第28話
クンツ・ルプンが国王派に属したのは、アレクシス・ファーテンブルグが戴冠して国王となる前。派閥の名が王子派と呼ばれていた頃からであった。
当時からアレクシスはファーテンブルグの自給率が低いことを問題視しており、平時ならばともかく、輸入国の何かしらの問題があった場合の危険性を訴えかけていた。
飢饉が起きれば、食料を輸出する余裕はなくなるだろうし、アルアニアは常に大小の内争が起こっている。悪化すれば、やはり輸出どころではなくなるだろう。
二国どちらかの輸出に制限が掛かれば、ファーテンブルグ内の価格は跳ね上がる。貧しい村落では餓死者が少なからず出るだろう。
そして、二国ともとなればファーテンブルグは詰む。
当然、二国の上層部はそれを理解しているはずだ。食料の輸出制限を盾に関税の引き下げや何かしらの支援を求められたら、ファーテンブルグは断ることができない。
生殺与奪の権を握られているようなものだ。
友好的な関係であるうちはいいが、いつ手のひらを返してくるか分かったものではない。それが国と国の関係だ。
だからこそ、目と鼻の先にあるリュプセーヌの穀倉地帯を切り取り、食料の自給率を高めなければならない。たとえ、争いが起こったとしても。それがファーテンブルグのためである。
アレクシスのその想いに共感し、あるいは得られるであろう利権を求めて集まってできたのが旧王子派――現国王派であった。
政治とカネ。貴族と言えば利権と思うかもしれないが、意外にも国王派のほとんどが現在の弱腰外交を憂慮した貴族で構成されていた。派閥筆頭であるシャハナーやローテンベルガーは派閥が形成される以前からアレクシスを指示していた者たちだ。
しかし、ルプンは違う。
領内にあるのは、宝石として取り扱われる
戦争よりも貧困や病気で失う命を救いましょうと治療院と孤児院の設立、公衆衛生概念の啓蒙活動を行い、聖女面している王女派にも期待できない。
ルプンの判断は正しく、先王が崩御し、王太子のアレクシスが戴冠すると、すぐにリュプセーヌ侵攻を決断。水面下で戦争準備が行われ、武具の増産に合わせて鉄の需要が跳ね上がった。
弱腰外交時ではあり得なかったほどの金が流れ込んできて、ルプンは笑いが止まらない。
飢饉になったところで、大陸中から食料が消えてなくなるわけではないのだ。市場に出回る量が少なく価格が高騰する、ただそれだけ。金を積めば買えるならば何も問題はない。そのための金をいまこうして稼いでいるのだから。この金さえあれば領民は餓えずに済む。
そして、いったん戦端を開いてしまえば容易に戦争は終われない。
首尾よく穀倉地帯を切り取れたとしても、奪われた版図を取り返しにくるリュプセーヌと戦は継続される。
侵攻が失敗したならば、ファーテンブルグは勝利するまで戦を続けなければならない。関係の悪化したリュプセーヌから食料の輸入は絶望的であるため、穀倉地帯を切り取らなければ詰んでしまうからだ。
勝っても負けても戦争は終わらない。
戦争が長引けば長引くほどルプンの利益となる。
最高の状況が、あと数年で訪れるのは間違いない。
しかし、ルプンとしては一年でも一ヵ月でも一日でもその最高の状況になってほしかった。
そこに飛び込んできたのが、
国内の一部で品切れがでるほどの人気商品であるらかった。
簡単に調べてみたところ、まったく元締めに辿りつけない。これは怪しいと本腰を入れたところ、聞いたこともないような男爵の名前が上がってきた。
その男爵は、
これだ、とルプンは思った。
これで開戦までの時期を早められるはずだ。
気になるとすれば、男爵如きの事業など、上位貴族の権力をもってすれば如何様にでも潰せるはずなのに、なぜ誰も真似しないのかということだが、どうやら
ルプンは、生まれて初めて、心から神に感謝した。
ルプンの
それによって
念のためお抱えの薬師にケシの実の抽出液に
どちらにしてもケシの実の抽出液は労力の代わりに得られる量が恐ろしく少ない。ゆくゆくは派閥の力を使って大量に得られるとしても、採算がとれる配分量を見極める必要がある。
ルプンは早速、お抱え商人の一人で薬師とも繋がるを持つ人物に商品開発を依頼。
試験段階で用意できるケシの実の抽出液の量が少なく、完成前三年を要してしまった、その反応は劇的だった。
しかし、しばらくして王女派が偽
証拠として、常用していたとある貴族が数日間偽
同時にケシの実の群生地が何者か(王女派かコルダナ男爵のどちらかの仕業だと分かっていたが、証拠がなかった)の手によって全焼。物理的にも偽
ちなみに、偽
結局、偽
しばらくして、偽ではない
禁制品になってことで購入者の口が堅くなっただけではなく、販売方法も恐ろしいほど巧妙になっている。
偽
そんな複雑な心境のルプンに、またしてもコルダナ男爵の名前を聞くこととなる。
派閥の重要な資金源であるトンベック伯爵領にある保養都市フェルローデの収益が深刻なほど悪化したのだ。
その原因となったのがコルダナ男爵である。
なんでもアイスラー男爵の土地を借り、コルダナ男爵が『カルイザワ』なる保養地を開設。そちらに顧客が奪われてしまったそうだ。
最大派閥の国王派をしても、圧力をかけるにも限度がある。
彼らは国王派に属している以前に貴族なのだ。
派閥の利益よりも貴族としての利益を優先するのは当然である。
先の商人との取引き禁止の通達が罷り通ったのは、国王派に目を付けられるという怖さもあるが、それ以上に商人の不誠実さが原因だ。偽
が、こと『カルイザワ』においては状況がまったく異なる。
なにせ保養地なのだから貴族にとって何ら不利益――どころか珍しいものが体験できるとなれば、自慢のネタとして利用者が殺到するのも当然だろう。
これによりアイスラー男爵の納税額も上がるのだから、国家としてもこれを妨害する理由はない。
トンベック伯爵の納税額は下がるが、国家や国王派が介入できるわけもなく、それは個人の努力でなんとかしろとしか言いようがなかった。
しかし、コルダナ男爵に対して一方的に遺恨のあるルプンは個人的に介入を決意。
ありとあらゆる手段で妨害工作を行い、最終的には私費を投じてまでアルアニアから傭兵を雇い、『カルイザワ』への襲撃を仕掛けたのだ。
その結果――
「失敗……? ははは、冗談が上手くなったじゃないかバーデン男爵? ボクが直々に考えた計画だよ? 失敗する要因がいったいどこにあるっていうんだい?」
「し………………しししししししっ!」
「しかし、じゃないよ。。バーデン男爵。キミからの報告書はおかしなところだらけだ」
人見知りで口下手、さらに臆病なバーデンは、口頭ではなく書面で報告書を上げてきた。ロクに話せないのだから、自分の短所をよく心得ている。肝心の報告書も綺麗な文字で読みやすく、内容も客観的かつ理路整然として読みやすい。
だが、問題はそこではなかった。
ルプンは机の上に置かれた報告書を指で叩く。
「『カルイザワ』に現れた襲撃部隊の人数が百人程度だった? じゃあ、残りの半分はどうしたっていうんだ? 戦いもせず逃げたとでも? しかも、その百人の襲撃部隊も『カルイザワ』の警備兵と接触してすぐに約半数が逃亡? 精強で知られるアルアニアの傭兵が? ――信じられるわけないだろうがッ!」
机に拳を叩きつけた。
その音にバーデンは身体を竦ませる。
「で……でででっ、でででっ!」
「ですが! じゃない!」
怒声を上げ、しかしルプンはそれ以上を口にしなかった。
理性では、この報告に嘘はないと分かっていたからだ。
バーデンが計画を頓挫させる理由もなければ、能力もなく、嘘を吐く度胸も胆力もない。裏切ってコルダナ男爵側に付くなどもってのほか。そんな肝が据わった真似ができるならば、彼の領地はもっと栄えている。
そんなバーデンだから、今回の役目を任せたのだ。
彼にとっては、まったく嬉しくない方面での絶対的な信頼。
ゆえに、この奇怪な襲撃の顛末はまごうことなき事実。
机を殴ったのも、怒声を上げたのも、ただの八つ当たりだ。
収まりのつかない感情を発散し、平静を取り戻したルプンは、乾いた溜息を吐いて手を振るう。
「――もういい。帰っていいよ。貴殿の国王派への参入する口添えはなしだけどね」
「は…………い」
気落ちした様子で去ってくバーデンの背を見ながらルプンは親指の爪を噛む。
報告書を読む限り、バーデンに落ち度はない。
で、あるならば計画そのものに失敗の要因があったということだ。
(コルダナ男爵の力を見誤っていたか……?)
当主である父親を亡くし、若くして襲爵した新参者の貴族と侮っていた。そして、たかが男爵と見下していたのも事実である。
計画が綻んでしまった場面は二つ。
『カルイザワ』に到着した襲撃部隊の人数が半減していたこと。
警備兵と接敵した瞬間にさらに半減したこと。
しかし、なぜそうなったのかが全く解らない。
(調べてみるか……? いや――)
トンペック伯爵の件に首を突っ込んだのは、コルダナ男爵が関わっていたからで、それというのも
本来であれば、
とはいえ、トンペックからの支援金が目減りするのは致命的ではないものの痛手ではある。上手くいけば御の字と言ったところだったが――
(これ以上の支出は許容範囲を超える……。感情に任せて深入りするのは得策じゃあないか……)
シャハナーやローテンベルガーならば、派閥にとって有害になる人物であるかどうか、徹底的に調査を行うだろう。
しかし、ルプンは違う。
最も重要なのは自領の利益だ。何が起きても領民が餓えずに暮らすために金を稼ぎ、蓄えを増やす。そのための手段の一つとして国王派に属しているにすぎない。
だから、ルプンはここで手を引いた。
その三ヵ月後、トンベック伯爵領に潜ませていた密偵から驚くべき報告が上がってきた。
「………………は?」
あまりの内容に理解が追い付かない。
(トンペックが派閥を抜け、コルダナ男爵側に付いた……だと……?)
顧客を奪われ、怒り心頭、恨み骨髄だったトンペックがコルダナ男爵に寝返ったなど俄かには信じられない。
青天の霹靂。
電撃的な裏切り。
(は……? え……? なにがどうしてこうなった……?)
混乱の最中、ドアが激しく叩かれる。
乱暴な叩き方だが、それだけ危急の用件だということだ。
「……入れ」
「失礼します! シャハナー侯爵からの使者が面会を求めております!」
「――クソがっ…………!」
この時期にシャハナーからの使者。
用件はまず間違いなくトンペックの件だろう。
ルプンが介入しなければトンペックは裏切らなかったのか。
トンペックの裏切りにルプンの介入は関係していないのか。
一歩間違えればルプンは終わる。
(クソがぁぁぁぁあああ――ッッッ!!)
圧倒的に情報が足りない。
しかし、シャハナーからの使者を拒むわけにもいかない。
ルプンは髪をかき乱しながら「お通ししろ」と言うほかなかった。
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