第42話
「さ………………」
ルプンが絶句するのも無理はない。
たかが男爵領を制圧するのに三万もの兵はあまりにも過剰過ぎる。
「そこまでする必要が……」
ルプンは言葉を止め、首を横に振ってから言い直した。
「そこまでしなければならないのですか、コルダナ男爵という男は」
「できればもっと増やしたいところだがな。さすがにこれ以上の兵を動員すれば陛下がお止めになる」
ルプンの失態を帳消しにするための確実な兵力。
リュプセーヌとの戦争を前に実践を積ませるための予行練習。
この二つの材料で引き出せる限界が三万の兵力だ。
しかし、それをもってしてもまだ臭う。
シャハナーが寵愛を賜ったのは、嗅覚を司る神ポウロニア。
彼の拡張された嗅覚は、物事の疑わしい様子や怪しい雰囲気を「におい」として感じ取る。いわゆる比喩表現のくさいと言われるものだが、勘ではなく明確な「におい」として感じているため、珈琲のにおいが珈琲だと分かるように外れることはない。
これによって相手の
これまでコルダナ男爵にこの
もしメフィレスの際に使用していればと後悔はある。が、その一件と『カルイザワ』の件があったからこそ、コルダナ男爵の危険性を認識できた。
そして
――吐き気を催すほどのイヤな臭いがした。
もはや調査する必要も、考えるまでもない。
召喚は確実に失敗する。
しかし、シャハナーの
だから密偵を放ってコルダナ男爵のもとに向かう部隊を監視させた。部隊になにかがあればすぐさま帰還し、なにが起きたのかを報告する手はずとなっている。
国が敵に回ったと分かれば、生き延びる手段は一つしかない。
リュプセーヌへの亡命。
それだけは絶対に阻止しなくてはならない。
逃げる時間を与えず、最大戦力で叩き潰す。
密偵が帰還してきたと同時に討伐軍を出兵させれば、コルダナ男爵が亡命する前に討伐できるはずだ。
自分が召喚されることすら知らないコルダナ男爵と、召喚が失敗に終わると知っているシャハナーではどう動いたとしても後者が有利に決まっている。
王都からコルダナ男爵領まで片道二ヵ月ほど――行軍であれば四、五ヵ月はかかる道のりだが、亡命するにはそれ以上の時間が必要だ。
側近とともに身一つで逃げ出したとしても限界はある。
問題があるとすれば、叩き潰すための最大戦力がまったく予測できないことだ。
男爵程度であれば保有している私兵もたかがしれている。五千もあれば多少の損害はあれど快勝は間違いない。一万でも十分に過剰となところ、三万ともなれば戦にもならないだろう。ただの蹂躙。虐殺だ。
それなのにシャハナーの嗅覚からイヤな臭いが消えてなくならない。
兵の数を五万にしても、十万にしても警笛を鳴らし続けていた。
武闘派のローテンベルガー伯爵を副官に任じても、それは変わらなかった。
しかし、シャハナーが打てる最善手はここまでだ。
「コルダナ男爵にはなにかある。けして油断するな」
「心得ております」
「ならばよい。貴卿も戦の準備があるだろう。話は以上だ」
一礼して応接室を去っていくルプンの背中を見ながら、シャハナーは嘆息を吐いた。
何事もなくコルダナ男爵が召喚に応じてくれるのが一番なのだが、そうはならないだろう。
「陛下に事情を説明し、討伐軍の編成を行わなくてはな……」
それから四ヵ月後、シャハナーの読みは見事に的中した。
戻ってきた密偵の話によれば召喚状を携えた部隊は領主宅に侵入後、すぐに遺体となって戻ってきたそうだ。領主宅で何が起こったのかは不明。
その後、山中に遺棄された部隊員の亡骸をみたところ、戦闘の形跡はなく、全員が首を一突きされていたという。
これは、部隊員が実力行使に出る前か出た直後に一瞬で殺されたことを示している。
よほどの手練れが複数、護衛に付いているのだろう。
殺害に躊躇がないことから召喚されるのを予期していた可能性もある。
(シャハナーは先手を取ったつもりみたいだが……)
コルダナ男爵はそれすらも予期していた、ということなのだろう。
(とんでもないな……)
ルプンは王都から次々と出陣していく討伐軍を眺めていた。
三万もの兵はまるで大蛇のようだ。尻尾に当たる最後尾の兵が王都を発つのは行軍が開始されてから約二刻後(約二時間後)。さらにそのあとには酒保商人の馬車が続く。
これだけの圧倒的な数の暴力をもってしても、シャハナーはまだ足りないという。
(上等だ。それでボクが勝てばシャハナーより上ってことだろ。メフィレスと『カルイザワ』の失敗を帳消しどころかお釣りがくるね。ローテンベルガーは副官。あの脳筋にはせいぜいボクの功績のために働いてもらうとしよう)
ローテンベルガー伯爵領の最大の特徴は、毎月開催される闘技大会だ。
奴隷や罪人、腕に覚えのある有志の参加者が一対一の勝ち抜き戦を行い、
そしてその闘技大会において常勝無敗の王者がローテンベルガーだ。
自分が生死のやり取りをしたいがために闘技場を造り、闘技大会を開いてしまうだけのことはある。
国王派に属している理由も単純に強い者と戦いたいからという戦闘狂振りだ。
ルプンからすれば自らの命を晒すなど頭がおかしいとしか思えない。
貴族が高い教養を身に付けているのは頭を使って成果をあげるためだ。前線で血を流すのは無知蒙昧な愚民どもの仕事である。
もちろん、相応の武術も嗜んではいるが、それは自衛のためだ。先陣を切って戦場に飛び込み敵を蹴散らすためのものではない。
ルプンとローテンベルガーは一生分かり合えないだろう。
シャハナーもそれが分かっていてローテンベルガーを選んだに違いない。
ルプンは本陣に詰めて戦況を俯瞰して全体の指揮を執る。
ローテンベルガーは前線で現場の状況に指揮を執る。
まさに適材適所だ。
「さて……。そろそろか」
ようやく隊列の中央にいるルプンまで順番が回ってきた。
馬の腹を蹴り、前進させる。
今回の出兵にあたって五十人の私兵を連れてきた。精鋭中の精鋭であるが、彼らに活躍の場はない。
予想されるコルダナ男爵の私兵は千人弱。これは『カルイザワ』で警備に当たっている兵のほか、他の領主から無期限かつ無料で賃貸借している土地で発見された村落を警備していた兵の数を足したものだ。
発見したときに焼き払わなかったのは、国王派がその村落を知っているという情報を渡したくなかったかららしい。
どのみちコルダナ男爵の召喚が失敗に終わると分かっていたのだから、手勢を減らす意味でも皆殺しにしておくべきだったのだ。
それでも兵力差は歴然。三万対千弱では戦いにすらならない。
戦場でルプンがいるのは後方にある本陣だ。精鋭五十人も当然、その周囲を固めている。彼らの出番は、千弱の兵が三万の兵を打ち破ったあと。まったくもって現実的ではない。
だが――
(シャハナーはそれでも危険だっていってるんだよねぇ)
だから精鋭の五十人を連れてきた。
万が一、敵の凶刃がルプンに及んだ場合に備えて。
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