第43話
「クソ……ッ! やられた……ッ!!」
コルダナ男爵領の本村にあるコルダナ男爵邸の執務室でツェーザルは黒檀の執務机に拳を叩きつけた。
握り潰された手紙は急使によって届けられたエルヴィーラからのもの。
その文面は簡潔だ。
『本日王都から討伐軍が出陣。兵力およそ三万。指揮官はルプン伯爵。副官はローテンベルガー伯爵。ほか大物は見当たらず』
想定よりも五ヵ月も早い。
召喚状を携えた部隊が消息を絶つこと想定していたとしか思えないほどのじんそくな応手だ。
間違いなくシャハナーの差し金だろう。
国王派の重要人物で唯一、
おそらく未来予知系だろう。
「当日まで出陣の情報を得られないなんてー、エルヴィーラ様らしくないですねー」
「チッ……」
もともとファーテンブルグはリュプセーヌに戦争を仕掛ける準備をしていたのだ。
それに紛れてしまえば察知のしようがない。
そしてもう一つ。
(まさかシャハナーが狙ってやったとは思いたくねぇが……)
エルヴィーラが事前に討伐軍召集を察知できなかったのは、彼女が構築した情報網の致命的な弱点を突いていたのだ。
そもそも、エルヴィーラの情報網はリピーターを増やすために高級娼館を利用できる相手の個人情報を収集するために構築されている。ゆえに対象者は高級娼館を利用できるもの――言い換えるならば貴族やその子弟、大商人など名前や顔が知れ渡っている者たちだ。
重要な情報ほど大物が握っているのはどの世界でも同じである。
メフィレス然り、『カルイザワ』の襲撃然り。
この情報網がなければツェーザルは完全に詰んでいただろう。
だが、今回は違った。
ルプンとローテンベルガー以外に大物はいない――つまり、高級娼館に通えない者たちで構成された軍隊なのだ。
これでは情報を引き出そうにも引き出しようがない。
ツェーザルは、イジュウインを呼んでくるようにアウレリアに指示を出した。
コルダナ男爵領内で野営陣地の構築にあたっていたため、イジュウインの到着は一刻と掛からなかった。
「
「随分とナメられたものだね。男爵如き、数さえ揃えれば蹂躙できるって?」
高級娼館を利用できない兵士――すなわち一般兵および徴兵された民間人。それを率いるのは下級指揮官だ。
前世的にいえば尉官以下の兵士たちで、中隊長クラスが最上位となる。
あまりにも非常識な編成だ。
軍事行動に明るくないツェーザルにでも分かる。
「敵さんはそう考えてるんでしょうぜ。実際、地形的に軍隊が進める道は一本。正面衝突しかありえないわけで。突撃の一言で済むなら上級指揮官はいりやせん」
「討伐軍は数にモノを言わせて正面突破してくる、と?」
「それで充分に勝てると思っているから、この編成なんだと思いやすがね」
「オーケー。イジュウインのお墨付きがもらえたなら十分だよ」
机上の空論では意味がない。
双方の現状認識が一致しているのであれば問題はない。
「ところで防衛陣地の進捗はどう?」
「
「だろうね。だから計画を変更しようと思う。第三防衛陣地は計画の四分の三程度で切り上げて第二に着手。こっちも四分の一程度で切り上げて、第一の構築に移る」
準備期間が短くなってしまった以上、すべてを計画通りにこなすのは不可能だ。
根性論でどうにかできる問題ではない。
だからツェーザルは二つの防衛陣地を完璧に仕上げるよりも、未完成でも計画通り四つの防衛陣地を構築することを優先した。
「いいんですかい? 四分の一程度じゃあロクな足止めもできやせんぜ?」
「それがいいんだよ。一つ注文を付けるとすれば、第一と第二はいかにも時間が足りずに慌てて構築した急ごしらえの不格好なものにして欲しいかな。例えば、落とし穴の深さが全く足りていないとか、ね」
「――――なるほど。そういう作戦でいくわけですかい。了解しやした」
さすがは歴戦の傭兵団長だ。
続けて話題は兵力の移る。いかに防衛陣地が構築されようとも、そこに詰めて戦う兵士がいなければ話にならない。
「それとイジュウインが希望した人材だけど、なんとか八人は確保できそうだよ」
「おぉ! それは助かります! ここで鍛えた野郎どももそれなりに仕上がっちゃいますが、部隊を任せられるほどじゃありませんでしたんで」
「ただ、開戦時期が早くなったから到着もギリギリになると思う」
「そいつは仕方ありやせん」
了承を得られたことで話をさらに進める。
「あとは一般兵か……。総勢で何人になる?」
「八千ってとこです」
「………………え? ごめん、もう一回言ってくれる?」
「兵力は八千でやす」
「…………(聞き間違えじゃなかったのか……)」
八千と言えば元スラムの住人の総数である。
満足に食事も食べられず、瘦せ衰えていた元スラムの住民には相応の体力を付けてもらうために一年の兵役を課していた。
その後、私兵として働きたいものはイジュウインが選別した者だけを残し、それ以外は農業やメフィレス生産などの仕事に従事させていたのだ。
なので元スラムの住民は全員が兵士として動員ができる。できるのだが――
「まさかとは思うけど、強制はしていないよね?」
あくまで志願者のみを今回の防衛戦に参加させるよう伝えていた。
無理やり、嫌々徴兵された者など使い物にならない。ただでさえ劣勢であるのだから士気の高さは何よりも重要な要素だ。
「もちろんです。事情を詳細に伝えた上で、元スラム街の住民のすべてが自らの意志で戦働きをすると名乗りをあげやした」
「…………マジか」
多くて五千程度だと見込んでいただけにこの上振れは嬉しい誤算だ。
一方で、討伐軍を追い返したあとが非常に恐ろしい。
ヤクザ時代、舎弟に軍事オタクがいたのだが、曰く平時での総人口に対する兵士の割合は一パーセントらしい。戦時においては約五パーセント。国が亡ぶ寸前ですら二十パーセントが限界だそうだ。
ちなみにコルダナ男爵領の総人口は八千百八十二人。
内訳は八千人が元スラムの住民で、百人は元からいた領民。六十三人が出稼ぎから帰ってきた男衆。十九人が新しく生まれた子供たちである。
つまり、総人口に対する兵士の割合は九十七パーセント。
もはや領民全員が兵士と言っても過言ではない。
討伐軍に敗れたら何もかもを失ってしまうため、形振り構っていられないとはいえ、戦で人が死ねば死ぬほど戦後の労働力は低下する。
さらに言えば部位欠損などで働けなくなる人もいるだろうし、怪我の治療で中長期的に働けない人もいるだろう。
どれほど国の存亡がかかっていても兵員動員率二十パーセントが限界なのは、国民の不安が募りクーデターが起きるからという理由もあるが、戦後の経済を破綻させないためでもあるのだ。
兵員動員率が九十七パーセントの時点でコルダナ男爵領はすでに詰んでいる。
(ま、破綻させるつもりはねぇけどな)
そもそもツェーザルは五千人の兵力を見込んでいたわけで、元より戦後の労働力不足を前提に討伐軍の迎撃計画を立てているのだ。
いまさら三千人増えようが誤差の範囲でしかない。
ちなみに、元スラムの住民以外の領民には、現状をまったく伝えていない。昔ながらのコルダナ男爵領の生活を送る彼らは、ツェーザルの行いをまったく知らないし、知らない方が彼らのためだと思っている。
だから徴兵もしていないし、討伐軍が迫っていることも、コルダナ男爵領存亡の危機なんて知る由もない。
「しかし大将。いくら某でも八千の兵力で三万もの大軍を退かせるのは無理ですぜ?」
「問題ないよ。相手が酒保商人に頼っている時点で僕たちの勝ちは揺るがないからね」
酒保商人またの名を従軍商人。
軍と契約を交わし、兵士たちに食料や武器から賭博・娼婦などを供給し、略奪品の買い取りもおこなう商人の総称だ。
いわゆる輜重部隊である。
前世において輜重部隊は軍組織の一つ――兵科になっているが、中世では外部委託するのが常識であった。
これは輜重部隊がまったく重要視されていないことに起因する。
前世の日本でも輜重部隊は明治十三年に正式な兵科として発足されたが、数ヵ月間の短期教育を受けた兵士が従軍するというありさまだった。身分は二等兵と同等で旧陸軍では最下位の兵科として見なされていた。
そんな輜重部隊の体制が見直されたのが昭和十四年である。
前世の現代日本でこそ輜重の重要性は誰もが知るところだが、その認識は歴史的観点からみれば
――と、舎弟の軍事オタクが言っていた。
あのときは、クソくだらねぇ話だと思っていたが、クソくだらねぇ話ほど記憶に残っているもので、クソくだらねぇ話がこんなところで役に立つとは思わなかった。
何が言いたいかというと、輜重部隊を重要視していない軍隊ほど脆いものはないという話だ。
酒保商人はあくまで商人。国王軍とはまったく関係ない営利組織だ。
軍部は当然ながら警備が厳重でおいそれと第三者が潜り込むことはできない。
しかし、商人は違う。警備内容は商品の盗難防止であり、仕入れた商品を守るのが仕事だ。
つまり、商人の目さえ欺ければ誰でも潜入し放題。
もはやザルと言っても過言ではない。
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