異世界転生したヤクザはテンプレ悪徳領主になりたい
すずみ あきら
第1話
異世界に転生して、ちょうど十五年が経った日。
男は、父親を殺害した。
早朝、パン焼き小屋には十人ほどの老人が集まっている。
一日分のパンの配給を受けに集まってきた村人たちだ。
あたりには芳ばしいパンの香りが漂ってきているが、焼き上がりにはまだ時間があり、老人たちは雑談に花を咲かせていた。
「新しい領主様になってからというもの、毎日パンが食べられる。ありがたいことじゃ」
「そうさな。怖かったが、思い切ってよかったわい」
「クライネルト商会のヤツらの顔、いま思い出しても胸がスカッとするねえ」
「いままで好き勝手してきたんだ、いいザマじゃないかい」
誇らしげに語っているのは、先日に起こした反乱のことだ。
領主の圧政に我慢の限界を越えた領民たちは、一斉に武装蜂起。
領主を斃し、裏で糸を引いていたクライネルト商会を領地から追い出したのだ。
本来ならば国軍が鎮圧に乗り出すような事案だが、そうはならなかった。
この反乱には正当な理由があったのだ。
「おはよう。みんなだいぶ顔色が良くなったね」
声を掛けてきたのは、ツェーザル・コルダナ。
領主であるコルダナ男爵家の嫡男だ。
齢は十五――成人したてで身体の線は細く、身長もそう高くはない。
容貌は残念ながら目元を黒に染めた紗で覆っているため、美醜を判断することはできないが、だからこそ村人たちは勝手な妄想を膨らませていた。
「領主様……ッ」
「領主様の寛大な御心の賜物でございます!」
深々と頭を下げる村人たちにツェーザルは頬掻き、困ったように笑った。
「何度も言ってるけど、僕はまだ領主じゃないよ。襲爵の儀が終わってないからね」
襲爵の儀が執り行われるまで、ツェーザルの立場は男爵の嫡男のままだ。そんなことは村人たちも十二分に分かっている。
しかし、王都から遠く離れた
圧政から解放してくれたのは、遠い王都にいる顔も知らない王様ではなく、目の前にいる盲目の青年なのだ。
ツェーザルが領主である。これは領民すべての共通認識であった。
「辛く苦しい日々から解放してくださった貴方様は、すでに私たちの領主様です」
「――バルナバス。それは違うよ」
名前を呼ばれて、年老いた男は目を見開いた。
バルナバスは名主でも、領地にいる唯一の鍛冶師でも、領地一番の細工師でもない。ただの村人である。
「り、領主様……ッ。どうして私の名前を……」
「なにをそんなに驚いているんだい? 領民すべて合わせても百人くらいしかいないんだ。そのぐらいは覚えられるさ」
ツェーザルは、十まで数えられるのは当たり前だろう? となんでもない風に言うが、当たり前なわけがない。先代の領主も、先々代の領主も一介の村人の名前なんて覚えてはいなかった。
「話を戻そうか。たしかに前領主――僕の父親を斃したのは僕だけど、領民のみんなが手伝ってくれたからこその偉業だよ。けして僕ひとりだけの力では成しえなかった。だから僕だけを持ち上げないで欲しいっていうのが本当の気持ちかな」
それじゃ他のところも見回らないといけないから、と言い残して若い領主様はパン焼き小屋を去っていった。
「なんと謙虚な御方じゃ……」
「本当に前の領主様の御子様なのかい……」
「
村人たちは口々に呟き、遠くなっていくツェーザルの背中に熱い視線を送っていた。
コルダナ男爵領は貧しく、人口の少ない領地だ。よって、領主の家も屋敷や邸宅と呼べるものではない。もちろん、領民の家に比べれば立派であるものの、規模としては現代日本の都心で買えるような二階建ての戸建て住宅に近かった。
ただ、仕様は中世ヨーロッパ風で、玄関とリビングダイニングは直結している。
見回りから戻ってきたツェーザルは、そのまま何も言わずにダイニングテーブルの椅子を引いて盛大な溜息を吐きながら腰を下ろした。
「あ、ツェーザル様、お帰りなさいませ~」
間延びした声が聞こえてきたのは、リビングダイニングの隣にある
繰り返すが、コルダナ男爵領は貧しく、人口は少ない。
多くの使用人を雇う余裕もなければ、仕事もないので
「その様子をみればだいたい察しは付きますけど、どうしたんですか? って尋ねるのが
そんな彼女は、ただの
共犯者であり、唯一無二の理解者だ。
アウレリアと二人きりの時だけは素の自分でいられる。
だからツェーザルは盛大に
「っせぇ。分かってんなら聞いてくんじゃねぇ! あのクソ親父! こんなクズみてぇな領地を残していきやがって! いったいどこの限界集落だってんだッ!」
「あはは……。まー、これでも飲んで落ち着いてください」
目の前に置かれたコーヒーの芳しい香りが鼻腔をくするぐり、自然とティーカップに手が伸びた。
人心地ついたのを見計らってか、アウレリアが不思議そうに問いかけてくる。
「ところでツェーザル様? なんで領民の前では猫被ってるんです?」
「あ? 言ってなかったか? 前世の癖だ。外にも内にも高慢で高圧的で威圧的な態度をとるよりも、丁寧で誠実な言動をした方が都合よく物事が運ぶからな」
「………………」
アウレリアは顎に人差し指を当て、こてんと首を傾げる。
「あたし、そんな丁寧で誠実な言動をされた覚えなんて一度もないんですけど?」
「アホか。産まれた時からずっと一緒で、俺の秘密を全部知っているお前に猫被る必要なんてねぇだろうが」
「たしかに……ッ!」
アウレリアは激しく納得しながらも、ショックを受けたのか愕然としていた。
しかし、すぐに気を取り直して顔を上げる。
「ツェーザル様が素で接してくれるのはあたしだけってことですねっ!」
えへへ……と、だらしなく緩んだ笑顔を見て、ツェーザルはなんだか毒気を抜かれてしまった。
領地を視察し、改めて貧乏領地だと突きつけられ苛立っていた気持ちが、栓の抜けた風船のように萎んでいく。
「単純でいいな、おまえは」
「それがあたしの取り柄ですから! ――って、もしかして馬鹿にされてます!?」
「馬鹿になんかしてねぇよ。真面目な話、おまえのポジティブさに何度も救われてるからな」
嘘偽りのない本心だった。もしアウレリアがいなかったら、前世よりも荒んだ性格になっていたかもしれない。
「あたしもツェーザル様がいてくれて良かったです」
アウレリアは、木漏れ日のような優しく温かい微笑みを浮かべたあと、小動物のように小首を傾けた。
「そういえばツェーザル様の前世ってヤクザでしたよね? こっちの世界でいう盗賊みたいなもの……でしたっけ。お母さんに聞いた話だと盗賊って丁寧で誠実な言動とは無縁なイメージなんですけど、ツェーザル様の前世では違ったんですか?」
「いや? 暴力や弱味を握って金品を搾取するのが一般的だったな。だから俺は例外だ。他の奴らと同じことをしたって稼げねぇからな。身内からも『友好的な笑顔を浮かべながら躊躇なく人を殺せるヤベェヤツ』って怖がられてたっけか」
「あぁ……」
「否定はしねぇんだな」
分かっていたので特にダメージはない。むしろ変なフォローをされなくてよかったとさえ思っている。
どうでもいい話は一区切りつき、思考は今後のことに切り替えた。
それはアウレリアも同じだったようで、真剣なまなざしを向けてくる。
「――で、どうするんです? 領地が貧しいのは分かってましたよね?」
「そりゃそうなんだが……。まさか領地の予算の大部分を横流ししてるとは思わねぇだろ……」
アウレリアの言うとおり、領地が貧しいのは分かり切っていた。
しかし、それは農地に出来る土地が少なく、労働力に乏しい老人と子供しかいないからだと思っていたのだが、帳簿を見てそれが誤認だと知ったのだ。
領地が貧しい本当の理由。
それは有り得ないほどの重税に、その金が後妻の実家であるクライネルト商会に流れていたこと。
これでは健全な領地運営ができるはずがない。
日々の食事さえ満足にありつけない領民の生産力は低下する一方で、重税によって毟り取られてさらに日々の食事の量が減っていく。
そんな負の連鎖に陥った領民の健康状態は最悪で、流行病でなくとも風邪が蔓延しただけで大量の死者が出てもおかしくはないほどだった。
だから、
領民あっての領主である――などと崇高な思いからではなく、単純に金を貢いでくれる領民にいなくなってもらっては困るからだ。ただでさえ限界集落じみているのに、これ以上人口が減っては立て直しが利かなくなる。
善意ではなく完全なる打算からの行動だ。
ただし、その代償は安くはない。
金庫に金がほとんど残っていなかったので、食料の代金はすべて借金である。商人には実質の金銭以上に大きな貸しを作ってしまった。
なにせ前世であれば銀行はもちろん、闇金ですら融資を断るレベルの財政状況だ。商人が金を貸してくれたのは、ひとえにツェーザルが貴族であるからの一言に尽きた。
貴族に恩が売れる機会など早々あるものではないし、貴族であるから利子だけでも確実に回収できる。
さすがは異世界と思ったものだが、よく考えればこれは前世で言うところの弱者ビジネスだ。
例えば、生活保護者を受け入れている賃貸住宅や有料老人ホーム。一般人であれば賃料滞納のリスクは絶対にゼロにはならない。だが、生活保護者は生きているかぎり国や自治体が確実に賃料を払ってくれる。
まさか搾取する側だった自分が、搾取される側になるとは思ってもいなかった。
テンプレ悪徳貴族生活は、まさかの大赤字スタートである。
しかし、その甲斐あって領民の健康状態は改善傾向にあった。そこで後回しにしていた領地にある三つの村を視察した結果、クズみたいな領地だということが判明――いや、再認識されられたわけだ。
「横流しがなかったとしても貧しい領地に変わりありませんけどねー。借金してまで領民に食料を配給するのはいいんですけど、どうやって返済していくんです? 増税ですか?」
「アホか。それじゃジリ貧だろ。……てか、おまえも分かって言ってるよな? 領民を増やすような政策をしなきゃこのまま人口は減り続けていずれ誰もいなくなる。だから増税は悪手だ」
「でもそんな簡単に人口って増えませんよ? 移民を募っても集まってくれるような魅力ある領地じゃありませんし?」
「…………」
アウレリアのもっともな言葉に、ツェーザルは押し黙るしかなかった。
十五年間の幽閉生活の中で、ツェーザルの知りうる限りの知識をアウレリアには叩き込んであるため、彼女の教養や識見は現代日本の社会人と遜色ない。
さらに言えば、産まれてから今日まで外部との接触を断たれ、ツェーザルと常にともに過ごしていたことでアウレリアは、異世界生まれでありながら思考や価値観、判断基準は現代の日本人とほぼ同一であった。
だからこそ、彼女の指摘は非常に的確だ。
「領民の人口はおよそ百人。出稼ぎにでている男衆を抜かせば八十人弱です。残っているのは出稼ぎにである体力のないお年寄りか女子供ですから、生産人口が増えるまで何十年先になるか分かりませんよ?」
「だよなぁ……」
完全な手詰まりだ。
食糧の配給は、自民党が得意としているバラマキのようなもので、根本的な解決にはなっていない。
それでも次の策を考えるための猶予は稼げたはずだ。
「なんか良い案はねぇか?」
「そうですねー。個人的には途轍もなくイヤですが、領地に残っている人妻全員にご寵愛をお与えになれば十五年後には最低でも十五人の人口増になりますね」
「…………」
ツェーザルは、アウレリアに冷たい視線を送って黙殺した。
領地にいる出産可能な女は三十代以上だ。NTR趣味も熟女趣味もないツェーザルには拷問にも等しい。
そもそも、異性関係のいざこざは禍根が残る。出稼ぎにでている男連中が帰ってきたとき、妻が領主の子を孕んでいたと知ったらどうなるか。考えただけでも――いや、考えたくもない。
第一ツェーザルは可及的速やかにテンプレ悪徳貴族生活を送りたいのだ。十五年も待って十五人しか人口が増えないのでは話にならない。
「イヤ、そんなゴミを見るような目でみないでくださいよ~。冗談じゃないですか、じょーだん。移民も期待できないんですから、あとは攫ってくるしかないんじゃないですかね~? 完全に犯罪ですけど」
アウレリアの言葉に、ツェーザルは勢いよく立ち上がった。
(クソッ! どうして俺はそれに気づかなかった……ッ!)
ツェーザルの熱のこもった視線を向けられ、アウレリアがたじろぐ。
「い、いや……。誘拐っていうのも冗談ですよ? さすがに犯罪は良くないかなーって」
「なに言ってんだアウレリア! いないなら連れてくればいい! 最っ高の名案じゃねぇか!」
「え、えぇ……?」
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2024/5/29:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。
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