄必要だったのだろう。読み書きも計算もできた。

 乳母がアデーレだったのは、ツェーザルにとって僥倖だったといえる。

「さて、明日にはシュラーベン入りだ。早く寝るぞ」

「ツェーザル様……。本当にやるんですか?」

 主語のない問いかけだったが、意味は伝わった。

 引き止めるというよりは、最終確認のようなものだろう。

「当たり前だ。悠長にガキができるのを待ってられっかよ」

「でも犯罪ですよ?」

「あ? ヤクザの商売シノギは大抵が犯罪行為だ。忌避感なんて持ち合わせちゃいねーよ。それにな、バレなきゃ犯罪じゃねぇんだ。これは世界が異なろうとも時代が違おうとも絶対不変の真理だ」

 ツェーザルとしては後世に残るほどの名言だと思ったのだが、アウレリアにとっては違ったらしい。

「いや、そんなキメ顔で言われてもリアクションに困るんですが……」

「っせぇ。俺は寝るぞ」

 アウレリアの突っ込みを一蹴し、ツェーザルは寝台に寝転んだ。

 子供を産み、生産年齢まで育てるという正攻法で人口を増やそうとすれば、数十年単位の時間が必要だ。

 移民を募ったところで魅力もクソもないコルダナ男爵領にやってくる人間がいるとは思えない。

 この詰んだ状況を打開できる起死回生の一手。


 若い働き手がいないなら、拉致ってくればいい。


 なんと単純で簡単な方法だろうか!

 すでに生産年齢に達している人間を攫ってくれば、明日からでも働かせられる。

 しかも、ここは異世界だ。明確に管理された住民票もなければマイナンバーカードもない。人が一人いなくなったところで問題にすらならない世界で、個人を特定する手段など在りはしない。

 万が一バレたところで、「元からうちの領民でしたがなにか?」シラを切ればいいのだ。

 ――では親類や友人、知人といった証人が現れたら?

 簡単だ。最初からそんな者がいない人間を拉致ればいい。


 日の出とともに宿場町を出立し、夕暮れよりだいぶ早い時間にシュラーベンへと到着した。

 正門から市壁内にはいると、そこには石畳が敷かれた目抜き通りが走っている。道幅はとても広く、両側四車線道路くらいはありそうだった。

 両端には様々な店が並んでいて、道行く人々を呼び込む威勢のいい声が聞こえてくる。そして、コルダナ男爵領では見ることのできない人、人、人――。

(人口一万人?wwwと思ってたが、こりゃたしかに大都市だな……)

 実際に市壁内に入ってみて、ツェーザルは大都市と呼ばれる所以を理解した。

 それは人口数ではなく、人口密度。

 狭い市壁内に一万人が押し込められていれば、人であふれかえって当然だ。

 同時に、宿場町で覚えた違和感――治安が良すぎると感じたことの新たな要因に気が付いた。

「道がきれいだな」

「……? どういうことです?」

 ツェーザルの呟きに、アウレリアが首を傾げた。

 ずっと山中の山小屋に幽閉されていたため、外の世界を知らないアウレリアが分からないのも無理はない。

 同じことがツェーザルにも言えるのだが、知らないのはあくまでもこの異世界の外だけだ。

「俺も本やネットからの知識しかねぇんだが、前世の中世時代じゃ大都市でも道に馬糞や残飯、人の糞尿が平気で捨てられてたらしいぞ?」

「……うぇ、なんですかそれ。想像しただけでも気持ち悪いんですけど……」

 ゆっくりと進む馬車の中、流れる風景を眺めながらツェーザルは言った。

「汚物が野ざらしにされることで病原菌の温床になるって知らなけりゃ、清潔にしようなんて考えは浮かばねぇわな。しかし、宿場町もシュラーベンも清潔が保たれやがる。つまり、少なくともファーテンブルグには公衆衛生の概念が存在し、平民にまで浸透してるってわけだ。コルダナ男爵領うちじゃド田舎過ぎて馬も人も少ねぇから気づかなかったが、どうりで歳くってるヤツが多いわけだ」

「それは……、病気になりにくいから長生きしやすいってことですか?」

「あぁ」

 排泄物は病原菌の宝庫だ。適切に処理されずに放置され、乾燥したそれらが風に吹かれて街中にばら撒かれたらどうなるかは簡単に想像ができるだろう。

 そのため、前世の中世時代では、諸説あるが二十五歳から三十歳が平均寿命と言われている。

 乳母のアデーレが風邪を拗らせて亡くなったのは二年前で、享年三十五歳。

 治療できなかったのはこの異世界の医学レベルが低いからであり、それでも三十五まで生きられたのは、前世の知識のあるツェーザルが衛生的な環境を徹底していたからだと思っていた。

 しかし、その考えは勘違いだったらしい。

 建築や農業、生活様式などからツェーザルはこの異世界が中世ヨーロッパに近い発展を遂げていると思っていた。だから医学レベルも同等だと思い込んでいたのだ。

(そういや……、俺が使えないからってすっかり忘れてたな……)

 この異世界には、魔法や回復ポーション、魔物やモンスターは存在しない。

 だが、ファンタジー要素が皆無なわけではないのだ。

 この異世界は、前世の中世とは違う発展の仕方をしている。

神に祝福された証ゼーゲンって言ったか。ガチで調べる必要があるな……)

 この異世界で唯一のファンタジー要素――神に祝福された証ゼーゲン

 それを軽視して大事な時に足を掬われたら溜まったものではない。

「それじゃ、これから明日の下準備だ」

 中の中程度の宿屋にチェックインしたツェーザルたちは、さっそく旅装を解き、貴族っぽく見える服装に着替えをはじめた。

 いまターゲットを拉致っても、日があるうちに宿場町へと辿りつけない。

 それになんの準備もなくコトを起こすつもりはなかった。

 犯行は計画的に。何事も段取りが肝心だ。

「この異世界の服装事情が近代ヨーロッパっぽくて助かったな……」

 着替え終えたツェーザルは、鑑に映った自分の姿をみて赤心を漏らした。

 本来の中世では、ダブレットシャツオ・ド・ショースかぼちゃパンツ、そしてパ・ド・ショースストッキングが貴族の普段着である。現代人であるツェーザルの感覚としては、ぶっちゃけ恥ずかしくて死んでも着たくはない。

 しかし、この異世界における貴族の平伏は現代でいうところのスーツだ。シャツにネクタイ、ジャケットを羽織り、踝の下まであるスラックスに革靴を履く。頭にポーラーハットを被り、手にはステッキを握る。イギリス紳士のような格好だ。

 アウレリアも近代ヨーロッパ――分かりやすく言えばヴィクトリア朝の女使用人メイド服を身に着けている。

 こちらはいつも通りの服装なので特に違和感はない。

「それじゃ、いざスラムへと向かいますか」

 街が大きければ大きいほど、その闇は深い。

 人口一万人ともなれば、相当な人数がスラムで生活しているはずだ。

 商人から聞いた話によれば、この異世界でもスラムの住民はロクな仕事もなく、毎日の食事にすら事欠いているそうだ。

 領主にしてみれば、税金を納めていない彼らは領民ではなく、窃盗や強盗、場合によっては傷害や殺人まで犯す彼らは人間のカタチをした家畜以下の害獣ですらある。

 まさにこれほど攫うのに適した存在しないだろう。

 いなくなったところで領主の懐は痛まない。むしろ害獣が数匹いなくなったことに気づきもしないだろう。気づいたところで積極的に捜索するはずもない。

 とはいえ人攫いは犯罪だ。

 慎重にコトを進める必要がある。

 だからこその貴族の服装であった。

 さて、これでスラムを歩いたらどうなるか?

「ここはガキがメイド御守り付きでくるようなところじゃねぇぜ?」

「ママやパパに近づいちゃいけないって言われてなかったのか? え?」

「ま、いまさら遅ぇけどな!」

 スラムに入って五分と経たず、悪漢にエンカウントした。



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2024/6/1:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。

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