第51話

「クソ、クソッ、クソッ!! なんでだ! なんで陥せないんだ!!」

 夜襲を仕掛け、昇った陽が落ちるまで兵を吶喊させ続けてもコルダナ男爵賊軍の第三防衛陣地は健在。攻め落とせる気配すらなく、むしろ討伐軍の方が挽回の余地が見えないほどに疲弊していた。

 前線にいる兵士だけではなく、後方にいる兵士さえもが討伐軍から逃げ出している。

 ルプンが連れてきた私兵を特戦隊として敵前逃亡した兵士に制裁を加えているが、手が回らない状態だ。

 討伐軍はもはや瓦解寸前。

 だが、ルプンは断固として受け入れない。

「賊軍はもう虫の息のはずなんだ! あと一押し! あと一押しで絶対に攻略できる!!」

「…………」

 現実が見えていない領主ルプンに私兵隊長は憐みの目を向けていた。

 特戦隊として逃亡兵を殺しまわるよう部下に指示を与えていたが、もう限界だ。部下からの報告を受けるまでもなく肌で感じ取っていた。

 これ以上の督戦は危険だ。

 兵士たちの殺意が自分たちに向けられているのが分かる。

 ルプン直下の私兵一人ひとりがどれだけ精強であろうが、数の暴力には絶対に勝てない。

 私兵隊長の感覚では、あと数歩で一線を越える。数千の兵士が襲い掛かってくる。

 狩る側から狩られる側になるまでの時間はそう長くはない。

 だから私兵隊長は決断した。決断せざるを得なかった。

「…………ルプン様、申し訳ございません」

 自らと部下が生き残るために領主の首を斬り落とした。

 まさか裏切られるとは思ってもいなかったのだろう。

 ルプンの表情は思い通りにならない現状に苛立ったまま、首から断たれた頭部が落下していく。

 地面に落ち、一回転してようやくルプンの目が大きく見開かれる。

 そしてそのまま動かなくなった。

「――撤退だ」

 司令官を殺した上に敵前逃亡。

 ――いや、敵前逃亡するために司令官を殺した。

(クソッ! どこに逃げりゃいい……ッ!)

 目撃者は多数。

 もしかしたら国王派の間者がどこかで監視しているかもしれない。

 国王の耳に入るのは必至。

 ファーテンブルグ国内にいるかぎり大罪人として追われることになるだろう。

(はっ、いっそ王女派に匿ってもらうか?)

 隊長は自嘲しながらコルダナ男爵領の本道を下っていく。

 平民を救うために数々の施策を行ってきた王女ならば、もしかしたら助けてくれるかもしれない。

 そう考えてしまえるほど慈悲深い印象があった。

 徴兵された兵士たちの合間を駆け抜けながら、半ば本気で王女派への庇護を求める気になっていた。

 ――討伐軍の最後尾を抜け、三度ほど角を曲がるまでは。

「――ッ!?」

 視界が開けた先にあったのは道を埋め尽くす大量の兵士。

 隊長はすぐに掲げられている軍旗に視線をやった。

 描かれているのは道化師。

「ど、ドレーアー家……!?」

 異端の貴族。

 王族の傍に常に控えているはずのドレーア家がなぜここにいるのか。

(コルダナ男爵討伐のための援軍……? だとしたらルプン様が知らないはずがない。見たところ夜営の準備を――ッ!?)

 隊長はドレーア家とは別の軍旗を見つけてしまう。

 羽ばたく二羽の鳥が描かれた紋章。

(アイスラー男爵家! この集団はいったい……)

 その集団から一人の男が自分のところに向かってきていることに気づき、隊長は臨戦態勢をとり、すぐにやめた。

 相手の目的が分からない上、多勢に無勢。抵抗する意味がない。

「やぁやぁ、俺はフェリクスっていうんだけど、君は誰かな?」

「…………(な、なんて言うのが正解だ……)」

 少しでも生存率を上げるためには一つも間違いは許されない。

 慎重に言葉を選んで――選んでいたがために開いてしまった間が致命的だった。

「当ててあげようか? 逆賊ツェーザル・コルダナを討つために編成された軍の人でしょ? その格好からすると司令官ルプン伯爵の私兵ってところかな?」

「い、いえ……! 俺は――」

「敵襲! 総員戦闘態勢!!」

「ちょ……! 話を…………え……」

 胸に鋭い痛みを感じ、目を向ければナイフが突き刺さっていた。

 さらに視線を動かし、フェリクスを見る。

 いつの間に抜剣し、踏み込んだのかすぐ目の前にいた。

「ここは戦場だよ? 敵の言葉に耳を傾けるわけないでしょ」

 振るわれる剣は正確に首を通り抜け、視界が回る。

 最後に見えたのは乱雑に舗装された地面だった。



「よく来てくれた……というべきかな?」

「勿体なきお言葉でございます」

 ツェーザルの前に跪くフェリクスは、以前の飄々とした言動が嘘のように畏まっていた。

「主の伴侶なれば主同然でございます」

「…………正直やり辛いんだけど。元に戻らない?」

「ご命令とあらば」

「なら前までのようにして」

「オッケー。分かったよ」

「…………」

 あまりの変わり身の早さに閉口してしまう。

 おそらく、いや確実にツェーザルならばこう言うだろうと読んでいたに違いない。 

「フェリクス殿がここにいるってことはそううことなんだろうけど、いちおう聞いておかないとね。――討伐軍はどうなった?」

「もちろん壊滅させたよ。なんかルプンが殺されててね。思ってたより簡単に片付いたかな。逃亡した兵士も別動隊に追わせてるから抜かりはないよ。五日? 六日? ほぼ絶食状態だったんでしょ? そんな状態の兵士が遠くに逃げられるわけないしね」

「分かった。あとは王女派に付いた人たちだけど……」

 国家反逆罪の逆賊であるツェーザルを救援に向かう。

 これは自らも逆賊になるのと同義だ。

 常識的に考えれば誰一人としているはずがない。

 だが、王女派が真っ先に名乗りを上げたとすれば?

 国民の生活環境を改善してきた多くの実績をもつ王女が、上位貴族たちに苦渋を舐めさせられ続けてきたにツェーザルの件はその極めつけだと、次に国家反逆の罪を被せられるのは貴方たちかもしれないと、いまこそ声を上げ、行動に移すべきだと訴えたとしたら?

 ツェーザルの企みおかげで領民の生活が豊かになったアイスラーは真っ先に名乗りを上げただろう。

 トンペックも加担せざるを得なかったはずだ。なにせ『カルイザワ』によって保養都市フェルローデが傾き、再起を図っている。いまツェーザルがいなくなれば領地は完全に詰むからだ。

 ほかにも領地の一部を無償で賃貸借した貴族のうち、アイスラーのような善良な数名の貴族も賛同してくれたと思っている。

 しかし、それでは国王派に対抗できない。

 今回の計画の成否は、どれだけ多くのを王女派にすることができるかだが、協力者リアが出来ると言ったのだ。

 その結果は、フェリクスの表情をみれば十分に察せられる。

「問題ない。中立派の九割が王女派に付いたよ。それと王宮の文官が三割、女使用人は七割がついてきてくれた」

「…………は? 文官はともかく、女使用人が六割? それちょっと多すぎない?」

「王宮に勤めているほとんどの女使用人は下位貴族の令嬢が行儀見習いとして奉公してるんだよ?」

「あぁ……そういうことか」

 国王派はほぼ上位貴族で構成されている。

 下位貴族のほとんどが王女派か中立派に属しているのだ。

 国王派と対立するのだから、娘を呼び戻すのは親として当然だろう。

 残った三割の女使用人は例外的に国王派に属している下位貴族の娘と役職者、そして平民といったところか。

「それだけ働き手が減ったら王宮は大混乱だろうね。まともに機能しないんじゃない?」

「ははっ、そっちの方が俺たちにとって都合がいいじゃないか」

「違いない。それにしてもよくそんな大人数を移動させられたね?」

「王宮では年に二回、大規模な避難訓練を実施してるんだよ。もちろん王女殿下の発案さ。万が一にも火災が起きたとき、どこに逃げればいいのか分からないんじゃ助かる命も助からない、ってね。これには誰もが納得して普段は否定ばかりしている重臣たちからも反対の声は上がらなかったよ」

 もし敵兵が攻めてきたときに備えてと言えば、王宮が攻められることなどあり得ない! と反対の嵐だっただろう。

 聡明なリアらしい説得だ。

 地震がまったく起こらないこの異世界において、もっとも身近な災害は失火である。しかも防火水槽もなければ、消防車――どころか人力のポンプ車もない。一度火の手が上がれば全焼はまぬがれない。

「避難訓練であれば怪しまれずに王宮にいる者たちを外に移動させられたってわけか。それにしても都合よく避難訓練の日に重なったね?」

「そこはちょっと予定をすり替えて……ね」

 フェリクスの悪い笑みに、ツェーザルもつられて笑う。

「なら心意気なく計画の最終段階といこうか」

「オーケー」

 頷き、しかしフェリクスはにわかに顔を曇らせる。

「ツェーザル殿。本当になんて出来るのかい? 国を興すなんて早々簡単にできるもんじゃないと思うんだけどね?」

「大義名分がなければダメだろうね。だけど僕らには王女様大義名分があるだろう?」

「それは…………でもだね……」

「そもそも王女派は、これだけの中立派貴族と王宮の文官、女使用人を動かせる力があったのに今のいままで何もしなかった……というのは言い過ぎにしても国王派の妨害ぐらいしかやっていなかった。それはなんでかな?」

「…………」

 フェリクスは目線を下に落とした。

 彼も分かっているのだ。

 大義名分たる王女は忌子であり、表に出ることは叶わない。

 代わりに表に出られる人物が必要だった。

 その最低条件は、一国の王を欲するほどの野心と実力のある者。

 そうでなければ建国早々に潰されてしまう。

 おそらくアルアリアに数名は条件に合致した人物はいたはずだ――が。

 王女は忌子だ。

 忌子を伴侶にできるという絶対条件は、この異世界人。北方大陸の人間は絶対に許容できないだろう。

 それほどまでに宗教の影響は著しく大きい。

 表に出られる人物がいない。

 だから王女派は動けなかった。

「心配するな。僕がいるだろ?」

 王女様大義名分と同じく忌子であり異世界転生者であるツェーザルの出現によって盤面は急転直下の激変を引き起こした。

「行くぞ、新たな国の王都となる『カルイザワ』へ!」

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