第45話
「ようやくまともに戦う気になったか……」
太陽が中天に差しかかる少し前、ローテンベルガーは厳かに呟いた。
この先の大きく左に曲がった道を抜ければ、コルダナ男爵軍の第三防衛陣地が敷かれている。
偵察兵の報告によれば、曲がってからおよそ百五十トワーム(約三百メートル)先に第一の土塁が構築されているという。さらに奥には第二の土塁があり、敵将らしき人物が詰めていたそうだ。
(おそらくはイジュウイン……)
かつて大陸中に名を轟かせた傭兵団の団長。
統率力、指揮能力に秀でているだけではなく、個の武勇も凄まじかったと聞く。
(早く
ローテンベルガーはそのためだけに、このくだらない討伐軍に参戦したのだ。
有象無象などどうでもいい。
さっさと雑魚を蹂躙してイジュウインと一騎打ちがしたかった。
ゆえに、ローテンベルガーは先陣を切らない。
戦場であるこの山道は人が三人並んで通れるのがやっとの細道だ。
敵を迎え撃つに、これほど適した場所はない。
第一の土塁に辿りつくまで、落とし穴が仕掛けられているはずだ。
そして敵兵からの矢が容赦なく降り注ぐ。
先陣を切ればさすがのローテンベルガーも消耗は避けられない。
(ふんっ、雑兵には雑兵をぶつければいい)
イジュウインとは万全の状態で
だからローテンベルガーは命令をくだした。
「国王陛下に仇名すものを誅伐せよ! 突撃ッ!!」
「おぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお――――ッッ!!」
ローテンベルガーの脇を通り過ぎ、身の丈ほどある木製の大盾をもった歩兵が吶喊していく。
最前列は大盾を前に。後列は大盾を頭上に掲げ。
こうすることで、正面と頭上から飛来する矢を封殺できる。
落とし穴も兵士そのもので埋め立てれば問題はない。
なにせこちらには三万の人間がいるのだ。数十名が落とし穴を埋めるための土砂となったろころで痛くもかゆくもない。
――だが、ここで想定外の事態が発生する。
突撃した兵の歩みが止まったのだ。
そして気が付けば、兵士たちの雄叫びは阿鼻叫喚に変わっている。
「ひぃぃぃ――ッ!!」
「だ、ダメだ! またやられたッ!!」
「あぁぁあああああ俺の腕がぁあああああ――ッ!!」
「――ほ、報告!!」
一人の下級指揮官が兵士たちの合間を掻き分けてローテンベルガーのもとに転がり込んできた
「敵の矢の威力が凄まじく……! 大盾を貫通……ッ!! 前進できません!!」
「なにを訳の分からないことを言っている!!」
用意した大盾は木を薄い鉄板で挟み、軽さと強度を両立させた特別性だ。
そもそも、敵兵が潜んでいる土塁は百五十トワーム(約三百メートル)先だ。
たしかに
「嘘だろ!? 盾を二重にしても貫かれたぞ!!」
「おまえ! 早く盾を構えろ! ――クソがッ! 盾がなきゃ後ろにいるやつも矢の餌食になんのかよ!!」
「敵兵はバケモノか!!」
「バカ野郎! バケモノがこんなにいてたまるか!! 飛んでくる矢ぜんぶが盾を貫通してくんだぞ!!」
「ひぃ、前の奴がやられた!! 次は俺――」
「イヤだ! 死にたくない!!!」
「撤退だ! 撤退させてく――」
「後ろがつかえて下が――」
突撃した兵たちの悲鳴と破壊される盾の音が聞こえてくる。
その事実が下士官の報告の正当性を主張していた。
「いったい……いったい何が起こっている……」
「ほ、報告! 敵の奇襲を受け第七十七部隊の八割が戦闘不能!!」
「――ッ!?」
討伐軍三万は、一部隊六十名からなる五百の部隊から成っている。
最終的には指揮官であるルプンが全軍の命令権を持っているが、最前線から二百五十の部隊はローテンベルガーの指揮下にあり、最後尾から二百五十の部隊がルプンの指揮下にあった。
そして第七十七部隊はローテンベルガー指揮下の部隊。最前線から二百トワーム(約二.四キロメートル)後方にいる部隊だ。
「チッ、挟み込んで圧し潰せ!!」
「…………」
ローテンベルガーに命令に、しかし伝令兵は苦しそうな顔をして動かない。
それだけで状況は察せられた。
徴兵された兵に未熟な下士官。
あらかた奇襲に動転して何もできなかったのだろう。
ことが済んだ後、我に返って報告のための伝令兵を寄こしたといったところか。
怒鳴りつけたい気持ちだったが、そんなことをしている時間が惜しい。
いまでも敵陣に突撃をしている兵士たちから絶え間なく悲鳴が聞こえている。
事後である奇襲よりも現在進行形で状況が動いている攻め手の方が大事だ。
「チッ――。奇襲してきた輩はどこからきてどこへ逃げた」
「さ、左方の森林からです」
(だろうな……ッ!!)
分かり切っていたことだが、聞かないわけにはいかなかった。
右方は転落必至の急斜面。そこからの奇襲はまずありえない。
必然、左方の森林からとなるが、そこは緩やかな上り斜面ではあるものの乱立する樹木が視界を遮り、根が足を掬う最悪の地形だ。
潜むには適している反面、襲撃時と撤退時の迅速な移動の妨げとなる。
ローテンベルガーならば、絶対に採用しない。
だから敵も左方から奇襲は仕掛けてこない――と思っていた。思考の隙を見事についた一撃だ。
「(もっとも、それで減らしたのが五十名にも満たない兵。そんな損害は誤差にすぎん)全軍に通達! 左方からの奇襲に警戒しろ!」
「報告します!」
ローテンベルガーが命令を下した直後、新たな伝令兵が駆けつけていた。
「第百二部隊が奇襲を受け九割が戦闘不能! 敵は我が兵の脚や腹を一突きしただけで逃げ去っていきました!」
「な――ッ(バカがっ! それは逃げたというのではない! 取り逃がしたというのだ!!)」
「報告! 第百二十九部隊! 敵の奇襲を受けて六割が戦闘不能!」
「報告! 第百五十三部隊が奇襲を受けて八割が戦闘不能!」
そのあとも続々と指揮下の部隊から報告が上がり、十二の部隊が奇襲を受け、六割から九割の戦闘不能者を出していた。
想定外の事態に思考を乱されるローテンベルガーであったが、すぐさま平静さを取り戻す。
(たかが六百人程度の損害だ。なにを狼狽える必要がある)
ローテンベルガーの指揮下にある兵は一万五千。
まだ一万四千以上の兵が戦えるのだ。
襲撃は十二回でひとまず止んだが、十三回、十四回と続いたとしても好きにやらせておけばいい。
それよりも問題なのは一向に進まない敵陣の攻略だ。
いまは陣形を整えるために一時的に撤退させている。
(矢が大盾を貫いてくるなどバカな話があってたまるか)
ローテンベルガーは下士官の報告を一切信じていなかった。
「ろ、ローテンベルガー伯爵! 危険です!」
「ふん、貴様らのいう矢の威力。この目でたしかめてくれる」
曲がり角を出ようとするローテンベルガーを下士官が引き止めるが、それを無視して角を抜ける。
最初に目についたのは、射殺されたおびただしい数の国王軍兵の死体。
その先には身を隠せるほど大きな置き盾が二枚。距離はおよそ七十五トワーム(百五十メートル)といったところか。
(やはりな。ギリギリ有効射程に捉えられる位置に弓兵を配置していたか。当然だ、俺でもそうする。防衛陣地に続く直線で、敵を悠然と進ませるような指揮官はただの馬鹿だ)
だが、特別製の大盾は至近距離から放たれる矢をも防ぎ切る。
その疑問は――
置き盾から弓兵が顔を出した。
すでに弓弦は引き絞られていて、狙いは一瞬で終わり、矢が放たれた。
――この一射で氷解した。
(疾いッ!!!!)
ローテンベルガーは愛剣の
「ぐ――ッ!!」
鈍器で殴られたかのような衝撃に身体がよろめき、たたらを踏む。
さすがに
視界の隅でもう一枚の置き盾から弓兵が現れたのを捉え、慌てて曲がり角へと身を引いて矢をやり過ごす。
五十トワーム(百メートル)程度から放たれた矢ならば叩き切る自信はあったが、さすかにこれは無理だ。
(なんだ……あの弓は……!! おそろしく長かったぞ……!? まさか……、新兵器……ッ!?)
十分に有り得る話だ。
コルダナ男爵はメフィレスに『カルイザワ』とこれまでにない新しいものを作り出してきた。それが武器にも及んでいたとしても不思議ではない。
「報告! 第二百三部隊が奇襲を――」
どうやらまた奇襲が始まったらしい。
ローテンベルガーは伝令兵の報告を無視し、敵の恐るべき新兵器を打ち破る方策に思考を巡らせる。
(盾を二重にしても突破された……なら三重に――いや、あの衝撃を考えると四重でも防げるか怪しい。そもそもどうやって束ねる? 現状、あの矢から身を護る術はない。発想の転換が必要だ……。防げないならば…………そうか。防がなければいいのか……!!)
ローテンベルガーは閃いた。
盾を構えて前進するから移動速度が低下し、矢の的になるのだ。
ならば盾を構えず全力で走ればいいではないか、と。
矢を放つ速度よりも前進する速度の方が早ければ、必ず敵に辿りつく。
何人、十何人、何十人と矢の餌食になるだろうが構わない。こちらの最大の武器は数だ。千人も犠牲にすれば第二の土塁に到達できるだろう。
「全軍に告げる! 盾を捨てろ! これより全速力にて敵陣に向かい、第一の土塁を攻め落とす!! 仲間の死体を乗り越えて征け!! 立ち止まること、後退することは許さん!!」
そして下される冷酷にして無慈悲な命令。
「
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