第44話
男爵領の道は基本的に道が狭く、領主邸のある村や町に通ずる道が一本しかない。その上、利用者は月に一度やってくる行商人ぐらいしかいないため、ロクな整備もされていない。
コルダナ男爵領もそれに漏れず、所々雑草の生えた土を踏み固めただけの道。
そこをいま討伐軍は三列縦隊で進んでいた。
左手には深い森。右手は断崖。
シャハナーが警戒していたからとルプンから注意喚起をされていたため、領地に足を踏み入れた当初はローテンベルガーも周囲に気を配っていた。
しかし、一刻進んでも敵襲の気配はない。
二刻進んでようやく現れたのは造りかけで放置された防衛陣地。
落とし穴は丸見え。しかも掘っている途中で投げ出したのか円匙が地面に刺さった真ままだ。膝の高さまでしかない盛り土は土塁の造りかけだろう。
偵察兵が持ち帰ってきた情報どおりの光景だった。
「進軍が予想よりも早くて慌てて逃げ出したか……。兵士が一人も詰めていないとは拍子抜けにもほどがある。コルダナ男爵は戦う気概すらないのか……」
失望を口にし、隊列の中央にいるルプンに伝令を送る。
「行くぞ」
休憩はあと一刻進軍したあとだ。
いかに開けた場所で休憩に適した場所だったとしても計画を変更はできない。
最後尾まで休憩を伝えるだけでも相当な時間を要するのだ。休憩場所を変えればいらぬ混乱を招いてしまう。
なにより、コルダナ男爵が想定していたよりも早く討伐軍がやってきたことこそ最大の優位点である。それを放棄してまで休憩を優先する理由はない。
「報告! 半リーユ(約二キロメートル)先に防衛陣地あり! 先の防衛陣地同様中途半端なものですが…………」
「なんだ。報告は正確にしろ」
「……ハッ。兵士が防衛陣地を構築中です。その数、確認できただけでおよそ二百」
「………………」
なるほどこれは偵察兵も言葉を濁すわけだ。
先の陣地構築を早々に放棄し、より手前の陣地の構築に着手したというところななのだろうが、あまりにも杜撰すぎる。
偵察兵の報告を信じるならば、コルダナ男爵領の兵士は迎撃のためではなく、防衛陣地構築のためにいるだけだ。まさか討伐軍と戦闘になるとは夢にも思っていないだろう。
「全軍に通達。計画通り四半刻後(約十五分後)の小休止とする。その後、現状の隊列のまま敵防衛陣地を蹂躙する!」
現在の三列縦隊は行軍陣形であり、戦闘用の陣形ではない。
が、迎撃態勢すら取っていない、防衛陣地を構築中の兵士ごとき行軍陣形でも十分に蹂躙できる。戦闘陣形にする必要さえない。
それがローテンベルガーの判断だった。
小休止を終え、ローテンベルガーを先頭に三万の軍が動き出す。
行軍速度は一刻(約一時間)で一リーユ(約四キロメートル)。
防衛陣地が半リーユ先にあるならば、交戦は半刻(約三十分)後となるはずだった。
「チィッ! 軟弱者どもめ……ッ!」
しかし、討伐軍が防衛陣地を目視できるところまで辿りつくのに半刻(約三十分)以上の時間を要してしまった。
その理由が体調不良者の続出だ。どうやら各下士官麾下の兵士三分の一ほどが吐き気や眩暈を訴えているらしい。
らしいというのは、ローテンベルガーの近くにいる下士官や兵士たちの様子から察したに過ぎないからだ。
山中であるため目視できる範囲は非常に限られている上、軍の副指令官であるローテンベルガーに伝令を走らせるような問題でもない。
だから、あくまで推測だ。
一つや二つの下士官麾下の兵が体調不良を起こしているのならば偶然で済ませられるが、目に見えるすべての下士官麾下の兵士三分の一が体調不良を起こしているとなれば、全軍単位の起こっていると捉えるべきだ。
そしてローテンベルガーはそれを訓練不足によるものだと判断した。
(クソがッ! この戦の意味を考えれば仕方ないとはいえ……足手まといだ!)
討伐軍三万の兵は下士官以下で構成されている。
それは来たるリュプセーヌとの戦に備えての実践訓練。
大した兵力を持たないコルダナ男爵領の戦いは、徴兵された雑兵の初陣にはお誂え向きの舞台だ。
普段は鉱物の採掘や農作業しかしていない領民だからこそ、行軍に付いていけない者たちも現れる。
想定されていた事態であり、このための実践的な訓練だと頭では分かっているものの感情は別だ。完璧な行軍計画が惰弱な雑兵によって遅滞するなど苛立ちを通り越して怒りすら覚える。
「付いていけない者は邪魔だ! 横にどいていろ! 全軍突撃!!」
ローテンベルガーが吼え、一気に馬を加速させた。
敵の防衛陣地は、直角に曲がった道の先、約二百五十トワーム(約五百メートル)にある。
この山道でこれほどの直線を確保できる場所は数少ない。
防衛陣地としてこれ以上にない好立地だ。
討伐軍が防衛陣地に接近するまで馬防柵や落とし穴で侵攻を妨害しつつ、矢の雨を降らせて相当な損害を強いられたであろう。
しかし、それは防衛陣地が完成していればの話である。
「と、討伐軍だ……ッ!」
「嘘だろ!? こんなに早くくるなんて聞いてないぞ!!」
「ふざけんな! こんなんやってられるか!」
防衛陣地を構築していた兵士たちがローテンベルガーを見た瞬間に踵を返して逃げ出した。そこには戦おうなどという意思の欠片すら見当たらない。
「な…………」
さすがのローテンベルガーも馬足を緩めて絶句してしまう。
追撃すれば十数人は討ち取れたであろうが、戦闘狂の戦意さえ挫くほどの見事な逃げっぷりであった。
討伐軍は一兵も損なうことなく、コルダナ男爵領の本村まで残り半分の地点にまで足を踏み入れた。
討伐軍がコルダナ男爵領に侵攻を開始してから二日目。
「そろそろだな」
第三防衛陣地にある土塁の上で、イジュウインは敵がやってくるであろう前方を睨みつけていた。
第一、第二と違い、第三防衛陣地は完成されているだけではなく半数以上もの兵力を集結させている。
その数、二個師団――六千九百一十二名。
王国軍では一個旅団の人数でしかないが、これは人口の少ないコルダナ男爵領のささやかな知恵の副産物であった。
一般的に軍事行動が可能な最小単位は一個連隊とされているが、コルダナ男爵領では一個大隊五十四名としている。
王国軍の規定からすれば五十四名は一個大隊ではなく、一個小隊だ。
しかし、コルダナ男爵領では一個大隊として扱われている。
その理由はいたって単純。
小隊長と呼ばれるよりも大隊長と呼ばれる方が気分がいいからだ。
たかが役職名ごときで気持ちよく働いてくれるならば、これほど楽なことはない。
そしてそれを軍の体制――四個大隊で一個連隊、四個連隊で一個旅団、四個旅団で一個師団といったふうに置き換えた結果が二個師団六千九百一十二名である。
第四防衛陣地はあるものの、そこに詰めているのは一個旅団八百六十四名。実質、第三防衛陣地が最終防衛線だ。
「地の利はこちらにある。――さぁ、どう攻めてくる?」
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