第50話

「よし、ローテンベルガーを獲ったか」

 伝令から報告を聞いたツェーザルは、満足そうに頷いた。

 この結果は分かっていたことだ。

 イジュウインとローテンベルガー。どちらが強いかなど愚問にも等しい。

 イジュウイン本人は気づいていないみたいだが、彼の記憶力の良さは嗅覚の方の神に祝福された証ゼーゲンが大きく関わっている。

 一度嗅いだニオイは忘れないという能力。これによって常に記憶を司る海馬を鍛えているようなものだ。

 極度の集中状態である戦闘中ならば尚のこと記憶に残るだろう。

 それが専守防衛に特化した野火止流と合わされば敗ける姿が思い浮かばない。

「前線の兵は壊走してるようだが……。さて、ルプンはどうでるかな」

 状況的に撤退はありえない。

 これはルプンに功績を積ませ、失敗を帳消しにするための遠征だ。

 尻尾を巻いて逃げれば待っているのは自身の破滅。

 一時後退し、近隣の村落から略奪まがいに徴収した糧食で腹を満たし、メフィレスの副作用から脱するのを待って再侵攻する――というのが無難な選択だろう。

(前線にいた兵から事情を聞けば防衛陣地を突破するため部隊を再編成するかもしれねぇな……)

 それであるならば好都合だ。

 時間が経てば経つほど状況はツェーザルに傾いていく。

(あるいは……。間道を見つけてるかもしれねぇな)

 ルプンは悪知恵が働くらしい。

 奇襲部隊が出入りしたところを調べるぐらいはするはずだ。

 分かりづらいとはいえ隠ぺい工作をしているわけないので猟師がみれば容易に見つかってしまうだろう。

 大部隊が動けるような道ではないとはいえ、それを逆に利用してやろうぐらいの謀をしてきても不思議ではない。

(備えとして予備から二個小隊を置いておけば十分か)

 ツェーザルは伝令に各分隊の休息と、今後ルプンが取るであろう行動の対策を指示し、眠りについた。

 予想外のことが起こったのは、それからすぐあとのことだった。

「お休みのところ申し訳ありません!」

 外からの声で叩き起こされた。

 天幕の外にある篝火が燃えていることから、まだ夜は明けていないらしい。

「入っていいよ」

「失礼いたします!」

「……なにかあったの?」

「ハッ! 夜襲を受けていると第三防衛陣地より急報が届きました!」

「…………は?」



 ローテンベルガー討ち死にの報を聞いたルプンは、怒りのあまりその兵士を切り捨てた。

「あのバカが!! 一騎打ちだと!? これだから脳筋はイヤなんだ!!」

 報告の嘘だと疑わなかったのは、壊走している兵たちがルプンのいる中列まで雪崩れ込んできているのが見えたからだ。

 ほどなく、ここも逃げる兵と進む兵が入り交じって混乱のる坩堝と化すだろう。

 そうなってしまっては収集が付かなくなる。

「クソがっ! ヤツの手駒はなにをやっていた!! 逃げてくる兵を片っ端から斬りまくれ! 抵抗するヤツは全員殺せ!!」

 ルプンが領地から連れてきた精鋭の私兵隊長に命令を下し、机に拳を振り下ろした。

 まったく、なにもかもが上手くいかない。

 酒保商人が仕入れた娼婦はツェーザルの子飼いで、メフィレスをばら撒いてきた。 おかげで兵士の半分以上が禁断症状で使いものにならない。

 さらには度重なる奇襲でまともな兵士だけが削られていく。反吐がでるほど嫌らしい戦術だ。

 極めつけは民間人である酒保商人の襲撃だ。卑劣というにも生易しい、もはや外道の所業だ。

 なんとか周辺の村や町から食料を徴収して当座の食料問題を凌いだと思った矢先にローテンベルガーの討ち死にである。

 なにもかもがツェーザルの掌の上。

 まったくもって気に食わない。

 一騎打ちを申し出れば絶対に応じる。ローテンベルガーの気性を理解していなければ絶対にできない。

(………………ちょっと待て。相手はなんで一騎打ちなんか申し出たんだ……?)

 第三防衛陣地が突破されそうになっていたなら分かる。だが、攻めあぐねていたのは討伐軍の方だ。その上、補給も絶たれている。

 認めたくはないが有利な状況にあったコルダナ男爵軍が一騎打ちを申し出る理由がない。

 それなのに一騎打ちを仕掛けてきたということは、そうしなければいけない状況だったということだ。

(一時休戦しなければ継戦できない状態だったとしたら……?)

 討伐軍の酒保商人たちを襲撃したのは補給を絶つだけではなく、糧秣の一部を略奪するため。

 コルダナ男爵軍は森の中をある程度自由に行動できるのは度重なる奇襲によって証明されている。

 とはいえ、略奪した糧秣を運搬するは相応の時間を要するだろう。

 元々コルダナ男爵領が養える領民の数は多くない。

 そこに養える数の数十倍もの人数が討伐軍迎撃のために動員されているのだ。備蓄していた糧食が底を尽きそうになっていたとしても不思議ではない。

 おそらくローテンベルガーがここまで粘るとは思っていなかったのだろう。

 略奪した糧食が届くまでの時間稼ぎとして一騎打ちを申し込み、副指揮官であるローテンベルガーを討つ。そうすれば戦線は崩壊し、時間が稼げるというわけだ。

 ローテンベルガーを討てる、あるいは重症を負わせるというのが大前提ではあるのだが、それが成されている以上、絶対の自信があったに違いない。

 逆にいえば、それだけ切迫しているともとれる。

(ならば、いまが好機――ッ!)

 ルプンはすぐさま全軍に夜襲の命令を下した。



「バカなのか……」

 ローテンベルガーを討ったのは国王派の重鎮を一人でも殺したかったからだ。

 たしかに確かに時間稼ぎの側面もあるが、その理由は糧食が尽きそうになったからではない。

「目的を達成するために策を弄するんじゃなくてー、相手がされたらイヤなことをした結果として目的を達成しようとする人だってエルヴィーラ様が言ってた通りですねー」

 酒保商人の襲撃から戻ってきたアウレリアのコメントにツェーザルは眉を顰めた。

「悪い。言っている意味が良くわかんねぇんだが……」

「ん-。なんて言えばいいんでしょー? ――例えば―、ツェーザル様は討伐軍に勝つためには―、どうすればいいか考えますよねー?」

「……当然だろう」

「でもー、ルプンは相手がされてイヤなことをすればー、結果として討伐軍が勝つと考えてるんですよー」

「…………嘘だろ……?」

 それが本当ならば目先のことしか考えていない正真正銘のバカだ。

 実際、このタイミングでの夜襲は悪手としか言いようがない。

 集団行動で目標を達成するために必要不可欠なのは、戦略や戦術、ましてや相手の嫌がることをするのではなく、一人ひとりのやる気だ。

 戦争っぽく言えば士気である。

 同じ練度であっても士気の高い集団と士気の低い集団が戦えば、どちらか勝つかは明白だろう。

 そして今、ロクな食べ物も与えられず、副司令官であるローテンベルガーが討たれた討伐軍の兵士たちの士気は致命的なまでに低下している。

 たしかに一時撤退するだろうと予測していたこのタイミングでの夜襲はツェーザル陣営にとって虚を突かれたといってもいい。

 しかし、いまの討伐軍の士気ならば容易に立て直せる。

 そもそも討伐軍の士気が高ければ夜襲を警戒していたので虚を突かれることはなかっただろう。

「『カルイザワ』のことを思い出してくださいよー」

「………………たしかに」

 ツェーザルが人為的な営業妨害だと気づかなかったほど稚拙な嫌がらせに、情報統制すらできていない杜撰な奇襲計画。

 成功していれば嫌らしい計画ではあったが、実行犯への配慮というか人を動かす能力がまったくもって足りていない。能力的には善い計画や作戦、戦術を提案してくれる補佐官レベルだろう。

 一軍の指揮官を務められるほどのではない。

「これは……援軍を待つ必要もないか……」

 




 


 

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